We Live in Dragon’s Peak
Strange girl.
世の中には、理解できないような出来事や不思議な現象がいっぱいある。
その中のひとつが、女の子の名前だった。
「女の子の名前は、何かしら?」
可愛い寝姿の女の子を覗き込みながら、ミストラルが首を傾げる。
すると、レーヴェ様がとっても不思議なことを教えてくれた。
「御子様にお名前はまだございません。御子様がお目覚めになりましたら、ご自身で名前を口になさるでしょう」
「えええっ。こんなに小さな子供が、自分で名前を決めちゃうんですか!?」
普通だったら、愛しい我が子の名前は、両親が必死に悩んで決めるものだよね?
名前は、その子の運命を司る大切な称号だ。それを、この小さく幼い女の子が、自分で決めて名乗ることになるの?
もしかして、女の子の生まれた土地では、それが風習なのかな?
でも、それじゃあ、喋れるようになるまで名前はないってことになるよね。
ああ、だからレーヴェ様は女の子のことを「御子様」と呼ぶのかな?
不思議な風習に、僕たちは驚く。
「んんっと、それじゃあ、いつ目が覚めるの? あのね、プリシアは女の子とお友達になって、一緒に遊びたいよ?」
アリシアちゃんに抱っこしてもらい、レーヴェ様の腕の中ですやすやと眠る女の子を覗き込みながら、プリシアちゃんが無邪気な質問を口にする。
すると、レーヴェ様が少し申し訳なさそうにしながら、もうひとつの不思議なことを教えてくれた。
「ごめんなさい。御子様のお目覚めは数百年後、もしくは一千年よりも先になってしまうのです」
「なななっ!?」
名前のことで驚いていた僕たちだけど。さらに上半身を仰け反らせて驚く。
「下手をすると一千年以上も、この女の子はこのまま寝た状態なんですか!? しかも、眠った状態で世界中を旅して周る?」
奇想天外なお話です。
女の子の背中には、飛べそうにもないほど小さな、可愛らしい翼が生えている。だから、人族ではない、ということは最初からわかっていた。
人族なら寿命は約五十年。他の種族であれば、もっと長生きをする種族もある。
ミストラルのような竜人族なら、約三百年。魔族や神族なら、五百年前後。
最近では初期の知識が曖昧過ぎたと理解している竜族は幅が広く、鶏竜のような短命の種だと数十年、翼竜みたいな長命な種だと数百年。
最も寿命が長い耳長族や古代種の竜族になると、約一千年。
そして、魔族の中でも始祖族と呼ばれる者たちには、寿命がない。
もちろん、僕たちのような特殊な運命から不老になったり、スレイグスタ老やジルドさんやラーザ様のように、自らの生命力で種族の平均寿命を大きく超える者も存在する。
だけど、どんなに長命であったり老いと無縁の者であっても、寝たままで数百年から一千年以上も刻を過ごすなんて、信じられないよね。
だって、あの夢見の巫女様でさえも、数十年の内の数日は起きているんだよ?
しかも、女の子はこれから先、寝たままの状態で世界中を旅するなんて!
「あのう、お言葉ですが……。女の子が寝たまま旅をされて、意味はあるのでしょうか」
マドリーヌ様が、恐る恐る質問する。
だって、誰もが疑問に思っちゃうもんね。
眠っていたら、貴重な旅や体験をしても、見ることも感じることもできないよ?
それとも、この女の子は夢見の巫女様のように、眠りながら世界を見通す能力を持っているのかな?
すると、僕たちの真っ当な疑問に、レーヴェ様は、これまた予想の斜め上の解答を出してきた。
「御子様は、世界の全てと繋がっておいでです。ですので、眠っていても、生きる者たちの生命の営みや自然が織りなす調和を、ご自身のこととして共有されています」
「世界と繋がっている!?」
なんですか、その壮大な表現は!
世界を観ることができる、ではなくて。
世界を感じ取れる、でもなくて。
世界と繋がっている、ですと!
もしかして、この女の子は、世界にとってとても重要な役割を担った人物じゃないの!?
レーヴェ様のお話に、僕たちは目を白黒させて驚愕しっぱなしだ。
気を抜いて油断していると、驚きのあまり気絶しちゃいそう。
驚愕する僕たちを見て、塔の外からスレイグスタ老とアシェルさんとラーヤアリィン様が笑みを浮かべていた。
巨人の魔王とシャルロットなんて、遠慮なく笑っています。
というか、そこのみんなは、レーヴェ様のお話に驚かなかったのかな?
