We Live in Dragon’s Peak
Heavenly Mountains in the rough weather
僕は思わず、涙を零していた。
幹に触れた手から、桃の老木の想いが伝わってくる。
アレスちゃんの協力を得て、言葉ではなく、映像として、僕の頭に届く。
なんて、深い慈愛に満ちた桃の木なんだろう。
たまたま自分の根元に置き去りにされた人族の幼子を、こんなにも慈しみをもって想い続けているだなんて。
春になり、満開の花を咲かせた桃の木に喜ぶ幼子。舞い散る花びらを楽しそうに追いかけ、小さな手のひらに包んでは嬉しそうに微笑む成長した少女。
桃の老木は「あの子」との想い出を他にもたくさん、僕に伝えてくれた。
『せめて最後に、あの子に私の桃を届けておくれ』
少女が訪ねてこなくなってからも、桃の老木は毎日欠かさず桃を実らせ続けた。
いつか、少女がふと訪れたときに、食べてもらいたくて。
少女の笑顔を見たくて。
そうして何年も、何十年も、何百年も、桃の老木は桃を実らせ続けてきたんだ。
僕は、桃の老木のごつごつとした幹を優しく撫でた。
桃の木だというのに分厚い樹皮は、彼の齢(よわい)を物語っているかのようだ。
人で言うところの、深い皺みたいなものかな?
撫でると、ごつごつと手に引っかかって痛いけど、不思議と嫌ではない。
お爺ちゃんやお婆ちゃんの手をさすっているいるようで、なんだかこちらの方が癒されてくる。
「ずっとずっと、あの子を待ち続けていたんだね。うん、いいよ。僕が必ず、あの子をつれてきてあげる」
『ああ、優しい人の子よ。だが、私はあの子にこの桃を届けてくれさえすれば良いのだよ』
「ううん。それじゃあ、駄目だよ。もう一度あの子の笑顔が見たいでしょう? 僕も、あの子が貴方の木陰で美味しそうに桃を食べる姿が見たいんだ」
「ごうよくごうよく」
「ふふふ、そうだね。僕は強欲なんだ」
知ってますとも、とアレスちゃんが笑顔で頷く。
「アレスちゃん、ありがとうね」
「どういたしまして」
アレスちゃんのおかげで、桃の老木の想いを受け取ることができた。
桃の老木も、僕に想いを伝えられて嬉しそうに枝葉を揺らす。
よし、先ずはひとつ、目の前の問題を自分のなかに落とし込むことができた。
それじゃあ、と今度はアレスちゃんを抱きかかえ、ミストラルたちの近況を確認する。
だけど、アレスちゃんの口からは芳(かんば)しくない状況が伝えられた。
「じゃぞくが、ひとのことばをしゃべったよ?」
「えええっ!」
予想外の第一声に、僕はつい先ほどまでのほっこりとした心を瞬時に凍らせる。
「ええっと、どういうこと?」
僕の動転に、トリス君が眉根に皺を寄せて聞き返す。それで、僕は邪族の恐ろしさを改めて語る。
アームアード王国の王都を出立する前にリステアたちには話しておいたけど、トリス君が加わったしね。
精霊の知識がないような人には、存在の格付けからきちんと話さなきゃいけない。
精霊も邪族も、低位の存在になればなるほど、動物や昆虫の姿に似通っていく。
まあ、精霊なんかは、さらに低位になると光だけの存在になったり、顕現するだけの力がなくて気配だけになったりするけどね。
逆に、存在の格が上がっていくと、なぜか人の姿に近くなり、より美しく、より逞しく、より格好良くなっていくんだよね。そして、姿の変化に合わせ、精霊や邪族は人の言葉を口にするようになっていく。
「それじゃあ、そのちっこい女の子は……?」
「そうそう、紹介が遅れちゃっていたね。この子はアレスちゃん。女神様の名前の一部をいただいて、僕が命名した高位の精霊さんだよ。僕の半身と言ってもいいような、大切な存在なんだ」
「いっしんどうたい、いっしんどうたい」
「す、すげぇっすよ、エルネア君! やっぱ、竜王は半端ないっすね!」
トリス君のなかでの、僕の格付けが無駄に上がっていってます。
このまま、僕と友達でいてくれるのだろうか。それはともかくとして。
「そ、それで、アレスちゃん。邪族が喋ったって、具体的には?」
