「村に押し寄せた大発生の群れに魔族らしきモンスターが混じっていて、それをソラくんの祖父殿が魔技で動きを止めたと。そして、今もまだその魔族が停止したまま残っているはず……。何度聞いても信じ難い話だな」

疑いの響きが残るオレンの言葉に、トールは流れていく雲から視線を切って向き直った。

改めて言われると、確かにそういった感想が出てくるのももっともだ。

「こればっかりは、実際に見てもらうしかないな」

「そもそも本当に魔族かどうか、確証はないのだろう?」

「ああ、だがおそらく期待に応えられると思うぞ」

トールの確信は、ソラの態度からきていた。

地下監獄の炎獄の階層で魔族と邂逅した際、ソラは変調をきたすほどの動揺を見せた。

確かに間近で見たモンスターの姿は不気味であったが、その程度で怖気づくほどソラは繊細ではない。

田舎育ちの少女が心を激しく乱したのは、トールと同じくその姿に見覚えがあったせいであろう。

しかも長い年月を経て記憶が薄れかかっているトールと違い、ソラにとってまだ半年前の出来事なのだ。

忌まわしい過去ではあったが、それほどまでに印象を与えた存在を見間違えるのは難しいのではないかという結論である。

耳元を吹き抜ける風のせいでよく聞き取れなかったのか、オレンは数度まばたきしてから声を張り上げた。

「気を悪くしたならすまないな。あまりにも都合が良すぎて、つい疑ってしまったようだ。ところで、その村にあとどのくらいで着きそうなんだ?」

「そろそろ見えてくるころだとは思うが、なにぶん久しぶりでな」

現在、トールたちは、飛竜艇による空の旅の最中であった。

魔族を今すぐにでも見たいというオレンの要望から、とんとん拍子で出発が決まったのだ。

もちろん大瘴穴を守る迷宮主との再戦を控えるトールに、寄り道しているような時間はそうそうない。

今は少しでも特訓に集中すべきであった。

だがトールの説明を聞いたオレンが、ある一言を漏らしたのだ。

「通常ならば大瘴穴のそばでもない限り、魔族が地上に姿を現すとは考えにくい。それが本当なら、何か他の目的なりがあったのかもしれないな」

トールたちの故郷は、山間の小さな村で他に見るべきようなところもない寂れた場所だ。

しかしながらトールが村から離れて十数年の間、自らの魔技だけでなく、ソラやソラの祖父と似たような魔技を持つ人物と一人たりとも出会うことはなかった。

恐ろしいほどに強力な魔技の使い手が同じ場所で何人も生まれている事実に、疑問を抱かないほうが不自然である。

それについては生前に司祭の老人に尋ねたこともあったが、曖昧な返答が戻ってきたのみだった。

もしかしたら自分たちの出自や魔族の狙いを解き明かすことで、何かを得られる可能性もあるかもしれない。

そしてそれはあの無双を誇る黒い骸骨に、立ち向かえる新たな武器になるやもしれない。

トールたちが今回の調査に付き添ったのは、そういった動機からであった。

「大丈夫か、ソラ?」

「うん、トールちゃんこそ平気?」

振り向いて気遣うトールの言葉に、後ろに座っていたソラは自然な笑みを浮かべてみせた。

その腕の中には、しっかりと白い包みが抱え込まれている。

トールが出発前に衣装棚から持ってきた品が、そこに収められていた。

「俺はもう踏ん切りがついているからな。……無理はするなよ。辛くなったら、すぐに頼ってくれ」

「ふふ、あのトールちゃんがすっかり頼もしくなって。お姉ちゃんとしては寂しいけど、なんかすごく嬉しいな」

片目をつむった少女は、背後の喧騒が聞こえるように少し体を傾ける。

「それにこんなに賑やかなんだし、しんみりしてる暇はないかもねー」

「おお-、みろ! ユーばあちゃん。なんかとんでるぞ!」

「あれは……、ずいぶんと大きな鳥ですね! あんなの初めて見ましたよ、ムムさん。モンスターの一種でしょうか」

