Wortenia Senki (WN)
Chapter 4, Episode 3 [Messengers from Neighboring Countries] Part 1
西方大陸暦2813年11月3日正午
其の日、ローゼリア王国の首都ピレウスにそびえ立つ王城は重苦しい空気につつまれていた。
上級官僚達は顔を真っ青にしながら関連部署へと走りまわり、軍部の主だった隊長格は有無を言わさず会議室へ強制招集をされる。騎士達は、当番非番の区別なく所定の宿舎に待機し、自分が使う武具の手入れを命じられた。
誰もが慌ただしく、王宮内を動きまわる。
しかし、彼らの多くは命じられた事をそのまま行っているに過ぎなかった。
実際のところ、極限られた一部の有力者のみが状況を把握しているに過ぎない。
いや、其の彼らですら事態を正確に把握しているとは言い難かった。
彼らは王宮のとある一室の前を通る時、足早に通り過ぎながらも不安げな視線を扉へ向けた。
分厚い鉄製の扉で堅く閉ざされた王宮の一室を……
「そう……分かったわ……でも、無理よ……」
深いため息がルピスの口から洩れる。
メルティナの説明は、彼女の心をさらに暗くするものだった。
いや、ピレウス城の奥まったこの一室に集まった誰の顔にも憂いと不安の色が浮かんでいる。
女王であるルピスを筆頭に、側近であるメルティナやミハイル。軍部からは責任者として将軍のエレナ。文官からはベルグストン伯爵他、数名の有力貴族。
「ですが陛下……無視出来る問題では……」
「分かっているわ……けれども、今の我が国にそれだけの力があるの?」
メルティナの言葉に、ルピスは諦めにも似た口調で尋ねた。
ルピスとしても決して無視して良いと思っているわけではない。
いや、それどころか、無視出来るような問題ではないというのが彼女の結論だ。
彼女は情に流され易いと言う欠点を持ってはいたが、決して無能ではないのだから。
王族として、彼女は大地《アース》世界でも最高水準の教育を受けている。
冷静さを失わなければ、彼女はそれなりに現実を見る事が出来る支配者であった。
其の彼女から見て、今回持ち込まれた難題はローゼリア王国を抜き差しならない状態へと追い込んでしまった。
「いいえ、とても無理です……貴族派の動向にも注意が必要な今は特に……ですが……」
「ですが、今回の要請を無視する事は出来ません……内乱中や鎮圧直後ならともかく、終結してから一年近くが過ぎようとしています。勿論国力の復興という観点では、まだまだ時間がかかりますが、それを言い訳にするのはもう無理でしょう……それに今回は」
言い淀むメルティナに続き、ベルグストン伯爵が口を開く。
彼の視線は卓上に置かれた二通の書状に向けられていた。
内乱時に王女派に鞍替えした彼は終戦後、卓越した其の政治的手腕を買われ側近の一人として重用されていた。
特に、政治的なパワーバランスに対しての嗅覚は鋭く、諸外国の動向に目を向けるだけの器量も備わっている。
其の彼から見て、今回この国にもたらされた難問は、回答の無い迷宮への誘いと言えた。
(恐らくどちらをとってもこの国の未来《さき》は……)
そんな思いが彼の脳裏に浮かぶ。
ルピスの前に置かれた二通の書状。
一通はオルトメア帝国がザルーダ王国へ侵攻して以来頻繁に送られてきている、ユリアヌス一世よりもたらされた援軍の求め。
ローゼリアの内乱が終結した後から幾度となく送られてきた内容だ。
ノティス平原での戦でオルトメア帝国に敗れたザルーダ王国はその領土を大きく削られていた。
この状況を打開するためにザルーダが同じ東部地方にあるローゼリア王国、ミスト王国に援軍を求めるのは当然である。
西方大陸中部を支配するオルトメア帝国の領土は広大で、その軍事力はザルーダ一国で防ぎきれるものではない。
だが、西方大陸東部の三国。ローゼリア、ミスト、ザルーダの三国が連合すれば対抗することは不可能ではない。
事実、過去の戦でオルトメア帝国の侵攻を防いでいる。
別に義侠心や友情などというものではない。
単純に両者が唇歯輔車《しんしほしゃ》の関係だと言うだけの事。
ザルーダという防波堤が無くなってしまえば、ローゼリアは直接波を被ることになる。
