ぐうう、とお腹がなる。

 結局、昨日はアレスちゃんと分けたお菓子を食べただけ。一日中遊んでいたので、お腹が空くのは仕方がないよね。

 僕のお腹の悲鳴を聞いたアレスちゃんが、心配そうに僕を見上げる。

「おなかすいた?」

「うん、そうだね。古木の森になにか果実がなっていないか、探しに行こうか」

「いもいも?」

「いやいや、芋は見つけられても、火が使えないから食べられないよ」

「ちがうちがう」

 なにが違うんだろう、とアレスちゃんを見ていると、彼女は謎の空間から黄金の芋を取り出した。

「っ!?」

 そういえば、アレスちゃんにはそんな特技がありましたよね。というか、持っていたのなら早く教えてよ!

 いまさっき焼いたようなほくほくの芋をアレスちゃんから受け取る。保温機能つき?

 ぱりぱりの皮を剥ぎ、アレスちゃんと半分こにして食べる。

 口いっぱいに広がる優しい甘さが朝のお腹に嬉しい。

 アレスちゃんのおかげで、朝ご飯はなんとか乗り越えられたよ。

 お昼以降の問題はあるけど、まずは良しとしよう。午前中の間に、古木の森で食べ物を調達をすれば良いよね。

 でもその前に。

 朝になるのを待っていたかのように現れ始めた精霊たちをどうにかしないと!

 遊ぶ気満々で集まりだした精霊たちとこのまま今日も遊んでしまうと、試練に挑む時間がなくなっちゃう。

『あそぼう』

『たのしみ』

『なにする?』

 こちらの事情なんて御構い無しでしょうか。

 どうやってこの危機をやり過ごそうかと思案する僕をよそに、どんどんと集まりだす精霊たち。

 僕の試練とは、この無邪気な精霊たちを上手く御することなんじゃないだろうか。

「そんな妙ちくりんな試練があるものかっ!」

「うわっ」

 突然の容赦ない突っ込みに、驚いて辺りを見渡す。

 だ、誰!?

