We Live in Dragon’s Peak
Return trip
年が開けると、早い人はすぐに故郷へと戻るらしい。辛い一年だった人たちは、なるべく早く戻りたいだろうからね。
もしかすると、同級生徒の何人かはもう王都へと帰っているかも。
ごめんなさい。実家は……
僕も嫌々な一年間だったら、年が明けた翌日には泣いて実家に駆け込んでいたに違いない。
だけど、幸いにも充実したこの上ない一年を送ることができた。大切な仲間や家族、お嫁さんもいっぱい増えた。
平地で生きる人々の間では、竜峰は人族の住めるような環境ではない、というのが常識になっている。たしかに、厳しい自然や恐ろしい魔獣、人なんて到底敵わない竜族が跋扈する天外魔境で、言われるように凄腕の冒険者でも忌避するような土地なのは間違いない。
僕だって、誰かの手助けなしで孤独ななか竜峰で暮らせと言われたら、いまでも絶対に無理だと断言できる。
でも、僕は独りじゃない。
「エルネア君、忘れ物はないですか?」
「うん。母さんと父さんへのお土産も持ったし、大丈夫だよ」
「雪解けが遅れているわ。急斜面や川の近くは気をつけて」
「道は大丈夫かな?」
「脇道に逸れないこと。集落と集落を繋ぐ道は通行が再開されているから大丈夫なはずよ」
コーアさん曰く、数十年に一度の大寒波に見舞われた竜峰には、まだまだ雪がうず高く降り積もっている。
旅好きの竜人族はそんな竜峰もまた美しい、なんて僕にはわからない心理で、背丈の数倍に積もった雪山へと足を踏み入れていた。そして彼らがたくましく進んだ後に、道ができていた。
旅人は、まずは隣の集落へと足を延ばす。そうして村と村との間に通行できる道が生まれると、今度は深い雪山や真っ白な森へと道を伸ばしていく。そうして、冬の間は竜峰のなかで点だった集落を線で繋ぎ、狩場や採集場へと広げていく。
竜王と呼ばれる人たちは竜人族を代表するような者たちで、僕もその末席にいるわけだけど。春先にこうして真っ先に村を出て交流を再開させる旅人もまた、竜人族が讃える者たちだった。
「それじゃあ、行ってきます。今度は王都で会おうね」
ミストラルの村のみんなが見送ってくれるなか、僕はいよいよ帰郷に向けて歩き出す。
竜人族の人たちの助言を受けながら準備をした荷物を背負い、力強く出来立ての道を踏みしめた。
「んんっと、夜ご飯までには帰ってくるんですよ」
「いやいや、夜も帰ってこないからね。何日間かあとに、王都で会おうね」
少しぬかるんだ道に転けそうになっちゃったよ。
プリシアちゃんの最近の流行りはミストラルの物真似で、よく僕たちを笑わせてくれる。
腰に手を当てるプリシアちゃんの可愛らしさに、見送ってくれていたみんなが笑う。プリシアちゃんだけはよくわかっていないようで、小首を傾げていた。
入れたばかりの気合をごっそりと抜き取っていくようなプリシアちゃんの冗談に笑みを零しながら、ずれた背中の荷物を背負い直す。
荷物のなかには両親へのお土産の他にも、旅の必需品が入っている。数日分の水や食料、まだまだ冷える夜に備えた防寒具。
それと、真っ白な日記帳……
旅立ちの一年の報告をしなきゃ、とみんなに協力してもらい、報告書を作成しようとはしたんだ。
だけど、いざ筆を持ち、紙を前にして。
書けないようなこと、書いても信じてもらえないような出会いや冒険、騒動ばかりで、手が動かなかった。
そして、僕の将来を考えてみて。
結局、報告書は必要ないよね、とみんなの意見が一致したんだよね。
僕はきっと、人族の社会では暮らさないと思う。生活基盤をどこに置くか、という部分はまだ決めきれていないけど、お役人になったり、双子王女様の威光で貴族生活、なんて望んでいない。
僕は竜峰や竜の森、そして禁領を行ったり来たりする生活になるんじゃないのかな。そうすると、人族の社会での評価なんて特に必要ではない。
じゃあ、無理に報告書は書かなくても良いのでは。ということに落ち着いた。
