「この度は白硬級への昇格、おめでとうございます、トールさん」

ニッコリと微笑む受付嬢のエンナに、トールは軽く顎を掻いてみせた。

緑の制服姿の女性はそのまま少しだけ待ってみたが、どうにも返答はそれだけのようである。

仕方なく驚嘆と称賛がこもったエンナの眼差しは、反応の薄い男性の両脇に座る二人へ向けられた。

「同じくソラさん、ムムちゃんも、昇格おめでとうございます」

「はい、ありがとうございます! やったー、また昇格だよ、トールちゃん」

「これもムーががんばりすぎたせいか。もっと手をぬいたほうがいいのか? トーちゃん」

ふわりと黒髪を揺らして嬉しそうにはしゃぐ少女と、無表情ながらも紫の瞳をキラキラと光らせる幼い子ども。

思い描いていた受け答えを見られて、ようやくエンナは心の底からの笑みを浮かべた。

「ふふ、特にムムちゃんは最年少かつ最短期間の昇格で、当局の記録を大幅に塗り替えての達成ですよ」

「あっ、ほめすぎちゃダメですよー、エンナさん。すぐちょうしに乗っちゃうから」

「ムーのせいで、ソラねーちゃんは二ばんめなのか。ざんねんむぅー」

「ほら、乗っちゃったー。もう!」

手を伸ばした少女は、トールの向こう側に座るムーのほっぺたを掴んで軽く引っ張った。

子どもは小さく笑い声を上げて、隣の男の膝上に倒れ込む。

トールの太ももに頭を乗っけたムーは、手を持ち上げてまばらに無精髭が残る顎をペタペタと触りだした。

「トーちゃん、ここかゆいのか? ムーがかいてやるぞ」

「こら、ムムさん、お行儀悪いですよ」

穏やかなユーリルの注意に勢いよく起き上がった子どもは、今度はその豊かな胸にすっぽりと顔を埋める。

銀色の長い髪を揺らした美女は、困ったように微笑んでみせた。

本日のユーリルは側面の髪を細い三つ編みにして後ろで軽く結んでおり、その長い耳がよく際立っている。

落ち着きのない幼子の巻き毛を軽く撫でたトールは、興味深そうに見つめてくる受付嬢に言葉の続きを促した。

「ほら、いい子にしてろ。で、話というのは?」

現在、トールたちが居るのは、冒険者局のロビーの片隅。

つい立てに遮られた個室のような場所であった。

樫のテーブルの向こう側にはエンナ嬢が、手前にはトールたちが座っている。

夏も間近となって、窓からは強めの日差しが差し込んできていた。

「はい、まずはDランクになられたということで、一番大事な点からお話しさせていただきます」

「えっと、冒険者の心がまえですね?」

ソラの的外れな返答に、受付嬢は何を今更という表情を浮かべた。

トールも同じ顔つきになり、ユーリルは少女の初々しさを愛しげに見つめる。

予想外な三人の様子に、少女はあわてて言葉を続けた。

「えっ、ちがったかなー。でも大事なことだよね?」

「その辺りはトールさんにお任せしますね。本日の重要なお話というのは、Dランク以上の方々に生じる権利と義務についてです」

スッパリと言い切った受付嬢は、一息ついて十分に注意を引けたことを確認してから会話に戻る。

「どちらからご説明いたしましょうか?」

「義務から頼む」

「はい、あまり楽しくないお話からということですね。義務には大きく分けて二つ、任務と納税がございます。任務は護衛や捜索、調査などがございます。こちらは依頼という形式を取っておりまして、断ることも可能となっております。ただし何度も辞退された場合――」

