World Strongest Rearguard – Labyrinth Country and Dungeon Seekers

Episode One Hundred Seventy-Seven: A Clue to Cursing

 もうすっかり夜も更けた。俺たちは中位ギルドの近くにある宿舎に戻る。

 セラフィナさんは当面正式なパーティメンバーとなるので、俺たちと同じ宿舎に帰ってきた。アデリーヌさんは少し寂しそうだったが、セラフィナさんが「心配するな、今生の別れというわけではない」と言ってなだめると、少し元気が出たようだった。

 今回の宿舎は集合住宅型だが、居間と大きめの部屋が二つ、小さな部屋が一つ、そして浴室と簡易キッチンまである。

 三階建ての宿舎で、俺たちの部屋は一階だ。共用部分の廊下を通って、『101』のドアの前に立ち、ドアベルを鳴らす。すると少しも待たずにドアが開いた。

「お兄ちゃん、エリーさんは……っ」

「ああ、無事だ。とは言っても、色々とあったが……それについてはまた中で話すよ」

 皆で部屋に入ると、居間のソファに座って待っていたスズナが立ち上がった。部屋の隅ではシオンが休んでいて、マドカがその毛並みを撫でていたが、俺たちが戻ってきたと気づくと飛び上がるようにして振り返る。

「おかえりなさい、アリヒトお兄さん、皆さんっ……」

「ただいま、マドカ。シオンも元気みたいだな……スズナ、身体は大丈夫か?」

「はい、お陰様で休んでいたら元気になりました。夕食が身体の回復にいいということでしたが、すごく効果が出ています」

 スズナの体力と魔力は完全に回復している。俺たちが『ザ・カラミティ』と戦ったあとで迷宮に潜れたのは、『フォレストダイナー』のマリアさんの食事があってのことだ。

「……スズナ。私、あなたに謝らないといけないことが……」

「っ……」

 エリーティアが全て言う前に、スズナは駆け出していた。 

 スズナはエリーティアを抱きしめる。そうして何も言わずにいるスズナの背中に手を添えて、エリーティアは小さな声で言った。

「心配をかけて、ごめんなさい」

「ええ……本当に心配しました。でも、こうして無事でいてくれたら、それだけで……」

「……ありがとう。もう、心配をかけたりしない。みんなの信頼を裏切るようなことも、絶対に……」

 エリーティアとスズナが笑い合う。それを見ていたミサキは後ろを向いていたが、向き直った時には目が赤くなっていた――貰い泣きしてしまったようだ。

「はぁ~、私だって心配してたんですけど、自分よりも友達同士の友情に弱いんですよねえ。私まで誰かに抱きつきたくなっちゃうというか」

「そ、そう言われても、どうして私なのかしら……」

 俺もどう反応していいのかと一瞬焦ってしまう――ミサキが五十嵐さんの胸に、無造作に顔を埋めて抱きついている。

「えー、だってキョウカお姉さんって包容力がすごいじゃないですか、最近。お兄ちゃんもそう思いますよね? こうやってまふまふってしたくなりません?」

「ゴホッ、ゴホッ……い、いや、そんな目で見ないでください、五十嵐さん」

「心配しなくても、後部くんが変なことを考えたりしないのは分かってるわよ。ミサキちゃん、鎧の上からだと硬くないかしら」

「そうなんですよねー、まふまふできるのはアーマードお姉さんじゃないとき限定なんですよね。今度から狙っちゃいますね、お兄ちゃんが」

「俺に振られても、期待には添いかねるけどな……五十嵐さん?」

 怒るわけでもなく、五十嵐さんが笑っている。ミサキの言動が自由すぎて笑ってしまったのか――気がつくと、俺以外の全員が笑っていた。

