We Live in Dragon’s Peak

Silver Flame Warrior and Fei Long Maiden

 けほん、けほんっ。と小さく咳き込む気配に、俺は瞑想から目覚める。

 俺が座る椅子の近くには寝具があり、そこに、ひとりの女が横たわっていた。

「ご、ごめんなさい。起こしちゃいました?」

「いや、寝ていたわけではない。それに、俺に気を使う必要はない」

 女は、瞳を閉じていた俺のことを、寝ていたと勘違いしたようだ。それで、自分の咳で起こしてしまったのだと、申し訳なさそうな表情を見せる。

 顔の半分以上を布団に埋め、上目遣いで俺の様子を伺う女。

 俺は、不安を抱えた女を安心させるように、唇の口角を上げた。

 それは、昨日のことだった。

 禁領に向かい、朝早くに出立したエルネアたちと入れ違うように、女、アネモネが竜峰から飛んできた。

「ザン様、見てください。私も、ひとりで竜峰から飛んでこられました!」

 エルネアの実家の中庭に飛来してきたアネモネが、上空から満面の笑みを浮かべて降りてきた。

 だが、着地しようとした、そのとき。

「あっ、あっ」

 ふらり、と体勢を崩すアネモネ。

 俺が咄嗟に手を伸ばしていなければ、アネモネは無様に尻餅を突いていたかもしれない。

 いや、今思えば、そのまま倒れ込んでいた可能性の方が高いか。

 俺の腕の中で、くたり、と力を失ったアネモネ。

 その時点で集中も途切れてしまったのか、人竜化が解けてしまう。

「どうした?」

 アネモネの体重を支えながら、問いかける。

 随分と、軽い。よもや、無理して飛行したせいで、体重を激減させてしまったか、と思えるほどだ。

 すると、アネモネは少しばかり辛そうに呼吸を乱しながら、それでも気丈に笑顔を向けてきた。

「少し、疲れたのかもしれません。でも、褒めてくださいね? 私だって、やれば出来る子なんですよ?」

「やれやれ。あまり、無理をするな。だが、よくやったと俺も思う。飛べるからといって、竜峰の空を容易に移動できるはずもないからな」

 翼を生やせる者であれば、誰でも気軽に行きたい場所へ行ける、と言えるほど、竜峰の空は甘くない。

 竜峰の東側にあるアネモネの村が比較的にここと近いとはいっても、ひとりで飛んでくるということは、それなりに辛く、大変だ。

 姿を隠す場所のない空を飛べば、当然のように目立つ。そうすれば、魔獣や竜族の格好の獲物になるだけだ。

 その孤独さと危険性を振り払い、竜峰からここまで飛んできたことは、賞賛に値する

 だが、やはり無理をしすぎたようだ。

 見ると、アネモネは顔を赤くして、なかなか息も整わない。

 しかも、体重を俺に預けたまま、自力で立てそうな気配もない。

「アネモネ?」

 すると、ミストラルが心配そうに駆け寄ってきた。

 どうやら、ミストラルの目にもアネモネの着地は危うく映っていたらしい。

 最初は「仲睦まじいわね」などと軽口を叩きながら近づいてきたミストラルだったが。アネモネの様子を見て、すぐに表情を険しくさせた。

「ちょっと、ザン。もう少しアネモネを心配しなさい!」

「なに?」

 どういうことだ、と聞き返す前に。

 アネモネは、苦しそうに咳き込みながら、俺の腕の中で意識を失ってしまった。

 慌てて走り寄ってきた屋敷の使用人であるカレンが部屋を準備し、ライラが着替えや濡れた布を準備する。

 ミストラルが大神殿へと走り、ルイセイネを呼び戻してきた。そして、ルイセイネが看病し、今に至る、といわけだ。

 どうやら、アネモネは無理をしたようで、熱を出してしまったらしい。

「ご、ごめんなさい……。兄に、今年はこちらでザン様と年を越しても良いと言われて。それで、はしゃぎすぎちゃいました」

 しゅん、と子竜のように項垂れるアネモネ。

 俺は、アネモネの額に乗せられていた布をもう一度水に濡らし、絞ってから戻す。

「お前は元来、身体が弱いんだ。あまり、無理はするな。ここへ来たかったのなら、事前に俺に相談をしておけ。そうしていれば、無理をさせずにすんだ」

「ごめんなさい」

「謝る必要はない。疲れから熱を出してしまったようだが、それでも俺はお前を評価しているのだから。よく、ひとりで来られたな。よくやった」

 健気な女だ。

 俺と年を越したい。それだけのために、無理をして飛んでくるとは。

 もしも、俺が先んじて竜峰に帰っていたら、どうするつもりだったのだ?

