Watashi wa Teki ni Narimasen!
And the bell of fate rings.
その日の夜のうちに、レジーが到着した。
出迎えたのはヴェイン辺境伯と、軽傷だったおかげで歩けるほどに回復していたベアトリス夫人、アランとその護衛騎士、侍女の私達だ。
宵闇の中、馬を走らせてきたらしいレジーは、以前よりも物々しく二十騎以上の騎士達に囲まれていた。
騎士達が馬から下り、レジーが最後に地上に足をつける。
すぐさま控えていた兵士が馬を厩舎へ引いていくと、レジー自ら先頭に立ってヴェイン辺境伯に話しかけた。
「ご無沙汰しています、辺境伯。早馬で連絡を送りましたが、慌ただしく訪問することをご容赦願いたい」
レジーは、ますます青年らしい出で立ちになっていた。改めて見れば、背丈も肩幅も、周りの騎士達と遜色ないほどになっている。
夜駆けのためだろう、目立たないよう黒のマントとフードを被っていたが、こぼれる銀の髪がたいまつの炎に照らされて赤金に輝いていた。
その姿に、キアラは泣くまいと唇を噛みしめる。
レジーが来た理由はわかっている。
サレハルドでも魔獣が頻繁に出没するようになり、それを扇動していたらしい人間を捕らえてみれば、ファルジアの者だったという事件があったのだ。
すぐに対処するようにというサレハルドからの要請と、エヴラールの事件とを鑑みて、国王は両国で事件の解決にあたることを提案し、サレハルドとの交渉の席を設けることになった。
その国王の代理人として、レジーが来たのだ。
時期と詳細以外はほぼ同じだった。
サレハルドとの交渉。
レジーがやってくること。
ならば既にルアインが兵を伏せていてもおかしくはないのに、エヴラール辺境伯家では何もつかめていない。
……レジーがここに来てから、どれくらいでルアインが攻撃を始めるんだろう。早くさっき捕まえた男から情報を聞き出したい。
焦れる気持ちを抑えながら立つ私に、レジーの護衛隊長として再びついてきたグロウルさんが辺境伯に伝えている。
滞在期間は二週間。
滞在するのはレジーとその近衛騎士が25人。
サレハルドとの交渉は、エヴラール辺境伯の城をお借りしたい……。
え、ここでやるの!?
驚いていると、レジーと目が合った。びっくりした? と聞きたそうな視線に、私はうなずいてしまいそうになる。
なんで、どうして。聞きたいけど、今は一侍女の私が口を挟むわけにはいかない。
そして私の不安は払拭されない。
サレハルドの一団を迎え入れるため、門を開いた瞬間を狙って襲撃してきたら?
交渉役だと思ったら、実はルアインの潜入部隊がそれに扮していただけだったとしたら?
ああ、早く捕まえた男が目を覚まして、白状してくれないだろうか。何のために魔獣を扇動しているのか、それがルアインの隠れ蓑だとしたら、ルアイン軍の居場所を教えてほしい。
カインさんに相談しようと思いながら、私はベアトリス夫人に付き従って居館の中に戻る。
レジーを迎えての晩餐へ向かうベアトリス夫人は、私が昼日中に戦闘をしたりしているのを考慮して、明日いっぱいまでのお休みをくれた。
捕まえた男の証言内容によっては、そちらに専念してしばらく侍女の仕事も休むよう言われる。
有り難くそれを受け、私はまず地下牢へと向か……おうとしたが、止められた。 先に来ていたカインさんが、私を制止したからだ。
「あまりキアラさんのような方が見るようなものではありませんよ」
やんわりと言われて、最初は理由がよくわからなかった。
「え、どうして……」
「尋問ならお見せしてもいいとは思うんですがね、それ以上になったらお見せできないものになりますから」
その言葉で察する。
もう捕まえた男は起きているんだ。そして今は尋問しているけど、芳しくないのだろう。
正直、前世の感覚が残っているせいで『それ以上』を想像するのが怖いし、やめてほしいという気持ちもある。けれどその犠牲を厭ったあまりに、エヴラールの人々を沢山死なせてしまうわけにもいかない。
私は聞かなかった振りをして、遠ざかることしかできない。
でもこうして耳を塞いでいる間に、カインさん達が私が受け入れられないことを肩代わりしてくれているのだ。それがとても後ろめたい。
「どうも雇い主に義理立てしている者のようで、時間がかかっています。けれど弱みを握られてのことでもあるようで。酷い事にならないうちに、報告ができるくらいは聞き出せると思いますよ」
