Different worlds of the last heaven and knights of the fist.
34. Whirlpool In Widia
クレアリアに回復の神詠術《オラクル》を施されながら歩いていたベルグレッテは、城に着く頃には問題なく動けるようになっていた。
……とはいえ、魂心力《プラルナ》そのものを消費しきってしまっているため、しばらく大がかりな術は使えない。完全回復するならば、丸一日は休む必要があるだろう。
しかし彼女らは部屋には戻らず、王の下へと急いだ。
王の部屋を訪れると、ラティアスがアルディア王のボードゲームの相手をさせられているところだった。ベッドに腰掛けたリリアーヌ姫が、退屈そうに対局の様子を眺めている。
「あら。二人とも、おかえりなさい!」
許可を得て入室してきた二人を、姫が笑顔で迎えた。
「あれ、リリ……姫、どうしてここに」
「退屈だったので……デトレフにお願いして、連れてきてもらいました」
「そうなんだ……まあ、ここならこの上なく安全よね」
そこで、盤面に目を落としたままのラティアスが呟く。
「感心しないぞ、ベルグレッテ。姫のご要望とはいえ、昨日の今日で姫の下を離れて外出するなど」
「も、申し訳ありません……」
「よいのです、ラティアス。どうしても……どうしても、ケーキが食べたくなったのです! これは友人としてのお願いではなく、王女としての命令だったのです。ベルに逆らうことは許されません! よってラティアス、ベルを咎めることは許しません!」
姫が拳を握り締めて力説する。
「……ふー……。御意に」
ラティアスは溜息を隠しもしなかった。
「うむ。急に何かが食いたくなるときってあるよな。分かるぞ娘よ。……ふむ、この手でどうだ」
「……む。やりますな」
「と、ところでベル。その、肝心のケーキはっ……」
姫がそわそわとベルグレッテのほうを見る。
「あ、それなんだけど……三人とも、お話が」
ベルグレッテは三人へ慎重に説明した。
暗殺者に狙われているのは姫ではなく、自分たちだという推測。状況から予想される……依頼主の、名前を。
「……むう」
アルディア王が低く唸りを上げた。
「そ、そんな……今回の件……狙われているのがあなたたちで……暗殺者の雇い主が、あの方……?」
リリアーヌ姫は、信じられないといった様子で首を横に振る。
「無論、これは証拠もなく、ただの推測に過ぎません。正直、私も……信じたくはありません。なので……これから、確かめに行ってきます」
ベルグレッテは凛とした声で告げた。
――そこへ。
無言で聞いていたラティアスの横に、通信の神詠術《オラクル》による波紋が生まれる。
「ラティアスだ」
『リ、リーヴァー! アルマです!』
おお、とベルグレッテは感嘆する。アルマは通信が得意で、かなりの遠距離であっても相手を確実に補足して通信を飛ばすことができるのだ。
やっぱり私も、もっと通信を練習しないと……と少女騎士は決意した。実際のところ、かなり繊細な技術や絶え間ない修練が必要だったりで、決して簡単ではないのだが。
「どうした?」
『はい、あの……シヴィームを、捕らえました!』
「何?」
ラティアスがかすかに驚いた声を漏らす。ベルグレッテにしてみれば、この冷静な騎士隊長がそのような驚きを見せたことに驚いた。
「そうか。誰が捕らえた?」
『それが……街中で爆発を起こして暴れてる男がいる、と市民から通報がありまして……駆けつけてみたところ、手の指の骨を数本折られ、完全に戦意を喪失した男が倒れていまして。この男が、シヴィームだと確認が取れました。「銀黎部隊《シルヴァリオス》」の面々に確認も取ったのですが、誰もシヴィームとは遭遇していなかったそうで……』
「何だと……? シヴィームを相手に、誰が……」
「っ!」
ベルグレッテはすぐに察した。シヴィームというのが何者だか分からないが、流護が足止めした相手で間違いないだろう。
「……姉様。何ですか、そんなに嬉しそうな顔をして」
「は、えっ? そ、そんな顔してないってば」
「……ともかく。私たちは向かいましょうか。『あの人』のところへ」
どこか冷めた妹の声に、姉は頷く。
確かめねばならない。自分の予想が、当たっているのか。
心のどこかで、外れていることを願いながら……ベルグレッテはクレアリアと共に、部屋を後にした。
姉妹のロイヤルガードが部屋を後にし、残った三人に、何とも言えない空気が残る。