ルイセイネは義務として神殿に提出しないといけないということなので、その辺で僕の一年を補完してもらおうということになった。
そういうわけで、報告書兼日記は白紙のままだった。
僕は背荷物を抱え直すと、もう一度手を振って、今度こそ歩き出す。
ミストラルの村の北側にある小さな森は、戦士の人たちが修練に使ったりプリシアちゃんの鬼ごっこに利用されていて、すでに雪は少なくなっている。僕も見慣れた景色なので、ずんずんと進む。
森を抜けると、巣を作って生活しだしちゃった地竜の群れがいた。
群れで固まり、体温で雪を溶かして冬の寒さに抗っていた。群れの外側には体の大きな大人が陣取り、子竜たちは群れの中心で守られている。
僕に気づいた地竜の頭が首を動かしてこちらを見た。
『狩りか?』
「ううん、これから故郷に戻るんだよ」
『もう戻ってこぬのか?』
「必ず戻ってくるよ。人族の事情で一度帰らなきゃいけないんだ」
『そうか。送っていくか?』
「大丈夫。自力で下山することも修行のひとつだからね」
『気をつけることだな』
「心配してくれてありがとう。じゃあ、行ってきます」
地竜の頭と軽く言葉を交わし、いよいよ険しい山岳地帯へと足を向けた。
普段だと岩肌剥き出しの急斜面で、普通に歩いては通りたくないような場所。だけど今は深い雪で岩肌はすべて覆われていて、剣山のような景色になっていた。
「いやいや、雪に覆われていても通りたくないからね」
なんて独り言を口にしながら、目の前に広がる雪の剣山を迂回する道を進む。
ひとり旅で気が滅入らない方法は、独り言が一番だよね。
「こどくこどく」
「ありゃ。アレスちゃん、出てきちゃったのか」
そうだよね。
僕はどんな状況でも完全にひとりになることはない。霊樹の幼木が姿を変えた木刀と、僕自身に憑いている霊樹の精霊のアレスちゃんは絶対に離れない。
一年前。竜峰に入った僕はまだまだ未熟で、アレスちゃんには随分と助けられたっけ。
だけど、下山は自力で頑張るよ。
「がんばれがんばれ」
アレスちゃんも過保護に手を出す気はないみたいで、顕現しても一緒に歩いてくれるくらい。
誰かが傍に居てくれる。それだけで手助けになっている気もするけど、アレスちゃんは特別だから仕方がないよね。
「ミストお姉ちゃんは特別じゃないにゃん?」
「ううん、ミストラルもルイセイネも、みんな特別だよ」
「にゃんは?」
「……」
もちろん特別だよ、と言おうとして。
もぞもぞと背中の荷物から顔を出したニーミアをがしっと捕まえた。
「なんでニーミアが居るのかな!?」
そんな馬鹿な……
今度こそは自分だけの力で竜峰を進もうと意気込んでいたのに、出発直後には三人になっちゃった!
「極秘任務を受けているのにゃん」
冬でも暖かそうなぬくぬくの長毛に包まれたニーミアは、くりくりの瞳を輝かせて僕を見つめる。僕は捕まえたニーミアをどうしようと思いながら、足を止めていた。
「極秘任務ってなにさ?」
「教えられないにゃん」
「むむむ。誰から任務を受けたのかな?」
僕の質問に、ふいっと顔を逸らすニーミア。
「ミストラルだね?」
ぱちぱちと何度も瞬きをするニーミア。
隠し事が苦手だね、と心の中で呟くと、垂れた長い耳が更に垂れた。
「それで、どんな極秘任務なの? 教えてくれないと、ご飯抜きだからね」
「エルネアお兄ちゃんは意地悪にゃん」
「ふははははっ。さあ、ニーミアよ。我に白状するのだ!」
「魔王になっちゃったにゃん!」
ニーミアはじたばたと暴れるけど、僕の手のなかからは逃げられない。
「白状したことは秘密にゃん?」
「もちろん、秘密にするよ」
「約束にゃん」
「やくそくやくそく」
「お芋が食べたいにゃん」
「お主も悪よのう」
「にゃあ」
ニーミアの要望に、アレスちゃんが謎の空間から取り出した黄金の芋を渡してあげる。
謎の空間の先とか、後どれくらい芋を所持しているのかというアレスちゃんの不思議はさて置き。
賄賂を受け取ったニーミアははふはふとお芋を食べながら、極秘任務を教えてくれた。
