Tsumi Kake Tensei Ryoushu no Kaikaku

Episode Seven: So-called Word Beating

互いに中立な場所として住民が利用する集会所の一つを借り切り、ソラは取り引き相手を待っていた。

「満遍なく頼む」

ラゼットが机を拭くのを見ながらソラが言う。

すでに仕掛けを始めているのだ。

台を拭き終えたラゼットは布巾を仕舞って黒いインクを出した。一般的に使われるイカ墨インクである。

イカ墨の横に青紫色のインクを置く。

それを見たソラがラゼットにカーテンを閉めるよう命じると、部屋が暗くなったのに合わせて青紫色のインクも黒っぽく見えた。

「事前に見ていないと分かりませんね」

「そうでないと困る。色がばれても問題はないが、警戒されるのは避けたい」

準備を整えたちょうどその時、伯爵とレウルがやって来た。伯爵は腰に剣を差しており、敵意が溢れだしている。

次期跡継ぎのサロン・クラインセルトは連れてきていない。暗殺を警戒したのだろう。

一度も顔を合わせたことがない弟にソラも興味があったが、今はそれどころではないと思考を切り替える。

「ようこそ、急にお呼び立てしてしまい申し訳ありませんでした。ご壮健でなによりです、父上」

「心にもないことを」

豚領主は鼻を鳴らしてソラを見下す。

気にも止めずにレウルを見たソラは敵愾心を消し去った笑顔で握手を求めた。

「レウル殿、お久しぶりです。まさか来てくれるとは思いませんでした」

「こちらこそ、奇抜な発明をなされる事で有名なソラ“殿”に再びお会い出来て光栄です」

未だに子爵の位を持つソラに対して不遜な態度を取ってみせたレウル。伯爵がざまあみろと汚い笑みを浮かべてソラを見たが、もとより貴族らしい尊厳に些かの興味もないソラは眉一つ動かさない。

