四月三十日。

レイたちはアルスの南大門の前に立っていた。

彼らの前には数百人に上るドワーフが見送りのため集まり、笑顔で別れを惜しんでいる。レイとライアンの二人は昨日の送別の宴で飲み過ぎ、未だに青い顔をしているが、それでも笑顔で手を振っている。

ルナが代表してドワーフたちにあいさつを行う。

「皆さん、本当にありがとうございました。私たちは出発しますが、皆さんとお酒を飲むために必ず戻ってきます! では、行ってまいります!」

「気をつけるんじゃぞ!」、「いつでも帰ってこい!」などという声が大門前の広場に木霊する。

アルスの市民や商人たちは何事かと思ったが、ドワーフたちがこれほど熱狂的になるのはロックハート家しかないと考え、彼らの別れを邪魔しないよう、遠慮気味に通り過ぎていった。

レイたちは手を振りながら大門を通り過ぎていく。

彼はアルスで過ごした怒涛の日々を思い返していた。

(十日もいなかったんだよな。毎日宴会をしていたから、物凄く長い間いた気がしているけど……それにしても凄い装備が揃った気がする。アッシュも言っていたけど、やっぱりドワーフの街っていうだけのことはあるんだ……)

そして、横で馬を操るルナに視線を送る。

(ルナ(月宮さん)はちょっと寂しそうだな。本当の家族みたいだったから……できれば、この世界に来てからのことをもう少し詳しく聞きたい。特に“ザックさん”という人について……)

彼女が話そうとしなかったわけではない。

アルスにいる間はドワーフの相手をしていることが多く、自分たちだけの時間がなかなか取れなかったのだ。

「これで二日酔いに悩まされずに済む」とライアンがルナに話しかけている。

「あら、魔法で随分楽になったと思っていたのだけど? 私も魔法を掛けてもらっているから、ほとんどお酒は残っていなかったわよ」

ルナはそう言って首を傾げるが、彼女が気づいていない事実がある。

彼女はドワーフたちと楽しく話しながら飲んでいるが、傍らには必ず治癒師のイオネがおり、少し飲みすぎた程度でも解毒の魔法を掛けられていた。

一方のライアンはイオネやレイと離れた場所でドワーフに捕まっていることが多く、誰かが気づいた時には酔い潰れていることが多かった。そのため、完全にアルコールの影響を消すことができず、二日酔いに悩まされ続けていたのだ。

レイはそんな二人を見ながら、アシュレイの馬に寄せていく。

「こんなに楽しい時間を過ごしたのは久しぶりだったね。フォンスでマーカット傭兵団(レッドアームズ)の本部にいた時以来かな」

彼の言葉にアシュレイも笑顔を浮かべて頷く。

「フォンスを出てからは戦いの連続だったからな。よい骨休めになった」

そこにステラも話に加わってくる。

「そうですね。フォンスも好きな街でしたが、アルスもいい街だと思います。全部終わったら、もう一度ゆっくり来たいですね」

「そうだね。でも、ゆっくりしたいけど、毎日宴会だからゆっくりできない気はするけど」

レイはそう言って笑う。それに二人も釣られ、一行は和気藹々という感じで馬を進めていた。

レイたちが出発した頃、アルスの王宮ではカトリーナ王妃が収集した情報について官僚から報告を受けていた。

「……ルナ・ロックハート殿はペリクリトル攻防戦の直前に月魔族と呼ばれる魔族に拉致されておりました。このことは彼女が定宿にしておりました“荒鷲の巣”亭の主人と女将から確認したもので、極めて信憑性の高い情報です」

カトリーナはそこで眉間にしわを寄せる。

「つまり、ルナさんは一度、永遠の闇(クウァエダムテネブレ)に連れていかれたかもしれないということね。そして、レイさんたちは彼女を取り戻すためにアクィラを越えた……一つだけ気になることがあります。ルナさんはトーアに入っていないはずです。どうやって戻ってきたのかしら?」

「その点はよく分かっておりません。少なくともバルベジーで鍛冶師ギルドと商業ギルドを訪問していたという事実は確認しております。バルベジーで合流したと考えることが自然だとは思いますが、どうやってバルベジーに入ったかまでは確認できておりません」

