Trinitas Mundus

Lesson XVI: Rules and Strategies

冒険者ギルドの支部長室に向かうレイとアシュレイの二人は、それぞれ無言でソロウ支部長の後ろを歩いていた。

アシュレイは、レイがセロンとの決闘を受けたことに対し、内心怒りを覚えていた。

(レイは何を考えているのだ。確かに私は病み上がりだ。だが、それでも私の方が勝てるチャンスはあるはずだ……“ルール”を判っていないだと! ルールなどと競技(遊び)のように考える奴が、セロンに勝てると思っているのか……ヒドラを倒して増長しているのか?……もしそうなら、絶対に止めなければ、レイの命が危うい……)

一方、レイも内心の不安を隠すので精一杯だった。

(アシュレイが勝てる自信が無いと言った。ということは間違いなく僕より強い。ルールが判らないから、殺し合いになるのか、模擬戦の延長なのかも判らない……早まったとは思うけど、もし、あそこで僕が声を出さなければ、アシュレイが受けて立っただろう。そうなれば、彼女が負けた時に変な条件、“自分の女になれ”とかを付けられる可能性があった。……でも、勝てるのか。そもそも“人間”と戦えるのか、僕は……)

二人が支部長室に入ると、支部長が憮然とした表情で話し始めた。

「まさか、決闘を受けるとは思わなかったぞ。レイ、お前は判っていないだろう。自分が何を受けたのかを」

彼は支部長の表情を見て、事の重大さが思った以上だと気付く。

「はい……でも、まず決闘のルールを教えて欲しいんですが……」

ソロウ支部長の説明は簡潔だった。

特に決め事がなければ、“何でもあり”であり、決められていることと言えば、立会人を置くこと、相手を殺さないように“努力”することくらいとのことだった。

代理人を用意することも可能だが、今回はセロンから“本人同士”と宣言されているため、これは使えない。

彼はその説明を聞いていくに従い、顔面が蒼白になっていく。

(拙いよ……殺さないように“努力”と言っても、向こうは殺す気満々で来るはずだ。喧嘩すらしたことがない僕が……死ぬかも知れない。いや、殺される……絶対に殺される……)

彼は自らの軽率な判断に、今更ながら後悔していた。

彼は自らの死を予感し、ガタガタと震え始める。

そして、何とかやめる方法は無いかと、支部長に、「決闘をキャンセルすることはできるんでしょうか?」と確認するが、

「取り止める方法はない。逃げ出せば、自動的に負けを認めることになる。それなら、決闘が始まったところで、負けを認めた方がマシだな」

決闘から逃げ出した場合、負けを認めるだけに留まらず、その噂はすぐに広まる。相当遠くの町にでも逃げない限り、冒険者や傭兵としては生きていけなくなる。また、それ以外の職業に就いたとしても、臆病者という烙印を押され、生きていきにくくなる。

レイは必死に考えを巡らせていた。

(やらざるを得ないのか……よく考えろ……臆病者と呼ばれても事実だからいいんじゃないか。でも、逃げ出したら、アシュレイが奴《セロン》に挑むだけだ……もう一度、奴の言った条件をよく考えてみろ。言っていたのは十日以内、本人同士、自分の武器を使用の三点だ。場所、立会人、勝敗の条件なんかは僕が決められる。自分の有利な点、奴の不利な点をよく考えろ。何かチャンスがあるはず……)

アシュレイはガタガタと震えるレイを見ながら、

(やはりだ。やはり判っていなかった……どうする。今からでは最長でも十日しかない。彼の技量向上速度は異常だが、僅か十日ではあのセロンには太刀打ちできない。どうする、レイ……)

彼女がそんなことを考えながら、彼を見ていると、彼の震えは次第に納まり、徐々に冷静さを取り戻しているように見える。

彼は心の中で、言葉を自分の身近なものに変え、あえて現実感を失くし、無理やり冷静さを保とうとしていた。

(これはゲームで言う“イベント”だ。クリアする方法は必ずあるはずだ。まずは、盲点がないか確認しよう)

