六月十三日。

レイとルナは神々と邂逅した。

神々は二人に世界の均衡を保つよう依頼する。特にレイにはルークス聖王国とカエルム帝国の戦争を止めるという難しい課題を出した。

レイは神々が自分たちに都合がいいように誘導しているように感じ、不信感を抱く。

地下神殿を出た後、神官長のレーア・ガイネスと会見した部屋に戻った。そこにはアシュレイらが待っており、意外そうな顔をしていた。

「すぐに終わると聞いたが、これほどとは思わなかった」とアシュレイが言うと、

「そんなに短かった? 一時間以上は掛かっていると思うんだけど」

「いや、十分も経っていない。今からこの後のことを話し合おうとしたところなのだからな」

アシュレイの言葉にステラとライアンが大きく頷く。

レイが不思議そうな顔をしていると「神々に呼ばれたからですよ」とレーアが説明し始めた。

「あの場所は神域ですから、神々が自由に時間の流れを変えられます。皆さんと相談する時間を少しでも多く取るために配慮してくださったのでしょう」

「そうですか……」とレイは答えるが、

「僕とルナはまだ頭の整理ができません。仲間たちと相談してもいいでしょうか」

「もちろん構いませんわ。どのような話をされたかは存じませんが、神々からのお話です。すぐには結論が出ないことは分かります」

「ありがとうございます」といって頭を下げる。

そして、アシュレイたちに向かい、

「結論は明日伝えることになっているから、一旦、家に戻って神々との話をしたいと思う」

レイはそれだけ言うと、もう一度レーアに頭を下げて神殿から出ていった。

残されたレーアはレイとルナの後姿を見つめていた。

(神々は私には何も言葉を掛けてくださらなかった。五千年の長きに渡って祈り続けているのに……神々にとって我ら“神人”は既に不要な存在なのかもしれない。それでも私は……)

神人は人の神(ウィータ)によって作られた古代文明の神官であった。頑健な身体を持ち、魔法の才能もそれまでの人とは比べ物にならないほどだ。寿命は存在せず、病気に対しても耐性があり、事故でも起きない限り永遠の命を約束された存在だった。

古代文明時代には各神殿を取り仕切り、神々の言葉を人々に伝え、信仰を守っていた。

しかし、虚無神(ヴァニタス)の侵攻による情報改変によって引き起こされた遺伝子情報の改変に伴う病気、いわゆる“クナーアン症候群”では多くの神人が犠牲になった。魔法の素となる“マナ”に仕込まれた罠に、神人たちは無力だったのだ。

ヴァニタスは三主神と八属性神の神殿に最初に攻撃を仕掛けた。それは人々の信仰心を減らすことが目的だった。

三主神と八属性神の神官たちはクナーアン症候群によって次々と命を落としていった。命を永らえたものの魔物に姿を変える者が続出した。彼らは強靭な肉体と強い魔力を持ち、その力を恐れた神々により処分された。

ごく少数の正常であった神官たちも情報汚染の可能性を考えた神々によって処分されることになる。そして、神域に守られたクレアトールの神官だけが生き残った。

元々クレアトール神殿は信仰の場所ではなかった。世界が滅びた後、再び世界を再構築する基点がこの神域だった。そのため、終焉をもたらす神、ヴァニタスも手を出すことはなかった。

生き残ったものの、神々は躊躇いもなく神人を見捨てた。信仰を集め世界の安定を図るはずの神官が、逆に世界の崩壊を助長したためだ。

クレアトール神殿の神官たちは十一柱の神々の神官とは異なり、人々の信仰を集めることはしていなかったが、世界の始まりとなる場所を守るだけの存在に神々は価値を認めなかった。

(私たちは永遠に生き続ける。生きる目的もなく……アトロのように外の世界に目を向けるべきだという者もいる。しかし、それが何になるというのか……クレアトールは人々の信仰を必要としない神。そして、私たちはその神に仕えるという名目で生かされているだけの存在……)

クレアトール神殿の神官は神域を守るという理由で存在しているが、実際にはクレアトールによって神域は守られており、特別な管理者が必要ではない。十一柱の神々が自らの神殿に神官を置いたため、クレアトール神殿にも神人を派遣したに過ぎなかった。これは神官長のみが知る事実だ。

永遠の命をもつ神人といえども感情を持つ“人”に過ぎない。

自らの存在価値を否定された状態でこの場に存在し続けることは大きな苦痛を伴う。実際、彼女の前任者は祈り続けても応えてくれない職務に耐え切れず、ヴァニタスの侵攻の前に神官長の職を辞し、人知れず命を断っていた。

幸いなのかは微妙なところだが、レーアが神官長になった後にヴァニタスの侵攻が始まり、十一柱の神々がこの神域に頻繁に現れるようになった。

彼女にその理由は明らかにされなかったが、祈りを捧げることで神々の声が聞こえるようになったのだ。そのため、五千年という“人”にとっては途方もない時間を神官長として過ごすことができたといえる。

