「レネイラよ、無事であったか」

 王様は、逃げ出した魔剣使いを追わなかった。代わりに、王妃様へと向きなおる。そして、グスフェルスの背中から不自由な身体をどうにか動かして降りると、王妃様とライラを同時に抱き寄せた。

「貴方、許して……。ごめんなさい……」

 王妃様は、王様の腕のなかで泣き崩れる。それを見た王様は、顔を綻ばせて王妃様の涙を拭ってあげた。

「なにを謝る。其方は賊に囚われた被害者だろうに?」

「いいえ、私のせいで……」

「なにが、其方のせいであるものか!」

「ですが、また貴方に迷惑をかけて……」

「ええい、馬鹿者め。其方の迷惑など、愛を受けるのと同じようなもの。これまでに儂が其方の迷惑を疎(うと)んじたことなどないだろう」

「貴方……」

 王様の、王妃様へ向ける深い愛を感じる。

 一夫多妻が許された立場でありながら、王妃様だけを妃として側に置いた。

 国を傾けた騒乱に関わっていながらも、どうにかして助けたい、そんな想いが幽閉という処置に含まれていたのかもしれない。

 もしも愛情が尽きていたら、慈悲もなく処刑されていたかもしれないんだもんね。

 王妃様が幽閉されて、気軽には会えなくなった。だけど、生きてさえいてくれれば、と王様は思っていたんだろうね。

 それなのに、またこんな騒ぎに巻き込まれてしまった。

 王様の迅速な動きの裏には、王妃様へのいつまでも変わらない愛があったんだ。

 王妃様も、王様の愛と優しさを感じたのか、若干恐慌状態だった精神を取り戻す。そして、王様の胸に深く顔を埋めた。

「もう大丈夫だ。儂が来たからには安心せい。そして……」

 安堵する王妃様の頭を撫でてあげながら、王様はライラを見る。

 ライラもまた、王様に抱擁されていた。

 ライラはライラで、先ほどまでの王妃様とは違う複雑そうな表情をしていた。

 無理もない。

 意を決して王妃様を救出しに来たというのに、怯えられ、拒絶されてしまったんだ。

 ライラだけじゃなく、僕たちまで心が苦しくなっていた。

「ライラよ、苦労をかけたな」

「いえ、私は……」

「其方のおかげだ。其方が支えてくれたからこそ、レネイラはこうして無事だったのだ。さあ、レネイラよ。其方もライラにお礼を言いなさい」

 両腕で王妃様とライラを抱きかかえる王様は、二人に微笑みかける。

 王妃様は王様に促され、恐る恐る顔を上げた。そして、ライラを見る。

 でも、やっぱり後ろめたい表情だ。目が泳ぎ、まともにライラを正視できていない。唇は震え、王様の腕のなかでも距離を取ろうと身じろぎしている。

「お、王妃陛下……」

 狼狽える王妃様よりも先に、ライラが口を開いた。

「私は、王妃陛下が無事で心より嬉しく思ってますわ」

 そして、ライラらしい優しさに満ちた笑みを王妃様に向ける。

 屈託のない笑顔を見た王妃様は、ようやくライラの優しさを知る。はっ、と瞳を開き、初めてライラと正面から向き合う。

「ああ……ごめんなさい」

「謝る必要なんてないですわ。だって、大切な人を護れて私は嬉しいですもの」

 ライラの言葉は、嘘偽りのないものだとわかる。

 ライラは悲しいおとぎ話を知っている。でも、それはあくまでもおとぎ話のなかの物語で、自分の過去なんかじゃない。だから、目の前の王妃様は悪い母親ではなく、大切な女性なんだよね。