僕の問いかけに、こほんっと可愛く咳をするアレスちゃん。
そして、声真似をするように邪族の口調を再現した。
「アー、アー。ワレコソハ、ジャゾクダ」
「っ!?」
歪な発音。耳障りな声。
思わず耳を塞ぎたくなるような、不愉快な話し方。
すると、みるみる表情を強張らせてアレクスさんとルーヴェントに詰め寄ったのは、スラットンだった。
「あの熊野郎、やっぱり人族なんかじゃなかったじゃねえか!」
「いや、馬鹿な?」
「そ、そんなはずはございません……!」
アレクスさんとルーヴェントは、スラットンの迫力にたじろぎながらも、自分たちの直感を信じて反論しようとする。
だけど、スラットンは二人にさらに詰め寄っていく。
「どうしてくれるんだ! 奴が人でないのなら、殺してでも聖剣をあの場で奪い返しておくべきだったんだ」
「スラットン、落ち着け」
「落ち着けるかってんだ! リステア、お前は騙されたんだぞ? あの野郎は、聖剣を危険な存在と認識して、お前からまんまと聖剣を奪ったんだ!」
それに、と今度は僕を睨むスラットン。
「奴は、東の魔術師なんかじゃねえ。確かに、すげぇ術使いだったが、正体は邪族だ! 邪族は世界の敵だと俺たちに説明したのはお前だろう。世界の敵が、こっちの話なんて聞くもんかよ!」
どうやら、アレスちゃんの声真似が迫真だったかららしい。
スラットンは、最初から疑いを持ってあの洞窟の住人を見ていたからね。そこへ、アレスちゃんの声真似だ。疑惑が再燃してもおかしくはない。
それに、相棒であるリステアのことを真摯に想い、彼の代わりに激昂している。
だから、スラットンを責めることはできない。
ただし、間違いはやはり間違いなのだと、僕はスラットンに改めて言わなきゃいけない。
「そうじゃないよ、スラットン。彼女は、間違いなく東の魔術師なんだ。そして、正真正銘の人族だよ」
「お前は、この期に及んでもなお、なぜそうまで淀みなく断言できる?」
ぎろり、とスラットンに睨まれた。
スラットンの考えとしては、東の魔術師が実は人違いで、しかも正体が邪族だったのなら、折れたままであっても聖剣を奪取していれば良かったということなんだよね。
間違った判断、間違った対応の結果、リステアは聖剣から遠く引き離され、下手をすると取り返しがつかない状況に陥ったかもしれない。
そんな疑念から、感情を高ぶらせてしまっている。
だから、逆に僕は冷静な口調でスラットンに、そしてみんなに語りかけた。
「僕を信じてほしい。そして、アレクスさんとルーヴェントの判断を疑わないで。確かに、アームアードの邪族が人の言葉を喋ったということは衝撃的だよ。そして、アレスちゃんの声真似には驚かされた。でも、違う。彼女は、邪族なんかじゃない。そして、東の魔術師で間違いないんだ」
どこに、お前の言葉を裏付ける証拠がある? と聞き返すスラットンに、でも今の僕は証拠を提示することはできない。
だからこそ、信じてほしい、と訴えかけるしかない。
ううん、物的証拠は手元にないけど、状況証拠なら示せるかも、と口を開きかけたときだった。
「大変にゃーん!」
「ニーミア!」
遠くから猛烈な速度で飛来してきたニーミアは、僕たちの姿を見つけると慌てたように降りてきた。
「大変にゃんっ」
「ニーミア、そんなに慌ててどうしたの!?」
ニーミアは小さくなることも忘れて、わさわさと尻尾を落ち着きなく揺らしながら言う。
「魔族が攻めてきてるにゃん」
ニーミアは、魔族の動向を調べるために頑張ってくれていたんだよね。
でも、僕たちは東の魔術師の水晶越しに、状況を把握しているよ?
数千に及ぶ魔族の軍勢が雪山を侵攻していたみたいだけど、東の魔術師の繰り出した恐ろしい術によって、敗走に追い込まれたはずだ。
ニーミアに事実を確認してみる。だけど、ニーミアはぶんぶんと頭を振って、否定した。
「違うにゃん。あれは、ほんの一部だったにゃん」
「むむむ、どういうこと?」
数千規模の魔族軍が、ほんの一部だって?
