コルレオーネさんはイタリア出身で、転生前はアパレルブランドで働いていたという。転生した経緯については色々と話しづらい事情があるようで、俺も深くは聞かなかった。

 彼は吸うと肺機能を改善する効果があるという『息吹の葉巻』というものを吸っていて、俺にも一本勧めてくれたが、俺はタバコを吸わないので丁重に辞退した。彼は肩をすくめると、葉巻きに火をつけ、薄い煙をくゆらせる。

「もう五年になるかしらね、アタシがここに来てから。最初は探索者としてやっていたけど、仲間が結婚して支援者に回ることになってね。この区の雑多な町並みや、住んでる人間の息遣いが好きだったから、ここで生計を立てて生きていくことにしたのよ。幸い、手に職はあったからね」

「『仕立て屋』っていうのは、迷宮国では貴重な職業なんですか?」

「服飾系の職業を選ぶ人自体が、そう多くはないわね。迷宮探索をすることを前提にして、戦えそうな職業を書く人も多いでしょうし。銃社会なら『ガンナー』を選択できる可能性も高いけれどね、そこには落とし穴があるのよ」

「落とし穴……というと?」

「迷宮国では、銃が貴重だっていうことよ。『ガンスミス』という職の人もいるし、魔力を使った銃みたいなものもあるけどね」

 使える武器が見つからない職を選んでしまうと、かなり苦労しそうだ――ギルドでは、そういう職を選ぼうとすると忠告されたりするのだろうか。

「あなたが使ってるのは、狩猟用のスリングショットね。見ただけで分かるわ、ただの武器じゃないっていうことは」

「色々、改造をしてもらいまして。当面はこれでやっていこうと思ってます」

「背中にもカタナみたいなのを背負ってるけど、それも使えるの? あなた、『武器士(オールウェポン)』なのかしら」

「そうではないんですが、だいたいの武器は扱えるみたいです」

「ふうん……面白い職ね。でもそういうことなら……」

 コルレオーネさんはカウンターに置かれた灰皿に葉巻きを押し付けて火を消すと、店の奥に入り、銀色に光る金属でできたケースを持って帰ってきた。

「コルレオーネさん、それは……」

「アタシが現役だったときに使ってた、魔法銃っていうものよ。『名前つき』が出した箱から出てきてね、アタシが使わせてもらってたの。銃は多くの職業で使える汎用武器だから、かなり人気があるのよ」

 それを俺に見せてくれるということは――と考えたところで、コルレオーネさんは指を一本立てた。

「あなたに買ってもらったスーツは、アタシが作れる最上質のものではないわ。アタシが使いたくなるような、上質な繊維を持ってきてスーツをオーダーしてくれたら、この銃をあげる。もちろん、誰が装備しても構わないわ」

