We Live in Dragon’s Peak
ancient heroes and new heavenly wings
「アイリーさん!」
「あら、エルネアちゃん。こんな場所で会うなんて、奇遇ね?」
「いやいや、どう考えても、応援に駆けつけてくれた感じですよね?」
僕の返しに、ふふふ、と見惚れるようなほど美しい笑みを浮かべるアイリーさん。
竜峰の北部。竜の墓所と畏怖を込めて呼ばれる山脈地帯に、アイリーさんは住んでいる。
死火山の火口にできた湖の中心にある竜の祭壇で、竜人族でさえも驚くほど長い歳月の間、年老いたり傷を負って余命幾ばくかになった竜族たちに最後の安息を与えるのが、アイリーさんの役目だ。
そのアイリーさんなんだけど、実は……
「あ、貴女はもしかして、おと……」
「おおっと、神族の坊や。それ以上野暮なことは口にしちゃ駄目よ?」
アルフさんに笑顔を向けるアイリーさんだけど、有無を言わさない圧力があった。
神族のアルフさんも、アイリーさんの圧力に負けて口を噤(つぐ)む。
そこへ、さらなる者たちが現れた。
「やれやれ。アイリー様、年寄りの儂らのことを少しは考えてください」
「追いかけるだけでやっとじゃわい」
「あら、年齢的には私よりもずっと年下なのに、だらしないわね?」
アイリーさんを追いかけてきたのは、元八大竜王のジルドさんと、現役の八大竜王であるラーザ様。それと、片翼の天族のジュエルさんだった。
「だいたい、なんでアイリー様はいつまでもそんなに若々しいんじゃ?」
ジルドさんの疑問は、もっともです。だけど、普通の竜人族の人たちから見れば、ジルドさんやラーザ様だって十分に長生きしているよね。
それはともかくとして。
「微力ながら、助太刀しよう。なあに、若い竜王の活躍を身近に感じたいだけじゃよ」
ラーザ様が好々爺的な優しい笑みを浮かべる。ただし、微笑みながら、襲撃してきた妖魔の群れを瞬時に撃退していた。
ラーザ様の周りで、小さな長胴竜が三体、ふわふわと漂い泳いでいる。
ぱっと見は本物の竜族に見えるけど、あれは全てラーザ様の竜術で生み出された幻だ。
ユフィーリアとニーナが似たような竜術で竜族の体の一部を再現するけど、あっちは竜術だとはっきりとわかる。それと比べても、ラーザ様の竜術がいかに巧みで優れているかがわかるね。
「ここから先は、もっと瘴気が濃くなっちゃうわね」
「アイリーさん。それに、瘴気の衣が手強いんです!」
言ってるそばから、嫌な予感で背筋が凍る。慌てて警告を発すると、僕たちは地面に伏せた。
直後に、瘴気の霧の奥から無音で瘴気の衣が出現した。
ゆっくりと、そして不気味に、僕たちの頭上を通過していく瘴気の衣。僕たちは、息を潜めて瘴気の衣が通過するのを待つ。
と、思ったら!
「ア、アイリーさん!?」
アイリーさんだけが、地面に伏せることなく立ち構えていた。
瘴気の衣が、アイリーさんに迫る。
危ない、と思った直後。アイリーさんが動いた。
女性らしい柔らかい動きで腰を落とすと、たんっ、と軽く跳ねる。そして、ひらりと優雅に回し蹴りを放つ。
「おらぁっ!」
野太い気合いと共に!
目を見開いて見守る先で、瘴気の衣が斬り裂かれた。
ううん、正確に表現するなら、アイリーさんの浄化の蹴撃で祓われた瘴気の衣が、霧散してしまった。
「この程度は、あの時の竜の呪いに比べたら、どうってことないでしょう?」
ふふふ、と笑みを浮かべるアイリーさんに、僕は思い出す。
そうだ。僕たちが竜の墓所を訪れた時にも、こうしてアイリーさんが応援に駆けつけてくれたよね。
それに、と心を落ち着かせる。
圧倒的な力で種族の頂点に君臨するのが、竜族だ。
もちろん、竜族は魔物や妖魔さえも凌駕する。
その竜族が、過去にとても恐ろしい呪いを生み出した。
竜族の呪いに比べれば、瘴気の衣だって……
「いやいや、同質くらい禍々しいですからね!?」
危うく、アイリーさんの軽い口調に流されるところでした!
