戦闘に参加するメンバーの技能を今日中に決めておきたかったので、俺は貯蔵庫にやってきた。

一旦宿舎の外に出て、近くにある転移扉のボックス――石造りの小屋に入る。この転移扉は、パーティが契約している貯蔵庫、あるいは魔物牧場に移動するために使うもので、使用する鍵によって行き先が変化する。

「よし……行くか」

扉についている水晶に鍵を近づけると、扉全体が淡く発光する――そして、水晶に行き先ということか、『貯蔵庫5583』と表示された。

中に入ると、箱を開けるときの空間と同じようで、違う空間が広がっている。貯蔵庫に割り当てられる空間はどういった原理か、一定の冷気が立ち込めている。肌寒いので、ここに入るときはメリッサも厚着をしているはずだ。

奥のほうから、ガツン、ガツンと音が聞こえてくる――もう夜遅いというのに、メリッサはまだ解体作業を続けているようだ。

明かりらしきものは見当たらず、薄暗いが徐々に目が慣れてきた。足元に大きな魔法陣がある――外で貯蔵庫の鍵を使って転送したとき、ここに送られてくるのだろうか。

そう思ってふと顔を上げたところで、俺は思わず声を出しそうになった。

部屋の奥に、ぼんやりと巨大な氷塊と、白い甲殻に覆われた巨大な蠍――すでに半分くらい解体されている――の姿と、眼鏡をかけた中年男性、そして色素の薄い髪をした、山猫のような瞳の少女の姿が浮かび上がる。

「やあ、アリヒトさんじゃないですか。こんな夜分にわざわざ出向いていただけるとは」

「……お疲れ様」

「お、お疲れ様です……もうこんなに解体を進めてくれたんですね」

「ええ、非常に硬いので、技能を使って何とか部位ごとに切り離しています。道具についても、五番区で取れる鉱石の道具を借りてきました。この刃の先端に希少な金属が使用されているんです」

そう言ってライカートンさんが見せてくれたのは、大工仕事に使う『ノミ』のようなものだった。

メリッサがハンマーを持っているので、ライカートンさんがノミの位置を決め、メリッサが打ち込むという分担だったようだ。親子なら呼吸はぴったりだろう。

「……甲殻のひとつひとつはすごく重くて、軽量化の工夫をしないと装備には使えそうにない。セレスに頼まれていた、尻尾から熱線を撃つための動力源は、ここに取り出した。これも大きすぎて、運ぶには道具が必要」

セレスさんが言っていた『女王蠍の残光』。ザ・カラミティの胸部の装甲が剥がされて、その奥にあったものが取り出されている。何か有機的な素材でできた配線のようなものがいくつも垂れ下がっているが、これをザ・カラミティの『九尾』に接続することで、『クィーンズテイル』が完成するのだろうか。

アルフェッカは実体化できる時間が限られているので、『クィーンズテイル』を運ぶには別の方法を考えなくてはならない――現時点で考えられるのは、マドカが欲しがっていた荷車か。

後方支援ということでは、マドカには前にも参加してもらっている。彼女の士気解放『エフェクトアイテム』は回復の切り札にもなるので、今回の作戦にも協力してもらうことを視野に入れる。

「しかし……こうして見ると、何か複雑な回路みたいですね」

「特殊能力を持つ魔物は、身体の一部機関がそのまま魔道具のようになっていることがあります。魔石の形で体内に保持していることもありますが、この『残光』は複数の魔石と、それを統合する機関によってできていると見ていいでしょう」

「なるほど……ということは、魔道具として再現できる可能性もあるわけですか」

「生物の機能を機械が代替することが難しいように、理論上ではできても実現は容易ではない……といったところです。我々は解体の技能だけでなく、魔道具に関係する技能も習得しますから、常に魔道具の製作について勉強はしているのですが」

ライカートンさんは饒舌に語ったあと、眼鏡を外して布で拭く。魔道具に関しては少々マニアックなところもあるようだ――俺も自分の好きなことに関してはじっくり語りたい方なので、気持ちはよく分かる。

「……お父さんはたまに話が難しい」

「いや、これは失敬。アリヒトさんには魔道具のロマンを分かってもらえる気がして、つい喋りすぎてしまった」

「いえ、興味深いお話でした。ライカートンさん、それで、この部分は使えないってことでしょうか」

胸部の甲殻を剥がす前に、ザ・カラミティの頭部がそのまま外されていた。これほど大胆に解体されているのに、血ではなくオイルのようなものがこぼれている――それも無駄にしないようにか、金属のバケツに溜めてある。

「ああ、その部分ですが……この額の部分を見てください。甲殻とは質の異なる被膜に覆われていますが、魔石のようなものが埋まっているようです。許可をいただければ、この場で取り出せますよ」

