Trinitas Mundus - The Story of Saint Knight Ray

Episode 62: Unwiped Disbelief

三月三日の午後二時過ぎ。

ルーベルナの街を散策しようとしたレイたちだったが、ルナの安全を確保するという理由で市内全域の警備が強化された。そのため、息抜きと言う目的を果たすことなく神殿に戻ってきた。

しかし、神殿の警備も同様に強化されており、密かに戻ることができなかった。更に警備をしている衛士に鬼人族のスパイ容疑を掛けられ、衛士の詰所に同行するよう求められる。

レイはヴァルマ・ニスカに連絡を取るため、獣人奴隷部隊のウノに密かに指示を出し、衛士の指示通り詰所に向かう。

衛士たちの詰所は神殿の裏口からやや離れた場所にあった。建物は重厚な石造りで、多くの兵士が絶えず出入りしており、物々しい雰囲気を醸し出している。

レイたちは衛士に従って詰所の一室に入れられたが、見習いとはいえ神官の地位にあり、ルナの付き人となったイオネはこの待遇に怒りを覚えていた。

(御子様をこのような場所に……御子様のご尊顔を拝したのに気づきもしないなんて! この者たちは後で処罰しなければならないわ……でも、これは私の失態でもある。この先、御子様にご迷惑をお掛けするのであれば、この名誉を辞退することも考えないといけないわ……)

その頃、レイからの指示を受けたウノは闇の神殿内を見咎められないよう慎重を期しながらも高速で移動していた。

しかし、彼が探すべく相手、ヴァルマの姿はなかった。更に最高権力者である“月の巫女”イーリス・ノルティアの姿もなく、彼にしては珍しく焦っていた。

(部下たちも使っているが、イーリス殿、ヴァルマ殿の姿が見つからぬ。面識があるマルヤーナ殿もおらん。どこに行ったのだ……)

彼は神官の一人で彼と面識があるマルヤーナ・ライヴィオに接触を図ることを考えた。しかし、その彼女も神殿内に姿がなかった。

面識がある神官が見つからない中、ウノはこれ以上時間を掛けることは主であるレイの意図ではないと考えた。そして、ある女性神官を見つけ、接触することにした。

その神官アネルマ・フロステルはルナの精神回復の儀式やその後のイーリスの説明時にも同席しており、明確な序列は不明なものの充分に高位であり、衛士たちに命令する権威を持っていると判断した。

ウノはアネルマの前に姿を現すと、すぐに片膝を突く。そして、相手が何かいう前に話し始めた。

「月の御子様が衛士に連行されました」と単刀直入に伝えた。彼女は「何?」とその言葉に驚いているが、彼はそれを無視して話し続ける。

「我が主、レイ・アークライト様よりヴァルマ・ニスカ様かイーリス・ノルティア様にこのことを伝えるよう命じられましたが、お二方とも神殿内おられません。ことは急を要すると判断し、不躾ながらあなた様に報告いたしました」

「御子様が……」とアネルマは焦るが、目の前の獣人に見覚えがなく、行動を起こすか躊躇する。

「お前が白の魔術師殿の配下である証拠は? 第一、御子様が拘束されるなどありえないわ」

ウノは焦る心を抑えて、冷静に説明していく。

「アークライト様の配下である証拠はございません。ですが、ルナ様が拘束されようとしていることは事実。仮に私の言葉が誤っていたとして、誰にも不利益はないかと」

翼魔族のキーラ・ライヴィオのような戦闘経験のある呪術師なら、彼の言葉ですぐに行動を起こしただろう。しかし、彼女はイーリスやヴァルマの指示に従うことに慣れており、独自の行動を起こすことは苦手だった。

その頃、イーリスたちはルーベルナから五km(キメル)ほど離れた洞窟にある礼拝所で神々に祈りを捧げていた。その場所はルーベルナができる前からある魔族にとっては重要な施設で高位の神官だけが入れる場所だった。