でも、騙されちゃいけません。瘴気の衣を纏うのは、今現在、竜族が束になって攻撃を仕掛けている妖魔の王です。
とはいえ、考え方を変えれば、やはり竜の墓所を訪れた時と状況は似ているような気がするね。
祓っても祓っても周囲を満たす、禍々しい瘴気。そして、不意を突いて襲ってくる瘴気の衣。
竜の墓所でも、竜の呪いが生み出す瘴気に阻まれただけじゃなくて、油断すると安息を邪魔された竜族の襲撃を受けたよね。
二つの状況を比較する。すると、経験したことのある状況だと理解できて、焦っていた心が鎮まった。
だけど、僕のように心を切り替えられる者ばかりではない。
神族のアルフさんとアミラさんは、まだ戦闘経験が浅いのか、伏せたまま不安そうに周囲の様子を窺っていた。
「どおれ、ここは儂らが見せ場を作るとしようか」
「ここから先は、アイリー様と若き竜王にお任せするとしよう」
よっこいしょ、と立ち上がったのは、ジルドさんとラーザ様だった。
そして、ジュエルさんも勇ましく立ち上がる。
「ジュエルよ、わしとジルドがここに陣を敷く。お前さんは、わしらを支援しなさい」
「はい、ご助成致します」
陣を敷く?
首を傾げる僕に、ジルドさんが意味ありげな視線をウェンダーさんへ向けた。
他のみんなも、ウェンダーさんに注目している。
もしかして、ラーザ様の言葉の意味を知らないのは僕だけ?
それと、ラーザ様がこれから行おうとしていることは、ウェンダーさんに関係があることなのかな?
「これは、驚きました。神族やジュエル殿に知られているのは当然だとして。よもや、竜人族の方々にまで見破られているとは」
すると、ウェンダーさんが苦笑しながら力ある言葉を口にした。
『我が瞳は、神羅万物を見通す』
あっ、と僕は声をあげる。
黒い瘴気の霧に阻まれて本来だと見えないはずの遠くの風景が、なぜか視えた。
しかも、視界に映し出されたというよりは、誰かが見た遠くの風景を、僕の頭が直接認識したように感じる。
「これって……?」
「私の神術によって、他者の瞳から視線を盗ませていただいた。それをさらに、この地に集った者たちへと送っているのですよ」
「えええっ、そんなことが!?」
モモちゃんが魔術を使って水晶に遠くの風景を映し出すようなことを、ウェンダーさんは神術で行っているんだね。
ただし、遠くを見るためには誰かの視線を盗まなきゃいけないらしい。それと、モモちゃんの場合は水晶を覗き込んだ者だけが映像を観られるけど、ウェンダーさんの神術の場合は、任意の者と盗んだ視線を共有認識できるみたい。
なるほど、千眼の武神とは、そういう意味だったのか。
でも、と少しウェンダーさんの神術に違和感を覚える。
これだけの神術だ。きっと、ウェンダーさんにも相当な負荷がかかっているはずだよね。それに、今はいったい、何者の視線を盗んでいるんだろう?
僕の疑問に、ウェンダーさんは隠すことなく教えてくれた。
「この地には、私の神術と似たような力を持つ者がいたのでね。それを利用させてもらった。それと、賢者殿のご好意で、気前の良い精霊たちにも協力してもらっている。ただし、私の力にも限度があってね。それで、なるべく君の側に居たかったのだが」
似たような者? とさらに質問を返すと、鰐亀の頭部をした妖魔だ、とウェンダーさんは苦笑した。
「そうか! 鰐亀の頭部をした妖魔の口の中にびっしりと見えた不気味な眼で、あの妖魔は飛竜の狩場のあちらこちらを見ていたんだね」
それと、賢者とはアリシアちゃんのことだろうね。ウェンダーさんは、事前に精霊さんたちの協力を取り付けていたんだ。
さすがは元武神、と称賛するべきなんだろうね。だって、先の見通せない戦況を予想して、前もって準備しておくなんて、経験の積み重ねと深い思慮がなければできないもん。
「君に近ければ、私の負担を減らせる。なにせ、自分の瞳に映った視界をそのまま拡めれば良いのだからね。だが、これ以上は進めないようだ。それでも、私がなるべく君の近くに居られるように、ラーザ様が気を使ってくださっているのだろう」
ここに陣を敷くということは、つまりこの位置に留まってウェンダーさんの支援をする、ということだったんだね。そして、結界を張るラーザ様の支援を他のみんなが担当する、ということか。
「それで、ジルドさんたちはウェンダーさんの神術を最初から知っていたんだすね?」
「はははっ。なにせ、妖魔の王が地表に落ちてからというもの、あちらこちらの景色が視えておったからな」
「あっ、そういうことですか!」
どうやら、ジルドさんたちは、既にウェンダーさんの神術の恩恵を受けていたみたい。
というか、僕以外の飛竜の狩場に集った者たち全員が、もしかして恩恵を受けていた!?
