Trinitas Mundus

Episode 52: The Duke of Braveburn

九月二十五日の朝。

レイ、アシュレイ、ステラの三人は、ハミッシュらに知られぬよう、こっそりと王城に向かう。

昨日とは違い、呆気ないほどすんなりと正門を通り、騎士団本部に向かった。

レイは緊張を紛らすため、アシュレイに今から面会に行く公爵について尋ねていた。

「なあ、ブレイブバーン公爵様って、どんな人なんだ?」

「そうだな。一言で言えば武人の鑑だな。私も数回しか声を掛けて頂いたことはないが、気さくな方だと思う。公爵という高い身分にありながら、常に自らの鍛錬を欠かさず、行軍中は一兵卒と同じ食事をとる。しかも、軍略にも明るい。父上が言っていたが、公爵様は“将”の理想だとな」

「凄いな。あのハミッシュさんに、そこまで言わせる人って。僕なんかがあっていいのかな」

自信無さ気にそう呟く彼に、アシュレイは呆れ、そして自分が彼の横にいる資格があるのか考えてしまう。

(お前の方が凄いのだぞ。僅か十八、九の若造が、騎士団の切れ者と名高いグラッドストーン閣下を説得したのだからな。私の方がお前の横に立つ資格があるのか不安になるのだ。以前、ハルに言った言葉は決して嘘ではない。レイの横に立っているためなら、どんなことでも厭わない。だが……)

ステラはまだ、自分の心に整理を付けることが、出来ていなかった。

(レイ様のことを考えると、どうしていいのか、判らなくなってしまう。アシュレイ様とレイ様の間に、私の入る隙間なんてない。私はあのお二人にとって邪魔者なの? でも、今回も私を必要として下さる。夕べも帰って来られてから、これから傭兵団の皆さんを助けるために、力を貸してほしいと頼まれたわ)

彼女は今回のことに特に関心が無かった。

(レイ様が必死にいろいろお考えになるのは、なぜなのかしら? 私にとっては、良くしてくれた人たちだけど、それだけのこと。前の旦那様、デオダード様が亡くなった時もモークリー様のように、泣くことは出来なかった。多分、今回ハミッシュ様が亡くなっても同じ。私にとって大切なのは……レイ様、そして、レイ様が愛しておられるアシュレイ様、このお二人だけ。今回もレイ様が行かないと言えば、私にとっては危険がなくてよかったとしか思えなかった)

そして、レイの後姿を見る。

(このことを言えば、あの方は悲しい顔をされる。その方が私には辛い。私はあの方に笑っていて貰いたい。それだけでいい……)

彼女は自分の心を他人に曝すことなく、そんなことをずっと考えていた。

三人がシーヴァー・グラッドストーンの部屋に着くと、グラッドストーンと同じ歳くらいの一人の騎士が待っていた。

グラッドストーンが、その騎士を紹介する。

「ナイジェス・リーランドだ。今回、第三大隊の副隊長をやって貰う。その若者が話していたレイ・アークライトだ。その横がアシュレイ・マーカット。ハミッシュ・マーカット殿のご息女だ。後ろの少女は、ステラというもう一人の仲間でよいのか?」

ナイジェス・リーランドは、少し角ばった顔で、深い青色の瞳は見る者を落ち着かせるような雰囲気を持つ。背はレイと同じ程度―― 一八五cmくらい ――で、がっしりとした体つき、片手剣を使うのか、良く使い込まれた長剣を腰に吊るしている。

「リーランドだ。副団長より話は聞いている。あまり力にはなれぬが、よろしく頼む」

そう言いながら、右手を差し出してきた。

レイはその自然な振る舞いに感心していた。

(僕みたいな若輩者が、騎士団長や副団長に気に入られれば、あまりいい気はしないと思うんだけど、それがこんなに普通に接してこれるんだ。芝居かもしれないけど、この人がいれば、何とかなるかもしれない)

「レイ・アークライトです。よろしくお願いします」

レイが挨拶した後、アシュレイ、ステラと続く。

レイはステラをグラッドストーンとリーランドに紹介する。

「私の信頼する仲間であるステラです。偵察に関しては、マーカット傭兵団のアルベリック・オージェ殿よりお墨付きを頂いております」

グラッドストーンとリーランドは、十代半ばの獣人の少女を見て、まさかと言う表情になる。特に昨日から驚き通しのグラッドストーンは、

(このアークライトという若者にも驚いたが、あの(・・)アルベリック殿が認めたと言うのなら、相当な腕の斥候であろう。しかし、このように若い者が台頭してくると、自分が歳を取ったことを実感してしまうな。まだ、四十二なのだがな、私は)