(あの二人はこの世界の者ではない。恐らく、以前来た若者と同じ場所から召喚された者。だとすれば、神々はあの二人に期待しているはず。私たち神官には何も期待していないというのに……)

レーアはレイとルナに嫉妬似た感情を抱いた。それでも神に仕える者という矜持を忘れることはなかった。

神殿を後にしたレイたちは宿泊先の家に入った。ウノたちが警備に行こうとするのをレイが留めた。

「みんなに話しておきたいんです」

そう言って、ウノを含め、全員が座るのを待つ。

全員が座ったところで、レイは地下神殿であったことを話し始めた。

「神々と出会ったよ。三主神と八属性神の全員に……」

アシュレイたちは予想していたためその言葉に驚きはなかったが、話が進むにつれ表情がこわばっていく。

「……ヴァニタスは光の神(ルキドゥス)と闇の神(ノクティス)の力を集中的に削るっていう戦略だったみたいなんだ。その一つがソキウスを暴走させること。そしてもう一つが光神教という存在を作り上げたことらしい……」

そこでアシュレイが思わず声を上げる。

「待ってくれ。ソキウスのことは分かる。魔族がアクィラの西に攻め込めば、多くの死者が出るからな。だが、光神教というのはどういうことなのだ? 確かに教団の聖職者たちは腐っているが、フィスカル村の農民兵を見る限り、多くの人々は敬虔なルキドゥスの信徒だったはずだが?」

「そうだね。僕も末端の信者の人は本当に純朴でいい人たちだと思う。でも神々が言ったのは別のことなんだ。ソキウスに“月の御子”が現れたように、ルークスにも“ルキドゥスの現し身”が現れるそうなんだ」

その時のレイの表情は苦笑を含んだものだった。

「その“ルキドゥスの現し身”がレイ様ということでしょうか?」

レイの言葉と表情から察したのか、ステラがそういって確認する。

「そうみたいなんだ。随分前からヴァニタスは光神教の幹部に“ルキドゥスの現し身”が現れるという啓示をしていたみたいなんだ。だから、ドクトゥスで会ったガスタルディ司教が僕にしつこく付きまとったらしい」

その言葉にアシュレイは「そんなことが……」と絶句する。

「それだけじゃないわ」とルナが話に加わる。

「ルキドゥスの現し身が現れて帝国を打倒するという話になっているみたいなの。ルークスでは二十万もの人が兵士として集められているらしいわ」

「二十万だと……想像もつかねぇ……」とライアンが呟くが、軍事に明るいアシュレイはすぐに冷静さを取り戻し、ルークスと帝国の戦争について思いを巡らす。

「二十万か……確かに大軍ではあるが、それだけの戦力では帝国を打倒することなど叶うまい。帝国軍は精兵ぞろいだ。正規の軍団が四つもあれば、農民兵主体の聖王国軍など簡単に蹴散らされる……その程度のことも分からぬのか、光神教の指導者たちは」

「アッシュの言う通りだと思う。神々もルークスが惨敗することでルキドゥスへの信仰が弱まることを狙っていると断言していたしね。でも、それより重要なことは、神々は僕たちにその戦争を止めろと言ってきたんだ。何十万人という軍隊が戦う戦争をね。できるはずがないよ」

レイはやっていられないとでも言うように肩を竦める。

「戦争を止めると簡単に言うが、一度動き出した軍隊を止めることは至難の業だぞ。それについて神々は何か言っていなかったのか」

「私の縁者が“道を整えてくれている”と……それを信じて進めばいいって」

ルナの言葉にアシュレイが小さく首を振っている。

「ルナの縁者だと……ザカライアス卿のことか……これまでのことを考えればありえない話ではないが、にわかには信じられん……」

「確かにザックさんならって思わないでもないんですけど、神々は“道を整える”という言い方をされたんです。ザックさんが直接動くなら、鍛冶師ギルドや魔術師ギルドを使って戦争を止めることはできると思いますけど、神々の言い方だと、レイがやらなくてはいけない感じだったんです」

「いくらレイでも荷が重すぎる。明日、そのことを確認すべきだ」

「ちょっと脱線したけど、もっと根本的なところで相談があるんだ」

「根本的なところ? 私にはよく分からないのだけど」とルナが首を傾げる。

「さすがに神々の前では言えないからね。まあ、向こうは僕の考えなんか、お見通しなんだろうけど」

「それはどのような話なのだ」

「アッシュとステラなら覚えていると思うけど、最初のうち僕の記憶の一部は……神々に都合よく封印されていた……」

レイとルナが転生者ということを知らないキトリーがいるため、言葉を選ぶ。

「……それにペリクリトルに入った辺りから僕を思い通りに動かそうとした形跡がある。ちょうどルナと出会った頃に」

「ああ、確かにそうだな。そのせいでお前は随分悩んでいた」

「私も覚えています。普段のレイ様とは全然違う感じでとても恐ろしくなったことを」

アシュレイが苦虫を噛み潰した顔をし、ステラが思い出しながら身震いをした。

「僕は神々を信用しきれない。僕たちを駒のように使っている気がしてね。神々のいうことを聞いても結局使い捨てにされるんじゃないか。僕たちの命を使ってヴァニタスを止める作戦じゃないかって」