「いいや、さすがの私も万能ではない。魔王や力を持った竜族たちには、千眼の神術を弾き返されてしまったよ」
なるほど。誇り高い魔王や古代種の竜族は、たとえ恩恵のある力であっても、外部からの干渉を拒絶するだろうね。
自分が力を持っているからこそ、他者の力を容易には利用しないし、誇りにかけて影響下に置かれないように身を護るだろうからね。
それでも、魔王や古代種の竜族なら、自力で周囲の状況を認識したり、僕たちの動きを捉えているはずだ。
「っというか、今も僕の姿を飛竜の狩場のみんなが認識している!?」
慌てて格好をつける僕。だけど、遅かった。
「はははっ。エルネア君がさっき大慌てで地に伏せた状況も、ばっちりと視えておったぞ」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落とすと、飛竜の狩場全体から笑いが起きたような気がした。
そうそう。ウェンダーさんの千眼の神術は、遠くの風景は認識できるけど、音はないんだよね。
とはいえ、僕たちのやりとりを視ていれば、何をしているかくらいは自然とわかるよね。僕も、戦いながらみんなが笑っている様子が想像できちゃう。
厳しい戦いのなかにも、一瞬の安らぎは必要だ。だから、僕たちのやりとりで少しでも気が紛れてくれたなら嬉しい。
だけど、いつまでも無様な姿を見せておくわけにはいきません。
アルフさんたちも僕と同じ意見なようで、黒い瘴気の霧を突き破って不意に襲ってくる魔物や妖魔を、威勢よく撃滅していく。
ラーザ様も、いよいよ結界を張り巡らせようと、竜気を練り始めた。
でも、そこへまた襲いかかってきたのが、瘴気の衣だ。
無音で、周囲の濃い瘴気の霧に紛れて接近してきた瘴気の衣が、突然のように出現する。僕たちは大慌てで回避行動をとる。
「ええい、こう何度もやられると、面倒じゃな!」
愚痴りながらも、ジルドさんが竜術を放つ。もちろん、瘴気の衣を回避しながら。その、ジルドさんの放った竜術は、瘴気の衣に意識が向いている隙を突いて急接近してきた魔物を撃退する。
「やはり、近くに迫るまで気付けんのがいかんのう」
瘴気の衣をやり過ごしたラーザ様が、三体の小さな長胴竜を操る。
ぐるぐると、ラーザ様を中心として空中を泳ぎ出す、竜気で創られた長胴竜たち。そして、次第に半径を広げていく。
「あっ」
僕は驚きで声をあげた。
長胴竜たちが、口を開いた。そして、周囲の瘴気を喰らい始める。それだけじゃない。竜気を感じ取れる者なら、わかるはずだ。長胴竜たちは瘴気と一緒に、竜脈から漏れ出す力やジルドさんが放った竜術の残滓まで喰らっていく。
瘴気、竜脈、そして竜気を取り込んだ長胴竜たちの身体が、次第に大きくなっていく。胴がどんどんと長くなっていき、可愛かった姿から、いつしか本物の竜族と見間違えるほど巨大になる。それでも、三体の長胴竜は周囲の力を食い続けた。
僕たちが驚きながら見つめる先で、長胴竜はより巨大に、そして泳ぐ半径を広くしていく。
長胴竜に喰われた空間の内側は、瘴気が晴れて視界が良くなった。しかも、広い直径を確保してくれたおかげで、これなら重鈍な動きで迫る瘴気の衣や妖魔たちに不意を突かれることはない。
「ラーザ様、凄いです! まさか、周りにある力を利用して自分の術の威力を高めるなんて」
本物と見間違えそうなほど立派な、三体の長胴竜を維持するラーザ様。長胴竜たちは直径を保ちながら、ぐるぐると浮遊し続けている。
長胴竜の泳ぐ内側が、ラーザ様の結界というわけだね。
瘴気は三体の長胴竜に喰われ続けて、結界の内側には入ってこない。見た目にも、威力的にも、凄い竜術だ。
だけど、竜術を維持しているラーザ様自身には、そんなに負荷がかかっていないはずだ。
なにせ、術に必要な力を、周囲の瘴気や他者の術の残滓で賄っているからね。
少しの力で凄い術を扱うラーザ様は、やはり最高の竜術使いだね。
絶賛する僕。すると、ラーザ様は苦笑しながら照れを見せた。
「なあに、これくらいは八大竜王として面目躍如というところじゃよ。それに、これに似たようなことを、お前さんの妻たちは既にやっておったじゃろう?」
「そう言われてみれば!?」
ルイセイネは、巫女様たちの法力だけじゃなく、竜脈を上手く利用して大法術を発動させた。セフィーナさんも、他者の術を巧みに利用して戦える。ユフィーリアとニーナは、お互いの長所と短所を補い合っているよね。
たしかに、妻たちは自分の力以外の何かを上手に活用して、みんなのために術が使えている。
「わしが長い歳月を掛けてたどり着いた境地に、お前さんたちはもうたどり着いておる。お前さんたちこそ、立派じゃよ」
「ありがとうございます! みんなに、ラーザ様から褒められたと伝えますね!」
「はははっ。照れるのう。では、竜神様の御遣い様には、手早く妖魔の王を倒していただこうか。それそれ、ジュエルよ。御遣い様が憂いなく進めるように、この場の空の防備は任せるぞ? なにせ、年老いたジルドだけでは手に追えんだろうからな?」
「当たり前じゃ。竜宝玉を継承した儂には、限度があるんじゃからな?」
と言いつつ、ジルドさんは長胴竜の結界を抜けて侵入してきた妖魔に竜術を放ち、退治する。
どうやら、長胴竜の結界は瘴気の霧を祓うことはできても、魔物や妖魔自体には効果がないみたいだ。
だから、ジルドさんやジュエルさんに結界内へ侵入してきた魔物や妖魔の討伐をお願いしなきゃいけないんだね。
でも、ちょっと待って!