「…………」

「……テレジア」

 時々、テレジアが微笑んでいるように感じることがある。亜人は感情を失っているという、しかし俺はそれをずっと否定してきた。

 今も、俺の袖を引いているテレジアは笑っているように見える。隷属印が侵蝕される苦痛は、今は落ち着いているようだ――それでも全く辛くないということはないだろう。

「アトベ殿、テレジア殿の状態について、医療所で相談をした方が良いかもしれません」

「ええ……そうですね。この時間でも診てもらえるでしょうか」

「テレジアさん、装備が壊れてしまっているのに、エリーさんのところに行ってくれて……本当にありがとうございます」

 スズナが頭を下げると、テレジアはゆっくり首を振った。

「テレジアが『猿侯』の後ろに回ってくれたから、アリヒトとのコンビネーションで脱出することができたの。でも、テレジアは……」

「それも含めて、これから話させてもらっていいかな。一旦休憩してから、また居間に集まってほしい」

『はいっ!』

 みんなの返事が揃っている――いつも物静かなメリッサまで。

「バウッ!」

「ふふっ……シオンちゃんも大丈夫みたいね。後部くん、いつも通りお風呂は一番最後で大丈夫? それとも、私たちが外で入ってきましょうか」

 宿舎のある区画には浴場も併設されているので、順番待ちをせず全員で入ることもできる。そうすると、俺も一緒に行くべきか――と考えたところで。

「…………」

 テレジアがここに残りたがっているというのを、その仕草で察する。

「そうね……後部くん、私たちは外に行ってくるから、テレジアさんのことをお願いね」

「お兄さん、ルイーザさんは中位ギルドにいますが、もうすぐ戻られるそうです」

「分かった、出迎えられるようにしておくよ」

 ルイーザさんは俺たちと一緒に一度宿舎に入っているが、今日のうちにしておきたいことがあると言っていた。

 五つ星の迷宮に入る許可を得ていない状態で迷宮に入ると、本来は一定期間の探索禁止などの罰則が与えられる。貢献度の減点もあるため、それが原因で前の区に戻されることもあるという――そのため、資格のない迷宮に潜ることは原則としてタブーになるということだ。

 ルイーザさんはその許可を取るために必要な条件などについて、ギルド本部に掛けあってくれている。これ以上の特例措置は難しいが、今日が過ぎればあと六日、それで五つ星迷宮の探索資格を得られていなければリスクを負うことになる。

(『猿侯』に挑むメンバーは万全な状態でなければならない。休息日を入れれば、迷宮に入れる回数は限られている……装備が破壊されるケースも出てきた以上、その辺りも計算に入れるべきだ)

 戦力増強のために探索する迷宮は、メリットができるだけ大きい場所を選ぶべきだ。例えばそれは、装備を強化するための素材が手に入る場所などだろう。

 皆が入浴のために出かけ、俺とテレジアだけが残る。皆が出たときに、玄関のところで誰かと話している――セレスさんとシュタイナーさんだ。

「わしらが工房にこもっておるうちに、また色々とあったようじゃのう。テレジア、壊れたスーツのままで出ておったのか? 明日までに修復するのでな、ひとまずここで預かって……どうした、アリヒト」

「セレスさん、俺たちはエリーティアを『炎天の紅楼』から連れて帰りました」

「うむ、それは皆からも聞いた。そこで、何か土産を貰ったということか」

「っ……はい。『赫灼たる猿侯』は、テレジアの隷属印に干渉する『呪詛侵蝕』という技能を使いました。ライセンスには隷属印を上書きすると表示されていた。その技能を使って、猿侯は自分の配下を増やしているんです」

