四月二十二日の夕方。

カウム王国の王都アルスに到着したレイたちは、商業地区にある金床(アンヴィル)亭という宿に入った。

見た感じでは落ち着いた雰囲気の宿だが、ルナが入った直後から慌しい空気に包まれている。

事情が分からないレイは首を傾げながらも、大人しく案内の従業員についていく。

従業員は一人部屋が並ぶエリアを通り過ぎ、更に奥に向かった。レイたちはいぶかしみながら顔を見合わせる。

廊下にある調度類も明らかに高級になり、レイは自分たちが上等な部屋に連れていかれていることに気づいた。

(いい宿っていう話だったけど、良すぎないか? 昔、クロイックの街でデオダードさんと泊まったホテルと同じくらい高級な気がする……)

アシュレイと共にラクス王国を旅した時、アウレラの大富豪、ロリス・デオダードの護衛の依頼を受けた。その依頼中にデオダードを看取ったのだが、彼が亡くなった街クロイックのホテルのことを思い出したのだ。

「ここって場違いじゃないのか」と小声でアシュレイに話しかける。

アシュレイも「確かに。払えぬわけではないが、これほどの宿に泊まる必要はないのではないか」と小声で答えた。

その話が同行している宿の主人に聞こえたのか、

「これは当方が勝手にやっていることですので、宿泊代は頂きません。ご安心ください」

笑顔でそう言われるが、レイとアシュレイは困惑するしかなかった。

先頭を歩くルナが振り向きながら、

「部屋に着いたら事情を話すわ。この後もバタバタすると思うけど」

彼女の言葉にレイたちも納得するしかなく、黙ってついていった。

部屋に到着すると、そこはエントランスがついたスイートルームだった。

「寝室は四部屋ございますが、足りないようでしたら隣の部屋もお使いください。では、食事の時間になりましたら係の者を寄越しますので、それまでおくつろぎください」

主人はそう言って大きく頭を下げ、荷物を運んだ従業員と共に部屋を出ていった。

リビングルームに入ると、そこには十人くらい座れるソファがあった。

「とりあえず事情を話します。座ってください」とルナがいい、全員がソファに腰掛ける。

「何から話していいのか……まず、私の名前から話します。私の名はルナ・ロックハート……」

「ロックハートだと!」とアシュレイが思わず声を上げる。彼女と共にステラとライアンも驚いているが、レイとイオネはその名を聞いても驚く理由が分からなかった。

ルナはその反応に苦笑を浮かべている。

「どういうことか、教えてほしいんだけど」とレイが言うと、アシュレイがルナに「話の腰を折った。済まぬ」と謝るが、「私が説明した方がいいだろう」と言ってレイたちに説明を始めた。

「ロックハート家はカエルム帝国の貴族だ。確か今は子爵家だったはずだな」

アシュレイがルナに確認すると、小さく頷く。

「それだけならこれほど驚くことはないのだが、ロックハートの名はある事情で全世界に知れ渡っている……」

「ある事情?」とレイが首を傾げると、アシュレイが大きく頷く。

「ああ、ロックハート家は鍛冶師ギルド、特にドワーフたちと関係が深い。それはドワーフたちが求めて止まぬ名酒を作っているからだ」

レイは「お酒?」と呆けたような声を上げる。

「トーアに向かう途中、キルナレックの街を通過したことを覚えていないか? あの街はロックハート家の領地でもある。それよりもあの時、“ZL”と書かれた張り紙があったことを覚えていないか」

「う~ん。そう言えばアッシュが飲みたいって言っていた気がするけど」

「そうだ。長期熟成酒ザックコレクションという酒が“ZL”と呼ばれているのだ。そして、それがドワーフたちが涙を流して飲むといわれている名酒なのだ……」

レイはその説明を聞きながら、自分の書いていた小説の設定を思い出そうとしていた。

(ルナを助けた冒険者にそんな設定があったかな? 詳しくは思い出せないけど、そんな設定にした覚えはないんだけど……)

