We Live in Dragon’s Peak

Suspicious Battle

 そんな馬鹿な!

 咄嗟に空間跳躍を発動させ、バルトノワールとの距離を取る。

 首もとに、ぴりりと鋭い痛みが残っていた。

 あとほんの少し反応が遅かったら……

 バルトノワールの思わぬ速さに、僕は全身から冷や汗を流す。

 僕を仕留め損なったバルトノワールは、肉厚の長剣を振り抜いた姿勢でこちらを見つめていた。

「舐められたら困るな。これでも俺は、君の先輩だ」

 油断はしていなかった。

 そもそも、瞬間移動で間合いを詰める動きなら、僕だって空間跳躍で同じことができる。プリシアちゃんや耳長族の人たちと鬼ごっこをするときには誰も彼もが瞬間移動するし、ミストラルや竜人族はそれこそ目にも留まらぬ速さで動く。

 なので、刹那の動き、目だけじゃ追えないような動きにも十分に対処できる。

 そう思っていた。

 なのに……

 気づくとバルトノワールは僕の懐に入り込んでいた。それどころか、僕は首に刃が迫る直前まで反応できていなかった。

 なにか、違う。

 違和感がある。

 ただの瞬間移動じゃない?

 目に追えないだけの動きじゃない?

「エルネア君!」

 ルイセイネたちが慌てたように動く。

 だけど、妻に立ちはだかったのはルガだった。

「人族ごときが、竜峰ででかい顔をしてんじゃねえぞっ!」

 バルトノワールに片手で動きを封じられていた鬱憤か、それとも人族になら遅れをとらないと思ったのか。妻たちに向かって突進するルガ。

「姉様方、援護をお願い!」

 セフィーナさんがルガを迎え撃つ。

 ルガが太い槍を繰り出す。セフィーナさんは鋭い刺突を素手で正面から受けた、と思いきや。ゆらりと身体を流し、ルガの一撃を後ろへ受け流す。

 セフィーナさんを貫いたと思ったルガは、思わぬ搦め手に腕が伸びきってしまう。そこへ、ユフィーリアとニーナが完璧な連携で挟み撃ちにする。

「ユフィさん、ニーナさん!」

「危ないわっ」

「危険だわっ」

 竜奉剣を振るう二人の死角から、ルガの太い尻尾が襲いかかった。だけど、竜眼を宿すルイセイネには全てお見通しだ。

 先読みをしたルイセイネの忠告に従い、ユフィーリアとニーナは挟撃を諦めて後退する。

 ルガは露骨に舌打ちすると、そのまま攻勢に移った。

 目にも留まらぬ速さで繰り出されるルガの槍撃。それだけじゃない。人竜化したルガの全身が凶器そのものだ。

 丸太のように太い腕や、地竜のそれを思わせる雄々しい尻尾から繰り出される攻撃の全てが、まともに受ければ致命傷になる。

 だけど、その凶暴な攻撃を綺麗に受け流すのはセフィーナさんだった。

 ルガの攻撃が迫る直前までは、硬い氷のように微塵も芯を揺らすことなく待ち構える。そこから、急流を思わせる激しい動きや緩やかに障害物を避けて流れる水のように、変幻自在に攻撃を受け流す。