「では、椅子をどうぞ」

上座を譲ったソラを見て、伯爵は遠慮なく座ろうとしたが、レウルが待ったをかける。

「椅子の配置を換えましょう」

レウルの申し出をソラは躊躇せずに了承する。

その様子を見て机や椅子に細工をしてはいないだろうとレウルは判断した。

確認のために机や椅子の裏を見て魔法陣がないか調べてからレウルは椅子に座った。

そう簡単には尻尾を出さないらしいと更に警戒を深めながら自身の金髪を弄る。

ソラが伯爵領に手を出していたのと同じようにレウルも子爵領へ魔手を伸ばしていたのだが、その全てをソラによって叩き潰されている。

常道の怪物などと呼ばれているレウルだが、彼にしてみればソラは外道の怪物である。奇策と絡め手を駆使するその手腕には何度も煮え湯を飲まされた。

顔を合わせての直接対決、今回の取り引きが勝敗を分けると同時に決着となるだろう。

レウルは油断無くソラを観察する。

じろじろと不躾な視線を受けてもソラは怯まず笑顔を向ける。

「俺の弟というのはどんな子ですか?」

「後釜が気になるか? お前と違って出来の良い息子だ」

伯爵の言葉にソラは肩を竦めて「それは残念」とのたまった。伯爵の額に青筋が浮かぶ。

伯爵が掴みかかる前にレウルが口を挟む。

「ソラ殿、今更世間話をする間柄でもないでしょう。取り引きを進めませんか?」

この期に及んで伯爵がソラに掴みかかると立場が悪くなると考えてレウルは素早くこの取り引きを終えるために動き出した。

伯爵を連れてこなければ良かったと内心後悔しても始まらない。

「久方ぶりに顔を合わせた父子の世間話です。レウル殿が多忙なのは知っていますがもう少し良いでしょう?」

「いえいえ、伯爵も多忙です。ソラ殿が子爵位を剥奪された暁には話をする機会はいくらでもある。父子で良い酒を酌み交わしながらのつまみ話として取っておいて下さい」

全てお見通しとばかり、にやりと笑うソラにレウルも微笑み返す。

──お前の好きにはさせない。

互いの心情が一致した瞬間だった。

前哨戦の道具にされたとも気付かず伯爵は鼻を鳴らしている。

放っておくといつまでも続きそうなソラとレウルのやり取りにラゼットがわざとらしい咳払いで終止符を打った。

前哨戦の結果を引き分けとした二人は互いの健闘を称えて微笑み合う。

「それではそろそろ始めましょうか」

「そうして頂けると助かります。ソラ殿曰わく、取り引きとの事ですが、何か提示できる物がおありですか?」

レウルが問いかけると伯爵が横から身を乗り出した。

「子爵領の技術を寄越せ。こちらの要求はそれだけだ」

「それだけ、と言える金額ではありませんけどね」

伯爵の言葉にソラが苦笑いする。

レウルまでもが苦笑いしている事に気付いたソラが一瞬だけ同情の視線を向けた。

しかし、その場の空気を読めない伯爵が割れんばかりに机を叩いてソラに顔を近づけ威圧する。

「技術を寄越せ。命令だッ!」

伯爵の怒声を真っ向から受けてもソラは顔色一つ変えない。

「立場をわきまえて下さい、父上を煮るのも焼くのも俺の気分次第ですよ?」

「なんだと!?」

「──今すぐに王宮へ剣一本引っ掴んで殴り込んでやろうかって言ってるんだよ。少しは無い頭に何か詰め込んで考えやがれ豚親父」

罵声を飛ばすが早いか、ソラは伯爵の襟首を掴み上げる。

呆気に取られる面々を置き去りにソラは伯爵を突き飛ばした。

「お、お前、息子の分際で」

「伯爵、お待ちください」

立ち上がって拳を握り込んだ伯爵をレウルが慌てて止める。

「レウル殿は気付いたようですね。流石に聡明だ」

ソラの言葉にレウルは苦々しい思いで振り返った。

「ソラ殿、相討ち覚悟ですか?」

もし、ソラが王宮に殴り込みをかけたなら即座に反逆者として処断される。それ自体はレウルにとっても願ったり叶ったりだ。

だが、ソラは曲がりなりにもクラインセルト家の人間。家長である伯爵も責任を負わされる。もちろん、次期跡継ぎのサロンにもしわ寄せが来るだろう。

クラインセルト伯爵はこの取り引きから逃げられない。

自身を捨て駒であると強調した事でソラは圧倒的に有利な立場にのし上がった。

これによって今回の取り引きにおけるレウルの勝利条件が可能な限りソラから利益を奪う事から可能な限りソラに利益を奪われない事へと変質した。

受け身に回らざるを得なくなったのだ。

ソラが王家に反乱を起こしてもレウルの計画が遠回りするだけではある。だが、伯爵が寝返ったなら計画は破綻する。

レウルは置かれた状況を正しく認識して決心する。

一刻も早く、この場を切り抜けるべきだと。

「ソラ殿の要求をお教え願いたい」

努めて冷静な口調でレウルは問う。

状況を説明された伯爵は青い顔をしていた。今まで威張って座り続けた椅子が今まさに壊されようとしているのだ。椅子から落ちれば死ぬしかないと諭されて冷静でいられる器ではなかった。

「父上にはクラインセルト領内の教会と信者を保護する事、私の継承権を剥奪しない事を誓っていただきます。レウル殿には俺と俺の家臣を教会の信者にする事とその立場を永遠に保証する事を教主の名を以て確約してもらいたい」

ソラの要求にレウルは目を細める。

恫喝を伴ってはいるが、これは助命嘆願である。

教会の保護下に入れば教義によってレウル達には手が出せない。しかも破門されないソラとその家臣達は永久に保護対象だ。

伯爵が処刑を強行する事も封じる手である。クラインセルト領において教会と信者は処刑されないある種の特権階級となる。

処刑対象から除外する範囲をソラと現在の家臣のみに絞らなかったのは今後仲間が増えた場合に備えているのだろう、そう判断したレウルは目を細める。

腹中に怪物を飼うことになるが、クラインセルト領を乗っ取る点では一歩前進することになる。

今後は教会内でソラと政治闘争を繰り広げることにはなるが、彼らが教会の信者になる以上は教会を脅かす外敵に対して共同戦線を張ることになる。

常道の怪物と外道の怪物、この上ない戦力となるだろう。

──これは確かに取り引きだ。

レウルはゴクリと喉を鳴らす。

外道の怪物を飼い慣らす自信はある。今まさに譲歩を引き出したのだから。

継承騒動は僅差で自分の勝ちだと、レウルは確信した。

「……分かりました。その要求を飲みましょう」

ソラは頷いて羊皮紙を六枚用意する。

伯爵とレウルに二枚ずつ、さらに二枚を手元に置いてそれぞれの人物に対して提示した条件を書き記す。

「では、署名と印を」

出された羊皮紙に書かれた文面に間違いが無いのを確かめて、レウルは署名と教主印を押す。同時に伯爵も作業を終えた。

次にソラが六枚の羊皮紙を見比べて最後の検分をし、用意した青紫色のインクで署名する。

互いに二枚ずつ、契約書を受け取って取り引きは終了した。