その間にもアシュレイの話は続いている。

「……ロックハート家は“ドワーフの友”と呼ばれている……」

「ドワーフの友? 友達っていうことだよね?」

「そうともいえるが、それ以上に意味のある言葉だ。すべてのドワーフはロックハートが苦境に陥ったら、すべてを投げうち、命を懸けて救援に向かう。それほどの意味を持つ言葉なのだ」

「命を賭けて……それって友達とかというレベルじゃないよ。義兄弟とかそんな感じ?」

アシュレイは真剣な表情を崩さず、大きく頷く。

「その通りだ。実際、ロックハート家が苦境に陥った際、ドワーフたちは何度も彼らを助けている」

「ドワーフが助けている?」

「ああ、ロックハート家をはめようとした光神教の司教に、ドワーフたちが激怒した話は有名だ。その結果、ここカウム王国には光神教の関係者がいないのだ」

それにルナも補足する。

「ルークス聖王国の指導者である光神教の総大司教も代わっているわ。他にも帝国でも助けてもらっているし」

「ドワーフってそんなに政治に関わる種族だったんだ。バルテルさんやグスタさんを見ているとそんなことは全然思わなかったよ」

レイが感慨深げに呟く。

「いいえ」とルナが否定し、

「あの人たちは政治に関わることを嫌っているわ。でも、ロックハートだけは別なの」

そう言った後、アシュレイに向かって軽く頭を下げる。

「ありがとうございました、アシュレイさん。ここからは私が説明します」

アシュレイが頷くとルナは再び話し始めた。

「ロックハート家とドワーフの関係は大体分かったと思います。次は私のことを話します。私がティセク村の唯一の生き残りであることはイオネ以外は皆さん知っていることだと思います。そして私を助けてくれたのが、ロックハート家の次男でした……」

そこで彼女の脳裏にその男性の姿が浮かぶ。それを小さく首を振って振り払い、話を続ける。

「……その人は私の命を救ってくれた後、ロックハート家の屋敷で天涯孤独になった私の面倒を見てくれたのです。助け出された当時の私は何もかもが嫌になって殻に篭っていました。そんな私をロックハート家の皆さんは家族のように接してくださり、最終的には奥方様の提案で養女として本当の家族にしてくれたのです……」

ルナは懐かしむような遠い目をしながら話を続けていく。

「……先ほどの話にも出ましたが、ドワーフの鍛冶師方にとってロックハート家は特別な存在です。そして、ここアルスでは鍛冶師ギルドも特別な存在です。つまり、鍛冶師ギルドと良好な関係にあるロックハート家はアルスの人たちにとっても重要な存在だと思われています。私は以前ロックハート家の一員として、ここアルスに来たことがありますから、ここのご主人が私のことを覚えていたのでしょう……」

レイはその話を聞くが未だに理解が追いついていなかった。

(アッシュは普通に頷いているけど、今の話を整理すると、ロックハート家が美味しいお酒を造るからドワーフたちにとって特別な存在で、ルナもその名を持つから特別ってことだよな……お酒が縁で仲良くなるっていうのは分からなくはないけど、さっきの対応はそんなものじゃなかった気がする。やっぱり貴族だからかな? それとも違う気がするけど……)

彼がその疑問を口にしようとした時、宿の主人が部屋を訪れた。

宿に入って、まだ三十分も経っていないが、ギルドから職員が派遣されてきたとのことだった。

「鍛冶師ギルドの職員の方がルナ様にごあいさつをしたいとのことですが、よろしいでしょうか」

「私は大丈夫ですが、皆さん、ここを使わせてもらっていいかしら」

ルナはレイたちに確認を取るが、アシュレイが代表して「構わぬ」と言って認めた。

すぐに職員が入ってきた。

ルナは見知った顔であり、すぐに「お久しぶりです、ジャックさん」と言って頭を下げる。

その職員は三十歳くらいの明るい表情の男性で名をジャック・ハーパーといい、ルナのあいさつに深々と頭を下げる。

「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。ペリクリトルにおられると聞いて心配しておりました」

鍛冶師ギルドにはルナがペリクリトルにいるという情報は入っていたが、彼女が魔族に攫われたという情報は入っていなかった。魔族に攫われた冒険者がいるという情報はそれほど広がっていなかったためだ。