 そして、大河のように悠然と姿勢を戻すと、ルガを挑発する。

 ルガの猛攻を受ける役目は、セフィーナさんが担っていた。

 代わりに、攻撃を担うのは双子の姉のユフィーリアとニーナだ。

 ルガの隙を見て、竜奉剣を振るう。

 完璧な連携から繰り出される連撃や竜術は、歴戦の戦士であっても容易には受け流せない。

 ルガも、双子の連携を嫌がって露骨な回避で避ける。そして、憎々しげに三姉妹を睨む。

 ルガにとって、僕たちは所詮人族。

 圧倒的な戦闘力を誇る竜人族にとって、取るに足らない下等な種族だとでも思っているに違いない。

 でも、甘く見てもらっては困る。

 彼女たちだって、僕と一緒に数え切れないほどの修羅場をくぐり抜けてきた。

 人族ごとき、と油断していたら、負けるのはルガの方だ。

 ルガは、苛ついた様子で反撃する。

 だけど、そこで本領を発揮するのがルイセイネの竜眼だった。

「竜術が来ます。回避してください!」

 ルイセイネの忠告に従い、ルガの攻撃を受け流そうとしていたセフィーナさんは動きを変える。大きく跳躍すると、ルガから距離をとって安全な回避方法を選ぶ。

 ルイセイネは上手く立ち回っていた。

 竜眼を宿すルイセイネが攻撃に参加すれば、三姉妹は今以上に余裕を持った戦略を取れるはずだ。

 でも、ルイセイネは一歩下がった場所、正確には地竜の背中の上から戦場を俯瞰(ふかん)し、三姉妹に的確な指示を出すだけ。

 バルトノワールやルガ、それに姿を隠したままの虹竜に、竜眼を悟らせないようにしている。

 竜人族や竜族にとって、竜眼は天敵そのものだ。もしもルイセイネの竜眼が露見すると、隠れている虹竜だけでなく、バルトノワールやルガから集中して狙われる可能性がある。

 そうなると、あまりにも危険だとルイセイネもわかっている。

 だから後方に退き、助言を装って動きを読んでいるんだ。

 二人の竜人族の戦士は、三姉妹の見せる巧みな連携を前に、加勢しあぐねている。

 三姉妹の間に割って入るよりも、このまま彼女たちに戦わせていた方がルガを圧倒できると判断してくれているのかもしれない。

 そして、二人の戦士は僕とバルトノワールとの戦いにも手を出せないでいた。

「くっ!」

 胴を薙ぎに来たバルトノワールの一撃を、空間跳躍を使って間一髪で回避する。

 バルトノワールは余裕を持って剣を振り抜くと、逃げた僕を探す。そして、一瞬で間合いを詰めると、致命の一撃を狙って肉厚の長剣を振り放つ。

 僕は、逃げる。

 竜剣舞を舞う余裕さえない。毎回のように空間跳躍で回避しなきゃいけないほど、バルトノワールの動きは速かった。

 ……いや、僕の反応が悪いんだ。

 やはり、変だ。

 なぜか、バルトノワールの動きについていけない。

 気づくと間合いに入られ、危機的状況に陥っている。

 たしかに、バルトノワールの動きは速く、正確で激烈だ。でも、これくらいならミストラルの方が上だし、反応し切れないなんて有り得ないのに!

 そう戦況を冷静に分析していても、僕はバルトノワールにから一方的に押し込まれていた。

 やはり、あの瞬間移動が厄介だ。

 発動の瞬間さえ掴めずに、間合いへ易々と侵入されてしまう。

 それだけじゃない。

 バルトノワールは、瞬間移動から続く動きが異様に速い。

 一瞬前まで剣先の届かない位置にいると思っていたら、次の瞬間には間合いに踏み込まれている。更にそれだけでは終わらず、斬られそうにまでなっている。

 とはいえ、やはり素直にバルトノワールがこちらを圧倒するような動きを見せているとは、なぜか思えない。

 なにか、妙な違和感があるんだ。ただ、それがどのような違和感なのか、僕自身にもわからないんだけど。

 でも、やっぱりなにかが違う。なにかを見落としている?

 でも、その正体がわからない。

 なにか切っ掛けがあれば気付けるかもしれないんだけど……

 僕としては、情勢を変化させるために竜人族の戦士でも誰でもいいから、加勢が欲しいところだ。

 だけど、ここに竜人族の戦士の加勢があっても、バルトノワールの動きに対応できなければ一瞬で殺されかねない。

「このっ!」

 霊樹の葉っぱを舞わせながら、白剣を振るう。

 バルトノワールは目で追える速さで長剣を振るうと、白剣を受け流す。

 白剣と同時にバルトノワールへ襲いかかった無数の霊樹の葉っぱの刃は、しかし不可思議な力によって振り払われ、届かない。

 僕は白剣の一撃を起点とし、竜剣舞を舞おうとする。

 だけど、僕が次の動きに繋げるよりも速く、バルトノワールが動く。

「くううっ……」

 ひとつ前の動きまでは目で追えていたのに!

