「ケエエェェェッ!」

怪鳥《けちょう》じみた奇声と共に、シヴィームが指を突き出した。

「っと!」

槍のような鋭さを伴った貫手《ぬきて》が、顔を横に振った流護の頬を浅くかすめていく。

「ヒャィ、ヒョエアアァ!」

続く、弾幕じみた密度で繰り出される拳の連弾。

右手のみで受け、躱し、流護は凌ぎ続ける。

(――、この、ハゲ)

シヴィームは止まらない。流麗なまでの体捌きで拳を繰り出し、身体を舞わせ、素早く打突の嵐を叩きつける。

流護はその全てを躱し、弾き、防ぎ、後退する。

だんっ、とシヴィームは垂直に飛び上がった。およそ一メートルもジャンプし、身体を旋回させて横薙ぎの蹴りを放つ。流護は右腕で受け、押し返すように大きく弾く。刹那、両者の距離が開いた。

「ローリングソバットか……、よッと!?」

言い終わらないうちに、火球が頬をかすめて飛んでいった。

蹴りを弾かれた後、未だ滞空していたシヴィームが放ったのだ。

「ほう、ほう、ほう」

ふわりと黒衣の裾をはためかせて着地した禿頭の男は、韻を踏むような口調で嗤う。

「……何者だ? 小僧」

「一般人だって言ってんだろーが……そんなに俺のことが知りてえのか、気持ち悪いんですけど」

軽口を叩きながら、流護はシヴィームという男を分析する。

洗練された、隙のない身のこなし。

これは――格闘技。武術だ。

無論、地球上のどの流派にも当てはまらないだろう。しかしこの男の動きは紛れもなく、練磨された格闘術のそれに違いない。そこに神詠術《オラクル》を取り込み、独自のスタイルを確立している。

「……、こりゃダメだな」

流護は溜息と共に諦めた。

「む? 降参でもするかね? 残念……もう遅いよ。君は、死ぬ」

笑みを深め、愉悦そのものといった表情を見せるシヴィーム。

「おおそうだ……少女たちをワタシの前へ連れてくるなら、許してやろう。彼女たちの散る様を、特等席で見せてやるぞ?」

流護は諦めて――着ていた上着を脱ぎ、道端に放った。

ズドン! と服とは思えない音を響かせて、地面に落ちた上着が石畳の破片を散らす。

「――?」

思わずといった顔で、シヴィームが上着を凝視した。

「えーと何だっけ……黒牢石とかいうのが、中に入ってんだよ」

「な……に?」

意味を図りかねたのか、暗殺者は流護へと顔を向け、

「――ッ」

そこでさらに、目を見開いて絶句した。

「……男に身体見られてハッとされても嬉しくねえんだけどさ。ところで俺の腹筋を見てくれ。どう思うよ? 自信ある方なんだけど、誰かさんにはカブトムシみたいとか言われて不評なんだよな」

先ほどの愉悦はどこへ吹き飛んだのか。

シヴィームは薄着一枚となった少年の体躯を見て、ただ驚愕の表情を浮かべていた。

無理もない。流護は、この世界の人間ではありえない筋量を持っている。多少衰えてしまったとはいえ、そもそもの基礎骨格が違うのだ。武術に精通したシヴィームは悟ったはずだ。相手の身体つきの、異常さを。レベルの――違いを。