「……どうしてあの方が、ベルたちに暗殺者などを……」
小さく呟いたのはリリアーヌ姫。
アルディア王は、どこか寂しそうな口調で言う。
「理由は想像できる。……難しいモンだよな。あっちを立てれば、こっちが立たねえんだ」
ラティアスは感情のない声で、盤面の駒を動かす。
「自分の実力が及ばないのを棚に上げ、ガーティルード姉妹を狙うなど低劣の極み。ちょうどいい機会だ、処置は姉妹に任せましょう」
そうして、三人はその場所へ到着した。
ミディール学院、学生棟。とある部屋の前。
空は朱に染まり、窓から入る光が辺りを赤く照らしている。
――流護がシヴィームから依頼人の名前を聞き出して城へ戻ると、ベルグレッテとクレアリアが城から出てくるところだった。
依頼人の名前をどうベルグレッテに告げようかと迷う流護だったが、しかし彼女は自ら語り始めた。これまでの状況から推測される、その黒幕の正体を。
ドンピシャである。見事、ベルグレッテは依頼人の名前を言い当てた。
しかしそこに……真相を解明した喜びは、なかった。
彼女はただ、つらそうな表情で――今もその顔のまま、この部屋の前に立っている。
ミディール学院へ来るまでに、襲撃はなかった。
流護はシヴィームから、暗殺組織『アウズィ』の構成員は五名だと聞き出している。
『アドューレ』の只中へ炎の槍を放った後、デトレフに捕らえられた刺客。その後、路地裏でベルグレッテたちに倒された刺客。昼間、流護とクレアリアを襲撃した刺客。直後にやってきた、あのシヴィーム。ベルグレッテを待ち構えた、ボン・ダーリオという男。これで全員だ。
『アウズィ』は、壊滅したのだ。
あとは、話を聞くだけだった。暗殺者を雇ったその人物に。
一瞬だけ躊躇する素振りを見せて、ベルグレッテは部屋のドアをノックする。
「はい? どちらさま?」
「……ベルグレッテです」
「…………、」
動揺した気配がはっきりと伝わってきた。
向こうにしてみれば、ベルグレッテがここに――いや、この世にいるはずがないのだから。
ガチャリ……と、ドアがゆっくり開かれる。
クレアリアは驚愕する相手の顔を見て冷笑すら浮かべ、明るい声で告げていた。
「……ふふ。何て顔をしてるんです? まるで亡霊でも見たみたいな目をしてますよ? シリル・ディ・カルドンヌ殿」
思わずふらついて後退したシリルとの距離を詰めるように、三人は部屋へと入った。流護が後ろ手でドアを閉める。
逃げ場を失ったと悟ったのか、その白い貴族少女は肩をびくりと震わせた。
「……どう、して……」
彼女のその言葉には、いくつもの意味が込められているのだろう。
「そう言いたいのはこちらの方ですけど。貴女が性悪であることは元より知っているつもりでしたが、まさか暗殺者を仕向けてくるだなんて……いやはや、驚きです」
クレアリアは冷たい笑みを崩さない。
「……シリル。あなたが暗殺者を雇った理由は……」
呟くようなベルグレッテの言葉に、
「な、なんの話をしてるいのか分かりませんわ!」
シリルは動揺もありありと食い下がる。
「あのさ。もうそんな段階の話じゃねえんだよ。シヴィームとかいうハゲが言ってたぜ。『依頼人はシリル・ディ・カルドンヌだ』ってな」
「っ……!」
「……そもそも、暗殺者を雇うなんて手口の時点で、依頼人の候補は絞られる。潤沢な資金がなければできないことだから」
ベルグレッテは、ただ事実のみを並べていく。
「暗殺者を雇ったあと、あなたは私の動向を探るために、この学院へやってきた。私たちの動向を探るために、『アドューレ』にも来ていた」
流護は今更ながらに思い出す。
レインディールへ向かう馬車の窓から見た、黒い影。ドラウトローを思い起こさせたあの黒は、ベルグレッテをマークしていた暗殺者だったのではないか。
「昼間にゲーテンドールへ向かったクレアリアが的確に襲撃された話を聞いて、あなたを……疑った」
この少女のことだ。そう思いついても、疑いたくなかったのだろう。
悲痛な表情のベルグレッテとは対照的に、クレアリアは冷たい刃のような言葉をぶつける。
「私がゲーテンドールへ向かったのを知っていたのは、姉様、姫様、アリウミ殿……そして城を出たときに会った、シリル殿……貴女だけですもの。貴女が、暗殺者へ連絡を入れたんでしょう?」
クレアリアは、憎々しげに目を細めて言い募る。
「そもそも、貴女の『ゲーテンドール周辺で不審な男たちを見た』っていう話そのものが嘘だったんですね。まんまと乗せられて出かけた挙句、狙い撃ちされた自分が恥ずかしいです。全く」