「それは……いいんですか? コルレオーネさんにとっても大事なものなんじゃ……」

「いいのよ、道楽で作っている高いスーツを買ってもらったんだもの。あなたたちに使ってもらえれば、この銃(コ)も喜ぶと思うわ」

「……分かりました。上質な繊維ですね」

「ええ。ありきたりな素材には飽きてるから、いいものを持ってきてちょうだいね……そういえばあなた、名前は?」

「申し遅れました、俺はアリヒト・アトベと言います。改めてよろしくお願いします」

「そう……じゃあ、店の名前じゃなくて、アタシも本名で呼んでもらおうかしらね」

 最後の最後に、彼は『コルレオーネ』が店の名前であって、彼自身の名前ではないと教えてくれた――よく勘違いされるので、最後までそれで通すことも多いらしい。

「アタシはルカ・ベルナルディ。服のことならなんでも言ってちょうだい。魔女と違って、素材がなければ魔法のドレスは作れないけどね」

「ルカさんの要望に答えられそうな素材を、頑張って探してみます。今日はありがとうございました」

 ルカさんはひらひらと手を振って見送ってくれる。外に出ると、先に買い物を終えて待っていた皆が、倉庫の鍵を使って服を転送しているところだった。

「アリヒトお兄さん、お疲れ様です。わあ、スーツを新しくされたんですね」

「なかなか品揃えが良いお店で良かったわ。後部くんは洗い替え用のスーツは買った? ずっと同じのを着てると、痛むのも早くなっちゃうから気をつけないと」

「同じことを店長さんに言われて、二着買いました。金の使いすぎは良くないですが、今のところは余り気味ですしね」

 みんなも金貨百枚は自由に使っていいと言ってあるが、限りのある小遣いという感覚なのか、だいたい金貨十枚前後で済ませてきて、領収書のデータが俺のライセンスに表示される。すると、五十嵐さんだけ少し出費が多めになっていた。

 これはおそらく、先ほど下着選びに苦労していた影響ではないか――と思いかけるが、単に買いたいものが個々人で違うだけかもしれない。

「普段の装備は強くなったときしか新調できないですけどねー、それ以外の出費が地味に大きいですよね。アリヒトお兄ちゃん、お小遣いちょうだい?」

「上目遣いで見られてもだな……得意のギャンブルで増やしてみたらどうだ」

「私の技能で上手いことやっちゃって、それがばれたらどうなるか……お兄ちゃんは私がひどい目にあってもいいんですか? このヒトデアリ!」

「ヒトデナシの対義語は別にヒトデアリじゃないが……ミサキ、買い物してテンションでも上がってるのか」

「それはもう、キョウカお姉さんと買い物してると驚きと感動の連続ですよ。お兄ちゃんの手前、何に感動したかは言えないんですけどね」

 彼女たちの話を聞いていたということは、五十嵐さんに決して気づかれてはいけない。

「後部くんが来る前で良かったわ、ミサキちゃんは思いついたことを口に出しちゃうから」

「えー、そんなことないですよ? 私だって色々ふかーく考えてるんですから。ね、スズちゃん」

「えっ……う、うん。そうかな……?」

「そうだよ?」

「無理やりスズナを味方にしようとするのはやめなさい」

 エリーティアに突っ込まれて、ようやくミサキのテンションが落ち着いた。この三人はなんだかんだで、バランスが取れた関係だ。

「……とても賑やか」

「メリッサも買いたいものは揃ったか?」

 聞いてみると、メリッサは猫のように大きな瞳をこちらに向け、小さく頷いた。

「なかなか良い店。デニムのツナギが売っている店は、貴重だから」

「私もターバンが売っていてよかったです。あの、お兄さん、テレジアさんの服は買わなくても大丈夫なんでしょうか? いちおう、私たちで必要そうなものは買いましたが」

「上から着ることはできるが、そういう装備は好みじゃないみたいなんだ。リザードマン固有の装備は外せないし、暑いのは苦手なんだと思う」

 そう言っても全部が外れないわけではなく、エリマキトカゲのような愛嬌のある帽子は外せないが、風呂に入るときは、あの肌に張り付くようなレザーの装備がワンタッチで外れる――そう考えると、下着も必要なのではないかと思うのだが、本人が必要そうな素振りを見せない。あの装備があれば問題ないということだ。

「……ああそうだ、メリッサ。前に、『迷彩石』を使って防具を作ってもらうように頼んだけど、あれはどうなった?」

「試作品を作ったけど、上手く行かなかった。迷彩石の力で『光学迷彩』を発動させるときに問題が生じる」

「問題……?」

「その問題を解決したら、実用化できる。『空から来る死』の表皮を使って作った、『迷彩石』の機能を持ったスーツ」

 まだ手をつけられていなかった素材を使って、メリッサがそこまで考えてくれていたとは。俺もここぞというときまで保留とばかり言っていないで、有効に素材を利用することを考えなくては。

