We Live in Dragon’s Peak

Under the cherry blossom at night.

「おじいちゃん、僕は……僕は……」

「よう帰ってきた。無事でなによりである」

「ああ、お花畑が見えるよ……」

「これは、よほど重症であるな。仕方なし、送り届けてやろう」

 がくがくと力の抜けた足腰でようやく苔の広場へと帰ってきたのは、すでに陽が暮れたあとだった。

 精霊さん、もう少し手加減してください……

 ミストラルにお弁当を届けに来ただけのはずなのに、なんで僕は瀕死なんでしょうか。

 朝のうちにお役目を終えたミストラルはとうの昔に帰ってしまったのか、暗闇に包まれた苔の広場ではスレイグスタ老だけが僕の帰りを待っていた。

「おじいちゃん、レヴァリアは?」

「腹が空いたと飛んで行きおった」

「そうなんだ、元気になったかな? 心配するだろうから、リームには内緒にしておいた方が良いんだろうな」

「汝も、不意打ちには気をつけることだ」

「不意打ち以前に、僕は精霊たちに絞り尽くされそうだよ」

「くくく、たまには遊んでやらねばな」

「精霊たちの相手は、おじいちゃんにお任せしたいな」

「我は断る!」

 四つん這いで地面を這いながら、なんとかスレイグスタ老の側までやって来る。すると、僕はすぐに黄金の輝きに包まれ始めた。

「親御を連れた旅も、ひとまず休息なのであろう。汝もゆっくりと休め」

「休めると良いんですけどねぇ……」

 さようならの挨拶と同時に眩い輝きに取り込まれ、一瞬あとにはもう竜人族の村へと転移していた。

「ああ、宿屋までが遠いよ……」

 霊樹の精霊さんは容赦がない。遊びに来たのなら、とことん遊ぶ。僕の体力なんて御構い無しで付き合わせされて、もうへとへとです。

 とはいえ、久々に夢中だったせいか、遊びの相手をしている最中は変な悩みも忘れて楽しむことができちゃった。

 もしかして、精霊さんたちには僕の心労が筒抜けになっていた?

 力の入らない足腰に鞭打ち、宿屋を目指す。

 どうも、スレイグスタ老は村の広場じゃなくて入り口付近に僕を転移したみたいだ。どうせなら、宿屋の庭とかだったら苦労しないのにな。

 山間部に広がる村は温泉が名物で、昨夜も堪能させてもらった。

 宿屋の女将さんの話では、竜峰各地を旅する人が安らぎを求めてやって来るらしい。特に冬場になると、村に数軒しかない宿屋は満室になるくらいなんだとか。

 ミストラルの村は竜廟に安置されている竜宝玉を求めて旅人がやって来るし、竜人族はいろんな目的で各地を旅しているんだね。

 厳しい自然に囲まれた竜峰に暮らす者にとっての一番の娯楽は、己の力で旅をすることなのかもしれない。

 なら僕たちは、最も幸せな体験の真っ最中なんだね。僕たち、というか母さんたちか。

 そういえば昨夜、母親連合のみんなは初めて竜人族の村に泊まったんだよね。

 面白かったことといえば、一番驚いていたのが僕の母さんだったってことだ。

 平地では、というか王都では太陽が沈んだあとも賑やかで、大通りなどでは夜通し灯りが絶えない。そういう環境で生活してきた母さんにとって、日没後は家に帰って滅多な用事がない限りは出歩かない、村の通りに灯りがない、という環境は新鮮だったみたいだ。

 まあ、王都に住んでいても、夜間に出歩いて遊ぶような人じゃないから、常識として身につけているだけで夜の街を体験したことなんてないと思うんだけどね。

 ちなみに、王妃様たちの方が辺境の土地での生活を熟知していたっけ。

 やはりあの人たちは、若い頃に王様と一緒に暴れまわっていたに違いない。

 昨日は夕方にごたごたがあったけど、夜は楽しかったなぁ、と思い返しながら暗い道をなんとか歩く僕。

 すると、遠くから賑やかな喧騒が響いてきた。

「おや? あっちは確か、広場の方だよね」

 よくよく見てみると、建ち並ぶ家の屋根上から見える空が明るい。

 歩く道が暗い分、人工的な明るさが目についた。

 なんとなく、足を向ける。

 弱った足腰で!