「つうわけで……さすがに、左手動かねえとこにきて上着アリ、だとアンタと闘るのは無理くせえと思ったんでな。ごめん、正直ナメてた」

クレアリアには「ハンデとして足りないぐらいだ」などとカッコをつけたのに、実に情けない。このことは黙っておこう、と少年は心に誓った。

右手の指だけを動かし、ポキポキと鳴らす。左右のステップを踏む。

「おー、久々に軽いや。寝るときもつけてるからな。んじゃ待たせたなオッサン。……ラウンド2ゥ、ヨロシク」

びきり、と男の額に青筋が走る。

「笑ったり怒ったり忙しいオッサンだな。つーか、ハゲ頭に青スジ浮かべるのやめてくれよ。卑猥すぎてお茶の間に放送できねえからソレ」

意味は分からずとも、侮辱されたことは理解できたのだろう。

憤怒の形相となったシヴィームは、瞬く間に間合いを詰め――

「ギョオオオォォ!」

貫手を流護の顔へ奔らせた。

神詠術《オラクル》には、身体強化と呼ばれる操術系統がある。

シヴィームが得意とする系統だった。

身体の各所に魂心力《プラルナ》を滾らせ、超人めいた動きをも可能とする技術。

強化できるのは、手や足といった部位だけではない。シヴィームの実力であれば眼力と足を同時に強化し、高速で飛来した矢を躱すことすら可能だった。

そのシヴィームの視界から、少年が、消えた。

「――――――」

次の瞬間。世界が反転した。

「姉様!」

クレアリアは、へたり込んだ姉の姿を見つけ慌てて駆け寄った。

「姉様、ご無事ですか……! ……これ、は」

ぐるりと周囲を見渡し、言葉を失う。

一部が融解した石畳の道、抉れた地面。離れた位置には、折れ曲がった街灯の下で倒れ伏した大男。その全てが、戦闘の激しさを物語っていた。

「さすがは、姉様です。刺客を倒したんですね」

「うん、なんとかね。よかった……クレアも、無事そうで」

「あ、はい……。私、は、何ともありません」

「……ん、そっか」

クレアリアが何か言い淀んだのを、ベルグレッテは察したようだ。

「……じゃあ、悪いんだけど肩を貸して、クレア。まだ、立ち上がれなくて……」

姉はそう言って苦笑いを見せる。

「……もう、笑いごとじゃありません。こんなに消耗してるところを、襲われでもしたら……」

「はは。まだまだね、私も」

二人で支え合うように、ゆっくりと立ち上がる。歩き出す。

クレアリアは、次の姉の言葉を待つ。

察したはずだ。自分がここにいる意味。つまり、あの少年が足止めをしたのだと。

言うはずだ。こんな満足に歩けないような状態であっても、彼を助けに行くと。

「……じゃあ……できるだけ急いで、城に、戻りましょう」

しかしベルグレッテは、迷わずそう言った。

「えっ?」

クレアリアのほうが、思わず間の抜けた声を出してしまう。

「……姉様、あの……アリウミ殿、は?」

「ん? ……ふふ。へえ。心配なの?」

「ち、違います! 姉様のことだから、彼を助けに行くものだと……」

「だって、必要ないもの」

何ひとつ。微塵も懸念を抱いていない晴れやかな顔で、ベルグレッテは言う。

「リューゴは強いわ。クレアが思ってる以上にね」

「け、けど。あの、こちらに来た刺客の男……あれは、只者ではありません。それにアリウミ殿、私を庇って、左腕にケガを……」

「そう……なんだ。ケガの程度は?」

「止血はしました。でも、左腕が動かないって……」

少し考えるような仕草を見せ、それでも姉は言う。

「大丈夫。それでも、リューゴのほうが上よ。下手したら、もう終わってるんじゃないかな」

困ったような笑みすら見せるベルグレッテ。そのあまりに無垢な信頼に、クレアリアは少し苛立ちを感じた。なぜそこまで言い切れるのか。

「……、そうですか。ならば別にいいです。彼がどうなろうと、私には関係ありませんし」

「ふふふ。ありがと」

「……っ」

嫉妬を見透かされ、妹はさらに恥ずかしい気持ちになる。

「それに……狙われてるのは、私たち姉妹よ」

「!」

姉は、少年と同じことをぽつりと言った。

「せっかくリューゴが食い止めてくれてるのに、私たちが行ったら無駄になっちゃうから」

「けれど……私はともかく、姉様が狙われる理由が……」

「はは……私だってそんな完璧な人間じゃないわよ。それに、そこで寝てる刺客が言ってたわ。『人が人を殺す理由が、怨恨だけとは限らない』ってね。その点に関しては、全く同感よ」