「名前をつけるなら、『ステルススーツ』。表側はできたけど、『裏地』を作るためにまた特殊な素材が必要」

「そうか……分かった。『裏地』があれば、そのスーツが完成するんだな」

 テレジアが取得した『アサルトヒット』は、敵に気づかれずに攻撃すると打撃が2倍になるというものだが、『隠れる』という技能を取っていないのでまだ有効に使えていない。

 しかし『迷彩石』を装着したスーツで『アクティブステルス』を発動できれば、『隠れる』を取得する必要がなくなり、スキルポイントの節約になる。

 自分の名前が出たからか、テレジアがぺたぺたとこちらにやってくる。彼女は一応買ってもらった服を持っている――それを見て、俺は我がことのように嬉しくなる。

「良かったな、テレジア。着るかどうかは別として、服は……ん?」

 テレジアはブティックでもらった布の袋の中から、何かを取り出す――それを見て、俺は思わず目をそらしてしまった。

「だ、だめよテレジアさん。それは表で見せちゃいけないのよ、宿舎に行ってからにしないと」

「…………」

 五十嵐さんが慌てて止めるのも無理はない。テレジアが出したのは、縞柄の水着だった――よりによって、なぜ水着を購入するのかなどと、考えるまでもない。

「これ一つしか在庫がなくて……テレジアはサイズが合うみたいだから、まず優先的に持っていてもらうことにしたの」

「アリヒトさんも、その方が落ち着きますよね。その、一緒に入られることが多いですから……」

「は、入るってのは……風呂のことか?」

 つまり、水着ならテレジアに背中を流してもらっても恥ずかしくないということだ。そこまで気を遣われていると思うと、顔に熱さを覚えずにいられない。

「…………」

「男の人ってこういうの好きですよねー、水色系のしましまとか。でも私、まだ水着を着る心の準備ができてないですよっていう話をしててですねー」

「……な、なに? 私も必要があれば着るけど、今は要らないでしょう」

「いえ、まだ何も言ってませんが……うわっ、な、何で睨むんですか」

「さあ、なんででしょうね。次は『箱屋』に行くわよ、真面目な真面目な後部くん」

「い、五十嵐さん、何を怒って……」

「今は何も言わない方がいいですよ、早起きは三文の得って言いますしねー」

「あ、あの……今の場合だと、『沈黙は金なり』じゃないかなと思います、ミサキさん」

 マドカの控えめな指摘に、ミサキはぺろっと舌を出した。『てへぺろ』とは、転生前のことを思い出さずに居られない――と、変なところで感慨を覚えている場合ではない。

   ◆◇◆

 七番区の箱屋は、服屋のある通りから裏路地に入り、進んでいった先にあった。

 『七夢庵』と漢字で書かれた看板があり、箱のマークが描かれている。店主をしているのは日本人ということだろうか。

「ごめんください、どなたかいらっしゃいますか」

 ドアベルを鳴らしてから呼びかけてみると、しばらくして扉が開いた――そして中から出てきた人の姿を見て、俺たちは言葉を失う。

(亜人……それも、この姿は……)

 甲虫(カブトムシ)を模したような兜を被り、全身が金属質の甲殻で覆われている。その背格好から男性か女性なのかは分からないが――亜人ということは、店主は別にいる。

 甲虫の亜人はそのまま扉を開けると、俺たちを中に迎え入れた。内装も和風で、雪洞(ぼんぼり)のような照明器具が間接照明となり、幻想的な光景を作り出している。

 その雪洞(ぼんぼり)に囲まれた六畳ほどの畳の上で、店主らしき女性が煙管(キセル)を手に持ち、着物姿で座っていた。

「いらっしゃい、お客さん。ごめんなさいね、こんな格好で。今日はもう、お客さんが来ないものだと思ってたから」

「いえ、こちらこそ対応していただいてありがとうございます」

「あ、あの……すみません、一つお伺いしてもいいでしょうか。そちらの方は……」

 何も言わず、女性店主を護衛するように立っている甲虫の亜人――仲間たちも緊張するほど、その姿は今まで会った亜人と比べて異質なものだった。

「こんな姿ではあるけど、私の弟よ。名前はタクマ……タクマ・アサクラ。私はシオリ・アサクラと言います」

「そうだったんですか……」

「昔の話だから、あまり気にすることはないわ。こうして姉弟、今でも暮らせているのだから、それで十分……私たちのことよりも、仕事の話をしましょう」

 着物の袂を引き寄せ。シオリさんが立ち上がる。迷宮国でこういった装備を選ぶということは、この服装は彼女にとっての美学なのだろう。

「私の職業は『質屋』……こういう服を着ているのは、ただお着物が好きだから。あなたもスーツを着ているけど、それと同じようなものね。こだわりがないと、人生はつまらないでしょう」

