We Live in Dragon’s Peak

Those who chase, those who chase.

 呼吸をするたびに、口から白い吐息が漏れる。

「寒いね」

 僕の声に、トリス君が深く頷く。

 魔王クシャリラの支配する国土に入り、いきなり待ち伏せの洗礼を受けた僕たちは、ニーミアに乗ってなんとか西の山岳地帯まで逃げてきた。

 平地ではまだ雪こそ降っていないけど、風は冷たく、空はどんよりと灰色に染まっている。

 そして、西に目を向けると、真っ白な山嶺が寒々とした風景として視界を埋めつくす。

 ルイララの話では、あれこそが天上山脈と呼ばれ、人族と魔族の文化圏を隔てる天然の要害なのだとか。

 そして、あの天上山脈のどこかに、リステアの探す東の魔術師がいるはずだ。

 だけど、その前に。

 僕たちは、失った装備と食料を求め、近隣の村へと向かっていた。

 天上山脈の入り口にある村。その位置は、すでに特定してある。

 ニーミアに乗って移動している間に、空から確認していたからね。

 ルイララを先頭に、僕たちは白い息を吐きながら前進する。

 まあ、黙々と歩いてくれているのは、自動馬形で、僕たちは騎乗しているだけなんだけどね。

「平地に雪が積もっていないだけましだね?」

「この辺まで雪が積もっていたら、移動もままならなかっただろうね」

 僕の呟きに、ルイララは周囲を見渡す。

 天上山脈からは、時おり冷たい風が吹き降りてくる。その度に僕たちは襟元を手繰り寄せ、寒さに震えていた。

 だけど、真っ白に染まった天上山脈とは違い、麓にまではまだ冬が訪れてはいないみたい。

 とはいえ、平地が白く染まるのも時間の問題だ。

 見上げた空の雲は厚く、まだ日中だというのに太陽の日差しを遮って、世界を薄暗く染色している。

「ともかく、急いだ方が良いだろうね」

「うん、そうだね。早く装備を整えて東の魔術師を探し出さないと、雪山は危険だからね」

「ははは、さすがはエルネア君だね。君の心配は、気候の方なんだね?」

「ああ、そうか……」

 忘れてはいけない。

 天上山脈に挑もうとしているのは、なにも僕たちだけじゃない。

 魔王クシャリラもまた、天上山脈を越えて西に進出しようとしている。

 そうなると、天上山脈のどこかでクシャリラの手勢と相対する可能性だってあるんだよね。

 東の国境沿いで僕たちを狙っていた勢力も、いずれはこちらに移動してくる可能性だってある。

 そうなると、僕たちはいよいよもって、危険な状況に陥ってしまうかもしれない。

「よし、急ごう! ううう、それにしても寒いな」

 竜術によって防寒の加護を付与しているはずなんだけど、それでも寒い。もしかすると、天上山脈の冬は竜峰なんかよりももっと寒いのかもね。

 懐に潜り込んで休んでいるニーミアの体温がほっこりと暖かいのか救いだ。だけど、それ以外の手足は冷えてしまっていた。

 指先なんて、かじかんできちゃって感覚も麻痺してきだしたよ。

 掌を開いたり握りしめたり、はあっ、と息を吹きかけたり。なんとかして寒さを和らげようと、試行錯誤していると、並んできたスラットンに鼻で笑われた。

「はんっ、軟弱者だなぁ、お前は」

「スラットンは寒くないの?」

「当たり前だろ?」

 みんなと同じように白い息を吐いている様子は一緒だけど、スラットンは馬上で元気よく動いてみせた。

 すごい!

 鍛え方によっては、寒さも克服しちゃうんだね、と感動したのは間違いでした。

「エルネア、騙されるなよ? こいつは、俺の炎の加護を受けているだけだからな」

「なんだってー!」

「ぅおいっ、リステア! それを言うなよっ」

 リステアにあっさりと裏切られ、種明かしをされてしまったスラットン。

 僕たちの冷たい眼差しに、スラットンは気まずくなったのか、馬の足を速めてさっさと先に行ってしまった。

 辺境の村には、すぐにたどり着いた。

 西の国境地帯、これより先は過酷な山脈地帯になるということで、過疎化した村には数十人の村人が静かに暮らしていた。

「僕以外にも、彼らの防寒着を準備してほしい。それと、食料と水。それに炎の魔晶石があれば、それも」

「は、はぁ……」

 ここは魔族の支配する文化圏。ということは、村を支配する者たちも魔族ということになる。

 そこへ突然、身なりがまともな人族や天族や神族が馬に乗って訪れたら、長閑(のどか)に暮らす田舎の魔族だって警戒しちゃうよね。

 僕たちは魔族を刺激しないように、ルイララの背後で大人しくしている。代わりに、主人役であるルイララが交渉に出てくれた。

 貴族然とした風貌、それに人族だけでなく神族や天族までもを奴隷にしている、という設定が効いたのか、村人はすぐにルイララの指示に従って、こちらの必要な物を手配してくれた。