「そう……ですか」
私はうなずいて、部屋に戻ろうとした。けれど、カインさんが不意に私の手を掴む。
強く引き留めたわけではない。やんわりと、気になったのでふれた、という程度の力加減だ。
「あまり我慢しすぎなくてもいいんですよ」
何を言いたいのだろう。見上げると、カインさんが痛々しいものを見るようなまなざしを向けてきていた。
「まだあなたは成人したばかりだ。その年頃まで不幸が続いて、感情を飲み込むことを先に覚えてしまったのかもしれない。けれど慣れない事から遠ざかることに、負い目を感じる必要はないんですよ」
見透かされたのと、気遣ってもらえたことに驚いてしまう。そのせいか、素直に嬉しいと言って喜びたいのに、言葉を飲み込んでしまった。
だからなのか、カインさんが言葉を重ねて、私の心を軽くしようとしてくれる。
「女性は生死に敏感にならざるを得ない生き物です。殺すことを怖がる人の方が、感覚としては正しいのだと思いますよ。同時に、私達としても女性には見せたくないとも思いますしね。汚れ役をした後は、綺麗な存在と関わりたいものなので。あなたはそうやって庇われていて下さい」
「う……」
今、私の顔はゆでだこにも勝るほど赤くなっているに違いない。
だって綺麗な存在だなんて言われるとは思わなかったのだ。恥ずかしい。とてつもなくいたたまれない。
そんな素晴らしい存在じゃありませんのでと、土下座して撤回させたくなる。
あああ、こんなことなら、すぐに「ありがとうカインさん」とか言っておけばよかった! そしたら、こんな恥ずかしい台詞聞かされなくて済んだのに!
ていうかこの世界の人って、さらっと格好良さそうなこと言っちゃうのが普通なの!? そんなわけないか? 料理人見習いのハリス君だって、中学の同級生男子とそう変わりない調子だったよ!?
それともあれだ。年の功?
いや考えてみればレジーだってそうとう格好つけたこと言ってなかったっけ? でもあの人の場合は、こう、変な色気でその場の空気がコーティングされてるみたいで、なんかすんなり聞いちゃうんだよ!
あまりのことに口がきけないながらも、片手で顔を覆ってしまったら、どういう反応が心の中で起きたのかお見通しになってしまったのだろう。カインさんがくくっと笑う。
「慣れていないんですね、誉め言葉に」
言い当てられて言葉もありません。
しかも余裕そうな態度で、手を握り直さないでくれませんか……。
どうしよう、これがもし前世だったら、ころっと転がり落ちてるよ私。翌日からカインさんの追っかけしたり、お菓子作って差し入れとかやらかしてるんじゃないかな!?
レジーを助けなきゃとか、アランにぐうの音もでない証拠を突きつけたいとか、死ぬかも知れないとかいう状況だから、そんな場合じゃないと自制できてるけど。
それでもどうしたらいいのかわからなくて、しまいに呼吸の仕方も忘れそうになる。
するとカインさんが言った。
「ああ、さっきよりも随分元気そうな表情に戻りましたね」
「え?」
「後悔しすぎるのも、落ち込みすぎるのも良くありませんよ。判断を狂わせます。さ、今はとにかく休んで下さい、明日のためにね」
「あ、はい……」
にっこりと微笑んで手を離され、私はうなずいてきびすを返して歩き出した。
えっと、これはもしや、思い詰めていた私の緊張を取り去るためだった?
そう思うと、恥ずかしさがぶり返す。
きっとカインさんだってそれなりにモテる人生を歩いてきただろうから、私みたいにのぼせる人間を何人も見て来ただろう。いつものことだと思って、気に留めないでいてくれると有り難い……じゃないと明日からやりずらいし。
そんなことを考えながら歩いていたからだろう。
いつも通り部屋に戻って中に入って、ふーっとため息をついたところで、ノックの音に素直に扉を開けたのだ。
「はい、誰です……うわっ!」
「開けながら確認したら、意味ないんじゃないかな、キアラ」
そこに立っていたのは、レジーだ。
「私の顔を見て驚くとか、ちょっとひどいよね?」
「あ、いやその全然予想してなかったもんだから、驚いて……」
と答えている間に、またしても人の部屋に入ってきっちり扉締めちゃうんだけど。なんか扉の外に、またグロウルさんが待機してるの見えたよ!?