「どこどこ! ボクにも見せてよ、ユーリル」

「押さないでください、オードル。狭いんですから。ちょっ、暴れないで。落ちるでしょ!」

どうやら灰耳族のご婦人は、空の上だともれなく興奮する習性があるようだ。

小舟の船尾で騒いでいたのは、いつものユーリルとムーの二人に加え、植物学の権威でもある薬合師オーリンドールであった。

植物によく似た魔族の調査ということで、今回は冒険者局の依頼で同行してもらうことになったらしい。

そしてこのはしゃぎようである。

本人曰く、一般人は飛竜艇に乗る機会なぞ滅多にないので仕方がないとのことだ。

手すりにかぶりつく三人の様子にトールが口元を緩めていると、同じく景色を眺めていたソラが不意に前方を指差した。

「見て、トールちゃん。あの丸い山とあっちの尖った山、なんか見覚えない?」

「お、言われてみれば。おーい、あそこへ向かってくれ! ちょっと確認したい」

トールが大声で呼びかけると、飛竜の翼が大きくたわみ行き先を転じる。

ソラの目は確かだったようで、それは村からよく見えた山並みとそっくりだった。

そこから逆算して、それらしい谷間をしらみつぶしに当たっていく。

そして一行は日が落ちる前に、深い山に囲まれたひっそりとした窪地にたどり着くことができた。

逃げ延びた時は二ヶ月以上もさまよい歩いた距離だが、トールが飛竜の体力を<復元>で回復させ続けたとはいえ、帰郷はわずか二日の道のりであった。

村の入り口にあった高い柵は、見る影もないほどに朽ち果てていた。

畑があった場所は、一面に草が生い茂っている。

だがそのおかげで、そこかしこに転がる白い骨もあまり目立たないようだ。

飛竜から降り立ったトールたちは、ムーに怪しい気配を確かめてもらう。

「なーんにもいないぞ、トーちゃん」

「山と山の間にすっぽりと見事に収まっていますね。出入り口も左右は切り立った崖になってますし、言われてみないと本当に気付けませんね」

「なるほど、これなら風の影響も受けにくそうだね。だから瘴気が入ってこなかったのか」

「うーむ、まるで天然の砦だな。いや、隠れ里といったほうが正しいか」

灰耳族の女性二人や資料室の室長が各々意見を述べている間に、トールは辛うじて残った柱や壁の残骸からだいたいの当たりをつける。

「ここはモリクの家があった場所だな。なら向かい側はロシンの家か」

「あっちは村長さんの屋敷だね。その横はキンサちゃんちかなー」

すでに日暮れは近く、山間のこの場所にも暗闇が迫っていた。

急いでかつての顔なじみの家の跡に歩み寄ったトールは、地面に手を当てて履歴を読み取り即座に<復元>する。

すでにトールの魔技は、過去の記録さえ判明すれば、ほぼ完全に戻せるほどの精度となっていた。 

初めてトールの<復元>を目の当たりにしたオードルとオレンは、驚いた顔で荷物を地面に落とした。

「今日はここで厄介になろう。ちょうど囲炉裏もあるしな」

保存食も温め直して夕食を済ませ、一行はそうそうに横になる。

飛竜艇で騒ぎすぎたせいか、すぐに寝息を立てだした。

夜中にふと目が覚めたトールは、隣の寝床が空っぽなことに気づく。

外へ出ると、少女は草むらに一人立ち尽くして夜空を見上げていた。

トールも静かにその横に並ぶ。

高い山に仕切られた空は、ぽっかりと深く黒い。

そこへ子どもが無邪気に掴んで投げ込んだように、星々がひしめき合って輝いていた。

何一つ変わってない眺めに、トールは息を呑んだ。

その脳裏に様々な景色が蘇ってくる。

茅葺屋根の上を飛ぶ渡り鳥の列。

夕焼けを切り取る水車の輪。

友人とともに無心で追いかけたトンボの群れ。

厳しい顔で鍬を握る父と、優しく微笑む母の姿。

だがそれは、とうの昔に失われてしまった光景だ。

気がつくとソラの手が、トールの手に重なっていた。

二人は何も言わず、ただ星空を眺め続けた。