We Live in Dragon’s Peak

Black Dragon Double

 わけがわかりません。

 なんでこうなった?

 僕は黒竜の子供らしいリリィの背中に乗り、空を逃避行中。

 僕とリリィを追うように、魔王とみんなを乗せたレヴァリアが追いかけてくる。そしてその背後から、数百の黒翼の魔族が迫ってきていた。

「にげろー」

 呑気に叫ぶリリィ。

 ひとつ羽ばたくと、ぐんと視界が流れる。

 さすがは古代種の竜族。飛行速度はニーミアに匹敵する。

 眼下の景色が、認識できないほどの速度で流れ去っていく。

「捕まったら殺されちゃいますよー」

 いやいやいや。それってどうなの?

 危機感の全くない悲鳴は、猿芝居のなにものでもない。

「ねえねえ。こんなやり方で、本当に北の魔王の国に侵入するの?」

「侵入するんじゃないですよ。少なくともリリィたちは」

「……」

「リリィは魔王様に粗相をして、エルネア君と逃げるのです。その先がたまたま、北の魔王の領国なんです。魔王様たちはそれを追って来ているだけですよぉ」

 無茶苦茶だ!

 何をしたら、そんな三文芝居のような話が出来上がるんですか!

「でもこれって、絶対散歩とは言わないですよねぇ」

「……君も魔王の理不尽な言動には気づいているんだね」

「気づいても指摘できないですよ。殺されちゃいますからねぇ」

 魔王、恐るべし。

 さすがは魔王と言うべきなのか。

 やはり魔族と言うべきなのか。

 それとも、他国を攻める理由なんて、そもそもこういう意味不明なところから始まるのかな。

 僕にはわからない。

 わからないけど。

 ただひとつ言えることは。

 巨人の魔王は理解不可能です!

「それにしても、エルネア君も災難ですよねぇ」

「なんで?」

「だって、男って理由だけで飛竜さんから追い出されちゃうなんて」

「ああ、そう言われると、理不尽だよね」

 出撃前。巨人の魔王が言いました。

「飛竜には女だけで乗るとしよう。其方はリリィに乗って行け」

 レヴァリアの非難めいた瞳と、みんなの「一緒に連れて行って」という心の叫びを背中に受けながら、僕は魔王の言葉に従うしかなかった。

 そして、魔王は更に言う。

「リリィ。北の魔都に向かって逃げよ。私らは其方を追う。飛竜に追いつかれたらお仕置きだ」

「お仕置きって、痛いですよねぇ」

「逃げる途中で邪魔をする者は容赦なく排除しろ」

「国境警備軍を潰せってことですよねぇ」

「魔都に着いたら休憩を許す」

「そこまではリリィに全部押し付ける気ですよねぇ」

 リリィの言葉は黙殺され、全ては魔王の思惑の上で動き出した今回の作戦。

 名目上は、魔王と黒翼の魔族は、粗相をしたリリィを追いかけているだけ。

 北の魔王クシャリラの国で暴れたのはあくまでもリリィ、ということになるらしい。

「あ。国境ですよ」

 リリィの背中に乗って飛び始めてしばらく。北へ北へと進んできた先に、堅牢な砦が見え始めた。

 険しい地形を縫うように、南北に延びる街道。それを遮るように、高い防壁と分厚い岩壁で築かれた砦。

 リリィが砦の上空に近づいてくると、複数の魔族が空に舞い上がってきた。

「控えよー。陛下の御通りですよぉ」

 きゅうんとリリィが鳴くと、警戒に空へと上がった魔族はすぐさま砦へと引き返した。

 多分、作戦が国境の砦にまで届いているんだろうね。

 というか、君も可愛く鳴くんだね。

「懐に隠れている子も可愛く鳴くんですか?」

 おや。ニーミアに気づいていたんだね。

 ニーミアは結局、僕の懐に隠れたままだった。

 ふるふると震えていたら、プリシアちゃんのもとに戻る機会を失って、そのまま僕の懐のなかに隠れていたんだよね。

「んにゃん。こわいにゃん」

「リリィが怖い?」

「魔王が怖いにゃん」

「魔王様は怒らせなければ怖くないですよぉ」

「でも、何をしたら怒るかわからないから、やっぱり怖いよね」

「にゃあ」

 見つかってしまったニーミアは、仕方なく顔を出す。

「大丈夫ですよ。ニーミアはリリィが守ってあげます。お姉ちゃんですから」

 姉妹が増えた!