 もしや、追いかけて来たとでも?

 いや、アネモネのことだ。そうしていたに違いない。

 まったく。俺などという男に、よくもまあついてくるものだ。

 自分でも、理解している。

 俺は、エルネアのように笑顔を振り撒けるような性格はしていない。

 話はつまらないし、愛想も良くないと自覚している。

 だというのに、アネモネはそんな俺に対し、嫌気も見せずに慕ってくれる。

 ……悪い気はしない。

 いや、嬉しいのだろうか。

 別に、女が苦手だとか、恋愛に興味がない、というわけではない。

 幼馴染であるミストラルとはよく話をするし、男同士で酒を酌み交わしていると、最終的には下世話な話に落ち着くこともしばしばだ。

 だが、アネモネとこうして二人っきりになると、常に冷静であろうとするはずの俺の心が、妙にざわつく。

 気付くと、アネモネの様子を伺っている自分。なにを考えているのか、なにを話せば良いのか、柄にもなく気になってしまう。

 まあ、俺も朴念仁ではない。

 この感情がなんなのか、誰に指摘されるまでもなく、知っている。

 だが、未熟な俺のことだ。勘違いの可能性があるし、そもそも、アネモネの心を正しく理解できているとは言い難い。

 そして、結局は当たり障りのない返事や、無愛想な対応に行き着いてしまうのだ。

 しかし、アネモネは嬉しそうに、俺が交換した額の布に手を当てて、微笑んだ。

「せっかく、ザン様と平地の年越しを体験できると思ったのに」

「年越しまでには、まだ数日ある。そうしたいのなら、養生してさっさと元気になれ」

「はい!」

 と返事をした拍子に、アネモネは咳き込んでしまった。

 こういう時、俺はどうすべきなのだろう?

 背中をさすってやる?

 だが、アネモネは布団の中だ。背中に手を伸ばそうとすれば、俺も布団に入らなければならない。

 気遣いの言葉でもかけてやるべきだろうか。

 しかし、それでアネモネの苦しそうな咳が治るわけではない。

 やはり、俺は不器用で未熟者だ。

 寝込んでいる相手がミストラルであれば「養生しておけ」とでも言って寝かせておけば、元気になるのだが。

 エルネアであれば、こういうときにどうするだろうな?

 いや、俺はエルネアではないし、そもそも奴の尻尾を追いかけることが俺に必要な道だとは思えない。

 ならば、やはり自分で答えを導き出さねばならないのだが……

 残念だが、今の俺には答えを見出すほどの器量はなかった。

 それで、しばらく無言でアネモネを見つめる。

 なにもできない代わりに、落ち着くまで見守ってやることしかできない。

 アネモネの咳は、少しだけ長引いた。

 つい、俺は心配になって、手を伸ばす。

 アネモネの頭を撫でる。

 俺は、馬鹿だな。

 頭を撫でられたからといって、咳が止まるわけではない。だというのに、無意識のうちにこんな行動を取るとは。

 だが、俺が頭を撫でてやると、アネモネの咳は治っていった。

 いいや、気のせいか。

 俺が撫でたからではない。時間の経過による、必然の結果だ。

 咳が止まっても、息苦しそうに胸を上下させるアネモネ。

「待っていろ。ミストラルなりに頼んで、喉に効く薬か茶でも準備してこよう」

 言って、椅子から立ち上がろうとした俺の手を、アネモネが握り返してきた。

「っんもう。また竜姫様のお話をする。私といるときは、私を見ていてください」

 はて、ミストラルの名前を出しただけなのだがな。

 とはいえ、アネモネの手を無下に振り払うこともできずに、俺は椅子に座り直した。

「邪族の討伐は、大変でした?」

「未熟さを痛感させられたよ。己の技や術が通用しない相手と、どう戦うか。格上の者と相対した場合の戦い方を、俺はもっと学ばなければいけない。それにひきかえ、エルネアは凄いな。どれほどの強者に対しても、揺るぎない闘志を見せることができる。あいつの前では、強さの格付けなどは意味がないのかもしれない。対立者は等しく竜剣舞の共演者であり、エルネアに華を添える脇役でしかなくなるのだ」

