Trinitas Mundus
Episode XI: The Black Master?
四月十一日午前十時頃。
レイたちの尋問はアルベリックによって終わりを告げた。ステラが拷問を受け、傷を負ったものの、レイが治癒魔法を掛け、傷は既に消えている。しかし、出血と長時間に渡る尋問により、体力は戻っていなかった。
ステラの治療を終え、装備を取り戻した後、砦の西側にある砦の拡張部にある宿に向かった。アルベリックが砦の司令官ベンジャミン・プラマー子爵を脅して用意させた部屋で、トーアでは最も豪華な部屋だ。
部屋に入るとアルベリックは「ライアンを呼んでくるね」と言って出ていった。彼とライアンは同じ拡張部に宿をとっており、すぐに戻ってくる。
ライアンは開口一番、「ルナは、ルナはどうなったんだ!」と興奮気味にレイに詰め寄る。
レイはそれに苦笑するものの、「ルナは無事だよ」と冷静な口調で答える。
ライアンは「オオオ!」という雄叫びを上げ、「どこにいるんだ! 置き去りにしてきたわけじゃないんだろう!」と更に詰め寄るが、アルベリックに「落ち着いたら」と諭され、自分が興奮していることに初めて気づく。
レイはアルベリックに目礼すると、事情を説明し始めた。
「これから全部話します。信じられないこともあると思いますが、とりあえず最後まで聞いてください。まず、先ほど言った通り、ルナは無事です。ウノさんたち三人に守られて、この先のタルエルジグに向かっています。では、僕たちが見たことを話していきます……」
レイはルナを追いかけて魔族の国ソキウスに入り、レリチェ村から絶望の荒野(デスペラティオニス)を越え、首都ルーベルナに向かったこと、月魔族から彼女を奪い返したものの虚無神(ヴァニタス)に精神を支配されそうになっていたこと、鬼人族の都ザレシェでの出来事などを話していく。
「……彼女は邪神ヴァニタスから世界を守るために、神々から啓示を受けました。具体的には南の島国ジルソールにある“始まりの神殿”に行くということですが、行ったら何があるかは彼女にも分かっていないらしいです。ただ、世界を守るためには絶対に行かないといけないんだそうです。そして、もう一つ大事なことはジルソールからソキウスに戻らないといけないということです。彼女がいないと魔族たちは暴走しかねない。だから、彼女は戻らないといけないんです……」
レイはルナと自分が日本から来たことをぼかしながらも、ほぼすべての事実を話した。
アルベリックとライアンはあまりに壮大なスケールの話に、頭が付いていかない。常にまぜっかえすアルベリックですら、真剣な表情を浮かべて考え込んでいる。
「ルナは魔族の女王様ってことなのか……神様から世界を守るために戦う……本当なのか? 信じられるか、そんな話……」
ライアンは混乱気味に呟いていたが、顔を上げるとレイを見つめ、
「あんたが嘘をついているとは思わねぇ。だけど、俺には全然分からねぇ。とにかく、ルナは無事で、今は近くにいるってことで間違いないんだな」
「そうだよ。怪我もしていないし、別人になったわけでもない。ちょっとだけ、魔法が使えるようになったけど、前のままだよ」
ライアンはその言葉に安堵の息を吐き出した後、嗚咽を漏らし始める。
アルベリックは「よかったね」と言って、彼の肩をポンポンと叩くと、
「で、どうするんだい? ルナと合流してジルソールに向かうのは分かったけど、フォンスには一度戻るんだろう?」
レイはその問いに頭《かぶり》を振る。
「このままカウム王国を南下して帝国に入り、ウェール半島のどこかからジルソールに渡る船に乗ろうと思います。彼女が言うには慌てていくほど急ぐ必要はないけど、何ヶ月も時間を浪費できるほど、余裕があるわけじゃないそうですから」
「そうか……僕はどうしようかな。一緒に行った方が面白そうだけど、このまま行ったらハミッシュとヴァレリアに叱られるしなぁ……やっぱり僕はフォンスに戻った方がいいかな……」
アルベリックは独り言を呟いていた。
そんなことに関係なく、ライアンはレイの手を取り、
「俺はついていく。いや、連れていってくれ。足手纏いにはならない。だから……」
レイは「僕は賛成だけど、ルナに確認してから」と言ってから、この後の予定を話し始める。