彼はアシュレイとソロウ支部長に向き直り、

「確認したいんですが、魔法の使用は問題ないんですよね?」

「ああ、問題はない。だが、一対一だ。呪文の詠唱が終わるまで待ってはくれんぞ」

「ええ、判っています。それと、場所は僕が決めてもいいんですよね。どこでもいいんですか?」

「どこでも問題ない。但し、あまり遠いところや、明らかに異常な場所、例えば湖の上で船に乗って戦うなどと言うのは、認められんが」

「最後に、立会人はどなたでもできるんですか? 資格がいるとか?」

「特に規定はないが、身内や利害関係者は駄目だ。普通は公平な立場の人間が指名される。良くあるのは傭兵ギルドの関係者だな」

彼はそこまで聞いて、考えをまとめ始めた。

(場所は魔法が一番生かせる所、具体的にはあとで考えよう。立会人は傭兵ギルドのカトラー支部長がよさそうだ。部外者の立入は禁止……日時は十日後……一応、作戦らしき物は思いついた。あとは魔法が、どの程度実用に耐えるかを確認する必要があるな……)

彼は支部長に今の考えを確認してもらう。

「立会人はカトラー支部長にお願いしようと思います。日程は支部長の予定を確認してからですが、出来るだけ遅い時期、両当事者と立会人以外の部外者は立入禁止としたいと思います。場所は追って連絡するのでどうでしょうか?」

「構わないが、両当事者と立会人以外の立入禁止はなぜだ? 普通は見物人が多数押し寄せるが」

「僕が緊張するのと、セロンが信用できないからです。セロンの意向を受けた見物人が何かしてくることを防ぐためとお考え下さい」

「言っては悪いが、お前程度を相手に、奴でもそんなことはしてこないと思うがな」

「恐らくしてこないでしょう。ですが、こう言っておけば、これからの十日間も手を出しにくいはずです。こっちにちょっかいを出してきたら、その場で反則負けと宣言すると伝えるつもりですから」

「なるほどな。それでよかろう。アーロン(カトラー支部長)にはこちらから言っておく」

そして、彼はアシュレイを伴って、ギルドを出て行った。

アシュレイは、彼が落ち着きを取り戻したことに気付き、

「勝算はあるのか? 何か手伝うことは。何でも言ってくれ」

彼はアシュレイを不安にさせないよう強がりも含め、余裕があるように振舞う。

「うん、一応、手は思い付いたんだけど、これからの十日間でどこまで出来るようになるかが鍵だ。今日はこのまま宿に帰って、昨日の疲れを取りたい。君に荷物も返したいしね」

二人は自分たちの宿、銀鈴亭に戻っていった。

銀鈴亭に戻ると、二歳の娘アリーを抱えながら、女将のビアンカが駆け寄ってきた。

「大丈夫? 何か凄い魔物と戦ったんだって! もう大丈夫なの!」

アシュレイはその勢いに苦笑しながら、

「大丈夫だ。エステルの治療も受けたし、後はゆっくり体を休めればいいそうだ」

それを聞き、ビアンカもようやくホッとした表情になる。

レイは荷物を渡すため、一旦アシュレイの部屋に立ち寄った。

彼は彼女の荷物をアイテムボックスから取り出し、床に置いていく。

彼女はその様子を見て、

「しかし、本当に便利な魔法だな。どれだけ入るんだ、そこには?」

「さあ? 今まで一杯まで入れたことがないからね。まだ、入りそうな気はするけど」

ここでアシュレイが表情を引き締め、レイに向き直る。

「もう一度聞きたい。勝算はあるのか。レイが逃げるなら、私も一緒にいく。お前が死ぬところなど見たくはない……」

その真剣な表情に、彼も真剣な表情で応える。

「正直なところ、まだ何とも言えない。でも、逃げるつもりはない」

彼はそう言いながら、

(本当は怖い。死ぬのも、怪我をするのも……日本にいる時の僕なら、間違いなく逃げ出していた。でも、これ以上アシュレイに、情けない姿は見せたくない。もし、勝てたら……アシュレイに……いや、今はそんなことを考えている時じゃない)