「ヴァルマ様に指示を仰がねば……しかし、ヴァルマ様は今、この街にいない。イーリス様も……私はどうしたら……」

ウノは即座に目の前の神官に決断力がないと看破した。人選を誤ったと後悔するものの、レイたちを助けるためにはこの人物に動いてもらうのが最も早いと考えた。

「すぐにご決断を。ルナ様のご不興を買う前に」

彼は決断を促すため、このような人物は権威に弱いと考え、脅しを掛けた。しかし、それが裏目に出る。

「御子様のご不興を……すぐにヴァルマ様に報告してきます。お前はここで待っていなさい」

そう言うと外に出る準備を始めるが、ウノを見張られせるため、外にいる兵士を呼ぶ。入ってきた兵士は人族の屈強な男でハルバードを抱えながら、何事かと困惑の表情を浮かべていた。

「この者は白の魔術師殿の配下であると言っています。ですが、証拠がありません。敵の間者であるかもしれませんから、しっかりと見張っていなさい」

ウノはアネルマに失望し、「あなたが直接行動されないなら、別の神官の方にお話します」と言って立ち去ろうとした。しかし、兵士が「神官様のお言葉に逆らうな」と言って、ウノにハルバードをつきつける。

ウノと兵士の力の差は圧倒的であるため、簡単に無力化できるが、ここで騒ぎを大きくすることは後々、レイたちの行動に支障が出ると自重する。

「そこに座って待っているんだ。妙な動きをしたら斬るからな」

仕方なく兵士に命じられた通り、部屋にある椅子に座る。

座りながらも天井に潜む部下、ヌエベに別の神官を探すよう指示を出す。ヌエベの姿はすぐに消え、ウノは瞑想するかのように目を瞑った。

(アークライト様にはセイスとオチョが付いている。ヌエベとディエスで別の神官を動かせればよいのだが……今回は私の失態だ。警備が強化されたと分かった時点で対策が必要であると進言すべきだった……)

彼自身は気づいていないが、光神教の幹部に仕えている時の彼なら命令を忠実に守ることだけを考えていただろう。

光神教では結果がよくとも指示通りに動かない者は処分されたためで、それほどまでに獣人奴隷部隊は恐れられていたのだ。

しかし、今の彼らはレイを守るために独自の判断で動くことが多い。今回も明確な指示はなかったが、連絡役と護衛役を決め、更に不測の事態に備えるべく、脱出ルートの確保なども行っている。

(……まだ時間はある。午後四時の出発は不測の事態に備えてであって、鬼人族の到着時間を考えれば二時間以上の余裕はあるはず……ならば、闇の神殿と対立することなく、この事態を解決しなければならない。今、私が動くことはアークライト様のお考えに沿わない。焦るな……)

瞑想するかのように沈黙しているが、心の中ではそんなことを考えていた。

ウノの命を受けたヌエベはレイに報告すべく、彼のもとに向かった。護衛であるオチョが残した痕跡を辿り、衛士たちの詰所に飛ぶように走っていく。

詰所は三階建ての重厚な石造りの建物だ。そして、今はまだ暗闇に紛れることができない昼間だが、彼にとって誰にも見咎められずに侵入することは容易いことだった。

裏にある通用口近くに行き、周囲を確認した後、細いロープを使って二階の窓に向かう。中を窺い、人の気配がないことを確認し、静かに窓を開けて入っていく。その窓は内側から簡単な鍵がかけられていたが、一流の間者であるヌエベには何の障害にもならない。

(アークライト様たちが尋問されている? これ以上こじれると不味いことになる……)

詰所の中を静かに、そして素早く移動していく。ヴァルマの指示によって衛士たちが出払っているためか、思った以上に人が少ない。

詰所の中でセイスとオチョに合流する。素早く情報を交換し、レイたちのいる部屋に向かった。

部屋の中ではイオネがいきり立って衛士に説明しているが、レイたちは落ち着いた様子で座っていた。

ヌエベは獣人部隊に伝わる符丁を使ってステラに簡単な報告を行った。符丁自体に語彙は少ないが、ヴァルマたちが不在で連絡ができないということと、代替の人物に接触しようとしているということは伝えられた。

ステラは小さく頷くと、隣にいるレイにどう伝えるべきか悩むが、時間が惜しいと小声で「ヴァルマ殿たちは不在。別の人物を探している」と独り言を呟く。レイは一瞬驚くものの、小さく頷いた。