顔合わせが終わったところで、騎士団長のヴィクター・ロックレッター伯爵を訪問し、更にグラント・ブレイブバーン公爵の下に向かった。

アシュレイに儀礼について一応は聞いていたものの、国の重鎮である公爵に会うということで、レイの緊張は最高潮に達していた。

(アッシュの話じゃ、儀礼にうるさい人じゃないってことだけど、僕なんか、半年前までは高校の校長に会うだけでも、緊張するタイプだったのに……胃が痛いよ。やらかさないように注意しないと……)

ブレイブバーン公の部屋は騎士団本部ではなく、王宮内にあり、レイは初めて入る宮殿に目を奪われていた。

普通の二階分くらいある高い天井は、アーチ状になっており、壁には様々な装飾――レリーフやタペストリー、彫刻など――が施されている。ガラスの入った窓が多く、日の光がうまく当たるよう計算されているのか、朝の日の光が西側の女神を象ったレリーフに、深い影を与え、幻想的とも言える趣がある。

(映像でしか見たことはないけど、ヨーロッパの一流の美術館にこんな感じのところがあったような気がするな)

彼らが歩く床には、大理石のような白い石がふんだんに使われ、その上に毛織の鮮やかな絨毯が敷かれている。

レイは自分が間違ったところに来たと、後悔していた。

(この雰囲気が重い……どこを見ても一流品だし、小市民の僕には場違いだよ。それにしても、アッシュは堂々としているし、ステラも気にしていないみたいだし、僕だけがびびっているのが、何か不公平な気がしてきた……)

そんなことを考えていると、前を歩くグラッドストーンが大きな扉の前で足を止める。

そして、立哨をしている兵士に取次ぎを頼むと、すぐに部屋に招きいれられた。

中に入ると、大きな執務用の机と、その横にある銀色に輝く立派な甲冑が目に入る。

執務室は隣の部屋と続きになっているようで、奥が応接室になっていた。

グラッドストーンが奥の部屋に向かい、五人がその後に続いていく。

応接室には四十代半ばの男が座っており、武人らしい張りのある声で「よく来た」と声を掛けてきた。

「そこにかけたまえ。ああ、ここでは無礼講だ。宮廷の儀礼も不要だ」

一方的に話しかけられて、レイは戸惑うが、グラッドストーンに促され、応接室のソファに腰を降ろす。

(勢いのある人だな。公爵様だから、もっと偉そうな感じかと思ったけど、アッシュの言ったとおり気さくな感じだな。確かにこんな感じで、平民の兵士が声をかけられたら、感激するだろうな)

挨拶を済ませると、ブレイブバーン公が笑みを浮かべながら、アシュレイに話しかける。

「久しいな。うむ、少し見ぬ間に美しくなった。ハミッシュはさぞ心配しているだろう。変な男が近寄らないかと」

美しいと言われたアシュレイは、顔を赤らめている。

一言二言世間話をした後、すぐに本題に入っていった。

レイは昨日、グラッドストーンに話したことを、公爵と騎士団長に再び話していく。

説明が始まると、陽気であった公爵の顔が徐々に険しくなっていった。

レイの説明が終わっても、二人はしばらく黙ったまま口を開かず、そして、他の者も同様に口を開かないため、沈黙がその場を支配する。

しばらくして、公爵が徐に口を開いた。

「つまり、今回の作戦でハミッシュが死ぬ可能性が高い。そして、ハミッシュが死ぬような事態ならば、ブリッジェンドは蹂躙されるだろうと。仮にブリッジェンドが落ちなくとも、ハミッシュが死ねば、陛下の、そして王家の評判が落ちると」

レイは静かに頷く。

「そして、それを防ぐため、自分たちに騎士団が依頼を出し、行動の自由を得た上でハミッシュをフォローすると。なるほど、理屈はあっている。この提案で騎士団が不利益になることもないか……」

ブレイブバーン公は独り言のように呟いた後、騎士団長の顔を見る。

「うむ、ハミッシュも愛娘の言葉なら、聞くかも知れぬな。ヴィクター、卿はどう考える?」

騎士団長のヴィクター・ロックレッターは、公爵に軽く会釈をした上で、自分の考えを披露し始めた。

「レイの言うことは尤もなことかと。更にこの者なら、戦場で良い知恵を出してくれるかもしれませぬ。ここにおります、リーランドにしても、すぐには第三大隊を掌握できませぬ。ハミッシュ殿が戦死を覚悟するような時に、あの小倅が命をかけて戦うとは到底思えませぬ。最悪の場合、騎士団が義勇兵に犠牲を強いた形で逃げ帰ることすらあり得ます。その場合、騎士団の名誉も地に落ちるでしょう」