「エルネア君の竜剣舞。私もまた見てみたいです。綺麗ですよね。戦うための技だということは理解していますが、それでも観ていて惚れ惚れとするんですよね。私も、勝負相手としてではなく、舞い手としてエルネア君と踊ってみたいです」

「やれやれ。お前だって、エルネアのことになると楽しそうに話すな」

「あっ、ごめんなさい。でも、違うんです! エルネア君の竜剣舞は綺麗ですけど、ザン様の銀炎は、本当に美しいと感動していますから、私! けほっ、けほっ」

 苦笑するしかない。

 お互いに、幼馴染であったり恩人の名前や話を、ついつい口にしてしまう。

 なるほど。アネモネも、恐らくはこういう感情なのだな。

 他意のない話題だが、しかしそこに、自分ではない異性の名前が出てくると、気持ちがもやりとしてしまう。

 こんこん、と扉が叩く音に、反応する俺。

「大丈夫かしら? 咳き込んでいたようだけれど?」

「ミストラルか」

 どうやら、アネモネの咳が室外まで漏れていて、ミストラルが様子を見にきたらしい。

「はい、これ。熱と咳に効く薬よ。ルイセイネから、アネモネへ」

「ああ、感謝する」

 看病する者が俺で、問題はないか。などと難癖をつけながら、ミストラルが部屋を覗く。それを、俺は手早く追い払おうと押し出す。

「もう、心配してもいいでしょう?」

「病人が寝ているんだ、用事が済んだのなら、さっさと立ち去れ」

「まあ、酷い言いようね?」

 と言いつつも、なぜかミストラルは俺とアネモネを見て微笑んでいた。

「それじゃあ、お邪魔なわたしは退散します。お大事に」

 そして、最後にアネモネとなにやら目配らせをして、ミストラルは立ち去って行った。

「ほら、薬だそうだ。起こしてやるから、ゆっくりと飲むんだ」

「ふふふ、ありがとうございます」

 今度こそアネモネの背中に手を回し、上半身を起こしてやる。

 アネモネは俺の腕に背中を預けたまま起き上がると、薬を口にした。

「苦い」

「我慢しろ」

「昔を思い出します」

「ずっと寝込んでいた頃のことか」

「私は、あまり長くないんだろうなって、ずっと思っていました。でも、兄に迷惑をかけっぱなしだったから、私がいなくなれば、兄も幸せになれるんじゃないか、なんて思ったり」

「馬鹿な奴だな。大切な者がいなくなることが、残された者にどれだけの辛さを与えるのか、考えたことはあるのか」

「ですよね。だから、ザン様も絶対に、私の前からいなくならないでくださいね?」

「ん? 何を言う。言われずとも、無駄死になどはしない。そのために、日々修行を重ねているのだ」

「っんもう。ザン様のばかっ」

「なに?」

「ふふふ。約束しましたからね? ずっと、ずーっと、私の瞳に映っていてくださいね? いなくならないでね?」

「お前こそ、俺の前から勝手に消えるなよ? それと、あまり心配をかけるな。無茶をせずに、ついてこい。そうすれば、俺は立ち止まってお前を待っていてやる」

 竜宝玉を授かってからというもの、アネモネは元気になった。とエルネアは言っていた。

 だが、無理をすれば、こうして体調を崩すこともある。

 そういうときは、俺の方がアネモネを待ってやればいいのだ。

 俺の言葉に、アネモネは顔を赤くして、うん、と頷いた。

「年越しまでに、頑張って熱を治しますね。だから、もう少しだけ、側にいてください」

「薬を飲んだら、寝てしまえ。風邪をひいているときは、寝ることが一番の療養になる」

「はい。……おやすみなさい、ザン様」

「おやすみ」

 アネモネはなんとか薬を飲み終えると、布団に潜り込んで静かに瞳を閉じた。

 俺はアネモネが寝付くのを見届けると、また椅子に座って、瞑想に戻った。