「やれやれ。昨日から様子を見ていれば、どうも間抜けな坊やだね」

「ア、アレスさん……? じゃないよね。アレスちゃんは僕に抱きついているもんね。それじゃあ……貴女は誰ですか?」

 そう。僕が間違えるのも無理はない。

 声のした方を見る僕。アレスちゃんは僕に抱きついたまま、同じ方角を見ている。そして僕たちの視線の先、霊樹の根元には、大人のアレスさんに似た妖艶な女性が立っていた。

 直感で気づく。

 霊樹の精霊さんだ。

 周りに集まりだしている精霊さんとは異質な気配。妖艶な雰囲気。そして、アレスさんに似た風貌。

 大人の精霊は精霊力を蓄えなきゃ成れないはずだけど、この女性は最初から成人の姿をしていた。それだけで、普通の精霊とは違うとわかる。

「わかっているなら話は早いね」

 目を細め、ころころと笑いながら近づいてくる女性。

「エルネア……という名前だったか?」

「はい。初めましてでしょうか?」

「なにを言う。東の地で手伝ってやったではないか」

「そ、そうでしたっけ?」

「忘れているなら、それはそれで良い。ただし、私の要望を受けてもらおうか」

「ええっと、どういうことでしょう?」

 話の流れがわかりません。

 突然現れた成人の霊樹の精霊さんは、僕になにをさせようとしているのかな。

 霊樹の周りに集まりだしていた精霊たちは、霊樹の精霊の女性には近づこうとしない。アレスちゃんとは仲良く遊ぶのに、この女性には近づかないんだね。

 本当に特別な存在なのかもしれない。

「私はエルネアの舞をもう一度見たいのだ。東の地で手伝ってやったのだ。エルネアは私にお礼をせねばなるまい?」

 そう言われちゃうと、断れないです。

 だけど、いまの僕は白剣も霊樹の木刀も所持していませんよ。無手で竜剣舞を舞うのはなぁ、と思っていると、女性は違うと首を振る。

「エルネアはわかっていないね。とにかく、私の要望を聞いて舞いなさい」

 僕はなにがわかっていないんだろう。という疑問はさておき。ヨルテニトス王国でお世話になった精霊たちに恩を返すことは本望です。

「だけど、本当に無手で良いんですか?」

「わかっていないと言っただろう。戦いを所望しているわけではない。エルネアの舞が見たいのだ。無手では舞えんか?」

「やったことはないですけど、頑張ってみます」

 これまで、竜剣舞を舞うときは必ず手になにかを握っていた。薪にする枝だったり、白剣や霊樹の木刀だったり。無手で正しく舞えるのか自信はないけど、試してみよう。

 僕のやる気に反応して、アレスちゃんが離れた。そして女性の側へ。

 女性はアレスちゃんの手を取り、霊樹の根元に腰掛ける。

 現れた精霊たちは期待するように僕の周りに集まりだした。

 多くの視線に晒されている状態を意識しながら、しかも無手で舞うことに緊張を覚える。

 心を落ち着かせるように、目を閉じて精神統一をする。

 さて、無手で初めて竜剣舞を舞うわけだけど、だからと言って失敗しても良いとは思わない。恩返しなんだし、手抜きはできないよね。

 目を閉じたまま、両腕を広げた。両手の軽さが心許なく感じる。

 意識しよう。両手にはなにも握られていないけど、いつものように剣先まで集中するように竜気を練る。

 そしてゆっくりと舞い始める。

 これは戦いのための竜剣舞ではない。

 どちらかと言えば、死霊や亡霊を昇天させたときのような浄化の舞。

 女神様に捧げるような神楽だ。

 敵意ではなく、感謝を込めて無手の竜剣舞を舞う。

 霊樹の周りに溢れ漂う澄んだ竜気が、竜剣舞に合わせて乱舞し始める。

 足先、体裁き、指先にまで細心の注意を払い、相手を倒すためじゃない、魅せる舞を心がける。

 舞い始めれば、周囲の精霊たちの視線は気にならなくなっていた。

 精霊たちに感謝を込めて、心から舞う。

 これまでにない特別な舞かもしれない。

 手を振るごとに、高く足を上げるごとに心が澄み渡っていく。そして清い心で舞う竜剣舞は、一切の攻撃性を排除された神聖なものに感じ取れた。

 舞とは本来、こういったものだよね。

 誰かを傷つけるものではなく、魅了し幸せを運び、喜びを呼び起こす。

 戦いのための竜剣舞を否定しているわけじゃない。だけど、攻撃性の裏にある舞本来の意味を見失ってはいけない。

 剣聖ファルナ様は、戦いの舞で見る者や対峙者を魅了するという。それはつまり、戦いのなかにおいても舞の本質を見失っていないからじゃないのかな。

 僕にはまだ到達できていない領域だ。

 そうか。と気づく。