 王妃様は、ようやくライラの無垢な心に気づくことができた。

 ほろほろと、これまで以上の大粒の涙を瞳から溢れさせ、ライラをしっかりと見つめる。

「儂は、大切な者たちが皆幸せであってほしいと願う。レネイラ、そしてライラよ。儂のためにも仲良くしておくれ」

「もちろんですわ!」

「あああ……。二人が許してくれるというのなら……」

 三人の絆に、僕たちが口を挟む隙間はない。

 色々とあっただろうし、消えない傷や癒えない悲しみが残っているかもしれない。だけど、全てをひっくるめて、これから深く繋がっていくと良いよね。

 深いわだかまりを拭い去り、強く抱き合う三人をみんなで見つめていた。

 だけど、そこに水を差したのはやっぱりルイララだった。

「エルネア君、魔剣使いを追わなくても良いのかい?」

「はっ!」

 グスフェルスの陰から、ルイララが顔を出してこちらの様子を伺ってきた。

「あれっ! ルイララ、負傷していなかったっけ!?」

 僕たちの前に現れたルイララは、いつも通りのルイララだった。

 貴族然とした容姿に、柔和な笑顔。全裸だということを除けば、先ほどまで重傷を負っていたとは思えない外見だ。

「はははっ。僕の本体を知っているだろう? 本体から見れば、この姿で怪我をしても指先を怪我した程度のものさ」

「君って、どういう仕組みで生きているのかな……?」

 どうやら、ルイララにとっては先ほど受けた負傷も笑って流せる程度のものだったらしい。

 いや、実際に笑っていたよね。

 ルイララの規格外な生命力にため息を零しながらも、僕たちは現実を直視する。

 そうなんだよね。ライラと王妃様の邂逅を大切にしてあげたいけど、いまは別の問題を抱えているんだ。

 逃亡した魔剣使いを追わなきゃいけない。

 気配から、竜騎士団が追尾していったことは把握しているんだけど。このまま逃げられたら、またどこで騒動を起こすかわかったものじゃないよ。

「エルネア、追いましょう」

 ミストラルは次に残さないつもりだ。竜宝玉を解放し、背中に翼を生やして臨戦態勢に入っていた。

「私たちから逃げるなんて、絶対に逃さないわ」

「ルイララの変な姿を見せるなんて、絶対に許さないわ」

 ルイララの裸に誰も突っ込まないのね、と思ったら、ニーナが怒ってました。

 たぶん、魔剣使いを追わなきゃいけない状況でなかったら、双子は躊躇いなくルイララに斬りかかっていたに違いない。

 やる気十分な三人の妻。

 だけど、僕はやはりライラが気になっちゃう。

「ライラ?」

 僕が優しく声をかけると、ライラは王様の腕のなかから僕を見上げた。そして、元気そうに頷く。

「もちろん、私も行きますわっ!」

 さっきまでは元気のなかったライラだけど、いまはもういつも通り。王様の腕を抜け出ると、今度は僕に抱きついてきた。

「あっ。ライラが抜け駆けしたわ」

「あっ。ライラがエルネア君を独り占めしてるわ」

 ユフィーリアとニーナが遅れて僕に飛びつく。それを見たミストラルが呆れながら、僕の手を取った。

「王様、僕たちは魔剣使いを追います!」

「すまぬ、よろしく頼むぞ」

 王様が頷く。

 そのとき、涙で顔を濡らしながら、王妃様がこちらに顔を向けた。僅かに、唇が震える。なにかを言葉に出しそうになり、躊躇って呑み込む。

「行ってきます。王妃様、安心してお待ちくださいね」

 僕は王妃様に微笑むと、みんなを連れて空間跳躍を発動させた。

 ちゃっかりルイララが便乗してきたけど、裸の貴公子をあの場に放置しておくこともできないし、仕方がないよね。

 僕たちは、大広間の天井に空いた穴から一瞬で屋上へと移動する。

「しっしっ。ルイララはあっちに行って」

「しっしっ。ルイララはどこかに行って」

「エルネア君の奥方たちも、ひどいなぁ」

「そう思うなら、服を着て!」

 そして、屋根の上でまだ冷たさの残る初春の風に揺れるルイララを、妻たちが全力で拒否しています。

 だけど、ルイララはそんなことなんて気にしないからね。気持ちよさそうに、全身で風を感じていた。

 ちなみに、僕と何度も手合わせをしているうちに、ルイララは空間跳躍への耐性がついちゃったみたい。

 最近ではこうして、僕の空間跳躍に便乗して妻たちに煙たがられていた。

「だってさ。服はさっき消し飛ばされちゃったんだよ?」

「そうだけど……。せめて、前を隠したら?」

「なぜ?」

「いや、そこでなぜ、と聞き返す君の羞恥心になぜ、と聞き返したいよっ!?」

 変なものを見せないでください!

