「【――セフィロトの下に】」

俺がちょうど部屋をのぞいた時にはもう話は終わっていたようだ。

何やら約定を結んでいた。

恐らくは同盟関係のものだろう。

セフィロトの下に誓われた約定は絶対順守の契約となる。

これで第一世界『ケテル』と第八世界『ホド』は、しっかりと結ばれたようだ。

「勇者、もう入ってきてもいいぞ?」

「……気付かれてたか」

ふすまの隙間から覗いていたが魔王にはバレバレだったらしい。

手招きされたので部屋に入ると、魔王は立ち上がった。

「少しこやつと話してやってくれ」

「え? あ、うん。いいけど」

「頼んだぞ」

魔王は俺の頭を優しく撫でてから部屋を出て行く

ちょうど、俺と入れ替わるような形になっていた。

はて、魔王は何を思って織田信長と俺を二人きりにしたのだろうか。

「えっと、大丈夫か?」

「……ああ」

織田信長の表情は少し固いような気がする。

緊張しているように見えた。

「勇者。座れ」

魔王が今まで座っていた場所に腰を下ろすよう指示される。

素直に従うと、織田信長は不意に俺へと抱き着いてきた。

「ちょ、おいっ」

突然のことに慌てるが、織田信長は気にしてないようで。

しがみつくように俺を抱きしめながら、くぐもった声を響かせた。

「……不安だ」

ぽつりと吐き出されたのは、彼女に芽生えていたのであろう感情。

「セフィラの力を授かって、おれ以上に強いやつなんていねぇと思ってた。でもよ、そんんなことねぇんだよな……」

いつもの覇気は見当たらない。

自信満々に傲岸不遜な表情も、今は消えていた。

「魔族の力を目の当たりにして、自信がなくなっちまった。おれ程度の小娘が、世界を背負っていいのか急に怖くなったんだぜ? 笑っちまう」

彼女は世界を統べる君主となる。

しかし魔族と出会ったことで自信を喪失させているようだ。

「勇者……てめぇを、心から尊敬する。あんな種族相手に一人で立ち向かってたなんて、ありえねぇよ」 

……なるほど、そういうことか。

今の織田信長の状態を見て、どうして魔王がこの場に俺を残したのか理解した。

「お前でも、落ち込むんだな」

魔族の力に頼り切って織田信長は君主の座を手に入れた。

しかしこれからは魔族の力に頼れない。それなのに、自分が世界をきちんと導けるかどうか、自信を喪失して元気がなくなっていた。

だから俺に、彼女を元気づけて欲しいと魔王は思っていたのだろう。

魔王は織田信長を落ち込ませている原因なので、どうにもできない。

でも俺なら、言葉をかけてあげられる。

だって、俺と織田信長の境遇は、似ているから。

「大丈夫。お前ならしっかりできる……いい君主になれると、俺が保証するよ」

「こんなに弱いのにか? おれは今回、ほとんどなんにもしてねぇよ」

「いや、お前はしっかりと立ち向かった。仲間だろうと情に流されることなく、敵だろうと味方に引き入れ、最善の手を尽くせたんだ。お前が思うほど、お前は何もできていなかったわけじゃない」

俺と彼女は似ている。

仲間に裏切られた、というところがそっくりなのだ。

厳密にいうと織田信長は裏切られた、というのとはちょっと違うかもしれないが。

ともあれ、仲間と対立することになったのは同じだ。

しかし、仲間から逃げ出した俺とは違い、織田信長はしっかりと立ち向かった。

それこそが彼女と俺の明暗を分けた違いなのだと、今なら分かる。

「もし俺が、お前みたいに度胸があれば……今頃、どうなってたんだろう」

仲間が悪いと思った時、しっかりと注意することができていたら、どうなっていたのだろうか。

もしかしたら、あそこまで落ちぶれることはなかったかもしれない。

あるいは――なんてことを考え込むことが、たまにある。

未だに過去の後悔は消えてくれない。

「俺は世界を半分しか守れなかった……お前が評価するほど、大した人間じゃないよ。だけどお前は、世界をしっかりと守れると思う。正しいと思ったことを、実行できる『強さ』がある」

そう言って、俺からも軽く織田信長を抱きしめた。

いつもやってもらっているみたいに。

魔王にあやされている時を思い出しながら、織田信長をあやす。

「よしよし……大丈夫だから」

「……んだよ。子ども扱いすんな」

とか言いながら彼女は抵抗しない。

甘えるように、俺の胸元に顔を押し付けていた。

こうしてみると普通の女の子である。

気丈を振る舞っていても、やはり不安になることはあるのだろう。

「お前には優秀な仲間もいる。あの狸のじいさんにもきちんと相談しろよ……あの人はきっと、お前の力になるから」

「っ……てめぇ、あいつが生きてること気付いてたのか」

「俺の感知能力はすごいからな」

徳川家康。

今回のお家騒動の原因だが、あの人からは『欲望』を感じなかった。

ああいう類の人間は、信念を基に動く。

きっと今回の騒動も何かしら考えがあって起こしたのだろう。

なんか死んだことにしたかったらしいが、生きているのだからしっかりと織田信長の力になってほしいものだ。

「……すまねぇな気を遣わせて」

「いいよ。幼女にはいつもお世話されてるから、たまには力になってあげるようにしてるんだ」

「お世話されるって……クズじゃねぇか」

「否定はできないなぁ」

そんな軽口を言い合っていると、織田信長はゆっくりと落ち着きを取り戻していく。

だが、離れる様子は一向になかった――