大きな町に入る場合、門で身分証明書代わりのオーブによる確認が行われる。しかし、確認はしても記録は残さないため、どの時点で合流したかまでは分からなかった。

「そうですか……このことはこれ以上調べる必要はありません。また、このことは関係した者以外には話すことがないように……」

王妃は緘口令を敷いた。

一瞬、官僚は疑問を感じたが、王妃が突飛なことを行うことはよくあることであり、また、必ず理由があるため深く考えることはなかった。

官僚が立ち去った後、王妃はルナについて思いを巡らせる。

(随分印象が変わったわ。ザックさんと一緒にいる頃は自信がないというか、甘えのようなものがあった。でも、今はそれを感じなかった。よいことなのだけど、その理由が気になるわ……今はそのことは忘れた方がよさそうね。ロックハート家のために何ができるかをもう一度考え直しましょう……)

彼女は自分が打った手を思い直し、問題がないという結論に達した。

(帝国への根回しは問題ないはず。レイさんは目立ちたくないとおっしゃっていたけど、それは無理ね。あの宰相がルナさんという存在に気付かないはずはないのだから……後はあの人たちが何とかしなければならないこと……)

彼女は帝都プリムスにいる外交官に手紙を書いた。

そこには鍛冶師ギルド帝都支部と連携し、ルナたちが帝国政府とトラブルに巻き込まれた際にはカウム王国の名を使ってでも守るようにと記載されている。

(これで少しは助けになるでしょう。あとでウルリッヒさんにも伝えておきましょう。そうすれば、鍛冶師ギルドに少しでも恩を売ることができるわ……)

その後、ルナを守る方法を思いついたという口実で、ギルド総本部に行き、匠合長ウルリッヒ・ドレクスラーに面会を申し込んだ。

そこでプリムス支部とカウム王国の外交官が連携することを提案した。

ウルリッヒもそのことに同意し、すぐにその旨を伝達するよう指示を出した。

アルスを出発した日の夜。

レイはルナにザックという人物のことを聞くため呼び出す。日本人の転生者の話ということで、二人だけで話すことにした。

彼はためらい気味に口を開く。

「教えてほしいんだけど……ザックさんって僕たちと同じ日本人の転生者だっていう話なんだよね。どんな人なんだい」

ルナは少し俯き加減になる。

「言える範囲でいいんだ。僕たち以外に日本から来た人がいるって聞いたから」

彼女はそこで顔をゆっくりと上げる。

「言いたくないわけじゃないの。どう話していいのか少し悩んだだけ……」

彼女は自分が恋をした人物について、聖(ひじり)礼(れい)という同級生だった男子に、話すことにためらいがあった。

それでもこの先のことを考え、すべてを話すことにした。

「私を助けてくれた人、ザカライアス・ロックハートさんは日本の技術者だった人。私たちと違って大人の、父や母と同じ世代の人よ。四十五歳の時にこの世界に飛ばされてきたと聞いているから……こっちの世界では私たちより五歳年上、もうすぐ二十四歳になるはず。でも、それ以上に大人だったわ。今の私たちより若い時に、いろんな国の指導者と堂々と渡り合っていたの。そう、帝国の宰相とも……」

「帝国の宰相……」とレイは思わず呟く。

彼の知識では帝国は世界最強の国で、その宰相は実質的な支配者だ。そんな人物と渡り合ったという話に驚きを隠せなかった。

(いくら日本で四十五歳まで生きてきたっていっても、権力者と渡り合えるものじゃないと思うんだけど……)

彼の驚きにルナは小さく微笑み、

「ビックリするでしょ。誰が聞いてもビックリすると思うわ」

「そうだね。僕もラクスの公爵とか騎士団長と話をしているけど……ハミッシュさんが間に入ってくれたから話せた気がする。多分、僕一人だときちんと話せなかったと思う」

彼もザカライアス・ロックハートという人物について、アシュレイから事前に話を聞いていた。

「ペリクリトルでは有名な冒険者だ。“真闇の(ダークネス)魔剣士(ソードウィザード)”と呼ばれ、剣術と魔法の両方に秀でた天才だ」

「魔道剣術士ってこと?」

「そうだ。だが、それだけではない。ドワーフとの話にも出てきたが、酒と美食では世界でも並ぶ者はないと聞いているし、魔法の研究では世界一の研究者と肩を並べているという話だ」