「レジー。あなたも私も成人したのに、これまずくないの?」
これ、と言いながら扉を指さすが、レジーは表情をちらとも変えない。
「問題ないよ。キアラは問題があるの?」
「いやその、だってそっちは王子なのにほら、変な噂が立ったら……」
まずいでしょう? いずれ王様になる人がさ、女使用人の部屋に入り浸ってるとか言われたら、遊び人だと思われてイメージが傷つくんじゃないの?
「噂が立つくらい別に。むしろ君の評判を気にするべきかな? 私と噂をたてられるのは、迷惑?」
嫌だとは言えない……。
なにせ自慢して回りたいほどの、カッコイイ友人だ。噂だけでもたてたい人は沢山いるだろうし、私だって嫌じゃない。
でも逆に、レジーのスペックが高すぎて、今現状で何の力も持ってない私に本気になったりはしないだろうと思うんだけど。
むしろ、気が無いからこそホイホイと女子の部屋に入って来るんじゃないの?
そんなことを悩む私に、レジーがさらにささやく。
「それより、今までどこへ行っていたの?」
唐突に方向性の違う質問をされて、私は思考がついていけなくなりそうだった。
すぐに答えが出てこないことに、レジーは変な疑惑を抱いたのだろう。
「私には言えないような、悪いことをしていたの?」
「い、言え……」
ないや。
とてもじゃないが話せないよ! うっかり「言えるもん」とか口に出しそうになったけど、言わなくてよかった!
私ってはレジーの約束破って魔術師に襲い掛かったり、その仲間をひっつかまえたり(主に実行してくれたのはカインさんだけども)その尋問結果を待ってもう一度魔術師を捕獲に突撃しようと思っているのに。
でも何も言っていないのに、レジーの笑みがだんだんと怖くなってる気が……するんだけども?
「悪い子は、お仕置きするって言ったよね?」
レジー、その台詞ってナマハゲみたいだよ!?
心の中では茶化すようなことを考えながらも、私の頭の中は完全に修羅場だった。
え、何? 何かもうバレてて、だから悪い子呼ばわりしてるの? と。
緊張で背中に汗がにじむような気がする。
レジーが一歩私に近づいた。一歩遠ざかりそうになったが、
「後ろ暗いことがないのに、どうして逃げるの?」
言われて立ち止まると、侍女の部屋なのだからと置いてくれていたソファに、私は手を引かれて座らされた。
レジーのすぐ隣だ。しかも掴まれた手はそのままである。完全に尋問される態勢だ。内心で震えあがりながら、うっかり白状しないように緊張していたのだが、
「まずは、伯母上を助けたのはいいけれど、君は囮になったあげくに、スカートを捲り上げたらしいね?」
「捲ってなんていなくて! 走りにくいだろうからちょっと足元をすっきり……うぁぁ」
反論した後で、頭をかかえそうになった。いや、抱えようとしたけど、それより先にレジーに両手とも掴まれてしまった。しかもレジーは身を乗り出してくる。
「まぁ、それは君にとっての危機も回避したということで、少しは我慢しようと思う」
「お、怒られない?」
「保留ということにするよ……代わりにアランが君の分まで被ってもらうつもりだけど」
近づいたその顔に、私はソファーにのけぞるように遠ざかろうとした。
こんな至近距離でも変に見えない顔って、本当にすごいな! とか余計なことを考えてしまうのは、恐怖から逃れたいからかもしれない。
ていうか、アランが被るって何? よくわからないけども、そもそも私、どうしてこんなにレジーに怒られてるの?
