ああ、そうか。と、ようやく思い知ったことがある。

 スラットンとドゥラネルを発見したとき。禁領に踏み入ろうとしていたスラットンとドゥラネルを、テルルちゃんが阻んだ。

 そしてそのときに、テルルちゃんは言っていたよね。「三つの命」と。

 あれは僕も含めての「三つ」だとばかり思っていたけど、そうじゃなかったんだ。

 伝説級の魔獣であるテルルちゃんは、最初から見抜いていた。

 ドゥラネルの内側に潜む、霧の化け物の存在に。

 そもそも、僕を含めてなら、近くにいたミストラルやセフィーナさんを合わせて、五つじゃなきゃいけないしね。

『がああぁぁあああぁぁぁっ……!』

 苦悶するドゥラネル。

 それを傍で呆然と見つめるスラットン。

 僕たちも、予想外の展開に動きが遅れた。

『天焼、滅却』

 アレクスさんが「力ある言葉」を発した。

「っ!?」

 神術により、灼熱の炎が生まれる。

 天と地を焼き尽くす烈火の炎が、ドゥラネルと霧の魔獣を包み込む。

 だけど、神術がドゥラネルを消し炭にすることはなかった。

「させはしない! ドゥラネルも、俺たちの仲間だ!!」

 全身に紅蓮の炎を纏い、リステアが聖剣で炎を払う。

 それだけじゃない。

「ほのおほのお。でも、いまはだめ」

 顕現したアレスちゃんが、炎の精霊に命令を下し、熱波を鎮める。

 アレクスさんは、炎を操る二人を興味深そうに見た。

 だけど、その瞳にはまだ余裕の気配がある。きっと、この程度の妨害や問題なんて、想定の範囲内なのかもしれないね。

 とはいえ、このまま事態を放置しておくわけにはいかない。

 睨み合うリステアとアレクスさん。

 ルーヴェントも上空から慎重に様子を伺っている。

 だけど、状況は最悪の事態へと変わりつつあった。

「お、おい、ドゥラネル。どうした!?」

 相棒の異変に困惑しているのはスラットンだ。

 そんなスラットンの横で、ドゥラネルは悶絶している。そして、口や鼻から大量の霧を吐き出し続けていた。

「忠告する。このままでは、あの竜だけでなく、竜人族の村にまで被害が及ぶ。それは、君たちの本望ではないだろう?」

「それは……」

「あれは、間違いなく霧の化け物た。私とルーヴェントの気配に正体を現したのだろう。もしも、あれをこのまま放置しておけば、村人に失踪者が出てしまうぞ。いや、正確には違う。失踪などではない。溶かされ、食われるのだ」

「そんなっ!」

 アレクスさんは、どこまでも落ち着いていた。

 そして、冷静に現状を僕たちに伝える。

 だけど、そんなことを言われても……

「くそっ。ドゥラネル、しっかりしやがれっ」

 スラットンの叫びにも、ドゥラネルは反応しない。

 完全に自我を失っているようだ。

「アレクス様」

「わかっている、ルーヴェント。だが、もう暫く耐えよ」

 言って、アレクスさんは僕とリステアを見た。

 言葉には出さない。だけど、促す瞳が如実に物語っている。

 竜人族の村に被害が及ぶ前に、決断しろ。

 仲間のドゥラネルを見放し、処分するしか道はない。

 アレクスさんの瞳は、僕やリステアにそう訴えかけてきていた。

 アレクスさんは、きっと正しい。

 だけど、正しいからといって僕たちが納得できるわけではないし、そもそも「正しい」と「正解」は別物だ。

「リステア、ここは僕に任せて」

 霊樹の木刀を手に取る僕。

 リステアは僕の意思を尊重してくれたのか、無言で頷く。

「てめえ、エルネア。何をする気だ?」

 僕を睨むスラットン。

 僕はそんなスラットンに言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「いい、スラットン、よく聴くんだ。このままじゃあ、本当に竜人族の村に危害が及んじゃう。行方不明になったスラットンを親身になって捜索してくれた人たちを、これ以上巻き込むわけにはいかないんだ」

「たからって、お前はドゥラネルを見捨てる気かよ!? お前は、それでも竜王なのか!」

 叫ぶスラットン。

 いまや、スラットンの敵意はルーヴェントではなく、僕に向けられている。

 だけど、僕はスラットンに首を振る。

「竜王だから、だよ」

 竜宝玉を解放し、竜気を練り上げる僕。

 僕に長剣を向ける、スラットン。

「そして、僕は竜峰同盟の盟主であり、竜族の味方でもあるんだ」

 言って、僕は霊樹の木刀へ竜力を送り、全力で振るった。

 狙いは、悶絶しながら霧を吹き出すドゥラネル!