「ステラの体調次第ですけど、僕たちは今日一日休養して、明日朝一番にここを出発したいと思います。ライアンは僕たちと一緒に行くとして、アルベリックさんはどうしますか?」
「僕も一緒に出発するよ。君たちが戻ってきたんだから、ここにいる理由もないしね。先のことはともかく、バルベジーまでは同じ道だし。とりあえず、そこまでに別れるか一緒に行くかを決めることにするよ」
バルベジーはトーア街道とアルス街道の分岐点に当たる宿場町だ。
レイは「分かりました」と言って頷くと、喜びでむせび泣くライアンに話しかける。
「ルナが無事で喜んでいるのは分かるんだけど、この部屋から出たらいつも通りにしてほしいんだ。特に明日出発する時はがっくりと肩を落とすような感じで」
ライアンはゆっくりと顔を上げるが理由が分からないという顔をする。
「僕たちはルナの救出に失敗して逃げ戻ってきた。つまり、彼女の生還は絶望的だということなんだ。それなのに、ルナを待ち続けていた君が嬉しそうな顔で砦を出ていったら不自然だろう。君は世界が滅びたというくらいの表情でアルベリックさんに引き摺られて砦を出ていくんだ。もし、それができないようなら、僕たちが出発してから十日くらい後に出発してもらう。そうしないとルナの身に危険が及ぶから」
「俺に演技なんてできないぞ。どうしたらいいんだよ……」と絶望的な顔をする。
そこでアルベリックが話に割り込む。
「僕にいい考えがあるから、任せておいて。明日の朝一番にがっくりというか、げっそりとして元気のないライアンを連れていくから」
楽しそうにそう言うと、アシュレイが「アル兄がああいう顔をした時はとんでもないことをしようとしている……」と呟く。
レイはその呟きを聞き不安になった。
「大丈夫なんですよね」
アルベリックは胸を張り、
「もちろん大丈夫だよ。君たちが任務に失敗してライアンが口も利けないほど落ち込んでいるように見せるから」
レイとアシュレイは一抹の不安を感じたが、ライアンに演技を期待するよりはマシかと思い直す。
「そうそう、君の馬は僕が世話をしておいたから。厩舎に行ったら会えると思うよ」
愛馬トラベラーのことを聞き、レイは驚く。
「てっきりマーカット傭兵団(レッドアームズ)と一緒にフォンスに戻ったんだと……ありがとうございます」
そう言って大きく頭を下げる。
「じゃあ、僕たちは明日の準備をしにいくよ。必要なものがあれば用意しておくけど?」
「必要な物はほとんど揃っている」とアシュレイが答えると、アルベリックは頷くが、
「今はいいけど、レイ君の鎧のことは考えておいた方がいいよ。バルベジーに入るまでに別の鎧にするか、色を変えないとトラブルになるから」
「どういうことですか? アッシュは分かる?」とレイが聞くが、アシュレイは首を横に振る。
「この国に光神教の関係者がいないことは知っている?」とアルベリックが聞くと、ステラとアシュレイが頷く。
「なるほど。そういうことか。アル兄が言いたいのは、光神教がカウム王国ともめて追い出されたということだ。いや、その先の方がもっと不味いな」
「どういうこと?」とレイが聞くとステラが代わって答える。
「カウム王国の南はカエルム帝国です。カエルム帝国とルークス聖王国は戦争状態ですから、聖騎士に似た鎧を身に着けているとあらぬ疑いを掛けられる可能性があるということです」
カエルム帝国とルークス聖王国は慢性的な戦争状態で、現在は小康状態とはいえ、光神教関係者が大手を振って歩ける土地ではない。カウム王国は戦争こそしていないものの、光神教と鍛冶師ギルドがもめたことがあり、鍛冶師ギルドと関係が深いカウム王国では光神教は完全に排除されている。
また、アルス街道でも光神教の評判は非常に悪い。以前、ある村の領主を無実の罪で告発しているためだ。
トーアに向かう時にレイが咎められなかったのはマーカット傭兵団の一員であったことと、“白き軍師”という名が知れ渡っていたからだ。
今回はマーカット傭兵団と行動を共にしていないため、その姿から聖騎士と勘違いされる可能性の方が高い。
「それじゃ、動きやすい鎧を調達しないといけないね。この雪の衣(ニクスウェスティス)に慣れているんだけど……」