「ええっと。ジュエルさんは、その……?」
遠慮がちに、僕たちはジュエルさんの背中を見る。
かつて、無敗の神将と謳われたという、天族のジュエルさん。だけど、過去に複雑な事情があって、今では美しい翼を片方失っている。
そのジュエルさんに空を任せるとラーザ様は言うけれど、負担が大きいんじゃないかな?
鳥だって、片翼では飛べない。
ジュエルさんも、片方の翼だけでは飛翔できないよね?
それに、翼を持つ種族は、その背中の大きな翼のせいで、地上ではあまり上手く動けない。そう考えると、やはりジュエルさんには負担が重すぎるのでは?
だけど、僕の疑問を払拭するかのように、ジュエルさんが力ある言葉を口にした。
『私は天翼をもって、世界を翔る』
あっ、と声を漏らす僕。
ううん、驚いたのは僕だけじゃない。
アルフさんは驚愕し、アミラさんも息を呑んでジュエルさんを見つめてる。そして、元武神のウェンダーさんでさえ、目を大きく見開いて、ジュエルさんを凝視していた。
力ある言葉を解き放ったジュエルさん。その背中に大きく広がるのは、純白に輝く翼。
「失ったはずの翼が……!?」
信じられない、とウェンダーさんが声を漏らす。
だけど、僕たちの瞳にはしっかりと映っていた。
さっきまで痛々しく見えていたジュエルさんの背中に、正しく翼が存在する姿を。
「ラーザ様に教えを乞いました。なんでも、竜術の極意とは、想像した事象を現実に変えることなのだと。ならば、神術でも同じ高みに辿り着けるのでは、と考え、ラーザ様と編み出した術です」
そうか!
ラーザ様は、竜人族に比肩する者はいないと云われた竜術使いだ。そして、ジュエルさんは天族でありながら、神術を巧みに操る天才でもある。その二人が、種族の垣根を越えて新しい術を編み出した。
かつて、竜峰で対峙したオルタも、圧倒的な竜力を駆使して、物質変換なんて恐ろしい術を使った。それと同じような術で、ジュエルさんは失った翼を再生させたんだ!
「空の防備は、私にお任せを。さあ、エルネア殿。それにアイリー様。どうぞ先にお進みください」
言って、美しい翼を羽ばたかせ、ジュエルさんが飛翔した。
三体の長胴竜が創り出した結界内に侵入してきた妖魔に、強襲をかける。そして、鮮やかな身のこなしで倒す。
ジュエルさんは純白に輝く翼を羽ばたかせて縦横無尽に空を駆け巡り、魔物や妖魔を尽(ことごと)く殲滅していく。
「ジュエルちゃんも、凄いわね。それじゃあ、私たちも負けないくらい活躍しなきゃね?」
「そうですね!」
こうしちゃいられません。
みんなに活躍の場を取られてばかりでは、主催者の面目が潰れちゃうからね。
それに、みんなに視られているとなれば、無様な姿なんて晒せません。
「それじゃあ、行ってきます!」
「ああ、行ってきなさい。そして、竜神様の御遣いとして、十全にその役割を果たしてくるのじゃ」
「はいっ!」
ジルドさんたちに見送られて、僕とアイリーさんは瘴気の霧のさらに奥へと足を向けた。