『がああっっ!』

 僕が生んだ局所的な嵐は、狙い違わずドゥラネルだけを巻き込む。そして、ドゥラネルの口や鼻から吐き出された霧とともに、巨体を遙か遠くへと吹き飛ばした。

 振り返り、遠くへと吹き飛んでいく相棒を呆然と見送るスラットン。

「村のなかで霧の化け物が暴れたら、大変だからね。というわけで、場所を変えよう。そして、みんなで手がかりを探そうね?」

 僕は笑みを浮かべる。

 それは、問題を先送りにしたことにではない。人族も竜人族も神族も天族も、みんなで仲良く手を取り合って解決しましょうね、という微笑みだ。

 僕の意思をきちんと理解してくれたのか、アレクスさんが真っ先に張り詰めた気配を薄めてくれた。

「ルーヴェント。空から先ほどの竜と霧の化け物を監視せよ。私は、彼らと対策を練ってみることにする」

「しかし、アレクス様……」

「私たちは、まだ万事休す、という状況ではない。ならば、彼らの仲間を思う気持ちも大切にしなければならない」

 どうやら、アレクスさんは話のわかる御仁のようだ。

 ルーヴェントは渋々ながら、ドゥラネルが吹き飛んでいった方角へと飛んでいった。

「……では、話し合うとしよう。とはいえ、時間は限られていると思っていただきたい」

「また逃亡されちゃったら、大変ですからね」

 しばしの休戦なのか、一時の共闘なのか。

 僕は霊樹の木刀を右腰に納めると、みんなを代表してアレクスさんと握手を交わした。

「それで、エルネア。お前にはなにかいい案があるのか聞かせてくれ」

「ええっとね」

 リステアも僕の応急処置に納得してくれたのか、紅蓮の炎を鳳凰に変換すると、聖剣を納めて問いかけてくる。

 とりあえずは、ドゥラネルと霧の化け物を村から遠ざけた。

 とはいえ、問題はなにも解決していない。

 リステアだけじゃなく、事態を目撃していた村の全員の視線が僕に集まる。

「エルネア君なら、大規模な破壊竜術が使えるのでは?」

「セフィーナさん、誤解を与えるようなことは言わないでね? 僕は好き好んで破壊行為をしているわけじゃありませんから。ってか、霧の形状をした相手を消し炭に変えるような竜術なんて、持ってないよ?」

「じゃあ、どうするというんだ?」

 なぜでしょう。

 破壊といえば僕。という視線を全員から投げかけられています。

 リステアや竜人族の人たちだけでなく、アレクスさんにまで!

「でも、ついこの間もルガを消滅させていなかったかしら?」

 ルガとは、あのルガか。という竜人族の人たちの呟きは置いておいて。

「あれは、ほら。浄化の結果だし、禁術だったし」

 もう、魔女さんに心配をかけるわけにはいきません。というか、次は本当に怒られそうだしね。

「そういえば、アレクスさんたちは万全の対策で追跡していたんですよね? どんな対策を持っていたのかな?」

 話を振られたアレクスさんは、懐から水晶のように透明な宝玉を取り出した。

「我が家に伝わる、封魔の宝玉だ。これに霧の化け物を封じる。どれほど再生能力を持とうとも、封印してしまえば悪さはできまい」

「ちなみに、それを使うと宿主であるドゥラネルは?」

「流石に万能、というわけにいかない。封印を施す場合は、宿主である竜ごとになるな」

「そいつは聞き捨てならない方法だぜ?」

 ドゥラネルは必ず助け出す、と主張するのはスラットンだ。

 だけど、そんなスラットンも打開策は持っていない。

「どうにかして、ドゥラネルと霧の化け物を分離できないかな?」

「それは、無理だろう。私も散々試したが、徒労に終わった」

 これまでの戦いでも、霧の化け物は窮地に追い込まれると、神族の女性や子供の内側に逃げ込んだという。

 思慮深く、常識を持つアレクスさんのことだ。どうにかして宿主を助けたいと思い悩んだんだろうね。

 だけど、そんなアレクスさんでも解決策は見出せなかった。

 そうなると、やはりドゥラネルから霧の化け物を引き剥がすのは難しいのかもしれない。

「ちなみに、だがよ。その霧の化け物ってえのは、人の形をとったりするのかよ?」

「と、言うと?」

 スラットンの奇妙な疑問に、アレクスさんが首を傾げる。

「あのよ、俺とドゥラネルはエルネアたちと合流する前に、遭遇してんだよ。気持ち悪りぃ、霧が固まったような人型の化け物によ」

「ああ、それで怪我をしていたんだね?」

 スレイグスタ老の秘薬によって、スラットンとドゥラネルの怪我は完治してしまっている。だから、アレクスさんや他の人たちが「どこに怪我が?」と見ても、もう痕跡はない。

「あんたらが最初に言っていたように、確かにあれは物理攻撃が通用しなかった。ドゥラネルの竜術もな」

「でも、追い払えたんだよね?」

「なんとかな。……だが、いま思えば、あれは追い払ったんじゃなくてドゥラネルの内側に引っ込んだだけだったのか。もう少しじっくりと観察していれば……」

 いやいや、スラットンにそんな観察眼はないからね?

