Trinitas Mundus - The Story of Saint Knight Ray

Episode 35: Two Recapture Operations

二月二十六日。

月魔族の都ルーベルナに潜入したステラとウノは無事脱出に成功した。

都に入る時もそれほど厳しい検問ではなかったが、出る時は更に杜撰だった。門を守る兵士たちは荷台の確認すらせず、ステラたちは危険を感じることはなく、街の外で待機していたディエスと合流し、レイたちの待つロウニ峠に向かう。

レイたちの下に到着したステラはすぐに報告を始めた。彼女の口から月の巫女が都から出て行ったこと、半月ほど前から神官や呪術師が集められていることが語られる。

「……やはり妖魔族と鬼人族の間はうまく行っていないようです。私を付けてきた密偵らしき人物を逆に探ってみたのですが、私のことを鬼人族の密偵と考えたようです。他でも聞いてみましたが、やはりザレシェとルーベルナはうまくいっていないという話ばかりでした」

ウノは「私の方でも似たような話がありました」と頷く。

「ザレシェの闇の神殿の神官が戻ってきたようです。それも全員」

レイは思わず「全員ですか?」と口を挟んでしまう。ウノは小さく頷くと、更に話を続けていく。

「時期から考えると、我々がロウニ峠に入る前に見た翼魔族たちのようです。ザレシェとの戦になるのではないかと不安がる声が多くありました」

ステラとウノの報告を聞き、レイは僅かに安堵した。

ロウニ峠で七日間監視していたが、街道を通る者もほとんどなく、妖魔族が飛んでいくこともなかった。そのため、既にルナがルーベルナに移送されているのではないかと焦りを感じ始めていたのだ。見かねたアシュレイから、潜入したステラたちの情報を待つしかないと何度も言われるほど焦りを覚えていたのだ。

その焦慮の七日間は彼にとっては良い休養になっていた。この期間はほとんど動くこともなく、また、魔法を使うこともなかったため充分な休養がとれ、優れなかった体調が完全に回復したのだ。

この峠には人がほとんどおらず、食料になる獣や野草が比較的豊富にあったこと、また、連絡役のオチョが付近の村を偵察するついでに麦や野菜などを手に入れてきたことが回復の手助けとなっている。

「ここを拠点に待ち受けましょう」

レイが宣言するように語ると、他の者たちも大きく頷く。

「ウノさんたちはこの峠以外に抜け道がないことを確認してください。恐らく地上ではなく、空を飛んでくるはずです。その視点で探ってください」

その言葉にアシュレイが「地上は考えなくてもよいのか?」と疑問を口にした。

「鬼人族と妖魔族の関係がおかしいんだ。戦争、この場合は内乱かもしれないけど、そんな状況で“月の御子”なんていう重要人物を一緒に護衛するなんて考えられないと思う」

その言葉に全員が納得する。更に「それに」と言い口篭る。そして、全員の視線を感じたところで、「なぜかは分からないけど月魔族が焦っているように思えるんだ」と付け加えた。

「焦っている? なぜだ」とアシュレイが皆を代弁する。

「月の巫女が直々に迎えにいった点がおかしいと思うんだ。巫女というのはこの国の代表、つまり女王のような人だ。そんな偉い人が出向くこと自体おかしいと思う」

「月の御子は神の使いのようなものなのだろう。それを迎えにいくこと自体、それほどおかしいとは思わないが」

「確かにそうかもしれないけど、ザレシェの神官が引き上げてきて、それと入れ替わるみたいに都を出ている。もし儀式をするために神官を呼び戻したのなら、神官たちと一緒にルナを連れてくればいい。でも、入れ替わりに向かったってことは何かトラブルが起きて、それに対処しているように思えて仕方がない……確証は全然ないんだけどね」

ステラはレイの話を聞き、「鬼人族は月の御子を必要としていないのではないでしょうか」と口にしていた。

レイはその言葉に「どうしてそう思うんだい?」と首を傾げる。

「鬼人族は闇の大神殿にほとんど参拝しません。鬼人族は信仰心が薄いと人族や獣人族の人たちが言っていました。それにペリクリトルでも鬼人族は街の占領に執着していましたけど、ルナさんの拉致にはほとんど関係していなかった気がします」

レイは彼女の話を聞き、目を瞑って考え始めた。

(ステラの言うとおりかもしれない。確かにルナ(月宮さん)に執着していたのは月魔族だけだった。それにレリチェ村でもあまり歓迎されていない感じがあった……だとすれば、月宮さんは鬼人族に軟禁されているかもしれないってことか……さすがに神の使いを殺したり、傷つけたりしないんだろうけど、拙いかもしれない……)