 ミストラルに片手棍で潰してもらおうかな。いや、片手棍が穢れるから駄目だよね。

「そんなことよりも。あれをどうやって追う気だい? もう、姿が見えなくなっちゃっているけどさ」

「それはね……」

 僕たちは、空間跳躍で離宮の屋根へと飛び移ると、リリィとレヴァリアを探していた。

 けっして、ルイララと戯れるために移動したわけじゃありません。

 魔剣使いが逃げ出して時間が少し経っているので、追うならリリィとレヴァリアの速さが必要なんだ。

 僕が見つけるよりも早く、リリィとレヴァリアがこちらに気づいた。

 阿吽の呼吸で飛翔した二体の竜族は、高速でこちらへと飛んでくる。

 着地してもらう必要もなく、僕は空間跳躍でレヴァリアの背中に移動した。

『貴様は向こうだ』

「えええっ、そんなっ!」

 だけど、レヴァリアに拒絶されちゃった。

 リリィの方へと移れ、と不満を漏らされて、渋々と移動することにする。

 本当はレヴァリアも僕を乗せたいと思っているはずだよ。僕も、たまにはレヴァリアに乗りたい。

 だけどこの拒絶感は、全裸のルイララがいるせいだ!

 仕方なく、ルイララの手を握って空間跳躍を発動させる。

「エルネア君、随分と不満げだね。奥方たちと離れるのが嫌なのかい?」

「違うよ……」

 接近してくれたリリィの背中に移った僕を見たルイララが首を傾げた。

 確かに嫌々の移動だけど、リリィが嫌いなわけじゃないんだ。

 むしろ、好きなんだよ?

 でもね……

「あそこまで私にお膳立てさせておいて逃げられるとは、なんと情けない」

「いやいや、ルイララだって負傷するような相手だったんですよ!」

 そうです、そうなんです。リリィの背中には、じっくりと作戦を練って人質を救出しようと思っていた僕たちを奈落へと突き落とした張本人が騎乗しているんです。

「なにを思う。人質は無事に救出できたのだろうが」

「綱渡りの対応でしたけどね!」

 あと少し、王様の到着が遅れていたら。僕の空間跳躍が間に合わなかったとしたら。とても悲惨な結果になっていたかもしれない。

 というか、王様はどうやって間に合ったのかな!?

 近衛騎士の話では、到着まで一日くらいかかるようなことを言っていた気がするんだけど。

 グスフェルスが頑張ったのかな?

「面白い爆走であったな。地竜があれほどまで必死に走る姿は初めて見た」

「左様ですか……」

 やはり、グスフェルスがものすごい速度で走ってきたんだね。

 そうなると、王様とグスフェルスの努力を無駄にはできない。

 僕は気を取り直すと、リリィを促して魔剣使いを追ってもらう。

「おまかせあれー。飛竜たちが追って行きましたよー」

 大きく翼を羽ばたかせるリリィ。瞬く間に、付近の山よりも高く舞い上がる。レヴァリアも負けじと上昇してきた。

「うわぁ……」

 そして、見た。

 竜騎士団の、容赦のない追跡を。

『人ごときが光線とは、生意気なっ』

『竜族の息吹に比べれば、幼児の遊びよ』

『仲間の恨みだ、死ねいっ』

 上空から、飛竜たちが炎や烈風の息吹を放つ。地上では、地竜たちが地形を変えるような攻撃を繰り出して魔剣使いを追い立てていた。

 避暑地が……。王家の土地が……

 いやいや、魔剣使いを倒すためだ。これは仕方のない被害なんだ。

「レヴァリア、リリィ。突撃ぃーっ!」

 僕の号令を受け、竜峰の暴君と次代のお守り様が戦いに参戦した。