自分の利益を守るために、両国はザルーダへ援軍を派遣したと言うだけの話。
しかし、ルピスはこの一年の間、ユリアヌス一世よりもたらされる援軍の求めを国内の鎮静化と国力回復を理由に断ってきた。
いや、派遣したくても今のローゼリア王国に他国へ兵を向かわせるだけの力が無い。
長年軍部の実権を握ってきたホドラム将軍を排除した結果、騎士団の再編成という作業が発生し、それがローゼリア王国の戦力を低下させている。
(やはり、恭順など認めずゲルハルト公爵を始末しておくべきだった……いや、今は子爵だったか。どちらにせよ、爵位が下がったことなどゲルハルト子爵には関係ないのだ。だから、アイツはあっさりと条件を呑んだのだ)
ベルグストン伯爵の心にそんな思いが浮かぶ。
実際、爵位を公爵から子爵にまで落とされていながら、ゲルハルトが持つ貴族達への影響力に陰りは見えない。
いや、それどころか、ラディーネ王女が正式に王族として認められたことにより、ルピスへ不満を持つ貴族達は強固な団結を結び始めていた。
ルピスは自らが主体の権力構造を造り出すため、内乱終結と共に多くの貴族が王宮内から追われた。
彼女にしてみれば、ゲルハルトに尻尾を振ってきた人間を切り捨てることは当然の選択と言うだろうが、切り捨てられた人間が納得するはずがない。
それでも、ゲルハルトを殺していれば不満を持ってはいても結束は出来なかっただろう。
ゲルハルトの持つ実力と、ラディーネの持つ大義名分。
それが、ルピス女王の前に立ちふさがる。
(たとえミハイル・バナーシュを見殺しにしたとしても……今更言っても遅いがな)
ベルグストン伯爵の視線が、メルティナの横で腕を組んだまま黙り込んでいるミハイルへと向けられる。
彼が悔むのはそこだ。
完全な勝利を手に入れることが出来た筈なのだ。
あの時、ゲルハルトの恭順を受け入れさえしなければ。
(他に選択肢がなかったとはいえ……御子柴殿も何か手を考えて下されば良かったものを)
当時の状況はベルグストン伯爵も理解している。
彼自身も会議にも参加していたし、エレナから説明を受けていた。
致し方ない事だったとは思ってはいる。
だが、この状況下では、何も反論せずにルピスの言いなりになってゲルハルトの恭順を肯定した御子柴亮真を恨んでしまう。
少なくとも、あの時ゲルハルトの恭順を認めず、ラディーネを騙《かた》りとして処刑していれば、ローゼリア王国が今持っている問題の半分は解決していた。
国内の不穏分子は表面的にでもルピスに従ったはずなのだ。
そうなれば、もっと早い時点でザルーダへの兵を派遣することも可能だった。
「最大の問題はミスト王国の動向です。既に東の国境に援軍を終結させており、我々が国内の通行を認めれば直ぐにでも向かうとなれば……我が国はそれを拒めない……拒めばミスト王国と戦になる。それにザルーダを救える可能性も今が最後でしょう」
ベルグストン伯爵の言葉に室内の空気が重くなる。
皆の視線が卓上に置かれたもう一通の書状へと注がれる。
ミスト王国は絶対に引かないだろう。
ザルーダ王国を見捨てれば、オルトメア帝国の軍勢が雪崩のように東部地方を蹂躙《じゅうりん》するのがわかっているから。
そして、三国が個々に立ち向かっても勝機はない。
個々の国力はオルトメア帝国の足元にも及ばないのだ。
逆に、良く今までローゼリアの態度に我慢してきたとすら言えた。
「我が国も兵を派遣するしかない……わね」
ルピスは首を振りながら呟いた。
他に選択肢はない。
「問題はどれほどの兵力を差し向けられるかですが、国内の情勢から考えると、一個騎士団を派遣するのが精いっぱいです」
メルティナの言葉に落胆の空気が室内を覆う。
「二千五百……」
呆れたようなベルグストン伯爵の呟きはその場にいる全ての人間の気持ちを代弁していた。
一国が派遣する援軍としてはあまりにも少なすぎる数だ。
最低でも五千。
現状を考えれば一万は出したい。
無論、全てを王国直属の騎士だけで編成する必要はないのだが、貴族達の協力は見込めない。
誰もが、ローゼリア王国を覆う不穏な空気を感じており、ゲルハルトの動向に注目している状態なのだ。
この場合、派閥は問題ではない。