「魔石……」

『……秘神に呼応するものを感じる。おそらく神器操晶が埋まっている』

ムラクモの声が聞こえる。俺はライカートンさんに頼み、ザ・カラミティの額に埋まっているものを慎重に取り出してもらった――すると。

取り出されたのは、手のひらに乗る大きさの石。ライカートンさんに渡してもらうと、淡く青い輝きを帯びる――ムラクモの言う通り、『破軍晶』や『廉貞晶』に近いものだ。

◆巨門晶◆

・用途など全ての詳細が不明

・鑑定無効

「ライカートンさん、見つけていただいてありがとうございます。これは、俺達のパーティにとってとても重要なものなんです」

「おお、それは何よりです。取り出してみると魔石とはまた違いますね……材質も見たことがない。それは加工せず、そのまま使うものなんですか?」

「はい、この刀……ムラクモの柄にもはめ込まれていますが、この石に対応するものが存在しているんです」

「なるほど……ゾクゾクするお話ですね、それは……」

かつて探索者だったころ、ライカートンさんはこんなふうに目を輝かせていたのだろうか。

しかし彼はふっと微笑むと、いつもの落ち着いた職人の顔に戻った。

「『ザ・カラミティ』の解体は継続しますし、五番区にいる間に新たな魔物素材が手に入ったら、私が解体を担当しましょう。メリッサは探索に向けて、身体を休めておきなさい」

「……分かった。お父さん、おやすみなさい」

メリッサは頷くと、道具を置くテーブルの上に一緒に置かれていた水筒から飲み物をコップに注ぎ、ライカートンさんに渡す。それを受け取ったライカートンさんは、娘のことを大切そうに見つめ、そして解体作業に戻った。

転移小屋を出て宿舎の前まで来ると、先を歩いていたメリッサが振り返る。

「……メリッサ?」

魔道具の街灯の明かりが揺らめく。照らされたメリッサの頬に、涙が伝っていた。

「あ……」

自分でも自覚はないのか、メリッサは驚いたように頬に指を当てる。

理由には、心当たりがある。この五番区にメリッサの母親がいるとセレスさんが言っていた。

「……ライカートンさんは、お母さんに会いに行くのかな」

「アリヒト……知ってたの?」

「セレスさんが話してくれたんだ。メリッサは、お母さんに……」

会いたいかなんて、聞くまでもない。メリッサはそれでも、涙を拭って、赤らんだ目で俺を見て――首を振った。

「私たちは探索者だから。それぞれの目的が、一番大事だから……」

「……メリッサは俺たちと一緒にいて、前よりもずっと成長してる。今なら、きっとお母さんの力になれると思うよ」

「そうかもしれない。でも、会いに行くのはだめ」

「それは……寂しがってると思われたくないとか、そういうことかな」

メリッサは何か言おうとする――違う、と言おうとしたのかもしれない。

けれど言葉を飲み込んで、震えるような息をすると、こくりと頷く。

本当は今すぐにでも会いに行きたい。それでも俺たちのパーティの一員だから、自分の気持ちを抑えている。

「……テレジアも、エリーティアも、今はすごく大変なとき。私は、いつでもママに会いに行けるから」

年齢よりも落ち着いていて、冷静で、戦闘でも思い切りが良い。メリッサのことを、俺はそういう子だと思っていた。

それは全く、表面的なことでしかなかった。メリッサは仲間思いで、テレジアとエリーティア、そして他の皆のことも常に案じている。俺が思っていたよりも深く。

「そうか……分かった。メリッサの気持ちを知ったら、皆嬉しいと思うだろうな」

「……そうだといい。私は、変わってるから……解体が好きだったりするから、みんなは怖がってると思う」

「そんなことは全然ない。さっき暗いところで見たときは迫力があったけど、解体は凄く大事な仕事だと思う。メリッサの包丁捌きは見てるだけでも凄いと思うよ」

「……それは褒めすぎ。アリヒトはみんなに優しいから、そういうことを言う」

「ご、ごめん……気を悪くしたかな」

優しくしようとして無理をしているわけでもなく、それは俺が普段から思っていることだ。しかしメリッサがそう言うなら、控えめにしなくてはならない。

――そう思ったのだが、メリッサは指先でくるくると髪をいじりながら、俺の方をうかがいつつ、小声で呟く。

「……ママって言ったのは、秘密。そうしてくれたら、いい」

「あ、ああ。分かった、メリッサがそう言うなら……」

いいというのは、何を指しているのか――とりあえず、彼女の意向を尊重した方がいいのは間違いない。

「ママと一緒にいたときは、私はまだすごく小さかったから」

俺の前では、お母さんの呼び名はそれでいいということだろうか。メリッサが母親をどれだけ慕っているかが伝わる呼び方だと思うので、俺は良いと思う。

ライカートンさんの話を思い返すと、メリッサが生まれてから母親と一緒に過ごした時間はとても短い。この五番区に来るまで十年以上を費やし、それでもなお人間の姿に戻れていない――探索者それぞれの進む速さが違うのは分かっているが、自分たちがどれほど早くここまで来られたのか、途方もない幸運が重なっているのだと痛感する。