レイはヴァルマたちが不在という情報に落胆するが、ウノたちが自分たちの居場所をきちんと把握していることに安堵する。

(どうやって追いかけているのか分からないけど、ウノさんたちが僕たちの居場所を把握しているなら、問題はないな。あとは時間がどのくらい掛かるかだけど、ヴァルマ殿たちも出発時間の前には戻ってくるだろう。そうなれば、すぐにでもここから出ていける。焦る必要はないな……)

レイはステラに「連絡の確保を最優先」と小さく伝え、ステラはヌエベにそのことを伝えた。

彼は楽観していたが、ルナは苛立ち始めていた。

彼女は自分が種族間の差別を無くそうと言った翌日に、このような仕打ちを受けたことが腹立たしかったのだ。

(あの時はあんなに賛同してくれたのに……イオネが人族だからって同じ人族の兵士がどうして差別するのかしら……ペリクリトルはもちろんだけど、カエルム帝国でもこんなことはなかったわ。私は平民だったけど、貴族の屋敷でもきちんと扱われた。他の人もそうだったわ。それなのに平等を謳っているソキウスという国で、こんなことがあるなんて……この国も駄目ね。鬼人族も人族や獣人族を見下していたし……)

彼女は生まれ育った村から助け出された後、助けてくれた冒険者の実家に住んでいた。その冒険者は貴族の次男で、その家の人たちと帝都プリムスやカウム王国の王都アルスなどを旅している。その際にある侯爵家も訪れていたが、平民であるルナが差別的な扱いを受けたことはなかった。

彼女自身は気づいていないが、それは彼女がいた環境が特殊だっただけで、通常ならありえないことだ。

日本の一高校生に過ぎなかった彼女は階級社会というものを知らず、更に特殊な環境にいたため、大きな勘違いをしていたのだ。

ここで自分がこの国を変えてみせると思えれば、よい方向に向かったのだろう。しかし、普段の彼女にそこまで気概はない。

未だに自分が国の指導者になるということが信じられずにいたことも一因だろう。もちろん、社会を良くしたいという気持ちはあるのだが、まだ明確な目的と意思になっていないのだ。

彼女の隣でレイが小さく、「ヴァルマ殿がいないらしい。少し時間が掛かるけど我慢して」と呟いた。ルナは「何?」と聞き返し、それを見咎めた衛士が「勝手にしゃべるな」と高圧的に命じる。

この衛士は真面目で職務に忠実な人族の若者だったが、その分想像力が欠如しており、この街における重要人物はすべて妖魔族であるという固定観念に縛られている。

そのため、人族の若い男女であるレイたちに対して、高圧的に出ることに躊躇いはなかった。

アシュレイはその態度に辟易とするが、傭兵生活が長く、このような扱いは頻繁に受けていたためほとんど気にしていなかった。そして、レイとステラも時間は掛かるものの、連絡手段が確保できていることから、それほど焦っていない。

この中で衛士の態度に怒りを覚えていたのはイオネとルナで、特にイオネは敬愛する月の御子がこのような理不尽な扱いを受けることに我慢がならなかった。そのため、衛士に対し、普段なら使わないような厳しい口調で対応していた。

「何度言ったら分かるのですか! すぐに上司を、神殿警備の長を呼んできなさい! 彼が来ればすぐに終わるのです!」

衛士はその剣幕に僅かにたじろぐが、不審者の情報すら得ていない状況で上司を呼びつける勇気はなかった。

「では、全員のオーブを調べさせてもらおう。その上で長を呼ぶか判断する。では、そこの男からだ」

レイは面倒だなと思うが、素直に従った。

腕のオーブを見せると、衛士はソキウスのオーブでないことに驚き、すぐに捕縛を命じた。

「敵国からの侵入者だ! 縄を打て!」

天井から見ていたヌエベたちは一瞬動こうかと考えたが、レイが「みんな大人しくしていて」と言いながら、天井に向けて首を横に振ったため、思い留まっている。

アシュレイはレイの意図を察し、両手を上げて無抵抗の意思表示をする。同じようにステラも両手を上げていた。ルナはレイたちが大人しく縄を打たれるつもりだと知り驚くものの、彼の判断に任せようと同じように無抵抗の意思を示した。