ルピス女王の側近として重用され始めているベルグストン伯爵やゼレーフ伯爵といった貴族達でも兵を出すことは出来ない。
他国へ出兵している間に再び内乱が起これば、その貴族の領地は灰燼《かいじん》に帰す事になるのが目に見えているのだ。
ローゼリア国内ならともかく、他国の手伝い戦に参加する余裕はない。
「貴族達は動けません。後は農民等を徴兵するしかないのですが……正直に言って大して数が集まるとは思えません。無論、脅せば別ですが……」
「かえって足を引っ張ることになるわね」
メルティナの言葉にルピスはため息混じりに首を振る。
徴兵すれば兵数はそろう。
二万でも三万でもお望みのままだ。
いや、十万でも可能だろう。
だが、戦力として言うならはっきり言って期待は出来なかった。
それどころか、逆にお荷物になりかねない。
問題は、今回の戦が侵略戦争ではないという点だ。
侵略戦争ならば、徴兵された民は喜んで戦に参加する。
村や町を略奪し女を犯すことが許されているからだ。
そして、生き残った住民を奴隷として売り払う。
命を賭けるに足る確かな利がそこにはある。
だが、今回は援軍。
好き勝手に略奪暴行を許可するわけにはいかない。
それを許可してしまったら、何のための援軍だかわからなくなる。
確かに衣食住は保証されるがそれも最低限のもの。
戦場で敵の指揮官でも討ち取ることが出来れば別だが、そんな幸運はそうあるものではない。
殆どの兵は国が支払うスズメの涙の様な金だけが報償だ。
とても命を賭けるだけの価値があるとは言えない。
兵の士気は最低になるだろうし、もめ事も多くなる。
一番怖いのは、不満が暴発してザルーダの街を襲うことだ。
国内での短期的な運用ならまだしも、とても他国への援軍に徴兵した兵を差し向けることは出来なかった。
「となれば、両国が納得する指揮官を差し向けるしか有りませんな」
ゼレーフ伯爵の言葉に誰もが頷いた。
絶対に負けられない戦。
もし負けてしまえば、オルトメア帝国の牙がローゼリア王国へ向けられることは目に見えている。
そして、ザルーダ、ミストの両王国に侮れらないだけの戦果が求められる戦。
援軍に出した兵数が少ないうえに、もし勝利に貢献出来なかったら、ザルーダ、ミストの両国は決してローゼリアを許さないだろう。
交易関係で大幅な譲歩を求めてくるだろうし、下手をすれば戦になる。
「私が行きます」
会議が始まって以来、ずっと沈黙を守っていたエレナがようやく口を開いた。
誰もが無言のまま、室内に沈黙の幕が下りる。
「良いの? エレナ」
ようやくルピスが口を開いた。
その顔には、戸惑いと罪悪感が浮かんでいる。
それはある意味当然だった。
援軍に出せるのは僅《わず》か二千五百。
その上、ただ援軍に向かえばいいというものではない。両国を納得させるだけの戦果を求められる。
はっきり言って貧乏くじも良いところだ。
「無論です、陛下」
頷くエレナの目には強い意志の光が宿っていた。
ローゼリア王国を救う為には、他に手段がないのだ。
ルピスの側近ではあっても、メルティナやミハイルでは他国に名が広まっていない。
僅か二千五百の兵に指揮官が無名の青二才では、誰も納得はしないだろう。
余計な軋轢《あつれき》を生うむことが目に見えていた。
その点、【ローゼリアの白き軍神】と諸国に謳《うた》われたエレナならば誰もが納得する。
「ならば、主将はエレナ様にお願いするとして、誰か補佐役をつける必要がありますね」
誰もがエレナの言葉に頷くのを見て、メルティナは口を開いた。
「確か。誰か、有能な補佐が必要でしょうな……ですが、一体誰をつけるのです。ミハイル殿ですか、それともメルティナ殿ですかな?」
ゼレーフ伯爵の疑問は当然だった。
今のローゼリア王国に、名のある武官は数えるほどしかいない。
また、そういった人間程、代わりの利かない仕事を担っていた。
一度援軍として派遣されれば、ローゼリアに戻れるのは早くても半年後。戦況によっては何年も先のことになる。
とても、そんな余裕はないのだ。
だが、だからと言って死地にも等しい戦場へエレナ一人を向かわせるわけにはいかない。
誰もが、無言のまま黙り込んだその時、一人の男が沈黙を破った。
「御子柴殿にお願いすればよいのではありませんか?」