言い知れぬ不安にかられながらも、ニーミアに確認を入れる。
すると、ニーミアは予想だにしない恐ろしい事実を口にした。
「北や南やいろんな場所から、やって来ているにゃん。どれも数万規模にゃん。全部合わせたら、十万は超えるにゃん!」
「な、なんだってーっ!」
魔族の軍勢の規模に、東の魔術師の正体や邪族のことも忘れて愕然としてしまう僕たち。
だけど、さらにニーミアは恐ろしい最新情報を突きつけてきた。
「全部の軍隊が、こっちに向かってきてるにゃん」
「えっ、どういうこと?」
意味がわからず、つい聞き返してしまう僕に、ニーミアは補足を付けてもう一度言う。
「最初は、普通に山に入ってきたにゃん。でも、途中から全部の軍隊が進路をこっちに向けて進み出したにゃん。たぶん、魔術師の居場所が見つかってしまったにゃん」
「なっ!」
そんな、馬鹿な!
東の魔術師の居所が知られた?
そんなの、あり得ないよ!?
魔族たちはどうやって、東の魔術師の居場所を特定したというのだろう?
遠隔呪術を察知された?
でも、攻撃を受けた軍勢はそもそもあれが呪術だということさえも気づけなかったはずだ。それだけ、東の魔術師の遠隔呪術は恐ろしく、卓越していた。
では、なぜ東の魔術師の居所が魔族に露見してしまったのか。
そもそも、どの段階で発覚した?
ニーミアに確認してみる。すると、さらなる疑問と驚きが僕たちの間に広がった。
「魔族が進路を変更したのは、呪術の攻撃を受けるよりも前にゃん」
「ってことは、魔族たちは東の魔術師の呪術を逆探知して場所を探り当てたわけじゃないってことになるよね?」
本当に、魔族たちは東の魔術師の居場所を特定して進路を変更したのだろうか。僕の疑問に、だけどニーミアは確信めいて頷く。
「間違いないにゃん。全部の軍隊が、こっちを目指して進軍してきているにゃん」
なぜ、という言葉しか口から漏れない。
なぜ、東の魔術師の居場所が知られてしまったのか。
なぜ、各所から天上山脈に侵入してきた幾つもの部隊が、急に揃って進路を変更してきたのか。
いろんな場所から天上山脈に入ったということは、当初は魔族も東の魔術師の居所を把握していなかったということを意味している。だから広範囲に部隊を展開させ、しらみ潰しに捜索しようとしていたんだと思う。
それが今や、全軍の進路をこちらに、というか東の魔術師が住処にしている洞穴へと変更して進軍してきている。
東の魔術師の居所を探り当てた方法。そして、各所に散らばった全軍がどうやって意思疎通をして、一斉に進路を定めたのか。
まるで、理解できない。
「もしかしたら、俺たちが鷲に掴まれて移動していたところを見られていたのかもな?」
「ううん、それはないと思うよ。だって、僕だって注意深く周囲を観察していたんだ。だから、こうして桃の木を見つけられたわけだし。それに、東の魔術師がそんな初歩的な失敗を犯すとは到底思えないよ」
自分の不注意で呆気なく居場所を特定されるような未熟者が、何百年にも渡って魔族の侵略を阻止できたとは思えない。
では、他に何か要因でもあるというのだろうか。
むむむ、と頭を悩ませる僕。
そこへ助言を与えてくれたのは、アレクスさんだった。
「今は、私たちだけであれやこれやと原因を探っていても仕方がない。ともかく、火急の事態だ。この状況を東の魔術師殿に伝えなければ」
「うん、そうだね。それに、スラットンの疑念を晴らすためにも、僕たちはあの洞穴へ戻るしかない。こっちの役者は揃ったんだ。聖剣を取り戻すためにも、もう一度みんなで洞穴へ向かおう!」
今度は、東の魔術師が警戒していたニーミアとドゥラネルを同行させる。
ちょっと強引ではあるけど、竜族の存在をちらつかせてでも、強引にこちらの話を聞いてもらおう。
「桃の老木から受け取った想いは、移動中に話すね。それと、スラットンの質問にも、答えるよ。さあ、みんな。ニーミアに乗って!」
「にゃん」