「神々がそこまでするとは思えません。特にノクティスは安らぎを与える神です。不信感を与えるような方法を採られることはないと思います」

そこまで黙っていたイオネが珍しく強い調子で反論する。

彼女は闇の神殿の神官見習いであり、敬虔なノクティスの信徒だからだ。

「あなたの言いたいことは分かるわ。ノクティスにあったけど、私たちのことを優しく見守ってくれるという感じだったから。でも、ノクティスは十一の神々の一人でしかないの。世界を救うために止むを得ず私たちを犠牲にすることがないとは言えないわ」

月の御子であるルナに反論され、イオネは言葉を失う。

「さっきも言ったけど、僕は神々を信用しきれない。このことについて意見を聞かせてほしい」

真っ先にステラが発言を求めた。

「私も神々を信用できません。レイ様をあんなに苦しめたのですから」

憤りを滲ませるステラにレイは「ありがとう」といい、他の意見がないか全員を見ていく。

彼の視線を受け、アシュレイが声を上げた。

「私にはどちらともいえない。だが、神々は今も私たちを見ているはずだ。だとすれば、ここで神々に逆らっても同じ結果になるのではないか」

「そうかもしれないね。逆に素直にいうことを聞いた方がいい結果になるかもしれないし」

「そこまで分かっていて、どうして神々が信用できないというの?」とルナが質問する。

「これまでのことを考えると、神々は僕たちのことを便利な道具と思っているとしか思えない。その印象がどうしても消えないんだ。だから、僕たちもいろいろと考えているということを聞かせたいと思ったんだ」

「じゃあ、神々に聞かせるためにこの話し合いをしているということ?」とルナが驚く。

「道具として使われるとしても僕たちにも心がある。それに僕たちが協力的な方が成功する可能性が高いと思ってもらえれば酷い扱いはしないと思う。そのことを含めてきちんと話し合いをしたいんだ」

今までレイたちの議論を黙って聞いていたキトリー・エルバインは腕組みをしながら笑みを浮かべている。

(この子も凄いわね。神々に聞かせるために議論をするなんて。刺激が強すぎるから、ヴァニタスがやった情報汚染のことは話さなかったけど、これなら話してもいいかもしれないわね……)

そこでキトリーが「少しいいかしら」といって発言を求めた。

今まで黙って聞いていたキトリーが発言を求めたことにレイは首を傾げるが、年長者であり神の研究者ということですぐに「どうぞ」と発言を許可する。

「レイ君が神々を警戒するのは間違っていないわ。でも、その前に神々がヴァニタスを警戒する理由を説明したいと思うの。といっても、まだどこにも発表にしていないからこの場限りにしてほしいんだけど……」

キトリーは四千年前にあったヴァニタスによる侵略について話し始めた。マナを使った情報改変とクナーアン症候群について説明すると、レイとルナ以外は徐々についていけなくなる。しかし、古代文明と呼ばれる前文明が滅び、その際に多くの人々が命を落としたというところで驚愕する。

「……まだヴァニタスが関与したという証拠はないのだけど、この世界の成り立ちから考えてヴァニタスしか考えられない。つまり、このままあの神を放置していると同じようなこと、つまり多くの人が不幸になる事態が起きることになるわ」

キトリーの話が終わると重苦しい空気に包まれる。常に感情を押し殺しているウノたちですら恐怖を感じているほどだった。

「それを防ぐために僕が行動を起こすべきとおっしゃりたいのですか?」

レイの問いに「いいえ」とキトリーは答え、

「あなたの言っていることも分からないでもないし、第一、そんな重大なことに“ぜひともやりなさい”なんて言う資格は私にはないわ。私は事実か、それに近いことを伝えただけ。判断をするのはあなたたちよ」

そこでルナが「このことをザックさんは知っていたんでしょうか」と消え入りそうな声で聞いた。

「分からないわ。私は遺跡から見つけた事実と彼が古代の研究者に聞いた話から、この結論を導き出しただけ。ザック君はこういうことにはとても慎重なの。だから不用意な仮説は絶対に話さない。リディアーヌたちには話しているかもしれないけど、少なくとも研究者である私やラスペード先生には証拠が揃わない限り話さないわ」

「そうですか」といっただけでそれ以上何も言わなかった。

「じゃあ、そろそろ僕の結論を聞いてもらおうと思う」

そう言ってレイは全員を見回した。