彼の心の中の葛藤を感じたのか、

「レイ、無理はするな。自分の実力以上のことをしようとすると、どこかで齟齬が出る。“生きてさえいれば、いつでも取り返せる。生き残ることを考えろ”、これは私の父、歴戦の傭兵が言っていた言葉だ。心に留めておいてくれ」

レイは彼女の部屋を後にし、自分の部屋に戻ると、昨日の疲れと、今朝のセロンの告発、その後の決闘騒ぎで、精神的な疲れが襲ってきた。

(疲れた……昼からは雨が降るって話だから、体を休めながら、魔法でも考えるか……)

昼食をとった後、再び部屋に戻ったレイは木窓を叩く雨の音をBGMに、ベッドに寝転びながら、セロンのことを考えていた。

(曲刀《シミター》と小盾《バックラー》を使うスピードファイターか……アシュレイの話じゃ、回避が得意で大振りの攻撃はほとんど避けてしまう。バックラーは軌道を逸らすだけに使って、その隙を突いて、防御の薄い部分を正確にシミターで斬りつけていく……何かそう言われてもイメージが湧かないなぁ。実戦経験が圧倒的に少ないのが、僕の一番の弱点だな……生き残ることを考えろか……生き残る? 勝つではなく、生き残る……そうか……)

彼はイメージトレーニングでシミターを構えたセロンを思い浮かべるが、シミターでの戦闘すら見たことが無い彼は全くイメージが湧かなかった。

だが、アシュレイの言った言葉がヒントになり、考え方を変え、あることを思いつく。そして、明日からの訓練で試してみようと思っていた。

更に魔法についても考えていった。

(開始直後に魔法で奇襲を掛けて、無力化することはできないか……開始直後とはいえ、距離はそれほど離れていないだろう。そうなると、精霊の力を溜める時間はほとんどないと思った方がいい。物理的な攻撃力を捨てて、何か別の方法を考えるか……これが使えるかも……)

彼は思いついた魔法を、部屋の中で試してみた。一応、使えそうだが、実戦の場で使えるようにするため、魔力切れ直前までその練習を行った。

(ふうぅ。何とかなりそうだな。あとは場所をどこにするかだ……傭兵ギルドの訓練場が隔離できるなら一番良いんだけど、無理なら男爵にお願いして、警備隊の訓練場を使わせてもらうしかないな)

アシュレイも降り始めた雨の木窓を叩く音を聞きながら、ベッドに横になっていた。

毒は抜けたものの、体力の消耗が激しく、いつも強気な彼女にしては、かなり塞ぎ気味になり、ネガティブな思考に陥っていた。

(ここまでの失態は十五で戦場に出てから初めてだ。昨日はセロンに嵌められたとはいえ、生き残ろうという考えを捨てていた。レイに言った団長(親父殿)の言葉ではないが、昨日の失態、ヒドラとの戦いをレイに任せた上、街まで自分を運ばせたことは、恥ずべきことだ。今までの私なら、二人で生き残ることを考えたはず。どうしてしまったのだ、私は……いや、これからのことを考えろ。レイとセロンの決闘は避け得ないのか。無理だとしたら、レイが生き残るために私に何が出来る……駄目だ。思いつかない……気力が湧かないからか、それとも彼のことを考えるからか……)

彼女はいつもの冷静な傭兵ではなく、ごく普通の女性、それも想い人を心配する女性になっていた。

傭兵という男の世界にいたためか、それとも団長=父親という庇護者の下に長くいたためなのかは判らないが、彼女は憧れに似た初恋は経験しているものの、二十三歳という年齢にも関わらず、自分の中の”女”を意識したことはほとんどなかった。

(セロンとの確執は私との間のものだ。レイは私が一緒にいたから巻き込まれたに過ぎない。何としても彼を守る。そのためには……)

彼女は疲れた頭で考えるが、思考はグルグルと堂々巡りし、結局、夕食まで鬱々としたまま、何も思いつかなかった。

二人は一緒に夕食をとるが、レイは明日からのことを考え、アシュレイは彼のことを考えていたため、会話がない。

心配したビアンカがいつものように二人をからかうものの、普段のような初々しい反応はなかった。ビアンカは余計心配するものの、掛ける言葉が見付からず、二人はそれぞれの思いを胸に、部屋に戻っていった。