「あの、でもレジーは別にお父さんでもないのに、どうしてそんな……ひっ」
レジーが口を耳元に近づけた。
「君を拾うようアランや辺境伯に勧めてそうさせたのは私だよ。君のことに責任を持つのは当然だよね? もちろん目に余る行動があれば、直すように言うことも私の役目だと思うんだ。君の最終的な保護者は私なんだからね」
「うぅ……」
納得するしかない。確かに王子のかわいそうな子を助けたいという望みを叶えるため、辺境伯は私を雇ったのだ。なら、最初に助けたいと望んで、辺境伯家に負担を強いたレジーにも責任と言うのはあるだろう。
「で? さっきはどこに行っていたのかな? というか、最近頻繁に城の外にウェントワースと出かけていると聞いたよ?」
こ、これは……確実にレジーは知っている、と私は理解した。
誰かに私の行動について聞き、約束を破ったと確信したからこそ、問い詰めに来たのではないか。そうとしか思えない。
「もちろん、命じられたことだったら君のせいではないから、確認はしたんだよ? そうしたら辺境伯も、事情はキアラに聞いた方がいいというのでね」
ヴェイン様……梯子外したんですかい。
そんなことされたら、もう私は落下するしかないじゃないですか。
「もう……知ってるんでしょう?」
私が言うと、肌のきめまで見えそうなほど近くにあったレジーの表情が曇る。
「……私との約束を破ったこと、だね。焦らなくてもよかったはずだよキアラ。こちらも最大限状況を変更させようとしてきたんだ」
「サレハルドとの会談場所の変更のこと?」
レジーはうなずく。
「サレハルドの交渉役にも王族が来る。だからあちらもそこそこの兵力を割いているはずだ。あと、隣の二つの領地を治める貴族に、領地の境界に軍を待機させてくれるように依頼した。エヴラールで被害を発生させている魔獣が、そちらにも流れていくかもしれない、という名目でね。万が一の増援として呼ぶ話もしているし、エヴラール領内までゆっくりと進軍してくるはずだ。魔獣退治の名目だから、それほど大規模ではないけれど」
「増援? 本当に!?」
増援がくるのなら。もしかしたら攻城戦でも城の中に踏み込まれずに済むかもしれない。
思わずほっと笑みが浮かんでしまう私に、レジーが微笑んでくれる。
「ようやく笑ったね、キアラ」
そう言って手の拘束を解いて、私の頬をそっと撫でた。
まるで寄り添う恋人みたいな仕草に、心臓の鼓動が強く跳ねる。
「けど、私が努力をしても、君には不足だったみたいだね。どうしたら君は満足してくれるんだろう」
「そうじゃないよレジー。私だってレジーに死んでほしくないから。だからできることを全てやって……」
なんとかわかって欲しくて説明しようとしたが、途中で言葉は途切れてしまう。
頭を抱えるようにして、レジーに抱きしめられたからだ。
肩口に埋まるようにして口が塞がれてしまった私は、レジーが耳上をかすめるようにして唇を寄せたことに、背筋がふるえそうになった。
「いくら茨姫が何も言わないからといって、無事でいられる保証もない。絶対はないんだ。もし君が……それで砂になったら。他の人がもし砂になったとしても、本人が決断したのだからと私は諦めるだろう。けど、君が相手だとどうしていいのかわからないんだよ。だから約束させて止めたのに、どんな約束なら君を拘束できる? もう、どこかの部屋の中に軟禁するしかない? それでも君は飛び出すだろう。本当は鎖でつないでしまいたいけど、君に嫌われるのは嫌なんだ」
私はその言葉にこもった熱に、圧倒されていた。
鎖でつないで監禁したいほど、私を閉じ込めて死へ向かわせたくないといわれているのに。怖いことを言われているはずなのに、拒否できる気がしない。ただ熱に流されてしまいそうになる。
死なせたくない。そう思うのは私だけ、なんて。
言われて、こんなにも辛い気持ちになるとは思わなかった。胸が苦しくて、呼吸困難になりそうだ。これがレジーのお仕置きだというのなら、なんて辛いのだろう。
空気を求めて上を向けば、レジーの青い瞳と視線が合う。
何かを渇望するようなまなざしに、私も今同じような目をしているのだろうと思えた。
だから多分、二人とも同じことを考えている、と感じた。相手を死なせたくない。そのためならどんな無茶もするだろうと。
同じ望みなのに、噛み合わない。
それをわかっていてお互いに無視している。
だからせめて、気持ちの強さだけでも相手に伝えたくなって、そんな想いが少しずつお互いの距離を近づけそうになって――。
その時、扉が強くノックされた。
同時に、窓を通して部屋の中にまで響いてくるのは、金槌で叩く警戒を促す半鐘の音だ。
我に返り、急いでレジーから離れた私は、扉をすぐさま開けた。
そこにいたのは、厳しい表情のグロウルさんだった。
彼は私と、立ち上がったレジーに告げた。
私とカインさんで捕らえた男が白状したらしい。
ルアインの軍が、既に国境の近くまで迫っていることを。