「ありがとうございます。これから総本部に行けばよいのでしょうか?」

彼女は鍛冶師ギルドの行動について詳しく、恐らく呼び出されるだろうと思っていた。

ジャックはその言葉に「はい。もちろん、お疲れでなければですが」と答える。

「私は構いません。こちらもウルリッヒさんたちにお願いがありますから」

そう言った後、

「準備をしますので、一時間ほどしたら向かうつもりですが、大丈夫でしょうか」

ジャックは「もちろんです。その頃にお迎えに参ります」と言って退出した。

彼が退出した直後、アシュレイがややかすれた声で尋ねる。

「ウルリッヒというのは鍛冶師ギルドの匠合長ウルリッヒ・ドレクスラー殿のことか」

ラクス王国の公爵らと面識がある彼女でも、国王に匹敵する権力を持つ鍛冶師ギルドの匠合長に呼び出されるだけでなく、ルナがファーストネームで呼んだことに驚きを隠せなかったのだ。

「ええ、できれば皆さんにも来てほしいのですけど。特にレイは」

「えっ? 僕が? どうして?」

突然のことにレイは困惑する。

「あなたの鎧と槍を見てもらった方がいいと思っているの。この鎧と槍のことが分かれば、この先のジルソールでのことのヒントになるかもしれない。あんなに凄い鎧と槍はここでも見たことがないから」

ルナは弓術士であるが、ラスモア村でドワーフの鍛冶師たちが作る芸術品ともいえる武具を多く見ていた。

レイと出会った頃は反発していたこともあり、間近に見ることはなかったが、ソキウスで合流してからは何度も見せてもらっている。

そして、その非常識なまでの性能とドワーフたちの魔法陣と微妙に違うところなど、現在の技術とは異なっていることに気づいていた。

「それからアシュレイさんとステラさんの武器の手入れのことも頼んでしまおうかと。ウルリッヒさんにお願いしたら、すぐにでも誰かを紹介してもらえるはずですから」

「いや、匠合長に頼むことではないぞ。バルテルとて名工だが、アルスの名工とは格が違う」

アシュレイの反応はごく真っ当なものだが、ルナは「それは会ってから話してもいいと思いますよ」と軽く流す。

「では、レイだけは鎧を変えて。外を歩く時は目立たないようにマントをしていればいいから。アシュレイさんとステラさんは剣を持ってきてください……」

そこで何か思い出したのか、「あっ!」と声を上げる。

「ステラさんのチェインシャツってゲールノートさんのでしたよね」

「はい。前のご主人様、デオダード様にそう聞いていますが?」

「折角なので、ゲールノートさんに見ていただきましょう。手入れがいるかは分かりませんけど、多分ご本人がいらっしゃるはずなので」

アシュレイは「ゲールノート殿も……」と開いた口が塞がらない。

ウルリッヒ・ドレクスラーとゲールノート・グレイヴァーと言えば、当代きっての名工として有名で、戦いを生業にする者なら誰もが自らの武具をと思う憧れの存在だった。

ライアンはルナの話を聞いてから一言も口を開いていなかった。彼は彼女が貴族の養女であり、自分とは大きく身分が違うことに絶望していた。

更にペリクリトルでも有名な武の名門ロックハート子爵家ということで、完全に気圧されていた。

(ルナ・ロックハートだと……あの英雄たちのいるロックハート家の養女だったとは……俺なんかと住む世界が違う。違いすぎる……)

そんな彼の横にいるイオネは固有名詞こそ分からないものの、さすがは月の御子であると自らのことのように誇らしく思い、ニコニコと笑っている。

そんな二人の様子にルナは気付くことはなかった。

ルナはレイに近づき、小声で指示を出す。

「ウノさんたちに後で合流するように伝えておいて。あの人たちの武器も作ってもらうつもりだから」

レイは「不味いんじゃないのか」と反論するが、宿の主人や従業員がいるため、それ以上は言えなかった。

(光神教を追い出したカウム王国の王都にルークスの獣人奴隷がいたら不味いよ。ルナは分かっていないんだろうか?)

彼らはそれでも準備を行い、予定通り、鍛冶師ギルド総本部に向かった。