「呪詛……そうか。それが彼奴にとっての切り札というわけじゃな」

『ご主人様、何か心当たりがあるみたいだね』

 セレスさんはソファに座ると、持ち歩いている肩掛け鞄から革表紙の薄い本を取り出す――どうやらノートのようだ。

「……テレジア、見せてもらっても良いか?」

「…………」

 テレジアは俺を見る――俺が頷きを返すと、テレジアはセレスさんに背中を向け、スーツの留め具を外した。

 首の部分に、マスクから出た髪がかかっている。セレスさんはそれをそっと分けて、隷属印を確認する――俺の位置からでは見えないが、わずかに形が変わっているはずだ。

「……これを、ここで目にすることになるとはのう」

 セレスさんはそう呟くと、眼鏡をかけて羽根ペンとインクを取り出し、ノートに何かを書き込んでいく。

「風邪を引かせるわけにはいかぬな。アリヒト、頼むぞ」

「は、はい……」

 テレジアが上半身を出している状態なので、後ろから近づくにも細心の注意を払う。俺のジャケットをかけると、テレジアは襟の部分を引っ張るようにした。

『……アトベ様って本当に紳士だね。みんなに可愛いって言われない?』

「それでこそ皆に慕われておるのじゃろう。枯れるには早い年齢じゃからな、本人の性格によるものが大きいようじゃな」

「い、いや、今はそういう話をしている場合じゃ……」

「分かっておる。アリヒト、お主はこの迷宮国における『技能』についてどう考える?」

「技能……適性のある職業に応じて使えるようになるものだと思っていますが、違う職業でも共通するものがあるみたいですね」

 そういった意図の質問かは分からないが、自分なりに考えて答えてみる。その答えはあながち的外れでもなかったようだ。

「そう……この迷宮国においては、適性が事象に影響を与える。しかしその事象は、無限に違う形が存在するわけではない。これは確証があるわけではなく、経験則じゃがの」

「経験則……」

「分からぬことばかりじゃ、わしにもな。それでも分からぬなりに、迷宮国の先輩として与えられる知識は持っておる」

 そう言って、セレスさんはノートを見せてくれる。そこに描かれていたのは、隷属印と同じような大きさの、しかし違う紋様だった。

「『呪詛侵蝕』は、このような呪印を刻むものじゃ。テレジアの場合、完全に侵蝕されるまではあと六日ほどかかるじゃろう」

『アトベ様たちが、五番区にいられる時間と同じ……?』

 シュタイナーさんの言葉に、セレスさんは頷きを返す。

「上書きが進む間にも、テレジアの行動に支障が生じる可能性もある。探索に参加せず待機するのなら、わしとシュタイナーで見ておるが……一つ言っておかねばならぬことがある。この『呪詛侵蝕』を解除する条件を満たさずに『猿侯』を討伐した場合、解除されぬままになってしまう可能性がある」

 ――『猿侯』を倒すことさえできれば、テレジアを助けられる。その期待は、セレスさんの言葉によって否定された。

「呪詛を解除する条件……それが分かってから『猿侯』を倒さなければならない」

 セレスさんは再び頷く。そして、俺の顔を見て微笑んだ。

「この困難な状況で、さらに条件を付けられたというのに、全く折れていないようじゃな」

「もう肚はくくっています。明日から、早速呪詛の解除方法を調べたいと思います」

「その方法が、先ほどの話につながるというわけじゃ。『猿侯』の持つ呪詛系統の技能を持つ者が探索者にもいるとしたら、解呪の技能を持っておる可能性が高い。魔物と探索者の技能には、一部類似するものがあるのでな」

『なるほど、そこに話が繋がってくるんだね』

「セレスさん、そういった技能を持つ方に心当たりはありませんか?」

 その質問には、セレスさんはすぐに答えなかった。

 彼女はどこか遠いところを見るような目をしたあと、ふっと笑って、再びノートに何かを書き込み、そのページを切り取り、折り畳んで俺に渡してきた。

「この区というのも、縁なのかも知れぬな。旧知の者が、この区で暮らしておるかもしれぬ。長く会っていないので、確かなことは言えぬがの」

「その人が、呪詛系統の技能を持っているんですね。分かりました、何とか探してみます」

「わしの手紙など、紹介状の役割を果たせるかは分からぬがの。探すとしたら、まず資料館に行ってみるとよい。そこには呪印についての情報もあるはずじゃ」

 セレスさんの知人が『呪詛侵蝕』を解除する方法を知っているかもしれない――資料館に行けば、その人の手がかりがある。

『ご主人様、お知り合いなら直接紹介してあげればいいのに』

「わしが直接会うよりは、アリヒトの方が適任なのじゃ。まあ、それは良い……わしらは日が変わるくらいまでは工房にこもるが、その前に武具の強化などについて相談を承るぞ。テレジアのスーツを朝までに修理はするが、素材が色々と溜まっておろう」

「はい、是非お願いします。えーと、テレジア……」

『お風呂に入ってからのほうがいいんじゃないかな? テレジアさんのスーツはここで預からせてもらうよ』

 どうせ一度脱いだので、ということではない。何となくだが『圧』を感じる――セレスさんたちは、どうもそういう方向に誘導したいようだ。

「…………」

「……そうだな、今日は一緒に入るか。テレジアはそれで大丈夫か?」

「大丈夫に決まっておろう。わしとシュタイナーはすでに同じ湯に浸かった仲ではないか」

『あ、あのー……ご主人さま、今日はお二人で入ってもらった方がいいんじゃないかな? いつも湯気を濃くするのはご主人様も大変だし』

「『ミストスペル』はさほど魔力を消費するものではないがの……なんじゃ、良い機会と思ったのはわしだけじゃったか」

「セレス様、その、良い機会というのは……?」

 居間に入ってきたのはルイーザさん――彼女も合鍵を持っているので、入って来てくれる分には問題ないのだが、その笑顔になぜか不穏なものを感じる。

「ルイーザもアリヒトの背中を流さぬか? そなたも女盛りなのじゃから、日々に潤いは必要じゃろう」

「っ……そ、その言い方だと、私が持て余しているような……アトベ様を労りたいという純粋な気持ちで、宜しければご一緒させていただいてもいいでしょうか」

「は、はい……えっ?」

 何となくルイーザさんに押されて返事をしてしまってから、とんでもないことを承諾してしまったと気づく――セレスさんは楽しそうで、シュタイナーさんは肩をすくめている。本人には不本意だろうが、甲冑姿で見せるそんな仕草は存外に愛嬌があった。