「驚いたとしても、其方のように表情豊かに表したりはしない」
「そ、そうですか……」
巨人の魔王の遠慮ない言葉に、がっくりと肩を落とす僕。
こんなんだから、僕は読心術を持たない者にも心が読まれ易いんだよね。と、苦笑していると、その防御の薄い心の中に、不愉快な「音」が響いてきた。
『アアアあぁァぁァァァァァぁぁッ……』
鰐顔の頭部をした妖魔の声だ。
ラーヤアリィン様とレティ様の加護が今でも効いているおかげで、精神に激痛が走ることはない。だけど、不愉快な「音」に僕や家族のみんなが顔をしかませる。
その状況で、僕たちは妖魔の恐ろしい叫びを聞いた。
『アア……あ……ぁぁァァァァァああアあアアアアッ! 御……子』
「なっ!?」
これまでの、ほとんど意味のない奇声のような「音」しか伝播(でんぱ)してこなかった鰐亀の頭部をした妖魔が、今回は明確な意志を示した。でも、それはよりにもよって、女の子の存在を示すものだった。
「妖魔が、女の子の存在を捉えたんだ!」
塔の最上階から、周辺を見渡す。
そして、各地に起き始めた異変に気付いた。
城塞や飛竜の狩場の各地に、同時多発的に出現した鰐亀の頭部をした妖魔の全てが、塔の最上階、即ち女の子のいる場所を凝視していた。
さらに、各所で奮戦している者たちから、異常な報告が上がってくる。
「おい、妖魔の動きが変わったぞ!?」
「進行方向を変えやがった!」
これまでは、出現した場所の近くで集団を形成している者たちを狙って、鰐亀の妖魔は襲いかかっていた。
だけど、今は違う。
明確な目的地を定め、鰐亀の頭部をした妖魔の全てが移動し始めていた。
「塔です!」
ユグラ様に騎乗して、上空から妖魔の動きを観察していたフィレルが叫ぶ。
「全ての妖魔が、城塞の中心に建つ塔を目指して動き出しています!」
僕たちに、緊張が走る。
鰐亀の頭部をした妖魔にばかり意識が向いていたけど。どうやら、この地域に出現した妖魔の全てが、ここを目指して侵攻を始めたようだ。
「いよいよ、妖魔どももこちらの思惑に気づいたか」
巨人の魔王が瞳を細めて周囲の光景を睨む。
そう。妖魔は、この地に降臨した女の子の存在に気付いた。
邪族とは違って、知能はほとんどないと思われる妖魔。だけど、本能が知っているんだ。
妖魔は、邪族の下位の存在だという。なら、上位の存在が狙う者のことを、本能で察知しても不思議ではない。
そして、その邪悪な本能が直感で理解したに違いない。
自分たちは、釣られたのだと。
女の子が現れる前に憂いを払うために、意図的に引き寄せられ、討伐されようとしているということを。
『アアァあアアあッ……。あアアアアああッ!』
奇声のような「音」を僕たちの心の内側に直接響かせながら、鰐亀の頭部をした妖魔が塔を目指して進む。
「何が起きているのかはわからねえが、こいつらを塔へ近づけるな!」
「妖魔を塔に到達させちゃならねえ。それくらいはわかるぜ!」
「塔の周囲には、後方支援の者たちや負傷者の連中もいるしなっ」
各地で奮戦する者たちが、妖魔の侵攻を阻止しようと動く。
みんなは、塔の最上階の状況を知らない。
女の子の来訪を、僕たちはなるべく秘匿してきた。
だから、詳しい事情は把握していないはずだ。
だというのに、全ての者の意思が統一していた。
妖魔がこちらの防衛線を突破し、塔に到達してしまえば、僕たちの負けだ。
女の子を守護する仙が、塔とその周辺には二十人以上控えている。だけど、仙が動く事態になった時点で、全ての計画とこれからの未来が泡沫に帰す。
誰かが明確に口にしたわけではないのに、僕を含む全ての者が、この瞬間に理解していた。
なんとしてでも妖魔の侵攻を阻止し、絶対に女の子を護らなきゃいけない!