彼は自分の推論を全員に話していく。

「ステラの言う通り、鬼人族は月の御子にあまり興味を示さなかったと思う。だとすると、ザレシェでルナは軟禁されているかもしれない。巫女はルナを奪還するために翼魔を伴ってザレシェに向かったのかも」

アシュレイは「それはおかしいのではないか?」と言い、

「仮にルナがザレシェに囚われているとして、巫女自らが行く必要はなかろう。ウノ殿やステラの集めた情報では、巫女はほとんど都を出ぬという話だ。奪還に行くというなら、月魔族や翼魔族の戦士を送り込めばよい」

アシュレイの指摘にレイは「そうだね。今の段階で無理に推論を重ねる必要はなかったね」と頷く。

「今の段階で分かっていることを整理すると、妖魔族と鬼人族は対立している。ルナは近くまで来ているけどルーベルナにはまだ入っていない。月の巫女が直接迎えにいっている。迎えにいってから七日ほど経っている。これが今分かっている情報……」

そして、今後の方針を話していく。

「こうなると月の巫女とルナが一緒に戻ってくる可能性が高いということだね。もし鬼人族と和解して一緒に地上を移動してくるにしても、移動に時間が掛かるから、あと十日はここを通ることはない。月魔族や翼魔がどのくらいの速度で飛べるかは分からないけど、七日前に月の巫女が出発したとすると、そろそろ戻ってきてもおかしくはない。だとすれば、ここ数日は地上より空を監視していた方がいいことになる。ここまではいい?」

全員が頷くのを確認すると、更に説明を続けていく。

「ウノさんたちは妖魔族が飛んで越えられそうな場所が、ここ以外にないか探してください。期限は明後日まで。それ以降は一緒に行動した方がいいと思います……」

そして、アシュレイとステラに向かい、

「アッシュとステラは僕と一緒にここで監視しながらルナを助け出した後のことを考えて、食料なんかの物資を集めておく。何といっても敵地のど真ん中で正体を晒すことになるんだから、森の中を何日も彷徨うことも覚悟しておかないといけないし、また、あの荒野を横断することも考えておく必要があるからね」

ルナを運よく取り戻せても、ここは敵国の最も奥深いところであり、アクィラ山脈の西に行くには最低でも五百km(キメル)以上移動する必要がある。敵の追撃があることに加え、真冬であることと体力的には一般人に近いルナが同行することから、潜入した時以上に厳しい逃避行になると考えていた。

「いずれにしてもルナを取り戻すためには空から引き摺り下ろさないといけない。一応、案はあるんだけど、その確認もしておかないとね……」

レイは更に細かい指示を与えていった。

■■■

ステラたちがレイに合流した頃、鬼人族の都ザレシェ近郊では“月の巫女”イーリス・ノルティアが“月の御子”ルナを奪還(・・)するための準備を行っていた。

三日前の二月二十三日にルナとの会談は決裂し、力ずくで拉致するしかないと考えていたが、空を飛べる妖魔族とはいえ、厳重な警備を敷かれている都の中枢から、最重要人物であるルナを連れ出すことは容易ではない。

ルナは中鬼族のベントゥラ氏族の屋敷に宿泊していたが、イーリスとの会見後は大政庁に寝泊りし、厳重な警戒を行わせていた。

この指示が出されてからは昼夜を問わず戦時中かと思えるほどの警戒がなされ、隠密行動が得意な翼魔族のキーラ・ライヴィオですら、大政庁に忍び込むことが難しい状況だった。

族長会議を仕切る大鬼族のタルヴォ・クロンヴァールと小鬼族のソルム・ソメルヨキはイーリスが傀儡の術を使うことを想定し、複数の氏族により相互に監視しあう複雑な警備体制を敷いていた。特にルナの周辺を守るクロンヴァール家の戦士たちは、同僚以外と接触することなく、警備に当たっている。彼らは傀儡化されることを恐れ、屋敷に戻ることも家族と面会することもせず、ただひたすら大政庁に篭っていたのだ。

更にそのクロンヴァール家をソメルヨキ家の呪術師が監視し、不審な動きがあった場合は中鬼族のベントゥラ家とともに月の御子を救い出す体制を構築した。また、大政庁にある人が出入できる大きさの窓はすべて厳重に封鎖され、出入口は一箇所のみとした。その出入口をバインドラー家とブドスコ家が守るという体制だった。