『おわおっ、おかえりっ』

「やあ、ただいま」

 すると、僕が帰って来た気配に気づいたのかな。フィオリーナが飛んできた。

「広場でなにをしてるの?」

『お花見だよっ』

「ほほう!」

『疲れてる? 乗せてあげるっ』

「ありがとうね」

 ああ、優しいフィオリーナよ。僕のことを心配してくれるのは君だけだよ。この純粋な優しさのまま、立派な成竜になって竜峰の竜族を纏めあげてね。

 遠慮なくフィオリーナの背中に乗せてもらう僕。

 まだ子竜のフィオリーナやリームは、大人のレヴァリアや古代種の竜族とは違っておひとりさま専用。

 僕を乗せたフィオリーナは、ばたばたと必死に羽ばたいて飛ぶ。そして、僕を広場へと連れて行ってくれた。

「エルネア様、お帰りなさいませ」

「ライラ、ただいま。……なるほど、ライラは抜け駆けをしようとして捕まったんだね?」

「ううう、悲しいですわ」

 そういえば、僕が独りなのをライラが見逃すはずがない。

 きっと、いち早く僕の帰りに気づいたはずのライラ。だけど残念なことに、リームに取り押さえられてしまっていた。

 なるほど、僕のお迎えはフィオリーナとリームの連携でしたか。

 それとライラよ、思わぬ伏兵がいたね。

 ライラを解放してもらい、彼女の手を借りて僕は騒ぐ人たちの輪に入る。

 みんなから帰還を労われ、あれよあれよという間に目の前に食べ物と飲み物が運ばれてくる。

「昨日、迷惑をおかけしたお詫びのようですよ」

「えええっ、迷惑をかけたのは僕たちの方だと思うんだけどな」

「ふふふ、そうかもしれませんが、細かいことは抜きにして楽しみましょう。せっかくですし」

 僕にくっ付いたら離れない、そんなライラを引き剥がしつつ、ルイセイネが教えてくれた。

 村のみんなが集まっての夜のお花見は、盛大に執り行われていた。

 松明を灯し、飲み物や食べ物を片手に騒ぐ人たち。普段、夜は早めに寝静まる生活を送っているからこそ、こうして騒げるときには騒ぐんだよね。

 そして、これは全員で楽しむ宴会であり、華やかな行事じゃないから聖職者のルイセイネやマドリーヌ様、リセーネ様も参加できるわけだ。

『ねえねえっ、お肉が食べたいっ』

『リームもぉ』

「あらあらまあまあ!」

 ようやく僕からライラを引き剥がしたルイセイネだけど、今度はフィオリーナとリームが密着してきた。

 頑張ったルイセイネの努力は無駄になっちゃった。

 ルイセイネよ、君にも思わぬ伏兵がいたようだね。

 僕は疲れちゃっているので、みんなの奪い合いになすがまま。

 フィオリーナとリームにお肉を分けていると、今度は酔っ払ったユフィーリアとニーナに絡まれ、二人を諌めに来たミストラルに気づいたら独占され、終いには母親連合に取り囲まれていた。

「エルネア様、早く孫の顔が見たいのですが?」

「うっ……」

「エルネア様、どうかライラをよろしくお願いしますわ」

「ううっ!」

「エルネア君、セフィーナをもらわない?」

「うううっ!!」

「しまったわね、息子じゃなく娘を産めばよかったわ」

「アネス、今からでも遅くないんじゃない?」

「カミラ、そうね!」

 誰かーっ!

 この酔っ払い人妻たちをどうにかしてくたさい!

 娘たちを押し退け、僕を占有した母親連合。というか、王妃様たち。

 どうにかして、この地獄を抜け出さないと……

 だけど、僕の願いは叶わず、王妃様たちの玩具にされるのだった。

 ユンユンとリンリンも顕現している。

 精霊術で明かりを灯したり、竜人族の人たちとも楽しそうに過ごしているみたいだね。

 プリシアちゃんとアレスちゃんが騒ぎを起こしていないのも、この二人のおかげだ。

 僕たちはみんなで協力して、日頃から霊樹の宝玉に力を蓄えている。それで緊急時にユンユンとリンリンを召喚するんだ。

 えっ!?

 緊急用の蓄えを無駄に消費していないかって?

 違うよ。こういうときはみんなで楽しまなきゃいけないんだ。だから、ユンユンとリンリンだけ参加できないなんてことはしない。

「エルネアお兄ちゃんが酔っ払ってるにゃ。独り言を思い始めたにゃ」

「むむむ、ニーミア。こっちに来なさい。さあ、僕に話すことがあるでしょう?」

「んにゃ!?」

「古の都って、どんなところなのさー」

「だめにゃん。酔っ払ってるにゃん。誰がお酒を飲ませたにゃん?」

「酔っ払ってないにゃんよ? ただちょっと、頭がふわふわするだけで……」

「さあ、エルネア君。もう一杯飲んで」

「ああ、マドリーヌ様、僕はもう飲めませんよー」

「犯人発見にゃん!」

 僕を肴に楽しんだ王妃様たちは、気づくと別の場所で竜人族の人たちと談笑していた。代わりに今度はマドリーヌ様に捕まっちゃったみたい。

「ふっふっふっ、エルネア君を酔わせて……」

「巫女頭が一番邪悪にゃんっ」

 はたはたと翼を振って僕の周りで騒ぐニーミアを、マドリーヌ様が捕まえる。

「ニーミアちゃん、協力してください。そうすれば、たくさんお菓子をあげますからね」

「マドリーヌ様、ニーミアはそんなことをしても僕を裏切りませんよー」

「プリシアの分もあるにゃ?」

「はい、もちろん」

「にゃん!」

「あらー、裏切られちゃった」

 困ったねー。

 どうしよう?