「やるぞ、お前ら!」
竜王のイドが叫ぶ。
竜人族が。人族が。獣人族が。耳長族が。巨人族が。天族が。神族が。そして、上級魔族が。全ての人たちが雄叫びをあげて反応し、これまで以上の覇気で魔物や妖魔に闘いを挑む。
『我に続け!』
ユグラ様が咆哮を放つと、竜族が勇ましく応じ、魔物や妖魔に襲いかかった。
さらに、竜族の言葉がわからないはずの魔獣や精霊たちといった人ならざる者も、後に続く。
ほんの少し前まで、誰もが仙と女の子の降臨に驚き、不思議と手が止まっていた。だけど、ここにきて戦局が一気に動き出す。
今まで無軌道に暴れていた魔物や妖魔に、共通した狙いが生まれた。
塔の最上階で眠る女の子を襲おうと、全ての魔物と妖魔が塔を目指して侵攻してくる。
この地に集った有志たちは、誰に言われたわけでもないのに、全員が一致団結した想いを胸に秘めていた。
絶対に、魔物と妖魔を塔へ近づけてはいけない。
塔を狙う魔物や妖魔と、それを阻止しようと奮戦する者たち。
戦いが、これまで以上に明確化された。と同時に、戦いもより苛烈になる。
魔物が、目の前の獲物を狙うよりも優先して、塔を目指そうとする。
これまで、力の限り魔物を倒し続けていた者たちは、討伐と同時に魔物の侵攻を止めなければいけない労力が増えた。
そこへ、妖魔の群れが押し寄せる。
普通の妖魔であれば、竜人族や上級魔族、そして竜族の相手にはならない。だけど、倒しても倒しても瘴気から再出現する鰐亀の頭部をした妖魔が、なによりも曲者だ。
城塞の中心に立つ塔を狙って集まってくる、ということは、全ての魔物と妖魔が一点に集約されつつある、ということを意味していた。
もちろん、鰐亀の頭部をした妖魔も、各所から何体も集まってくる。
そうなると、近い位置で倒された複数の鰐亀の頭部をした妖魔は、瘴気を合わせて巨大化、凶暴化していく。
場所によっては、竜族でも手に負えないほど巨大化した鰐亀の頭部をした妖魔が、城塞を破壊しながら近づいてきていた。
僕たちは、激化する戦場を塔の最上階から見つめた。
塔の周囲を飛ぶ仙や、筆頭戦女仙のソシエさんも、張り詰めた気配で周囲を警戒している。
レーヴェ様も、女の子を大切そうに抱きかかえながら、様子を伺うように周りを見渡す。
だけど、レーヴェ様は他のみんなよりか、心は穏やかだったみたい。
「素敵な揺り籠の寝台ですね」
レーヴェ様は、激しさを増す戦場ではなくて、最上階の片隅に置かれていた揺り籠付きの寝台に目が止まったみたい。
「はい。女の子のためにと、猫公爵のアステルが準備してくれていたんです」
そういえば、と今ごろ気づく。
アステルは、来訪する女の子が赤ちゃんではなく、少し成長した幼い姿だということを、最初から知っていたのかな?
揺り籠の寝台は、赤ちゃん用にしては大きすぎるけど、幼い女の子が眠るのには丁度良い造りになっていた。
しかも、こんなに快適そうな寝台だということは、ずっと眠ったままってことも知っていたのかもしれないね。
レーヴェ様の指示で、僕たちは揺り籠の寝台をお部屋の中心へと持ってくる。すると、レーヴェ様は腕の中で眠る女の子を、優しく寝台へ移し替えた。
「御子様。世界の躍動を、どうか隅々までその御身にお宿しくださいませ」
そして、眠り続ける女の子に、優しく語りかける。
女の子は、横向きに丸まって眠りながら、もにゅもにゅ、と可愛らしく口を動かした。
もしかしたら、眠ったままレーヴェ様の声に応えたのかもね。
塔の外の状況に影響されずに、すやすやと眠る女の子。僕たちはその愛らしい姿を覗き込むと、改めて気合を入れ直した。
「よし、僕たちも、いつまでも戦況分析ばかりしている場合じゃないね!」
「そろそろ、出番かしら」
「そろそろ、出動かしら」
ユフィーリアとニーナが、竜奉剣の柄へ手を伸ばす。
「レヴァリア様!」
ライラが呼ぶと、少し離れた場所で興味なさそうな素振りをしながら休憩していたレヴァリアが飛来してきた。
「決戦の時ですね」
「やってやろうじゃないの!」
マドリーヌ様が錫杖を構え、セフィーナさんが拳を握り締める。
「まずは、妖魔の王の前に、心に不愉快な『音』を響かせてくる妖魔を討伐するわよ!」
ミストラルも漆黒の片手棍を抜き放つと、攻勢を掛ける魔物や妖魔を、塔の最上階から睨み据えた。