「うーん……」

「クレア、ゲーテンドールで収穫はあったの?」

「いいえ。それどころか、刺客に襲われる始末です。それも、二人」

「二人? そっちには、二人行ったの?」

さすがにベルグレッテが焦った声を出した。

「はい。正確には、一人を倒して……その後、姉様に合流しようと移動を始めた直後、もう一人に襲われました」

ベルグレッテは思考をまとめる。

狙われる自分たち姉妹。暗殺者を雇うという、尋常でない手口。そして、その暗殺者の手際。

ロイヤルガードは普段、城の外へ出ずに一日を過ごすことも多い。

むしろ、外出する機会はさほど多くないぐらいだ。にもかかわらず、刺客は二人が出かけた隙を逃さず、確実に襲撃を仕掛けてきた。

二人が城の外に出るかどうかを、ずっと見張っている訳ではないはずだ。いくら何でも効率が悪い。

となれば、敵は何らかの方法で二人の行動を把握していたことになる。

例えば昨夜のように、前々からリリアーヌ姫の『アドューレ』に随伴することが決まっていた場合ならば、襲撃は容易い。日時や場所も一般に公表されているのだから。

しかし今日、クレアリアやベルグレッテが出かけたのは全くの偶然だ。事前から決まっていた予定ではない。

クレアリアは唐突に街へ行くと言って出かけたし、ベルグレッテに至っては(姫が)急にケーキを食べたくなったから買いに出かけたのだ。

そして、先に出かけたクレアリアに対して、刺客が二人向けられるという徹底ぶり。これは、素早く確実に仕留めるためだろう。

その後、ほぼ突発で出かけたベルグレッテに対しても刺客を送るという正確さ……。しかしこちらは、一人だった。これはなぜだろうか。

ボン・ダーリオは、『アウズィ』と名乗っていた。

所属する組織の名前なのだろうが、ベルグレッテはそんな名前の組織は知らない。残念ながら暗殺組織など、山ほど存在している。さほど規模の大きくない一団なのだろう。

となると、ベルグレッテに対して一人しか刺客が来なかったのは、単に人員不足ということも考えられる。

そこは置いておくとして、やはりまず気になるのは――偶然出かけたはずの二人を確実に襲撃した、その手際。

「……ううーん……クレア、一つ訊きたいんだけど……あなた、出かけるときに――」

「さて。一つ訊きてえんだけど」

「……ぐ!」

シヴィームには理解できないだろう。今、自分の置かれている状況が。

流護は瞬時に敵を地面へと引きずり倒し、上から押さえ込み、完全に腕の関節を極《き》めていた。

――関節技。

武術に精通しているはずのシヴィームは、おそらく知らない。

神詠術《オラクル》に重きを置くこの世界において、武術とは飽くまで『徒手空拳による打撃技』に過ぎない。それも結局は、神詠術《オラクル》で威力を上乗せしている。相手を取り押さえる技術程度はあるだろうが、本格的に関節を極めるといった技はない――と、闘いの中で流護は予想した。

確かに、シヴィームの動きは練磨されている。が、素直すぎるのだ。直線の動きで、打撃を叩きつけるのみ。

流護も空手という立ち技を使う人間だ。

関節技など、どちらかといえば苦手な部類に入る。しかも、左腕もまともに動かないような状態だ。が、苦手な人間と全く知識すらない人間とでは、さすがに天地ほどの差があった。

組み伏せられたシヴィームは、素人でも分かるような決して外せない技を何とかしようと必死でもがいている。

「あんま動くなよ、あと三センチ傾けただけで折れるぞ。……あれ、この世界でセンチに当たる単位って何だっけ? まあいいや。んで、訊きたいんだけど……アンタらの雇い主、誰?」

「…………!」

目を剥いた男は沈黙する。

「そろそろ兵士も来そうだし……ベル子なら状況から依頼人を推測するんだろうが、俺はそんなことする気はねえ。考えても分からんし。つう訳で、アンタに訊く」

「……は、暗殺稼業を舐めてるのか? ケツの青い小僧が」

流護は、ふー……と浅い溜息を吐いた。

「舐めてんのはテメェだよハゲ。いいか? 一回だけ言う。俺はこれから訊く。『雇い主は誰?』ってな。制限時間は二秒だ。オーバーするごとに、てめえの指を一本折る。十本折っても答えねえならいい。首を折るから、死ね。時間ねえからな、サクサクいくぞ?」

「へッ……」

淡々と言う流護に、しかし笑みを浮かべるシヴィーム。

「依頼主は誰だ?」

「……ペッ」

シヴィームは地面に唾を吐き捨てた。直後。

みぢっ、べきん、という音。

「アアァァッ、ガ、がああぁぁぁあッ!?」

絶叫が轟いた。

「は、ふ、」

「依頼主は誰だ?」

「あ、がっ」

ぺき、ごぎん、と乾いた音。

「ぎ、ああああああああぁぁあああっ!」

男の全身がびくんと跳ね、涎を垂らす。

「依頼主は?」

「あ、ば、がっ……」

枯れ木を手折るような音が響く。

「あああっぁああ、があああぁ!」

「依頼主は誰ですかー?」

「わ、わがっ、わぁかったああぁッ! 言う、言うから、やめ、」

三本で音を上げた。

そもそも、本領なのだ。流護は路地裏のケンカにおいて、口封じのために相手の喉と指を潰すということをやってのけていた。この手の荒事は、手馴れたものだった。

この少年は正義の味方でもなければ、正々堂々を信条とする騎士でもない。

『流護クンは。人を、殺せるかい?』

ロック博士の言葉が、脳裏をよぎる。

やれる。殺れる。ベルグレッテたちに危害が及ぶなら――相手が人だろうと、誰だろうと、殺してみせる。

……だが……正直、ほっとしているのも事実ではあった。

もしシヴィームが頑として吐かなかった場合は……どうしていただろうか……?

「……手間、かけさせんなよ。で? 誰だ? あ。あと、ついでにアンタらの構成人数も教えてくれや。つーかもう全部喋れ」