 危機に直面しているような気がするんだけど、頭がほわんとして思考が回りません。なんだか、成り行きに任せても良いような気がしてきたよ?

「マドリーヌ様、何をなさっておいでですか」

「むきー! リセーネさん、良いどころだったのにぃーっ」

「ふふふ、わたくしは娘の味方ですので」

 いつのまにか、暗闇に引き込まれそうになっていた僕を救ってくれたのは、ルイセイネの母親のリセーネさんだった。

「はい、エルネア君。お水ですよ」

「ありがとうございます」

「お母様がそろそろお休みみたいですから、送ってさしあげたらどうでしょう?」

「そうですね、そうします!」

 僕はリセーネさんにお礼を言うと、マドリーヌ様の魔の手から抜け出す。そして、母さんのもとへ。

「母さん、そろそろ帰る?」

「そうしようかしらね」

 普段から早寝早起きの母さんだ。夜も随分と深まってきているし、少し眠たそう。

 お酒も入っているのか、目尻が下がっている。

「立てる? 手を貸すよ」

「なにを言ってるんだい。あんたこそ帰ってきた時にはもうふらふらだったじゃないかい」

「お腹いっぱいご飯も食べたし、もう回復してるよ」

 言って母さんに手を差し伸べる僕。母さんは僕の手を取って、よっこらしょっと立ち上がろうとした。

 だけど酔いが回っているのか、少しふらつく母さん。

「大丈夫? おぶっていくね」

 僕は母さんを背中に担ぐと、周りの人に挨拶をして連れ帰る。

 本当は僕も疲れているんだけど、ここは息子として頑張らないとね。

 背中の荷重を感じながら、僕は一歩一歩しっかりとした足取りで宿屋へと向かう。

 母さんに良いところを見せなきゃ、と気張ったせいか、ふわんふわんだった頭はしゃきりと戻っていた。

「まさか、あんたにこうして背負われる日が来るなんてねぇ」

「成長してないように見えて、ちゃんと成長してるでしょ?」

「本当に、大きくなったね」

 はい。見た目はたぶん、十五歳前後で止まっちゃっているせいで、子供っぽいかもしれません。でも、僕はもう立派な大人だよ。

 ちょっと小さい背中かもしれないけど、こうして母さんをおんぶすることも出来るようになった。

 母さんは僕の背中で、しみじみと笑う。

「ここが、竜峰なんだね。あんたが真剣に向き合った場所にこうして来られて、母さんは幸せだよ」

「僕も母さんを竜峰に案内することができて嬉しいよ」

「こりゃあ、父さんも連れて来るべきだったかね?」

「大丈夫、父親連合には魔族の国へご招待する予定だからさ」

「あはは、そりゃあ大変だ」

 父さんたちにも、ちゃんと旅行に連れていくよと伝えている。だけど、行き先が巨人の魔王の国だとは言ってません!

「すごいねぇ。あんたはこんな場所をひとりで旅したんだね。それも、十五歳になったばかりでさ」

「ううーん、正確には入り口くらいまでだよ。あとはレヴァリアのお世話になったからさ」

 僕が通った道と、母さんたちが見てきた道は違う。でも同じ竜峰だからね。地竜の上で安心安全な旅だったとはいえ、大変さはセフィーナさんやマドリーヌ様を見ていれば伝わる。

 母さんも、僕がどんな旅をしてきたのか感じたのかもしれないね。

「あんたはレヴァちゃんのおかげだとか竜人族の人たちのお世話になったと控え目に言うけどね。それはそれで母さんは嬉しいのさ。自慢の息子がみんなから慕われるのは、母親として誇らしいのさ」

「僕も、ミストラルたちの両親や変な仲間たちと仲良くしてくれる母さんを尊敬しているよ?」

「あははっ、確かにセーラ様たちの突飛な言動に驚かされることはあるけどね。たのしい方々だよ。魔族のルイララちゃんも、良い子じゃないか」

「良い子なのかな!?」

「良い子だよ、あんたと仲良くしてくれているんだからさ。勇者の方々も、竜族のみんなも、みんな良い子さ。あんたは幸せ者だね」

「うん、僕は幸せだよ。母さんの息子だしね!」

「言ってくれるね」

 がすんっ、と背中を叩かれたけど、愛のこもったどつきは痛くなく、むしろ暖かかった。