レイはその多彩さに「本当にそんな人がいるのかな」と呟いてしまった。

「同じことを思ったな。私と同い年だったはずだが、彼の話を聞いた時、世の中は広いと思ったものだ……」

アシュレイの他にもライアンやステラにも聞いているが、同じような話を聞かされた。

「話を戻すわ」と言って、考え込むレイに声を掛ける。

「ザックさんは本当に何でもできる人だった。剣術もレベル五十を超えていたし、魔法も凄かったわ。気配の探り方や気配の絶ち方なんかの森の中での行動の基本も教えてもらったの。もっとも私は駄目な生徒だったんだけどね」

そう言って寂しそうに微笑む。

「私にはよく分からないけど、政治家としても凄い人だと思う。光神教の総大司教を辞めさせているし、カエルム帝国の後継者問題にも絡んでいたみたい。他にもいっぱいありそうなんだけど……でも、一番凄いのは蒸留酒、スコッチを発明したことね。他にも帝国のワインを美味しくしたり、新しい蒸留酒を作ったりしているわ……」

彼女の話は続いていくが、レイは混乱していた。

(カエルム帝国の後継者問題と光神教のトップの交代……何をどうやったらそんな話になるんだろう……それとお酒の話がどう繋がるんだ? 理解できないよ……)

混乱している彼をよそにルナは話を続けていた。

「あの人には奥さんがいたの。それも四人も」

「四人も! ハーレムってこと!」とレイは声を上げる。

「ハーレムっていうのは少し違う気がする。女好きっていう噂もあって、全方位のハーレム王子(オールレンジプリンス)なんていうあだ名もあったみたいだけど、本当は全然違ったわ」

「でも、四人も奥さんがいたんだろ。その人たちはどんな人たちだった?」

「そうね。一言で言うと強い人たちかな。戦いで強いってこともあるけど、芯の強い人ばかりだったわ。それにきれいで優しい人たち……私を妹のようにかわいがってくれたの。でも、私は……」

そこで口篭る。

恋愛経験の少ないレイは何があったのだろうと思い、「何かあったの?」と聞いた。彼女の表情をよく見れば苦悩していることは分かるはずで、恋愛経験がほどほどあれば、それで悩んだことが分かっただろう。

「……私はあの人に、恋をしたの……でも、それは叶わなかった。だから、あの人の下を去った……」

レイは上擦った声で「そ、そうなんだ……」と言うことしかできなかった。

彼女は彼がどう気遣っていいのか困っていると気づき、話を戻すことにした。

「話を戻すわね。あの人は本当に何でもできる人で、いろんな国の政治家に影響力を持っているの。カトリーナ王妃様もその一人だけど、帝国にも何人もそんな人がいるわ。今の宰相も……だから、これから先、あの人のことが話題になるかもしれない。今でもあの人を利用しようとする人はいっぱいいるでしょうから……」

その後、ラスモア村で過ごした時のことやペリクリトルでのことを話していった。

助けられた直後の話、アンデッドの軍団に襲われた時の話、転生者だと知った後の楽しかった時の話……。

彼女の表情に憂いが浮かんでいることから、レイは口を挟むことなく、静かに聞いていた。

ルナの話が終わった。

一分ほどどちらも口を開かず、風が流れる音だけが聞こえている。

「大事な人なんだね、君にとって」

レイはそう言うと彼女の答えを聞くことなく、立ち上がった。

「ありがとう。言いたくないこともあったと思うけど、聞かせてもらえてよかったよ」

「ええ」

「僕もザックさんに会いたいな。どんな人なのか話をしてみたいよ」

「そうね。あなたなら気が合うかもしれないわ。ネット小説を読んでいたと言っていたから」

「そうなんだ。もしかしたら僕の読者だったかもしれないね」

「それだったらおもしろいわね。フフフ」

そう言って二人で笑いあった。

レイは部屋に戻った後、アシュレイとステラにルナから聞いた話をした。すべてではなく、彼女が恋をしていたという部分は省いているが、二人はそのことを理解していた。

「そうか。ザカライアス卿とそんな関係だったのだな……」

アシュレイはそういい、ステラは黙って頷いていた。

ステラは自分と同じ思いを持っていたルナに、親近感を抱いた。

(気持ちは痛いほど分かるわ。でも、私にはアシュレイ様を裏切ることはできない……ルナさんも同じ気持ちだったけど、自分の想いに素直に従って告白したのね……)