「着物……スシとテンプラがあるくらいだから、着物の職人も探せば見つかるのね……」

「スズちゃんの巫女服も、そういう人が作ってるんじゃない?」

「もしそうなら、私の装備も、新しく作ってもらうことができるんでしょうか?」

「今の装備を強化するだけじゃ足りなくなるときが、いずれ来るだろうからな。箱から出てくるってこともあると思うが」

 箱から出てくる装備は、迷宮の中で探索者が落としたものだ。つまりスズナの他にも『巫女』がいれば、箱から巫女服が出てくる可能性はある。

 ――そう考えて、俺は気がつく。

 もし、この甲虫の亜人――タクマが、『背反の甲蟲』に襲われたあとで亜人になったのだとしたら。彼の所持品が、赤い箱の中に入っている可能性がある。

「すみませんシオリさん、一つ、大事なことを聞かせてください。タクマさんは迷宮の中で魔物に倒されて、それで今の姿になったんですよね」

「ええ……そうだと思うわ。私は一緒に探索に入っていないから、タクマたちを襲った魔物のことは見ていないけど」

「っ……後部くん、まさか……」

 五十嵐さんも、俺と同じことに思い当たったようだった。皆も気がつき、何も言わずに立っているタクマを見やる。

 俺は倉庫から持ち出してきた赤い箱――『背反の甲蟲』から手に入ったものだと分かるように目印をつけてあるそれを、シオリさんに見せた。

 タクマが、こちらを向く。赤い箱を見ている――その様子を見て、推測は確信に変わった。

「この箱は、タクマさんが遭遇した魔物が落としたものかもしれません。中にもしタクマさんの所持品が入っていたら、その時はお返しします。それが一番良いと思いますから」

「……そんな……そんな、ことが……」

 まだ、確定した事実ではない――だが、誰にも触れられない上空を飛び、向こうから襲ってきた時だけ戦える魔物が、他の探索者を襲っていた可能性は否定できない。 

「……いつか復讐してやりたいと思っていた。その力は私にはないと諦めて……そんな私のところに、この『箱』が持ち込まれるなんてね。弟が私を叱っているのね、きっと……」

「それは……俺には、分かりませんが。亜人は、もう二度と話せないわけじゃない。そのことに希望を持って、俺たちは探索を続けています」

「リザードマン……そう、貴女も……」

 テレジアの姿を見て、シオリさんが何を思ったのかは分からない。だが、俺の拙い説得でも、自分を責めることはそれ以上しないでいてくれた。

「『質屋』は、お客様の質草を箱に入れて管理する。その関係で、私は箱を開ける技能を持っているわ。『黒い箱』を開けるのは難しいけれど、赤なら安定して開けられる。料金は、貴方たちなら無料で……」

「いえ、そこは払わせてください。俺たちがタクマさんの仇討ちをしてきたのかどうかは、箱の中身を見ないと分かりませんし」

「……私も弟をずっと見ていたから、分かるのよ。この箱と弟に、何かの因縁があることが」

 そう言ったシオリさんは、俺たちが持ち込んだ赤い箱三つ、木箱二つをタクマさんに命じて運ばせる。そして、天井からぶら下がっている紐を引くと、壁にかけられた掛け軸が巻き上がり、その後ろに隠し階段が現れた。そこが、箱を開けるための部屋に転移する扉に通じているのだろう。

「さあお客様、こちらへどうぞ。これより朝倉屋初代・朝倉汐里の、五連箱開けをご覧に入れます」

 ――箱屋にも、色々ある。俺はファルマさん以上に個性的な箱屋はそうそういないと思っていたが、どうやらその認識は甘かったようだと悟らされた。