ここに来るまでに、クーゼルカさん以外に亜人から人間に戻れたという人を知らない。

――私が人間に戻るためには、多くの犠牲を必要としました。

――アトベ殿、あなた方がそれほどの危険を冒すことを、テレジア殿は望んでいるでしょうか。

四番区の大神殿に辿り着くだけではなく、まだ成し遂げなければならないことがある。

メリッサの母親が、所属するパーティとともにその条件を満たせるのか。俺たちが協力することはできるのか――まだ、テレジアを人間に戻すこともできていないのに、それを考えるのは驕りなのか。

「私は大丈夫。お父さんだって、お母さんのことを信じて頑張ってる」

「……ああ。いずれ、絶対に親子三人で会える。俺もそう信じるよ」

「……うん」

メリッサは頷きを返し、俺達は宿舎に入っていく。居間に入るとソファでテレジアが横になっていて、むくりと起き出してきた。

「起こしてごめん、テレジア。居間で少しメリッサと技能の話をするけど、大丈夫かな」

「…………」

テレジアはこくりと頷く。眠っているところを久しぶりに見たような気がする――と思っていると。

一度簡易キッチンに入って出てきたメリッサが、テレジアに水の入ったグラスを差し出す。宿舎に備え付けのものだが、瑠璃色が綺麗なグラスだ。

「……少し熱っぽく見えたから」

「…………」

猿侯の呪詛は、ライセンス上の数字として見える形でテレジアを蝕んでいる。幸いにも、先ほどから今までの時間では『イビルドミネイト』の進行度は変わっていなかった。

テレジアは水を飲んで落ち着いたようだったが、メリッサの言う通り、言葉にできないだけで体調に影響が出ているのかもしれない。

猿侯への怒りが、ふとした拍子に感情を塗りつぶそうとする。一秒でも早く、奴を倒さなくてはならない。

「…………」

握りしめた拳に、テレジアが触れる。駄目だ、というように優しく撫でられる。

拳に込めた力をようやく緩めて、俺は座る。メリッサは俺にも水を勧めてくれて、それを飲んだところで頭が冷えてくれた。

「……相手の思い通りにさせないように、落ち着かないとだめ」

「ああ……ごめん、心配かけて。もう大丈夫だ」

メリッサのライセンスを見せてもらう。彼女は技能が多岐に渡るため、取得できない有用な技能が非常に多い。現時点で取得しないにしても、詳細を頭に入れておくことが必要だ。

◆取得可能な技能◆

スキルレベル3

☆削ぎ落とし:相手の一番外側の防具や甲殻、一部の防御魔法を剥がす。使用した武器の切れ味が大きく落ちる。剥がしたものはそのまま入手できる場合がある。

スキルレベル2

・千枚通し:対象の防御力を無視して攻撃する。使用武器限定

・鱗剥ぎ:対象を攻撃したとき、敵の防御力を低下させることがある。必要技能:切り落とし

・吊るし切り:対象を吊るし上げて攻撃する。部位破壊が発生しやすい。必要技能:解体技術1

・乱れひっかき:格闘攻撃を最大8回連続で行い、『出血』を付与する。必要技能:ひっかき

・骨砕き:武器を問わず、打撃属性を付加して攻撃する。通常攻撃より被害が大きい。

・ラウドボイス:相手を威嚇する声を出して牽制し、魔力に被害を与える。

・活け造り:体力が一定以上減少した魚系の魔物を、一定確率で一撃死させる。

☆刃物研ぎ:道具を使って刃物本来の切れ味を取り戻す。

☆目利き2:魔物素材を含む食事効果をその場で見極められる。必要技能:目利き1

☆薄明薄暮:薄暗い時間帯・環境において能力が上昇し、奇襲が成功しやすくなる。

スキルレベル1

・サイレントミュー:対象の自分に対する敵対度を下げる。

・とげ抜き:地形に発生した『棘』を破壊する。

・猫言語理解:猫、猫系の魔物の言語が理解できるようになる。

・ひっかき:格闘攻撃を2回連続で行い、『出血』を付与する。

・回転着地:高所から飛び降りても怪我をしない。

・爪研ぎ:爪による攻撃力を上昇させる。高揚系の状態異常が回復する。

・毒味:食べたものに毒があるかを判別する。毒の影響は軽減される。

☆下ごしらえ:食料に適切な処理を行い、料理をしたときの食事効果が大きくなる。

残りスキルポイント 3

攻撃技能、刃物に関する技能、料理関係の技能、彼女の特性が由来する技能――やはりいずれも有効そうで、特に『目利き2』と『下ごしらえ』は、合わせて取得すると食事効果が目に見えて効果的になりそうだ。