 それに、観察できたとしても、問題を解決することはできなかったはずだ。

「私の見解を言わせてもらう。おそらく、霧の化け物は君たちを襲った際に、最も力を持つ竜に取り憑いたのだろう。本来であれは残りの者は溶かして捕食していただろうが、運良く私たちが追い迫っていた。それで、逃げることを最優先に選択した」

「そこで、質問です。霧の化け物だけじゃなくてスラットンまで連れ去られた理由は?」

 僕の疑問に、スラットンが胸を張る。

「それは、お前。俺がドゥラネルに騎乗していたからだろう?」

「霧の化け物としては、スラットン殿を払うよりも一緒に連れ去り、あとで餌にでもしようとしたのだろう」

「人を餌とか言うんじゃねえっ」

 スラットンの叫びは置いておいて。

「そうすると、霧の化け物は宿主と一緒に自由に移動できたりするわけですね?」

「私とルーヴェントが最後に取り逃がしたときのことだ。奴は宿主ごと霧状に変化し、逃げ去った」

「うげっ」

 スラットンは自分の身体を見渡す。

「安心しなさい。これまでの経験から、霧状に変化できるのは宿主だけだ。君は霧に包まれて連れ去られたのだろう。奴は獲物をじっくりと溶かして捕食するために、そういう行動をとる」

「獲物って言うんじゃねえよっ」

 スラットンの叫びは無かったことにして。

「だから、竜峰の東側で失踪したスラットンとドゥラネルが、西側で発見されたんだね」

 実体のない霧。しかもそれが意思を持っていたとしたら、竜峰の自然だってなに不自由なく簡単に移動できるよね。

 短期間で移動した理由は判明した。

 だけど、代わりに新たな問題が浮かび上がる。

「そうすると、このままドゥラネルを放置していては、また遠くへ逃げられるわけか」

 リステアの言葉に、アレクスさんが頷く。

「ルーヴェントを監視にやっている。だが、悠長に話し合っている時間は少ないと思ってほしい」

 もしもこの話し合いで解決策が見出せなければ、アレクスさんとルーヴェントは実力行使に出るのは間違いない。

 たとえ、僕たちの抵抗にあったとしても。

「どうすれば……」

 最大の問題は、ドゥラネルと霧の化け物をどうやって分離させるかだ。

 でも、僕たちには最良の案が思い浮かばない。

「ねえねえ、少しだけ時間をくれないかな? 僕のお師匠様から知恵を授けてもらいに行きたいんだ」

 僕たちには知識がない。

 だけど、竜の森の守護者であるスレイグスタ老ならどうだろう?

 僕お師匠様の正体を知っているリステアや竜人族の人たちは、納得したように頷いてくれる。

 だけど、アレクスさんだけは僕の意見に疑問があるようだ。

「その師匠殿がどなたかは知らないが、信用に足る者なのかな?」

「それは、もう!」

 自信たっぷりに頷く僕を見て、アレクスさんは少しだけ考えたあとに、頷いた。

「君ほどの力を持つ竜王を育て上げたお方だ。ならば、信用に足るお方だと私も納得することにしよう。しかし、そう時間は与えられない」

「一日だけください。きっとみんなが納得できる解決策を持って帰ってくるから」

 それは、アレクスさんだけに言った言葉じゃない。

 竜峰に暮らす竜人族や、仲間を想うリステアたち、それに相棒を心から心配しているスラットンにも向けた言葉だ。

「エルネア、すまねえ。よろしく頼む」

 珍しく、スラットンが深く頭を下げた。

「うん、任せてよ。クリーシオは、元気なスラットンとドゥラネルの帰りを待っているだろうしね!」

 この騒動にも、クリーシオとキーリとイネアは姿を現さなかった。

 それだけクリーシオは憔悴しきっているということであり、また、自分たちの仲間ならどんな問題も乗り越えると信頼しあっている証だ。

 だから、僕はそんな勇者様ご一行に全力で協力したい。

「いまは、君の意思を尊重しよう。しかし、万が一にも君が明日になっても戻らなかったり、霧の化け物に動きがあった場合には、申し訳ないが私は動かざるを得ない」

「わかりました。機会を与えてくれたアレクスさんの誠意に、僕も応えます」

 どうか、僕が戻るまではなにも起きませんように。

 そう願いながら村を飛び出した僕は、道中でレヴァリアを呼ぶ。すると、リームとフィオを迎えに行くと言っていたはずのレヴァリアが、雲の陰から飛来してきた。

「やっぱり、隠れていたんだね?」

『小癪な天族だ。我の気配を感じれば、逃げ隠れする』

 それで、去ったように演出したわけか。

 でも、僕まで騙す必要はなかったような?

『貴様はすぐに顔に出すからな』

「なるほど!」

 レヴァリアが雲の隙間に隠れてこちらの様子を伺っていると知っていたら、ルーヴェントが飛翔したりした段階で僕の目は流れていたかもしれない。そして、思慮深いアレクスさんは、そんな些細な僕の様子を敏感に読み取って余計な警戒をしていたかもしれないね。

 レヴァリアと状況を確認しながら、僕は竜の森へと向かった。

 だけど、リステアやスラットンたちに苦難がのしかかっているのと同じように、僕にもまた厳しい試練が待ち受けているのだとは、この時はまだ知らなかった。