きっと、今でもスラットンには思うところがあるのだろう。リステアだって、表面上は冷静さを装っているけど、内心では不安でいっぱいなはずだ。
それでも、みんなは僕に急かされて、ニーミアの背中に乗っていく。
ドゥラネルだけは、スラットンの影に溶けて消えた。
「必ず、あの子を連れてくるからね。待っててね!」
慌ただしい出発になった。
僕はニーミアの背中に飛び乗る前に、桃の老木に振り返って約束する。
「ああ、それと、最後にひとつだけ。貴方は、三百年前くらいに天上山脈を訪れた双子の兄弟を知らないかな?」
さっきは、桃の老木が抱く「あの子」への想いばかりが伝わってきた。
でも、僕はもうひとつだけ、確認しておかなきゃいけない。
そう、アームアードとヨルテニトスのことだ。
すると、桃の老木は二人のことを知っていた。
『仲の良い、賑やかな兄弟だった。あの子らにも、桃を与えたよ』
「では、兄の方が持っていた呪力剣のことについて、何か知らないかな?」
『呪力剣……。ああ、そうだね。あの剣と炎の宝玉のことを、私はよく知っている』
「本当!? あれは、当時の双子から代々受け継がれてきた、大切な剣なんだ。でも、つい最近にある人から盗っ人と言われちゃって……」
『そうだったのだね。許しておくれ、頼んだのは私なのだ。あの宝玉は、人を魅了する力と美しさがあった。あのまま宝玉を放置していれば、いずれ取り返しがつかないことが起きるかもしれないと、私は危惧してしまった。それで、双子に頼んだのだよ』
「なるほど! これで、謎は解けたよ。ありがとう!」
『優しい人の子よ、気をつけなさい。そして、よろしく頼むよ』
「はい、おまかせあれ!」
最後に僕がニーミアの背中に飛び乗ると、ニーミアは翼を羽ばたかせて飛翔した。
僕は、移動中に約束通り、スラットンの疑念に答えた。
その過程で、桃の老木から伝えられた想いをみんなにも話す。
桃の老木が僕に伝えた想いを紐解いていけば、きっと「あの子」の正体へたどり着く。そして「あの子」の正体が判明すれば、スラットンの抱く疑念の払拭に繋がるはずだ。
僕の話を聞き「あの子」が何者であるのか。そして、聖剣の由来の手がかりを掴んだみんなは、意を決して東の魔術師が住処にしている洞穴へと戻ってきた。
「おうおう、戻ってきてやったぜ!」
スラットンが勇ましく名乗りをあげる。
すると、洞穴の奥から双眸を光らせた影が現れた。
だけど、前回のように、いきなり身動きを封じられて拘束されたりはしない。
なぜなら、ニーミアに護られているからね!
「にゃん」
とはいえ、本番はここからだ。
闇の奥で警戒に瞳を光らせる影に、今度は僕が声をかける。
「ねえ、聞いて。この、古代種の竜族であるニーミアが、天上山脈を偵察してきてくれたんだ。それで、わかったんだよ。十万を超える魔族の軍勢が、ここを見つけて迫ってきているんだ」
「ググゥ、魔、族。ジュウ……マン?」
どうやら、東の魔術師は「十万」という単位がわからないらしい。
「山をひとつ埋め尽くせるほどの大人数ってことだよ。さっき貴女が壊滅させた軍勢の、何倍もの規模だよ!」
ぎぎぎっ、と歯を食い縛るような軋んだ音を立てる東の魔術師。
ただし、ニーミアの存在のおかげか、最初から聞く耳を持たない、という状況にはならない。
とはいえ、こちらの話が本当なのかと、疑っているのは間違いないよね。
「それじゃあ、確認してみて。貴女なら、水晶を通して天上山脈を見通せるでしょう?」
僕たちは、確認が取れるまでこの場で待機しているから、と敵じゃないことを主張しながら、東の魔術師を促す。
東の魔術師は僕たちの言動に半信半疑ながらも、水晶を使って魔族の動きを確認しようとした。
その時だった。
『くくくっ。それは、必要のなきこと。よい前座であった。だが、本幕は上がらず、余興を残すのみ』
「っ!!」
僕が動く前に。
東の魔術師が反応する前に。
空間が、揺らいだ。
東の魔術師の背後に、視認できない「何か」が出現した。
「ガフッッ!」
そして、揺らめく「何か」が、東の魔術師の胸を容赦なく貫いた。