「厚手の毛皮に、手袋。靴に寝袋。うん、これなら暖かそうだね。そちらの言い値で買い取ろうか。でも、炎の魔晶石が少ないね?」

「旦那様、この時期に炎の魔晶石を所望なさりましても、こんな辺鄙な村には余裕がありませんだ」

「ああ、それはそうだね。それじゃあ、融通できる分だけでもいいから、売ってくれるかな? もちろん、言い値でね」

「ははっ」

 気前よく金貨を払うルイララに、僕は内心でため息をつく。

 でも、その意味は「もったいない」ではなく「なんてお金持ちなんだ」という羨望のため息です。

 羽振りが良く温厚な雰囲気を見せるルイララに気分を良くした魔族の住民は、購入品をまとめている間に熱々の飲み物と美味しそうな食べ物を準備してくれた。

 ただし、ルイララの分だけ。

 たとえ辺境の魔族であっても、奴隷である僕たちには一切の配慮をしない。それが、魔族という者らしい。

 ぐるるるる、とスラットンのお腹が盛大に鳴っても、村人の魔族は「そちらもいかが?」なんて声さえかけてくれない。

「くそっ、腹が減ったな」

 スラットンが小さく呟く。

 越境してからこっち、僕たちは満腹になるほどの食べ物なんて口にしていない。

 精々が、アレスちゃんが出してくれたお芋か、各自で保有していた保存用の干し肉をかじったくらいだ。

 それに、これから先も飲食物には苦労するかもしれない。

 なにせ、ルイララが購入してくれた食べ物や飲み物だって、厳しい冬を迎える村の余剰品で、潤沢に手に入れられたわけじゃないのだから。

 特に、炎の魔晶石をほとんど確保できなかったのが痛い。

 寒さのなかで暖をとるためには、炎の魔晶石が必須だからね。

 ルイララは村人が荷造りしている間に、ひとりだけ美味しそうに食べ物を食べたり、温かい飲み物で身体を内側から温めている。

 僕たちはそんなルイララを羨ましそうに見つめることしかできない。

 だけど、さすがのルーヴェントだってこの場で露骨な態度や悪態はつかない。

 魔族の支配する村で騒ぎなんて起こしたら、それこそ僕たちの居場所がクシャリラ側に露見しちゃうからね。

 とはいえ、クシャリラ側が僕たちと同じく天上山脈に介入しようとしているのなら、きっとこの村でのやり取りもすぐに伝わるはずだ。

 だから、ゆっくりとはしていられない。

 そう危惧していたけど、意味はなかった。

 なぜなら……

「ほほう、このような場所で呑気に買い物とは。随分と余裕であるな?」

 不意に声をかけられ、驚いて背後を振り返る僕たち。するとそこには、いつの間にか魔族の姿が。

 しかも、ひとりや二人ではない。数え切れないくらいの魔族が、僕たちの背後から村に入ってくる。

「そんな馬鹿な! なんで急に、魔族どもが出てきやがったんだ!」

 驚愕するスラットン。

 でも、驚いているのはスラットンだけじゃない。僕だって、予想外の展開に動揺していた。

 けっして、油断はしていない。クシャリラの手勢と出くわさないように、周囲の警戒は怠っていなかった。

 なのに、魔族の接近に気づかなかったなんて……

 僕たちが驚愕している間にも、魔族たちはぞろぞろと村に入ってくる。しかも、全員が見慣れてしまった黒装束の鬼たち。

 そして、鬼たちを率いる男を見たルイララが、露骨に顔をしかめた。

「これは、これは。鬼将バルビア閣下。このような辺境で会うとは奇遇ですね?」

「まこと、奇遇であるな。ルイララ卿」

 知己の間柄なのか、軽く言葉を交わし合うルイララと、バルビアと呼ばれた鬼。

 額には、二本の鋭く長い角が生えている。

 黒い瞳に赤い瞳孔。顔は白いけど、首から下の皮膚は黒装束を纏うまでもなく黒い。そして、既視感を覚えるような、ゆったりとした服装と柔らかい物腰。

 もしかして、賢老魔王の側近だった男性と同じ部族の鬼なのだろうか。なんて考察している場合ではない。