「エルネアお兄ちゃんはひとりにすると問題を起こすのにゃん。だから監視して、問題が発生したら知らせるにゃん」
「問題を起こすって……好きで起こしているわけじゃないんだよ」
決して自ら騒動を起こしているわけじゃありません。だけど、確かにこの一年は色々な問題に首を突っ込んじゃったよね。
「よし、今年の目標は、平穏な毎日だー!」
新年の抱負、というには少し時期が遅れたけど、僕はこれを目標に頑張ろう。
「にゃあ」
きっと達成できないにゃん、と僕の竜心がニーミアの心を拾っていた。
なにはともあれ、先を進もう。旅は始まったばかり。最初でしくじっていたら、先が思いやられるからね。
アレスちゃんと手を繋ぎ、お芋を食べ終わったニーミアを頭の上に乗せて、歩みを再開させる。
まだ側面には険しい斜面の雪山が広がっている。この辺はまだミストラルの村が近くにあったり、地竜の群れの巣があるので、自然以外の危険性は低い。
だけどもう少し山肌を下り、森に入るといよいよ危険行程になる。
雪の降らない季節であれば、二日ほど歩くと隣の村にたどり着く。出発したばかりで体力も十分だから、夜営をせずに危険な森を一気に通過するのもひとつの手だね。だけどそのためには、立ち止まってのんびりしている暇はない。
冒険心たくましい旅人が作ってくれた細い道を、僕はしっかりとした足取りで進む。
どうやって道を作ったのかな?
雪の壁は背丈の数倍の高さで、それが綺麗に道なりに削れている。
冬の間、毎日雪かきをしてきた僕は知っている。雪は見た目からは想像もできないような重さなんだよね。そして下に積もった雪は圧縮されて更に固く重いんだ。屋根の雪を落とすことだけでも、慣れないと大変だった。広場の雪を退けるのは体力勝負で、本当に修行みたいだったよ。
綺麗で美しい雪は、実は強敵なんだ。その白い悪魔を除雪し、道を作る旅人はすごいね。
ザンのように炎で溶かしながら進むのかな? 風の竜術で飛ばすのかな? 大地を脈動させて、雪を飲み込むのかな?
僕には想像もできない方法で雪を掻き分け、道を作っているのかもしれない。
歩きながら、色々な想像に耽る。
僕は色々な体験で強くなったつもりだけど、こうして知らないことはまだまだある。
だから、好き好んで自ら騒動に首を突っ込むつもりはないですからね。
「にゃあ」
ニーミアは呑気に僕の頭で日向ぼっこをしながら、あくびをしていた。
鼻歌交じりのアレスちゃんは上機嫌。
周りはまだまだ雪景色だけど、春前の陽気が気持ちいい。
このまま順風満帆に旅が進みそうな気がする。
僕の予感はよく当たるんだよね。
足の運びも軽く、気分も良い。進むごとに少しずつ変化する雪景色を堪能しながら迂回路を越え、森へと入る。
森のなかにも道は続いており、迷うことなく歩ける。
「この辺には魔獣の銀狼が居るんだよね。注意しなきゃ。友達じゃないし。」
「にゃんがいるにゃん」
「いるいる」
「……はっ!?」
森には銀色の体毛をした巨大な狼の魔獣が生息している。とても凶暴で、竜人族の戦士でも手を焼くような相手なんだ。だから注意しなきゃ、と気合を入れた僕の心は一瞬で挫かれた。
気づくのが遅れたというか。
なぜ気づかなかった、と思うべきなのか……
僕の頭の上に乗っているのは、古代種の竜族で闘竜のニーミアなんだよね。
子供とはいえ、あの暴君と恐れられたレヴァリアよりも潜在能力は高い竜族なんだ。
レヴァリアよりも強い竜が僕の頭の上にいる。
更に、プリシアちゃんからたっぷりと精霊力をもらっている霊樹の精霊アレスちゃんが顕現し続けている。
それだけで、普通の魔獣や竜族は近づいてこない。
強者とは関わるな、それが自然の摂理。
つまり、古代種の竜族のニーミアと霊樹の精霊であるアレスちゃんにちょっかいを出そうと近づく愚か者は、この竜峰には滅多に存在しない。
なんてこった……
危険? どこですか?
「あああ、僕の意気込みがぁっ!」
今度こそは自力で竜峰を旅するんだ、という僕の気合は、旅立ったその日の午前中には跡形もなく砕け散っていた。