 白剣を受けたと思った長剣は、次の瞬間には僕の首を刺すように伸ばされていた。

 辛うじて。刹那の瞬間だけ、バルトノワールの攻撃に反応することができる。

 でも、僕の動きでは回避しきれない。

 それで仕方なく、というかそれしか方法がないため、空間跳躍で間合いの外へと逃げる。

「こ、これほどまでなんて……」

 いかに自分の竜剣舞で負けない戦いをするか、ではない。そんな次元の話ではない。

 逃げることで手一杯になり、僕は反撃の糸口さえつかめない。それどころか、一瞬の隙が死に直結している。

 これが、先達者の技なのか……

 僕たちよりもずっと昔に選ばれ、これまで世界に関わってきた者の実力なのか。

 ほぼ空間跳躍で逃げているだけなのに、僕は肩を大きく上下させて息切れし、全身汗だくになっていた。

「どうした? その程度で俺の前に立ちはだかるなんて豪語したとは言わせないぞ?」

 バルトノワールは、本当の戦いはこんなものではない、とでも言いたげに僕を見る。

 そりゃあ、そうだ。

 バルトノワールはまだ、目にも留まらぬ超速の動きで、ただ剣を振るっているだけに過ぎない。

 きっと、多くの技や術を持っているんだろうけど、まだ披露していないんだ。

 それなのに、僕は既に逃げ回るしか手立てを持っていない。

 僕は、こんなにも弱いのか……

 絶望が僕の心を黒く蝕(むしば)んでいく。

 だけど、剣を握る両手を下ろすわけにはいかない。

 僕が負ければ、家族に危険が迫る。そして竜峰に住む仲間や、魔族たちに災いが迫る。

 いまの僕では、バルトノワールに勝てない。

 でも、絶対に負けない!

 バルトノワールの瞳を強く見返す僕。

「良い瞳だ。それでこそ、俺の前に立ちはだかる者だよ」

 言って、バルトノワールは長剣を構えた。

 青い幅広の刀身に浮かぶ金色の文様が、更に輝きを増す。

 身構える僕。

「どりゃああぁぁぁぁっっっっ!!」

「おおっとっ!?」

 いまにも僕の間合いへと飛び込んできそうだったバルトノール。

 だけど、そのバルトノワールへと逆に飛び込んだ影があった。

 バルトノワールは、不意打ちを慌てて回避する。

「アイリーさん!」

 バルトノワールに跳び蹴りを放って現れたのは、竜の祭壇の守護者、アイリーさんだった。

「あら、エルネア君。随分と苦戦しているようじゃない?」

「め、面目ないです……」

 アイリーさんは、跳び蹴りを回避したバルトノワールではなく、僕に顔を向けて笑みを浮かべた。

「まあ、経験不足ってやつじゃないかしら。じゃあ、ここはお姉さんに任せてちょうだいな」

 言って、アイリーさんはようやくバルトノワールへと振り向く。

 視線を向けられたバルトノワールは、なんとも複雑な表情をしていた。

「やれやれ。ここでとんでもない闖入者が現れるとはね」

「ちんとは失礼ね!」

 苦笑するバルトノワールに突っ込みを入れるアイリーさん。

 お互いに言葉は軽いけど、気配は張り詰めている。

「アイリーさん、気をつけてください。バルトノワールは恐ろしく速いですよ」

「ふぅん……。エルネア君には『速い』と見えたのね?」

「えっ?」

 どういうこと?