 なんて和気藹々としている場合じゃない。

 巨人の魔王側の砦を抜ければ、いよいよ北の魔王クシャリラの領国になる。

 今しがた見た砦と同じような堅牢な要塞が、険しい陸地の北側に現れる。

 南方から黒い翼竜と、それを追う紅蓮の飛竜。そして明らかに軍属である、規律正しく飛行する黒翼の魔族が高速で接近してきて、北の要塞は急に慌ただしくなる。

 有翼の魔族が幾つかの編隊を組み、偵察に上がってきた。

 地上では要塞の各所に魔族軍が素早く展開し始める。

「さぁて、やっちゃいましょう」

 呑気な会話は終わった。

 リリィは古代種の竜族らしい計り知れない竜気を膨らませ、戦闘態勢に入る。

 大きく開いた口の奥が、闇色に染まる。

 穏やかだった金色の瞳に、鋭い輝きが映る。

 耳を切り裂くような軋み音が、空と大地に響き渡った。

 僕はリリィの背中の上で立ち尽くし、ニーミアはあまりの光景にふるふると頭を振って、また懐のなかへと逃げ込んだ。

 つい先ほどまで前方に堅牢な姿を見せていた要塞は、突然出現した巨大な黒球に呑み込まれた。そして軋み、切り裂かれ、押し潰されるような耳に不愉快な音が響いた後。

 黒球が消え去ると、そこにはもう堅牢な要塞は存在しなかった。数百年間放置されたような崩壊した基礎と、荒れた地面が剥き出しの廃墟に、言葉を失う。

 編隊を組み空へと上がっていた魔族も、その壮絶な光景に絶句したように、自分たちがつい先ほどまで守っていた要塞の廃墟を見つめていた。

 リリィは生き残った魔族には目もくれず、北進する。

 背後から追ってくるレヴァリアも無言で後を追ってきた。

 だけど最後に通過した黒翼の魔族の手により、編隊を組んでいた魔族はことごとく落とされた。

 言葉が出ない。

 リリィの竜術の破壊力。

 要塞を守っていた魔族の命。

 容赦なく生き残りも殺してしまう残虐さ。

 これが戦争……?

 僕の生まれ育ったアームアード王国と、隣接するヨルテニトス王国。二つの国は互いに軍隊を持ってはいる。だけど建国以来、一度も仲違えをしたことはなく、戦争を経験したこともない。

 おとぎ話や架空の物語では、よく戦記ものや大規模な戦いを描いた話を読んだりした。

 だけど現実。目の前で大規模な争いが起き、その真っ只中に立ったとき。

 人であれ魔族であれ。軽く扱われる命に絶句してしまう。

 かといって、リリィに命を大切に。とは言えない。彼女はただ、巨人の魔王に従っているだけ。リリィもまた、魔王に逆らえば命はない。他の多くの命よりも、自分の命の方が大切なのは、誰だって一緒なんだ。

「勘違いしないで。魔王様は打てる手は打ってきたんだよ。それをことごとく拒絶したクシャリラが悪いんだよ」

 リリィは、巨人の魔王が気分で北を攻めているのではない、と擁護したいんだね。

 うん。それはわかっているよ。

 ミストラルが喚ばれたときから気づいていた。

 巨人の魔王は、竜人族と友好関係を築こうとしていた。だから竜王のウォルを仲介役に、西の事件や竜人族と魔族とのいざこざを解消しようとしてきた。

 でもそこに横槍を入れてきたのが、北の魔王クシャリラ。北部竜人族を謀り、竜峰に騒乱を呼び込んだ。そしてその機に乗じ、軍を竜峰北部へと送り込んだ。

 巨人の魔王としては、北の魔王を抑えられなかったことで、面子を潰された格好になったわけだね。

 だから、強硬手段に出た。

 でもこれって本当は、巨人の魔王には関係のない騒動なんだよね。

 あくまでも、騒いでいるのは竜人族たち。裏に北の魔王の影が見え隠れしているけど、国の違う巨人の魔王は、本当なら無関心でも良かったんだ。

 だけど、こうして介入してくれている。

 なぜだろう?

 巨人の魔王はなぜか、ミストラルに対して強い関心を持っている様子。そこに理由はありそう。

 巨人の魔王とミストラルの関係は不明だけど。

 巨人の魔王は僕たち、というか竜峰と竜人族に味方してくれた。

 でも、同種族に手を挙げる以上、巨人の魔王も何かしらの負債は抱えないといけない。そして僕たちは、協力してもらっている以上、巨人の魔王が負う負債から目を逸らすわけにはいかない。

 巨人の魔王が行っていることは、他人事じゃないんだ。なら、僕たちは巨人の魔王と一緒に責任を背負うべきなんだろうね。

 そして。

 一瞬にして、眼下で失われた多くの命。これから更に失われるだろう、魔族たちの生命。そこから目を逸らすわけにはいかない。

 リリィと一緒に僕が先頭を行く理由。それは、僕や竜人族、竜峰の騒動を自らの力だけで抑え込めなかったことで、どれだけの命が消えるのかを、巨人の魔王は見せつけているのかもしれない。