「査定結果に響いて、下手すりゃ降格ってとこか」

「はい、どのような事情がございましても、いっさい考慮されませんので、くれぐれもご注意ください」

数人の団体(パーティ)で行動する以上、常に足並みが揃うわけではない。

余裕があるうちに、ある程度やるべきことはやっておけという忠告だろう。

「次に納税ですが、これはムムちゃんとユーリルさんだけのお話となります」

「あら、わたしとトールちゃんはないんですか?」

「ええ、お二方はその所属神殿が不明なので……。ムムちゃんには法廷神殿から、ユーリルさんには探求神殿から献納の要請が来ております」

トールとソラが授かった技能樹は、少女の祖父いわく時神様と空神様の加護であるらしい。

央国の田舎ではそこそこ祀られてはいるが、大きな社が建立されるほどの規模はない無名に近い神々である。

その辺りは技能樹を持つ者が少ないというのが大きいだろう。

対して雷神ギギロや氷神ストラージンなどの与える加護が豊富な六大神の神殿は、ほぼどの街にもあると言われるほど信仰が盛んである。 

しかしその維持と管理にはそれなりに経費がかかるせいか、恩恵を受けている人間からはガッツリ取っていく方針のようだ。

ちなみに下枝スキルばかりのEランク以下は、一般信徒と区別されない程度の扱いだったりする。

「それと神官の階位を授与するので、近いうちに参上するようにとの言伝も預かっております」

「はい、承りました。わざわざ、ありがとうございます」

返事がないのでトールが横を見ると、ムーはユーリルの胸に埋もれたまま小さな鼻息を漏らしていた。

その様子に受付嬢は、そのままにしておくよう目配せしてくる。

トールが頷くと、目尻を少しだけ下げてエンナは話を続けた。

「続きまして権利のお話ですが、Dランクからは冒険者局の設備などの使用料を割引、もしくは無償とさせていただきます。奮ってご利用くださいませ」

これは魔石具などの貸し出し料や、馬車の運賃などが割安や無料となるようである。

例えば血流しの川の狩り場へ行くのに一人銀貨一枚取られていたが、これがただになるらしい。

ただし次の狩場である破れ風の荒野へは、馬車と御者をセットで貸し出してもらえるのだが、こっちは割引込みで銀貨五枚とのことだ。

他にも冒険者公認の店で値引いてもらったり、銭湯の入浴料も半額になるなど、細かいところでお得ではあるようだ。

一通り、権利と義務の話を終えたエンナは、やや困った顔つきで次の話題を持ち出した。

「ところで……、トールさんは、その、次の狩り場へ進まれるのですか?」

「ああ、そのつもりだが」

共に橋造りをしたロロルフたちはまだ血流しの川の上流に残留するようだが、トールたちは河馬狩りをさっくり切り上げて新たな狩り場へ進む気であった。

これでようやく待たせていたユーリルとも、ずっと一緒にいられるというわけだ。

その辺りで色々とあったせいか、あからさまにホッとした顔になったエンナ嬢はいそいそと会話を再開した。

「それでは次の狩り場について、ご説明いたしますね」

以前の血流しの川の河原は、小鬼の森を北回りで迂回した先であった。

今度の破れ風の荒野は南回りとなり、馬車で約七、八時間ほど東へ進んだ場所となるらしい。

「ねー、トールちゃん、狩り場ってそこしかダメなの? だんだん街から遠くになっちゃうんだね」

「そりゃ大穴に近い場所ほど、強いやつが湧くからな」

「でも瘴地ってひろいんだし、もっと人がすくなくて、モンスターがあふれてるところへ行ったほうがいいんじゃないの?」

「それはですね、ソラさん。簡単に説明いたしますと、モンスターには発生しやすい場所というものがあるんです。私どもはこれを発生点と呼んでおりますが、現在確認されているのは小鬼の森、血流しの川、破れ風の荒野、それに瘴霧の妖かし沼の四ヶ所となっております。これらを除いて近場となると、他の境界街の管轄になっちゃいますね」

「えー、それだけなんですか?」

「もちろん、それ以外でも発生することはございますが、数は少ないうえに縄張りからほとんど動かないので基本的に放置状態ですね。当然、自由に狩っていただいて結構なのですが、馬車で一日駆けずり回って、数匹しか見つからないとの話ですのであまりお勧めできませんよ」