ただ一人、反抗したのはイオネだった。彼女は「無礼な!」と叫び、抵抗しようとした。

「イオネさん、これ以上抵抗するとルナに迷惑が掛かりますよ」とレイが言ったため、怒りに顔を紅潮させながらも抵抗をやめた。

レイたちは所持品を取り上げられた上、縄を打たれた。

そして、その状態で尋問が始まろうとした時、詰所の入口で大きな声が聞こえてきた。

「すぐに通しなさい!」

「しかし、中には敵国の間者が……」

「黙りなさい! すぐに御子様のところに連れていくのです!」

その声の主はヴァルマ・ニスカだった。

そして、乱暴に扉が開かれると、縄を打たれたルナの姿を見て驚愕する。

「すぐに縄を解くのです!」

そう命じた後、ルナの足元に平伏する。周囲にいる衛士たちは月魔族のヴァルマが平伏したことが信じられず、呆然と見守っていた。しかし、すぐに縄を解くため動き出した。

「すべてはこのヴァルマの失態。御子様には何とお詫びしてよいか……」

ルナは縄目の跡を気にしながら、「昨日の私の話は何も理解されていなかったようですね」と冷たく言い放つ。

「これでは鬼人族に会いにいっても駄目かもしれないわ。逆上している鬼人族が私の話を聞くとは思えない……」

この時、ルナは自信を失っていた。

昨日の演説で涙を流していたはずのルーベルナの兵士が自分の話を全く理解していない。仮にロウニ峠で鬼人族を説得できたとしても、今回と同じように時が経てば忘れられ、ザレシェから西に向かうことはできないのではないかと不安になったのだ。

「自信を持て。人はすぐには変われん。だが、変わることはできるのだ」

アシュレイがそう言ってルナを慰める。

「アッシュの言う通りだよ。人はそんなにすぐには変われないけど、分かってくれる人はいるんだ。だから、自信を持って」

レイの言葉に小さく首を横に振る。

「でも、私は……人の心は変えられないわ。あの人の心も変わらなかった。だから、私はあの人から逃げた……」

ルナの声は小さく、レイには届かなかった。届いたとしても掛ける言葉は見つからなかっただろう。

彼女が自信を失ったことがレイには気になったが、既に出発の時間が迫っており、それ以上言葉を掛けることはなかった。

レイはヴァルマに衛士たちを罰しないように依頼する。

「この人たちは知らずにルナに縄を打ったのです。ですから、罪は問わないようにしてください」

そして、彼女だけに聞こえる声で付け加えた。

「ここで罰すれば、ルナはますますこの国に不信感を持ちますよ」

そう言って詰所を後にした。

レイたちが立ち去った後、残された衛士たちは自分たちが月の御子を捕縛してしまったのだと気づく。そして、取り返しのつかないことをしたと激しく後悔した。

そして、不幸なことにヴァルマが彼らの上司を通じて罪は問わないと伝える前に、五名の衛士が自らの命を絶った。

この事実をヴァルマが知ったのはルナが知った後だった。

出発の直前、衛士が命を絶ったと知ったアネルマが、そのままルナに伝えてしまう。

「御子様に無礼を働いた衛士たちは自ら命を絶ちました。これでお怒りを鎮めていただけないでしょうか」

レイはアネルマの無神経さに怒りを覚えるが、ルナは膝から崩れ落ちる。

「私はそんなことを望んでいなかった……死んでほしいなんて思っていなかったのに……」

両手で顔を覆い、泣き崩れる。

イーリスとヴァルマは激しく後悔したが、それ以上にこの状況で鬼人族を説得することは難しいのではないかと思い始める。

「御子様のお心が静まるまで出発は見合わせた方がよいのではないでしょうか」

レイは自分が提案したお忍びでの散策が最悪の結果になったことに激しく後悔していた。

(もう少し何とかできたんじゃないか……虚無神(ヴァニタス)の危機が去ったからって油断しすぎた……)

それでもヴァルマの提案に、彼は首を横に振る。

「ロウニ峠で説得しなければ、何が起きるか分かりません。鬼人族がルーベルナに来てしまったら、何かのきっかけで戦争が始まるかもしれないんです。ルナには悪いけど延期はできません」

最悪の状況の中、ロウニ峠に向けて出発した。