「……?」
それを聞いた流護の脳裏に、ふと疑問がよぎった。その場ですぐに切り出す。
「ええーとシリルさんよ。クレアリアはともかく、その後に偶然出かけたベル子にはどうやって暗殺者を仕向けたんだ? 城の入り口でクレアリアと会った直後、あんたは馬車で学院に戻ったんだろ?」
「しっ……知りません! 知りません! 知りませんわッ!」
返答ではなかった。
激しく頭を振り、シリルは絶叫する。
「やれやれ……姫様の好きなミステリ書のようにはいきませんね。往生際の悪いことったら」
クレアリアは、もはやゴミを見るような目を向けていた。
「……シリル……」
目を伏せて名を呼ぶベルグレッテに、当のシリルがキッと顔を上げて叫ぶ。
「貴女が……、貴女たちがいけないんですッ! 貴女たちさえいなければ、私がっ……!」
ベルグレッテとクレアリアの姉妹が狙われた理由。
怨恨でないのなら……金。しかしそれは当てはまらない。暗殺者を雇うほど裕福な人間なのだ。となれば――地位。
「私たちがいなければ、あなたがロイヤルガードになれた?」
ベルグレッテは平坦な声でシリルの言葉を継いだ。
「そっ……そうよ! 私の方が優秀ですもの! 未だ学生でしかない貴女たちと違って、私はすでにバルクフォルトの学院を卒業した身! 貴女が……貴女たちは姫様の幼なじみだから、ただの縁で推薦されただけ! 姉妹で少しばかり容姿がいいから、担ぎ上げられてるだけなのよ! 何よこの不公平は! ふざけないで!」
――そこで。
「ふざけているのは、あなたよ」
ベルグレッテらしからぬ、ひどく冷たい声。
シリルが電撃を受けたかのようにびくりと跳ね、クレアリアは驚いた表情で姉を仰ぐ。流護も思わず、ベルグレッテの顔を凝視した。
――そこには。何の感情も感じられない、精巧な人形と見紛うほどの……冷たい、少女騎士の顔。
「幼なじみだから? 担ぎ上げられてるだけ? 本当にそう思うの? そんな理由で、一国の姫の守護を任されると思うの?」
単語の羅列のように吐き出される言葉。
「ええ、確かに私はまだ未熟よ。勉強することばかり、反省することばかり。それに、あなたが私たちを疎ましく思うのは自由。だけど……」
無表情だったベルグレッテは、きっ、と力強い瞳をシリルへ向ける。
「あなたも見ていたのよね? 『アドューレ』を。あの襲撃を。ロイヤルガードになりたいっていうあなたが、故意に姫様を危険に晒すような真似をした。それだけで、あなたにはロイヤルガードになる資格なんてない」
シリルの顔に狼狽の色が浮かぶ。
「……、あれはっ……」
『アドューレ』のため壇上にいた三人。そこに飛来した、炎の槍。確かにあれは姉妹を狙ったものだったかもしれないが、クレアリアが防がなければ、リリアーヌ姫も巻き込まれていただろう。
「あれは……暗殺者が、勝手にやったことで……!」
「はっ。すげえ言い分があったもんだな。もしクレアリアが防げなかったら、どうする気だったんだ?」
「ッ……貴方はなんだっていうの! この私に何のつもりで!」
「俺? ただの一般人だよ。あんたみたいな貴族じゃない。けど、邪魔な相手を消すために暗殺者を雇うなんて姑息なマネするクズでもねえ。ベル子たちが邪魔なら、自分で何とかしてみろよ。ベルグレッテやクレアリアっていう詠術士《メイジ》に、闘いを挑んで勝ち取ってみろ。できねえからこんなマネしたんだろ? そんな奴が、ロイヤルガードになんてなれるかってんだよ」
流護の言葉に。
「……、っう、うぅ……」
シリルは――心を折られたように、ただ崩れ落ちた。
イシュ・マーニと呼ばれる巨大な月の加護がない夜は、完全な闇に包まれていた。
「……あれで……よかったんですか? 姉様」
馬車の消えていった宵闇の道を見つめて、ランタンを手にしたクレアリアがぽつりと零した。ランタンの小さな明かりと同じ、消え入りそうな声で。
あの後。シリルはただひたすらに、「ごめんなさい」と……涙を流して、謝り続けた。やがて落ち着きを取り戻した彼女は、「城に出頭する」と言った。
その言葉を信用したベルグレッテは、彼女を拘束するような真似はしなかった。こうして今、シリルを乗せた馬車が走り去っていくのを見送ったところである。
「お人よしだよなー、ベル子」
「はは……ごめん。自分でも甘かったかなって思うけど。でもシリルを……信じたいから」
そこで、ぴょこっとミアが顔を出してきた。