「はー、わかりました。うーん、ラクな道はそうそうないってことですね」

「じゃあ、詳しい説明を……」

その後、一時間ほど新しい狩り場の丁寧なレクチャーが続き、トールたちはおおまかな内容をさっくり理解することとなった。

血流しの川の時と違いかなりの情報を事前に知らせてくれるのは、やはりDランク以上は戦力としての期待値が高いせいであろう。

ただし、モンスターの知識がややぼかしてあったのは、相変わらずの厳しさであったが。

「以上で説明は終わります。おおよそはおわかりいただけましたか?」

「おつかれさん、詳しく教えてくれて助かったよ」

「はい、エンナさん。もうバッチリです!」

「素晴らしいお話ぶりでしたよ。二重丸を差し上げたいほどですね」

口々に褒められたエンナ嬢は、照れくさそうに笑ったあと今度はスッと小冊子を取り出した。

笑みを保ったまま、テーブルの上に素早く広げだす。

「荒野の危険性が十分にご理解いただけたところで、最後はこちらのお話となります」

受付嬢が指さした先に踊っていたのは、安心安全冒険者保険という見出しであった。

その下にはズラリと、料金表のようなものが並んでいる。

「これは……?」

「こちらは厳しい状況で戦い抜く冒険者の皆様に対し、私どもが精一杯できる支え、いわば見えない盾というべきものです」

「……有料のようだが」

「ええ、ただで支えるなんて言われて信用できますか? 本気で支えるならお金は必要ですよ、トールさん!」

「まあ、そのとおりだが……」

「私のおすすめはこちら、消息保険ですね。冒険者局が常時、居場所を把握しておりまして、何かあったと察すれば即座に捜索隊を派遣いたします」

「かなり、お高いようだが?」

「はい、万全を期すために高ランクへの依頼となりますので、その分、やや割高にはなっておりますね。あ、保証期間は短いですが掛け捨てでしたら、お得にお安くなりますよ」

「ちょっと考えさせてくれるか」

「皆様、最初はどうしても抵抗がおありのようなんです。ですが、そういった場合はまず身近なものからということで、ご用意したしましたのがこちらの武具保険。これもかなりのお勧め――」

その後も施療神殿のサポート付き治療保険や、馬車保険なども次々勧められる。

が、ほぼ全てトールのスキルの関係で不要なため、断る流れで終わってしまった。

「……残念ですが、トールさんたちは特別なので仕方ありませんね」

「すまないな。また入り用だと思ったら相談するよ」

「はい、お待ちしておりますね。では、良き冒険を心から願っております」

説明会が終わり四人が去った後のテーブルで、受付嬢は資料を片付けながら心配そうに思い返す。

彼らが次に向かう場所、破れ風の荒野はかなりの難所であり、不吉な別名で呼ばれていた。

――失望の荒野と。

結成されてからわずか二ヶ月足らずの間で、トールのパーティは何かと話題に上がる存在になりつつあった。

二十年以上最下級に甘んじていながら、実はBランクを簡単に叩き伏せるほどの腕の持ち主。

いきなり現れた不思議な魔技を使う美少女。

たった九歳で、群生相化した鎧猪を単独で屠ったとされる天才雷使い。

そしてさっそうと登場し、いきなりCランクへ仲間入りを果たした凄腕の美女。

さらに見目麗しい女性たちの外見に加え、その業績にも数々の噂が飛び交っていた。

二人だけで百匹近いホブゴブリンを壊滅させたとか、暴れ河馬の大群を全て氷漬けにしたとか。

この短期間でまたたく間に三階級も昇格したり、血流しの川を仕切っていた連中がごっそり更迭された件なども、その噂の信憑性を高めていた。

だがそんな評判とは裏腹に、実際のトールは泥漁りと呼ばれていた頃とまるで変わらぬ態度であった。

それに元気で人懐っこいソラや、どこか微笑ましい言動のムムメメに、慈母のような優しい眼差しのユーリル。

ぎらつく目をした高ランクの冒険者とはあまりにもかけ離れたトールたちは、密かに受付嬢の間でもファンが増えており、エンナはその第一人者である自負を持っていた。

だからせめてものと各種保険を勧めてみたが、あまり役に立てなかったようで受付嬢はこっそりとため息を漏らした。

まあ、加入ノルマなどの話も絡んでいたりするが、それはいったん脇へ置いておく。

憂い顔のエンナだが、一つだけ彼女の信じるジンクスにトールたちが当てはまっていたことを思い出し気持ちを持ち直す。

それは権利と義務の二択で厄介事を先に選んだパーティは、これまでほぼ全員が無事に生還してきた点だった。

先ほどのため息をかき消すように、エンナは力を込めて呟く。

「また元気で戻ってきてくださいね、みなさん」