しかし、メリッサにしかできない役割を果たす技能がレベル3に出てきている。『削ぎ落とし』――相手の防御技能を『剥がす』、つまり解除できるということか。

強力な攻撃が可能になっても、相手がそれを防ぐ技能を使ってしまったら、状況的に詰みになってしまう危険性がある。それを打開する方法として『削ぎ落とし』が機能するとしたら、必須の技能ということになってくる。

「私は、攻撃役に加わった方がいいと思う。時間帯によって強くなる技能も、他の技でも、アリヒトがいいと思うものを選ぶ」

『キャットステップ』を取得しているメリッサは、前衛においても回避能力が高い。ずっと前に出ているのは危険だが、要所で一撃を入れる役目は適役と言える。

「……『猿侯』と戦うまでに、他の技能が必要になったら取得する。この『削ぎ落とし』は効果次第で、戦いの決め手になる可能性がある。できればいつでも取れるようにポイントは温存しておきたい」

「わかった。みんながいれば、絶対他の技能を取らなきゃいけないことはないと思う。装備で代わりができる技能も、できれば取らない」

それはこれまでも意識してきたことで、メリッサもよく理解してくれている。装備の効果と技能の効果がかぶってしまうのは、最適な選択とはいえない。相乗効果があったりもするかもしれないが、基本的には目的を達するために、多くの手段を用意したい。

「……今日は呼びに来てくれて、ありがとう。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

「…………」

メリッサは部屋に戻っていく。もう就寝しているメンバーもいるのか、寝室から話し声は聞こえてこない。

「テレジアも、今日はしっかり休むんだ……って、一度起きたらなかなか寝付けないか」

テレジアはふるふると首を振る。そして、俺が何も言わなくても部屋の明かりを消してくれた。

「おやすみ、テレジア」

ソファに寝転がり、毛布を被る。目を閉じても、しばらく眠気は訪れない。

『炎天の紅楼』の光景が、脳裏に浮かぶ。猿侯に攻撃するテレジア、そして――呪詛を受けてしまうまで。

猿侯の危険性を理解していながら、俺はテレジアに頼り切っていた。テレジアが猿侯の裏を取っていなければ、どうなっていたか――アルフェッカは引き寄せられ、俺たちは逃げ切れなかっただろう。

今度こそは必ず守ってみせる。猿侯に奪われたものは、全て取り返す。

――暗い部屋の中で、もう一つのソファを使って眠ろうとしていたはずのテレジアが、動き出すのがわかる。

目を開ける――すると、テレジアは胸に手を当てて、俺を覗き込んでいた。

「……眠れないのか?」

「…………」

尋ねて見ても、彼女は何も答えない。

その手に触れているのは、ボディスーツの留め具のボタン。寝苦しいのかもしれない、それなら少しでもいい、俺にできることで楽にしてやりたい。

「……そうだ。テレジア、少し後ろを向いてくれるかな」

「…………」

テレジアが俺に背中を向ける。猿侯との戦いで減った彼女の魔力は、まだ少し消耗している――それを回復させる。

◆現在の状況◆

・『アリヒト』が『支援回復2』を発動 →対象:テレジア

・『アリヒト』が『中級マナポーション』を使用 『アリヒト』の魔力が回復

・『テレジア』の魔力が連動して回復

「っ……」

マナポーションを使用した俺自身も、そしてテレジアも回復する。

「…………」

呪詛をかけられた状態では、眠ることで完全に回復できるのか分からない。完全に回復した状態の方が眠れるかもしれない――と思ったのだが。

テレジアは振り返って、俺を見る。暗い部屋の中では分かりにくいが、蜥蜴のマスクが赤くなっているように見える。

彼女は何かを言おうと口を動かすが、それは音にはならない。彼女は俺に寝るように促すと、毛布をかけてくれて、ぽんぽんと胸のあたりを優しく叩く。

寝かしつけられているようだ――テレジアは、俺を安心させようとしている。俺の方が彼女を安心させなくてはならないのに、いつも彼女に救われている。

「…………」

離れていくかと思ったテレジアの気配が、さらに近づいてくる。

すぐ近くに息遣いを感じる。けれどそれはわずかな間のことで、また気配は離れていく。

こんな時、彼女と言葉を交わすことができたら。それをいつか遠い日の夢にしたくはない。

また動き出すために、今は眠る。明日からの一日ずつを、決して無駄にしないために。