 僕たちは武器を手に取り、油断なく身構える。

 黒装束の鬼たちも、僕たちを包囲しようと動く。

 やはり、数が多い。

 十や二十なんて数じゃない。

 村は瞬く間に黒装束の鬼たちに占領され、村人たちは悲鳴をあげて屋内へと逃げていく。

 これは、どう見積もっても数百、ううん、下手をすると千単位の軍勢だ!

 一触即発。誰かが不用意に動けば、それが戦端となる。

 そんな周囲の状況を把握しているはずのルイララだけど、鬼将バルビアと会話を続けていた。

「それにしても、驚きですね。鬼将閣下はてっきり、国境で目を光らせているものとばかり思っていたのですが? ほら、僕たちが越境した際の手勢は、閣下の手先でしょう?」

「確かに配下の者たちであったが、あれが全てではない。それに、ここも国境であろう? 此度こそは私も陛下と共に遠征させていただく」

「ははは、つまり、妖精魔王陛下は本気だということですね?」

 いったい、どういう意味なのか。

 確認するまでもなく、ルイララが教えてくれた。

 ただし、予想外の反応で。

「エルネア君、ニーミアちゃんにお願いして、今すぐこの場から逃げるんだ」

「えっ!?」

「鬼将、いや、魔将軍バルビア閣下が出てくるなんてね」

「どういうこと?」

 クシャリラだって、れっきとした魔王だ。配下に魔将軍がいてもおかしくはない。

 だけど、名だたる魔将軍は、先の戦乱で命を落としているはず。

 鬼将バルビアは、西へ国替えをしたあとに召し上げた魔将軍じゃないの?

 だけど、僕の考えは浅はかだった。

「この方は、妖精魔王陛下が遠征した際にも、深淵の魔王陛下と接する国境を守り続けた猛将だよ。考えてもみてよ。魔王が国に不在だと知られれば、他の魔王が干渉しないはずはないだろう?」

 実際に、巨人の魔王は精鋭部隊を派遣して魔王城を落としたしね。

 でも、その間も辺境を守護し続け、深淵の魔王からの干渉を阻止していた魔将軍が、このバルビアだと言う。

「君たちと同じさ。鬼将バルビア閣下も、歴戦の強者だよ。深淵の魔王陛下や配下の魔将軍たちと幾度となく刃を交え、戦い抜いてきた本物の鬼だ。その辺の魔将軍や上級魔族と一緒にしない方が良いよ。だから、逃げるんだ。ここは、僕が時間稼ぎをするから!」

 まさか、ルイララにここまで言わせるような魔族なのか、このバルビアという鬼は!?

「過大評価ではあるが、賛美として素直に聞いておくとしよう。しかし、ここまできて逃すとでも?」

「はははっ、逃げられるさ。エルネア君たちならね」

 ルイララの自信たっぷりな言葉に、すうっと黒い瞳を細めて僕たちを見るバルビア。

「金髪が、人族の勇者。栗色の髪が竜王、であったか。私があの戦いに参戦さえしていれば、その首は今頃繋がっていなかっただろうに」

 見つめられただけで、ぞくりと悪寒が走る。

 大邪鬼ヤーンや獣魔将ネリッツも魔将軍らしい圧倒的な気配だったけど、このバルビアは別格だと本能が告げていた。

「ニーミア!」

 だから、僕は即断した。

 懐からニーミアを呼び出すと、巨大化してもらう。

 巨竜の姿に、包囲網を築いていた黒装束の魔族たちが浮き足立つ。その隙に僕はニーミアに飛び乗ると、全員を促す。

「みんな、乗って!」

「でも、ルイララ様が……」

「トリス君、彼は大丈夫だから!」

 躊躇うトリス君の手を取って、強引に引っ張り上げる。

 きっと、ルイララなら大丈夫。そう信じている!

 それよりも、いまはこの場から逃げることが先決なんだ!

「リステアたちも、急いで!」

 リステアやアレクスさんを急かす。彼らも思うところがありそうな表情をしていたけど、ルイララの警告と僕の催促にただ事ではないのだと直感したのか、素早くニーミアの背中に移動した。

 そして僕たちは、ルイララを残して天上山脈の空へと飛び立った。