 バルトノワールの異様な動きに対する答え。その手がかりになりそうな何かが頭を過った気がしたけど、確認している余裕はない。

 アイリーさんは、バルトノワールとの間合いを計りながら、慎重に竜気を練る。

 そして、臆することなく突っ込んだ。

「おらぁっ!」

 男らしい野太い声と共に、拳が放たれる。

 そういえば、竜奉剣を持っていないときのアイリーさんは、無手の竜剣舞使いだよね。それも、極められた竜剣舞だ。

 バルトノワールは長剣を振るってアイリーさんの拳を払おうとする。あわよくば腕ごと斬り落とそうとする剣筋だ。

 それを、アイリーさんはこともなげに素手ではたき落とす。

「うへぇ、出鱈目な身体強化だね」

 バルトノワールの顔が引きつる。

 アイリーさんは、そんなバルトノワールの表情の変化を冷たく笑い、蹴りや拳を流れる連続した動きで繰り出す。

「生憎と、あんたのようなむさ苦しい髭面の男は嫌いなの。わたしはエルネア君のような可愛い子が好きなのよ!」

「俺は、あんたの好みなんて聞いていないんだがねえ!」

 バルトノワールは、アイリーさんが繰り出す無手の竜剣舞を巧みに捌く。だけど、じりじりと後退し始めた。

 明らかに、アイリーさんが押している!

 でも、変だ。

 僕のときには、ぎりぎりで反応するのがやっとだったような動きを見せていたのに。

 アイリーさんと打ち合うバルトノワールの動きは確かに速いけど、目で追えないような速さではなかった。

「おらおらおらっ。罪人を置いてけ!」

 アイリーさんの連撃に、バルトノワールはたまらず大きく後退すると、距離をとった。

 そして、嫌そうに顔をしかめる。

「やれやれ。まさか、竜峰にこんな化け物が隠れていたとは」

 どうやらバルトノワールは、竜の祭壇にこもっていたアイリーさんのことを知らなかったらしい。情報源には引っかからなかったのかな?

 なにはともあれ、思わぬ伏兵の登場に形勢が不利だと判断したようだ。

「ルガ、ここは退こうか。このままじゃあ、こちらに不利すぎる」

 だけど、ルガはバルトノワールの言葉に耳を傾けている余裕はなかった。

 僕とは違い、妻たちはルガを追い込んでいた。

「人族ごときがっ! くそがあああぁぁぁぁぁっっっ!」

 吠えるルガの全身には、無数の傷が。

 怒りと憎しみに、ルガの顔が醜く歪んでいた。

 バルトノワールはここで初めて小さく舌打ちをする。

 そして、虹竜の名前を呼んだ。

「ガフ!」

 呼び声に応え、空間が揺らぐ。

「おおっと、これは大変じゃない!」

 バルトノワールの背後に突如として顕れた巨大な気配と影に、アイリーさんは追撃を諦めて僕の傍に退避してくる。

 バルトノワールは後ろへ跳躍すると、虹竜ガフの背中に飛び乗った。

 ガフは、バルトノワールがしっかりと背中に乗ったことを確認すると、二本の首を伸ばす。

 ひとつは、セフィーナさんたちへ。

 鋭い牙が襲いかかり、ユフィーリアとニーナとセフィーナさんは、ルイセイネのところまで後退した。

 もうひとつの頭は、ルガに迫る。そして、がぶり、とルガを咥え込んだ。

「ちっ、離しやがれ!」

 双頭の虹竜ガフに咥えられて、暴れるルガ。

 バルトノワールは、ガフの背中から聞き分けのない子供を諭すように言葉を発した。

「ルガ、いい加減にしたらどうだ? あまりに無謀が過ぎるようなら、このままガフに噛みちぎってもらうが?」

 バルトノワールのその言葉だけで、ルガは大人しくなる。

 ガフは大人しくなったルガを咥えたまま、翼を羽ばたかせた。そして、上空で待ち構えていたニーミアに、空間が揺らぐ咆哮を放つ。

「雪竜の小娘よ、死にたくなくば我の前に立ちはだかるな」

「んにゃん!?」

 ガフの恐ろしい脅しに、ニーミアは慌てて回避した。

 ガフは、手出しができずに見送ることしかできない僕たちの前で空に舞い上がる。

 そうしながら、バルトノワールとのルガと共に空間へと溶け込んでいく。

 くうっ。

 このまま、バルトノワールたちを逃してしまうのか。

 上昇していくガフを見上げる僕たち。

 しかしそこへ、遥か上空の雲の陰から、怒りに満ちた紅蓮の影が急降下してきた。

『何時ぞやの恨み、思い知れっ!!』

 竜峰の空の支配者。レヴァリアの鋭く凶悪な牙が、ガフの首に深く食い込んだ。