「ここには余剰の鎧があるはずだから、今日のうちに選んでおけば調整はほとんどしなくていいと思うよ」
アルベリックはそれだけ言うと、ライアンを引き連れ部屋を出ていった。
レイはステラに「ゆっくり休んで」と言ってから、「僕も少し横になるよ」と言って寝室に向かった。
アシュレイは彼の背中に向かって、「準備のことは気にせず、ゆっくり休め」と言い、ステラにも声を掛ける。
「よくがんばったな。だが、今は休め。明日の出発のためにな。ここの警戒はセイス殿とヌエベ殿がいる。私も起きているつもりだ」
「はい。お任せします」と言ってステラも寝室に向かった。
正午頃、寝室から眠そうな顔のレイが出てきた。
「まだ起きなくても大丈夫だぞ」とアシュレイが言うと、「お腹が空いたんだよ。昨日から何も食べていないし、その前も食事制限をしていたから」
レイたちは命からがら逃げてきたと偽装するため、食事を減らしていた。更に彼は、前日は猿轡をかまされ続けており、水すらも口を濡らす程度でほとんど何も口にしていなかった。朝はステラのことがあって気が張っていたことと、昨夜は一睡もしていなかったことから睡魔が優ったが、僅かながらも睡眠を摂ったことから空腹が彼を襲った。
「簡単な食事ならこの部屋でも摂れるそうだ。何か頼むか?」
「何でもいいからお願い」と言ってレイは頭を下げる。しかし、すぐに「ステラは大丈夫? 熱とかは出ていない?」とステラのことを気にする。
「何度か見にいったが、大丈夫そうだ。特にうなされてもいない」
「それはよかった」
アシュレイが食事を頼むと、二十分ほどで届いた。
彼が食事を終えると、アシュレイが思い出したように話し始めた。
「鎧のことは盲点だった。私も知っていたことなのだが」
「仕方がないよ。アッシュはカウム王国にほとんど入ったことはないんだろ。それに今気づけてよかったよ。こんなことで拘束されて時間を潰すのは馬鹿らしいから」
「確かにそうだな。では、ここはセイス殿に任せて、我々は必要なものを調達にいくか」
アシュレイがそう言うと、セイスが現れ、片膝を突く。
「では、ステラ様は私が。お二人にはヌエベが同行いたします」
そう言ってすぐに姿を消した。
二人は宿を出て傭兵ギルドの支部近くにある防具店に向かった。四月も半ばになったが、標高が高いトーア砦には寒風が吹き、暖かな宿から出てきたレイは寒さに身震いする。
「寒いのか」と言ってアシュレイが近づき腕を組む。彼女も安全な砦ということで防具を着けておらず、レイは腕に柔らかな感触を感じた。
少し恥ずかしかったが、それでも離れることなく二人は歩いていく。非番の兵士たちが「妬けるね」という声を掛けるが、二人はニコリと笑うだけで特に気にすることなく、歩いていった。
防具店に着くと、自分に合いそうな革鎧を探してもらおうと店主に声を掛ける。
「レッドアームズの軍師じゃねぇか。あんたの鎧がありゃ充分だろう」
「あれは悪目立ちするからね。アルス街道に入ってトラブルになるのは嫌だから……」
「なるほどね」と納得すると、「ちょっと待ってな」と言って奥の倉庫に入っていく。五分ほどで戻ってくると、その手には胴鎧や腰当など一式を持ってきた。
「兵隊蟻(ソルジャーアント)の外殻で作ったものだ。お前さんの体に合いそうなのはこれくらいしかなかったんだ」
彼の手にある鎧はキチン質の照りのある黒色のものだった。
鎧を身に着けると、今までの純白とは異なり、禍々しい雰囲気をかもし出していた。
「これでは“黒の軍師”だな。まあ、これはこれで似合っているが、今までのイメージとは全く逆だ」
アシュレイはそう感想を漏らすものの、すぐに鎧の各部のチェックを始める。
レイが腕を振ったり、足を上げたりする度に、「動きに引っ掛かりはないか? 動く範囲はどうだ?」と確認していった。
「大丈夫そうだよ。重さ自体は少し重くなった感じだけど、動きづらいってことはないね」
ヘルメットも含め、五千クローナ(日本円で約五百万円)もするため、レイがためらうが、
「安全のためだ。ここで出し渋ってトラブルを招いたら元も子もない。それにこんな砦にしては良心的な値段だ。倍の値段でもおかしくはないのだからな」
「そうだね。必要経費だと思って割り切るよ」
そう言って笑いながら、防具屋を出ていた。