「考えすぎだとおもうけどー」

「にゃあ」

「そうかな?」

 巨人の魔王の考えはよくわからない。というか、言動が無茶苦茶で理解できない。

 西の村で会ったときのような、魂が縮み上がるほどの恐ろしい気配が本性なのか。先ほど魔都で見せたような、穏やかな雰囲気が本来の姿なのかさえもわからない。

 魔王の本性や思惑なんてわからない。だけど、だからと言って間違えないように気をつけておこう。

 いま起きたこと。これから起きること。その全てで失われる命の責任の一端は、僕たちにあるということを。

「ようし。エルネア君の決意と覚悟にやる気が出てきました。一気に行きますよー」

 いやいや。意気込んで必要のない殺戮はしないでね。

 僕の心を読んだリリィは可愛く鳴くと、加速した。

 南から延びる街道に沿って北上する。

 高速で空を飛んでいると、一定規模の街や都市を通過するごとに守備軍の魔族が現れる。それをリリィは一瞬で蹂躙し、一路魔都を目指す。

 人族にとっては、下級といっても魔族は恐ろしい存在。

 去年。王都近郊の遺跡で下級魔族の待ち伏せに会った際。勇猛果敢な王国騎士の人たちでさえ、小鬼に苦戦していた。あれはリステアたちが居てくれたから助かったようなもの。

 魔族と人族には、種族の差がそれくらい明確にある。

 その魔族。しかも訓練を受け、戦闘専門の魔族軍を木っ端のように蹴散らすリリィ。

 人族よりも強く恐ろしい魔族。それを上回る戦闘力を持つ竜人族。そして竜人族でさえ恐れる竜族の、更に上位種。

 黒竜リリィの進む先に、行く手を阻められるほどの障害は存在しなかった。

 あえて低空で飛行し、襲いかかってくる魔族や守備軍を葬っていくリリィ。

 取りこぼしを、後方から追ってくるレヴァリアと黒翼の魔族が蹴散らす。

 完全な奇襲となった僕たちの行軍は、瞬く間にクシャリラの領国を鋭利に侵していく。

 そしていよいよ。

 前方に巨大な都市が姿を現わす。

 高い城壁に何重にも守られた魔王城が、都市の中心部にそびえ建つ。

 王都の守備軍であろう、多くの魔族が揃いの鎧に身を包み、飛来する僕たちの眼前に展開する。

 魔都を包むように、ゆらりと景色が揺れた。

「すごいですねぇ。一瞬で結界を張られましたよ。軍の展開も早いです」

 ごくり、と唾を飲んで緊張する僕とは逆に、リリィは大して気にした様子もなく守備軍を見据える。

「さぁ、あと一息。いっきに滅ぼしましょう」

 ばさり、とリリィは翼を大きく羽ばたかせ、空と地上に展開した魔都守備軍に向かって突っ込んだ。

 一斉に放たれる魔法の雨。

 リリィが鋭い咆哮をあげると、魔法が消失する。逆にリリィの口から放たれた漆黒の光線が、空に展開した魔族を薙ぎ払う。

「突っ込めー」

 リリィは迷わず空にできた穴に突入する。リリィが羽ばたくと、竜気が乱舞し、漆黒の闇が周囲に広がり出す。

「ぎゃああぁぁっ」

 魔族たちに悲鳴が広がった。

 漆黒の霧に触れた魔族は身体を溶かしながら、地上に落ちていく。

 地上から放たれた魔法は、闇の霧に吸い込まれて消える。

 闇の霧は瞬く間に広がっていき、地上の魔族軍も飲み込む。

 悲鳴は地上にまで広がった。

「消し飛べぇ」

 リリィは急旋回をして、太く長い尻尾を振るう。すると、陶器のような乾いた音ともに、侵入を阻んでいたであろう結界が割れて吹き飛んだ。

 どんだけ無双なんですか!

 古代種のリリィの前では、全てが雑魚だった。

 結界を破ったリリィは、魔都の上空へと侵入する。

 魔族が地上で逃げ惑う。

 魔都のなかにも配備されていた軍が、リリィに迫る。

 長槍を構え、建物の死角から急上昇をしてきた魔族。だけど、闇の霧のなかから放たれた魔法が魔族を撃ち抜く。

 闇の霧をかい潜り姿を現したのは、黒翼の魔族たちだった。

 レヴァリアは霧を避け、遥か上空から魔都へと侵入する。そして劫火の息吹で、魔族の軍を焼き払う。

「おーいーつーかーれーちゃーうー」

 きゃぁと悲鳴をあげ、リリィは羽ばたく。そして魔王城目掛けて一気に飛行した。

「うわっ、ぶつかる!」

 一瞬にして眼前に迫る魔王城の城壁。

 リリィは迷わず城壁に突撃した。