学院の入り口で流護たちがごたごたやっているところに、ふらふらと寄ってきていたのだ。
「いやーでもびっくりだねー。暗殺組織『アウズィ』かあ。実在したんだね。それを壊滅させちゃった三人もすごいけど」
うんうんと頷きながらミアが言う。
「ああ……そういや、こないだミアが話してたよな。怖い話だっけか?」
「うん。闇に潜む人殺しの集団で、リーダーは背の高い黒ずくめで、不気味な仮面を被ってるっていう。数百年も生きてる怪人なんだそうで」
「リーダーはただのハゲだったぞ。仮面なんて被ってなかったけど、時折見せるステキな笑顔が死ぬほど不気味だったな。笑ったと思ったらキレるし。怪人っていや怪人か。話ってのは尾ヒレがつくもんだな」
「ううーん。でも、そんなハゲ怪人もリューゴくんの敵ではなかったと。さっすが!」
クレアリアがむっとした目をミアへ向けた。当然のように流護の実力を認めていることが気に入らないのかもしれない。
「それよりおのれらー! 夕ごはんにしよ! クレアちゃんも久々に一緒だしー!」
飛び跳ねながら、元気娘ミアはクレアリアの腕にしがみつく。
「あ、ちょっ……ミア、離してください」
抗議の声を上げるクレアリアだったが、満更でもなさそうだった。流護はミアとクレアリアが一緒にいるところを見るのは初めてだったが、やはり仲がいいのだろう。
「姉様。これからどうします? 一度、報告に戻りますよね?」
「ん、そうね。陛下たちに直々に報告はしないと。夕ご飯の後、王都へ戻りましょう」
片道四時間。往復で八時間。
ベルグレッテは明日授業があるというのに、何というスケジュール……、
「うああああぁぁあああぁっぁぁあああっぁぁああああ!」
瞬間、流護は絶叫した。
「おわあぁ!」
「ちょっ、何ですか! いきなり馬鹿みたいな声を出して!」
「なっ、なに、どうしたのリューゴ……!?」
驚いた少女たちがびくっとして流護を見る。
注目を集めた少年は、かすれた声で呟いた。
「……金、持ってくるの、忘れてた……」
「…………あ」
ベルグレッテも気付いたようだった。
そうなのだ。受け取った褒賞金を客室に置いたまま、忘れてしまっていた。
「お金……? あ、そっか! 褒賞金かあ!」
ミアは目ざとく気付いたようだ。ぱあっと表情を輝かせる。
「ね、ね! いくら? いくら出たの!」
「ええっと……三百五十万だっけ?」
「さっ……、」
ひゅっ、とミアが息を吸い込んでよろめいた。と思いきや、きっ、とした目を流護へ向けてくる。
「……リューゴくんっ」
「ん? 何だよ、かしこまったみたいな顔して」
「あたしと結婚してください」
なんか右手を差し出してきた。
「はっ、はあ!? ミア、何言っ」
「だ、そんなのだめっ!」
流護に被せるようにして、ベルグレッテが叫んでいた。その言葉に、ミアがにやーっとした笑みを浮かべる。
「……ふぅーん、そっかー。ベルちゃんがだめっていうなら、諦めるしかないかなー」
にやにやと、ベルグレッテを覗き込むミア。そんな少女から顔を背けるお嬢様。暗くて見えないが、赤く……なっているのだろうか。むっとした様子のクレアリアが割って入った。
「いえいえ。どうぞ、アリウミ殿とミアは結ばれてくださいな。祝福しますので」
「そ、それより! 褒賞金よね! ど、どうしよっか?」
ミアをぶら下げた少女騎士が無理矢理に話題を変えた。流護は困ったように頭を掻く。
「んー、どうするも何もな……」
「でもさ。リューゴくんってほんと変わってるよね。三百五十万エスクなんてすんごい大金なのに、あんまり執着してない感じ? エドヴィンが千匹は飼えるよ?」
飼えるて。
「あたしも実家は正直、お金なくて大変だし……三百五十万エスクもあったら、弟や妹たちにいっぱいおいしいものを食べさせてあげられるのう……ごほごほ。ちらっちらっ」
「そ、そうなのか。うーん……執着してないことはないぞ。金忘れたの思い出して、ヒヤッとしちまったし」
しかし確かに、思ったよりは落ち着いているかもしれない。
あえていうならば、まだ現実味がないのだ。
いきなりこの世界で二年遊んで暮らせる金額と言われても、中々に脳がついていかない。これが三百五十万円だったら、もっと分かりやすく動揺していただろう。
「まあしょうがねえ。取りに行かない訳にいかないよな……なくなってなきゃいいけど」
こんな夜になってから往復で八時間など拷問以外の何でもないが、ベルグレッテと一緒なら気も楽だし……と思えばいけそうな気がする少年だった。