 スレイグスタ老に教えられ、ミストラルと手合わせをし、試行錯誤で自分らしい竜剣舞を手に入れた。

 では、次に目指すべきものは、その更に先。

 剣聖ファルナ様のような、全てを魅了する舞かもしれない。

 そうすると、いまの僕にはなにが欠けているんだろう。

 型通りに舞える。竜気の扱いにも繊細な気配りができる。独自の技を織り込ませることができる。

 動きは完璧と言える。

 そんななかで足りないもの。

 それはやはり、見る者を魅了する力かな。

 舞姫のような心躍る舞。情熱的な動きが僕には足りない。

 基本を納めたのなら、次は応用が必要になってくる。

 目を閉じれば、舞姫のあの熱い舞踊を鮮明に思い出す。

 お手本はそこにある。

 流れる動き。緩急をつけた動作。情熱を乗せた舞。見る者を意識した竜剣舞を舞う。

 一心不乱に。だけど精霊たちやアレスちゃんが観ていることは忘れずに、竜剣舞を舞い続けた。

 どれほど舞い続けたのか。

 疲労で集中が途切れ、竜気や手足が乱れ始める前に竜剣舞を終わらせた。

 天高く上げた両手。息切れする呼吸。

 全身汗まみれになってていた。

 拍手の代わりに、精霊たちの嬉しそうな騒ぎを目にする。光の粒は乱舞し、獣や爬虫類の姿をした精霊は跳ね回り、人型の者は竜剣舞を真似たように小躍りしていた。

「まあまあかしらね」

 だけど拍手をしながらも、霊樹の精霊の女性にそう言われて苦笑した。

「ごめんなさい。途中から自分のために舞っていましたよね」

「いいや、それで良い。私が求めていたものは、むしろ後半の舞だ」

「そうなんですか?」

「私と戦いたいのなら、前半の舞でも良いが?」

「いいえ、遠慮します」

「ならば、エルネアは間違えていない。ということで、私が満足するまで舞ってもらおう」

「えええっ!」

 僕は今回の試練の課題を見つけたかもしれない。

 竜剣舞を更なる高みへと昇華させること。

 だから舞うことには抵抗を感じないけど、霊樹の精霊の女性が満足するまでだなんて、体力が保つかな。

 だって、昨日からまともに食事をしていないんだよ?

 昨日のお菓子と今朝の芋だけじゃあ、お腹が減って倒れちゃう。

 現に、舞終わった僕のお腹は先ほどから苦情の声をあげていた。

「やれやれ。困った坊やだね」

 そう言って女性は、アレスちゃんのように謎の空間からなにやら取り出してきた。

「そ、それは……」

 ごくり、と喉が鳴る。

 黄金の芋も甘くて美味しかったけど、女性が手にする果物には残念ながら及ばない。

「特別に霊樹の果実を分けてやろう」

「やったー!」

 女性の好意に、僕は飛び跳ねて喜んだ。そして熟れた果実を受け取り、頬張る。

 至高の甘みが口に溢れ、全身に染み渡る。

「スレイグスタには内緒だぞ」

 はい、と頷きながら、僕は霊樹の果実を食べた。

「いもいも?」

「しかたないねえ」

 アレスちゃんはもうひとつ芋を取り出すと、女性と物々交換をする。そして自分も美味しそうに霊樹の果実にかぶりついた。

 周囲の精霊たちが羨ましそうにこちらを見ていることに気づき、気まずくなる。

「今日だけ特別だからね」

 それに気づいた女性の大盤振る舞いで、精霊たちが嬉しそうに一層騒ぎ始めた。

 そして更に思いつく。

 そうだ。試練はなにもひとつじゃなくていいんだよね。

 もうひとつの試練を思いつき、僕はやる気に燃え上がる。

 なにがなんでも試練を克服し、一皮剥けた僕をみんなに披露しよう。

 竜剣舞は現在、戦いのための舞、浄化を目的とした清めるための舞に分かれている。僕はこれに、見る者を魅了する舞と女神様や霊樹に奉納する神楽のような舞を付け加えたい。そして、その全てを合わせた竜剣舞を完成させたい。

 簡単にはできないだろうけど、今回の試練には丁度良いよね。なにせ目の前には、霊樹の精霊が二人も居るんだし。しかもひとりは僕を甘やかせてくれるし、もうひとりは厳しく批評してくれそう。

 そしてもうひとつ。

 霊樹の果実で思いついた二つ目の試練を達成できれば、ずっと思い悩んでいたことも解決できて一石二鳥じゃないかな?

「面白い悩みだこと」

 僕の思考を読んだ女性が笑う。

 精霊さんにはわからない悩みですよ。でも、僕にとっては切羽詰まった悩みだったんだ。

「面白そうだから、手伝ってやろうかしらね」

「やったー! よろしくお願いします」

 僕の悩み相談に乗ってくれるらしい女性にお礼を言い、さらにやる気が出る。

 こうなれば、年内に無事に達成できるかは僕の努力次第。

 こうして、二つの試練を見つけた僕の厳しい修行は始まった。