イーリスは焦りを感じながらも失敗は許されないと慎重に準備を進めていく。

彼女が行ったことはヴァルマがペリクリトルで行ったことに似ていた。まず、大政庁の中に協力者を送り込むことため、中鬼族の屋敷に忍び込み、族長を傀儡《くぐつ》化した。その族長に大政庁を探らせるとともに更なる協力者を作るため、族長たちを屋敷に招かせる。一度に多くの族長を傀儡化すると露見する可能性が高くなるため、この四日間で四人の協力者しか得られていないが、それでも大政庁に自由に出入りできる族長を傀儡化したことでルナのいる場所や警備体制について徐々に情報を蓄積していった。

イーリスはヴァルマとキーラら翼魔族を伴って、大政庁に近い中鬼族の屋敷に潜んでいる。彼女は窓から大政庁を覗きながら、ルナの奪還について考えていた。

(厳重な警備ね。大政庁から出ていただかないとお連れすることは無理そう。なんとしてでも御子様に外に出ていただかないと……)

イーリスはヴァルマらと協議を行っていく。

「御子様が大政庁の中にいる限りは手が出せないわ。どうにかして大政庁から出ていただく必要があるの。何か良い考えはないかしら」

キーラは「申し訳ございません」と頭を下げるが、ヴァルマは下を向いて考えると自らの考えを話していく。

「御子様は鬼人族の民衆に対してよく演説をしていらっしゃいました。鬼人族に向けて演説を行って頂きましょう」

「どうやって? この状況で御子様が鬼人族の民相手に出ていらっしゃるとは思えないわ」とイーリスはそっけなく否定する。

しかし、ヴァルマは小さく頭《かぶり》を振った。

「御子様は民たちにソキウスの理想を語られていました。民たちが望めば必ず出てこられるはずです」

「たかが鬼人族の民衆よ。闇の神(ノクティス)の現し身たる月の御子様がそれだけのために危険な場所に出てくるとは思えないわ」

イーリスは選民意識が強く、ヴァルマの言う意味が理解できない。

「私は御子様のお傍に常におりました。ノクティスその人であると思えるほど、いかなる者にも平等に安寧を齎して下さったのです。御子様であれば必ず民の望みを叶えようとお出になれるはず」

自信を持って断言する。イーリスは理解できないものの、失敗したとしてもリスクは無いと考えを改める。

「そうね。もし、失敗してもお出になられないだけ。今と状況は変わらないわ。やってみる価値はありそうね……問題は黒魔族だけ。奴らがいなければ鬼人族など何とでもできるわ」

自信満々にイーリスは呟くが、ヴァルマには不安があった。

「小鬼族の呪術師たちがおりますが」と口にすると、イーリスは即座に「小鬼族の呪術師など、ものの数ではないわ」と侮蔑の表情を浮かべて否定する。

「確かに能力は劣りますが、数は侮れないのでは」と更に疑念を口にした。普段は反論されることがないイーリスは僅かに目を見開くが、ヴァルマに反抗的なところはなく、単に不安を感じているだけだと納得する。

「確かに数が多ければ厄介かもしれないけど、今回に限って言えば大丈夫よ」

イーリスは自分の考えをヴァルマに語っていく。

「中鬼族に暴動を起こさせるの。大鬼族と小鬼族から御子様を取り返せという感じで。その混乱に乗じて広場に乗り込んで一気に御子様を奪い返すの。小鬼族の呪術師も御子様に魔法を放つことはできないはずよ。それこそ民衆に袋叩きにされるから」

彼女の考えは中鬼族の族長たちを操り、反大鬼族、反小鬼族の運動を起こさせる。ザレシェに最も多く住むのは中鬼族であり、暴動が発生すれば容易に収拾はつかない。その混乱を利用してルナを奪取する。短距離であれば翼魔二体で運ぶことは可能であり、郊外の拠点に移動用の篭を隠しておけば、馬を持たない鬼人族から逃れることは難しくない。

ヴァルマもその説明に納得し、「あとはどうやって混乱を起こさせるかですね」と笑うが、「御子様から嫌われることは間違いありません」と寂しげな表情を浮かべる。

「大事の前の小事よ。御子様に信頼していただくには私たちの話を聞いていただかなければならないの。だから、少し荒っぽいけどこれは必要なことなの」と諭すようにいった。

イーリスは中鬼族の族長たちを使い、民衆を扇動し始めた。