「そうだな。此度の戦い、ただの前哨戦と軽く考えていると、足元を掬われ兼ねぬな。リーランド、アークライト。そなたらに王国の命運を委ねる。頼むぞ」

リーランドは、すぐにソファから立ち上がり片膝をついて、頭を垂れる。その顔は紅潮しており、彼の声は僅かに震えていた。

「わが命に換えましても、必ずやご期待に沿って見せまする」

その姿にレイは呆気にとられるが、すぐに頭を下げ、

「ご期待に添えるかは判りませんが、出来るだけのことはやってみます。マーカット団長は必ず王都《フォンス》に連れて帰ります」

そう言いながらも、彼は過大な期待に困惑していた。

(自分で煽っておいて何だけど、王国の命運とか言われると、ちょっとね。僕みたいな若造に託すんじゃなくて、自分たちでどうにかできないのかな? 公爵様は騎士たちに人気があるそうだから、今みたいなセリフを言われたら、舞い上がるのかもしれないけど、僕には関係がない。仕官するつもりもないしね)

公爵は自分の言葉に舞い上がらないレイの態度に、驚くとともに感心もしていた。

(この儂の言葉にこれだけ冷静に対応できるとはな。普段、冷静なリーランドですら、王国の命運を委ねると、公爵たる儂から言われれば、あのように熱くなる。それに引き換え、この若さで、このように冷静さを保てるとはな。儂の好意を欲しないか。そんな物より、ハミッシュの命の方が大事と言うことか)

傍で見ていた騎士団長も、泰然としているように見えるレイの姿に感心していたが、グラッドストーンだけは、レイの心の中を正確に洞察していた。

(閣下のことをよく知らぬから、あのように泰然としていられるのだろう。だが、それで良いのかもしれん。ここで舞い上がれば、マーカット殿を助けるどころか、この者まで失いかねん)

公爵は騎士団長にレイの言うとおり、依頼を出すよう指示した。

「アークライトの策通り、冒険者ギルドに依頼を出しておいてくれ。あと、アークライト宛てに、騎士団長の指揮下にある旨の証《あかし》を渡しておいてくれ。あのキルガーロッホの小倅が下手なことを出来ぬようにな」

レイとアシュレイは、今回の出兵に参加でき、更にある程度自由に動ける条件を手に入れたことに、ホッとしていた。

その後、十分ほど雑談をした後、公爵に次の面会予定があるとのことで、レイたちは、公爵の部屋を後にした。

(とりあえず、準備はできた。後はこの立場をどう生かすかだ。第三大隊と行動を共にしながら、状況を見るか……)

レイたちが退出した十分ほど後、傭兵ギルド長のデューク・セルザムとハミッシュ・マーカットが公爵の執務室を訪れていた。

ギルド長のデュークが、公爵に資金調達について話し始めた。

昨日、レイが語った方法――商業ギルドから寄付を集める方法――について、語っていった。

公爵は話を聞きながら、違和感を覚えていた。

(確かに資金の話は考えていなかったな。儂が出しても良いが、この提案の方が、陛下やキルガーロッホ公に対して都合が良い。ブレイブバーン家が出せば、陛下の判断に異を唱えることになるからな。だが、この二人にこのようなことが思い付くのか? この二人は生粋の傭兵。誰の知恵なのか……)

「判った。儂からインヴァーホロー公に話しておこう。だが、これは誰の策だ? お前たちがこのような策を思い付くとは思えぬ」

二人は顔を見合わせ、デュークが困ったような顔で話し始めた。

「閣下のおっしゃる通り、我々ではこのような策は思い付きません。マーカットの食客に知恵者がおりまして、その者の策にございます」

(ハミッシュの食客か。先ほどのアークライトという若者のことかもしれんな)

「ハミッシュよ。今回、その知恵者は義勇軍に参加するのか? それほどの知恵者なら戦いも楽になるであろう」

ハミッシュは少し困った顔をし、

「残念ながら、参加いたしません。後方で我らの支援をさせるつもりにございます」

公爵は頷きながら、ニヤリと笑う。

(やはりアークライトか……出兵時に、この二人は驚くだろうな。楽しみだ)

その後、出兵時期や補給などの実務的な話し合いを行い、ハミッシュらは王宮を後にする。

ブレイブバーン公爵は、インヴァーホロー公を訪ね、ハミッシュが傭兵ギルドを通じて、義勇兵を募る話をするとともに、キルガーロッホ公の独り勝ちを防ぐための方策について、話し合いを行った。

(インヴァーホロー公の方はこれでいい。だが、どうも悪い予感がする。もしもの時のことを講じておかねばならんか……)

公爵は難しい顔をしながら、自らの執務室に戻っていった。