花を模した魔族に率いられたせいか、大発生で村に押し寄せたモンスターの大半は昆虫だった。
人の頭部よりも大きいハエや、三重の顎を持つクワガタに毒々しい赤斑模様のムカデの群れ。
そしてソラの喉を切り裂いた巨大なカマキリ。
それらの虫たちが、特徴のある甲殻や鎌などを残して泉の近くで全て息絶えていた。
ただ奇妙なことに、重なり合う死骸には傷を負って破損した形跡は見当たらない。
ことごとく自然死を遂げたような死に様であった。
「み、水が毒になってるのかな?」
泉の周辺に寄り集まるモンスターの残骸に、ソラがもっともらしい理由を呟く。
それを確認すべく、トールは<予知>を発動させながら水辺に近寄った。
特に危険な映像もなかったので、そのまま屈んで水面に手を差し入れてみる。
痺れるような冷たさが伝わってきたが、それだけであった。
指を持ち上げて舌に数滴、雫を垂らしてみたが、おかしな味もしない。
ただの澄んだ地下水のようだ。
「ムー、むずむずするのって、あの光ってる奴か?」
「そだぞ、トーちゃん」
「怪しいことこの上ないが、調べてみるか」
そう言いながらトールは、再び<予知>を発動させる。
そして動きを止めた。
視界を埋め尽くす映像の雨粒。
そこに映っている大半は、飛び石を伝っていく己の姿であった。
残りは首を傾げているか、腕組みをして顎の下を掻いているだけだ。
どの一つとして、光る円形にたどり着いたり、手にしている未来は見当たらない。
泉の中央までは、目測で十歩足らず。
五秒とかからない距離である。
「どうかしましたか? トールさん」
「いえ、ちょいと行ってきます」
いざとなれば<加速>や<遡行>もある。
トールは慎重に、白い飛び石へ一歩踏み出した。
そのまま次の石へ。
泉の真ん中に浮かぶ発光体を視界に収めながら、テンポよく歩を進める。
またたく間に輝く円形が近付いてくる――はずであった。
だが気がつくとトールの爪先は、岸辺の地面を踏みしめていた。
「む?」
二本の足は、絶対に前へ出していたはずである。
しかしトールはいつの間にか、泉に背を向けていた。
急いで振り向くと、水面の中心には銀の光を静かに放つ物体が変わらず浮かんでいる。
思わず顎の下を掻いたトールへ、ユーリルとムーが声をかけてきた。
「どうしたんですか? トールさん」
「ぷぷ、トーちゃん、まちがったなー」
「いや、そんなつもりはなかったんだが……」
おかしなことをされた感覚が一切ないことに、トールは余計に違和感を覚えた。
確かめるべくもう一度、飛び石へ足を乗せる。
今度はじっくりと視線を発光体へ定めながら、確実に一歩一歩進んでいく。
「あれ?」
不思議なことに距離が縮まらないのだ。
飛び石に何度足を乗せても、銀色の円形は一定の間合いを保ったまま近付いてこない。
訝しむトールの背中に、元気な子どもの声が飛んできた。
「トーちゃん、それあたらしいあそびか? ムーもやるぞ!」
そう言いながら子どもは、ぴょんと白い飛び石に跳び移る。
続けざまに石を経由して、トールに近寄って――こようしたが、なぜか岸の土へと着地した。
「えっ?」
きょとんとするムーの表情に、ソラが驚いた声を上げる。
ユーリルも事態の異常さを悟ったのか、周囲を素早く見回しながらトールに声をかけてくる。
「トールさん、先ほどから左右の石を行ったり来たりしてるように見えますよ」
「本当ですか?」
「はい、前に進めないんですね」
「進んでいるつもりなんですが……」
「私も試してみていいでしょうか?」
「ムーも、もういっかい!」
二人はそれぞれ違う飛び石を選び、トールの近くまで行こうと挑戦する。
しかしどうしてか、狙った方角へ進むことができず、バラバラの飛び石へと進んでしまう。
「なんだこれー!」
「面白いですね。どうやっても進みたい方向へ行けません」
「泉から出るのは簡単なようですけど、あの光ってる奴には――」
「たどり着けませんね」
「あれーまたかー。なんでだー!」
十分ほど試みてみたが、どう足掻いても泉の中央へ進むことができない。
楽しげに笑いながら飛び石の上を跳びはね続けるムーを残し、トールとユーリルは岸にいったん戻って考えをまとめることにした。
「あの泉の中では、距離と方角がおかしくなるみたいですね」
「そう考えて前以外にも進んでみましたが、結局同じでしたよ」
「ええ、一つ以外は不正解ですからね」
一応、飛び石に何らかの仕掛けがあるかと考慮して、トールが直接水に足を入れて挑んでみたが結果は変わらず冷たい思いをしただけであった。
泉を覆う空間自体に、何らかの細工がなされているようである。
もしくはあの銀色の円形が放つ光に、感覚を狂わせる作用があるのかもしれない。
そう考えて目をつむって誘導してもらったが、これも上手くいかなかった。
足元の小石を拾い上げたトールは、軽く手首をしならせて泉の中央へ向けて放ってみる。
が、石は大きく的から外れて思わぬ方向へ飛んでいった。
分かってはいたが、離れた場所からの干渉も受け付けないようだ。
「中に入れば感覚がずらされ、外からも手が出せないか」
「人一倍感覚が鋭いムムさんでも厳しいようだと、打てる手が思いつきませんね」
「ね、トールちゃん、このモンスターがいっぱい死んでるのって……」
考え込むトールたちに、それまでずっと静かであったソラがポツリと話しかけてくる。
「ああ、俺たちと一緒で、あの光ってる奴にたどり着けずにくたばったんだろうな」
「……やっぱり」
「瘴気が薄いと、モンスターは長く形を保てませんからね」
「だったらあの大発生が起こったのって、たまたまじゃなくてアレのせいかもしれないのかな?」
まれに村へ迷い込むモンスターと言えば、犬や兎が瘴気で変質した類のものだけで、あのような巨大な魔族は見たことも聞いたこともない。
それがある日いきなり、凶悪な群れをなして襲ってきたのだ。
何らかの別の要因があったのかもしれないと、オレンも疑問を呈していた。
「否定はできんな」
「じゃあアレのせいで村はめちゃくちゃになって、みんな死んじゃって……。お爺ちゃんも、トールちゃんもたいへんな目に……」
うつむかけた少女の頭に、トールの手が優しく置かれた。
そのまま弾ませるように、何度か軽くソラの髪を撫でる。
「あのな、ソラ。確かにお前を助けるのは大変だった。正直、何回か諦めかけたよ。でも、最後までやり遂げたのは、お前にもっと生きていてほしい。そう俺も爺さんも思っていたからだ。だから勝手に責任なりを感じるのは止めてくれ。俺たちはやりたいからやったんだよ。むしろ、そうさせた自分に胸を張れ」
「…………うーん、そうなのかな?」
「ああ、そっちのほうが後悔よりもずっとマシだ」
しばらく噛みしめるように考えていた少女は、顔を上げるとトールへまっすぐに頷いてみせた。
「じゃあ、私、あれ取ってくるねー」
「出来るのか?」
「うん、なんとなく分かるんだ。あそこまでの道」
そう言いきったソラは、泉の飛び石へ軽く足を乗せた。
平然とした足取りで、少女は水面の中心へ向けて歩き出す。
そして呆気にとられるトールとユーリルの前で、ソラは銀の光を放つ物体へとあっさりと手を伸ばした。
円形の輝きを手に振り向いた少女は、心の底から得意げな笑みを浮かべていた。