Different worlds of the last heaven and knights of the fist.
233. Burning Flames
「あんた、名前は?」
「フラムギオだ。そう言う兄さんと嬢ちゃんは?」
「俺はサベル。で、あのルグミラルマの精霊も顏負けの美女が相方のジュリーだ」
「惚気《ノロケ》てくれるねぇ」
敵対していたはずの男二人は自己紹介を交わしながら、並んで眼前の敵を睨み据えた。
視線の先、その相手。身の丈は、二マイレ半を優に超えるだろう。隆々とした筋肉を纏った、黒肌の巨人。参加者の証であるリングはその太い首に見当たらず、ギョロリとした巨大な眼は獣のそれに近い迫力を帯びている。
その名を、エンロカク・スティージェ。
サベルたちは知るよしもない、理性という名の鞘から抜き放たれた禁忌の魔剣。
サベルとフラムギオ、エンロカク、その向こう側にジュリー。現在、三人は敵を挟み込む形で対峙していた。
「あんたの連れは……残念なことになっちまったがよ……」
サベルは敵へと集中したまま、わずかに視線だけを横向けた。
草場の大地には、三人の男たちが力なく転がっている。フラムギオの仲間であり、サベルたちの敵。巧みな術者だった彼らは、身体の一部を損壊させ、およそ人の造形から外れた無残な姿に変わり果ててしまっていた。
そんな惨状の元凶たる敵を見据えつつ、フラムギオは淡々と言ってのける。
「何、数日前に知り合った仲さ。首都の酒場で出場者同士ってことで意気投合して、一丁組んでみるかって話になってな。深い間柄じゃあない」
けどな、と。
四人の中でただ一人生き残った男は、目を薄めて前傾に構えた。
「こんな『負け犬野郎』にワケの分からん横槍入れられて……ぶち壊しにされて平然としてられるほど、浅い繋がりでもねぇぜ」
突如として現れた黒巨人は、首輪を巻いていない。それは、すでにこの場で闘う資格が失われたことを意味している。息は荒く、全身血まみれ。深手を負って敗北し、暴走したのだと想像することは容易い。
「負けた腹いせに暴れる、って奴が出てくることも珍しくはねぇそうだが……やりすぎだよ、ノッポ。――ブチ殺されても、文句なんぞ言えんぐれぇにな」
それはまるで爆破。足裏を瞬間的に弾けさせたフラムギオが、恐るべき速度でエンロカクへと肉薄する。
その属性は――サベルと同じ、炎。
燃え上がる力を速さへと変換したフラムギオは、絶妙な足捌きでエンロカクの側面へと回り込んだ。
「ブ、フ、」
正気を失ってなお、巨人はその動きに追従する。
丸太じみた両腕に渦巻く風が、獲物を粉砕しようと唸り飛ぶ。
「――フッ!」
地を這うほど低く。フラムギオは全力で屈み込んで暴風の一撃をやり過ごし、
「シィッ!」
伸び上がる勢いから、拳に乗せた炎熱の衝撃波をエンロカクの顎へと叩き込んだ。
かすかにふらつく黒き巨体。そして歴戦のトレジャーハンターたちは、その機を逃しはしない。
「ジュリー、合わせろ!」
「ええ、サベル!」
完全同期。前後から迫った二人は、エンロカクを挟撃。正面から踏み込んだサベルの拳が、紫の尾を引いて巨人の腹へと突き刺さる。真後ろから舞い降りたジュリーの風刃が、同じく巨人の大きな背中を切り刻む。
舞い散る藍色の火の粉。吹き荒ぶ朱色の飛沫。
「……、グブ」
刹那、エンロカクの膝がガクリと傾いだ。
――勝機。
現れるなり凄まじい身のこなしによってフラムギオの仲間たちを瞬殺した巨人だが、その消耗のほどは明白。万全の状態であれば、さぞ突出した域の使い手なのだろう。しかし今は瀕死。当たれば効く。必ず倒せる。
連係によってかすかによろめいたエンロカク、その隙を逃さずフラムギオがさらに深く踏み込んだ。
「――終わりだ、ノッポ野郎」
下方から弧を描いた拳が、エンロカクの頬へと叩き込まれる。瞬間、巻き起こる力強い爆炎。
会心の直撃だった。並の者ならば終わっていた。
その相手が、エンロカク・スティージェでさえなければ。
「……、…………?」
必殺の一撃を叩き込んだはずのフラムギオが、驚愕の表情で見つめる。
勝負を決めたはずの、自分の右拳を。ズタズタに裂け、圧壊した己の手を。
そして彼は気付く。エンロカクの肉体を、微細な振動が覆っていることに。悟る。その正体が、薄くも強靭な風の流れであることに――
風の巨人が誇る防の極致、逆風の天衣。それは、迂闊に触れた者を等しく刻む凶刃の衣でもあった。
エンロカクの巨大にすぎる右手のひらが、硬直するフラムギオの頭を鷲掴みにした。そしてもう片方、左手が彼の顎下へと添えられる。
「フラムギオ、逃げッ――」
サベルは聞いたばかりの男の名を全力で叫ぶ。
若者は知っていた。これまでの人生で、嫌というほど思い知らされていた。
死は、いつもすぐそばに寄り添っているということを。
まるで酒瓶の蓋をねじったような光景。フラムギオの首が、勢いのまま三度も回った。ばきばきと鈍く厭な音を響かせ、彼の身体が崩れ落ちる。首に巻かれていたリングが、硬度を失いひらひらと舞う。
「――ジュリー、合わせろ」
「ええ」
二人は微塵も揺らがなかった。
外の世界で暮らして十年以上になる。今まで目の前で消えていった命の数など、もはや意識してみる気にもなりはしない。
別段、珍しい境遇ではない。故郷の村が山賊たちに蹂躙され、住む場所を失って。各地を点々として。飢餓と貧困にまみれたその日暮らしを繰り返して。それでも術の腕を磨き、それなりの腕前になって。
安定して、『生きていける』ようになった。あとは二人で、自由気ままに暮らせればいい。正義とか悪なんてどうでもいい。自分には関係ない。綺麗事を言おうなんてつもりはない。
ずっとそうして生きてきた。
けれど。
「――クソデカ野郎。テメェだけは、ここで潰す」
のさばらせてはならない『凶』。世界には、そういった災禍の種が存在する。
この男が紛うことなき『それ』であると、二人の本能が断じていた。
サベル・アルハーノとジュリー・ミケウスは、互いを誰よりも理解し合っていた。無論、それぞれの術の欠点をも。
「火神クル・アト。何としてもコイツをブッ倒したい。俺に力を貸してくれ――!」
「風の主、ウェインリプスよ。その偉大なる加護を、我に――」
絶大な火力を誇るサベルは、その反面で射程に劣る。
攻撃範囲と速度に優れるジュリーは、一撃の威力が乏しい。
ゆえに二人は、常に寄り添う。
「――炎舞!」
「風雅っ――!」
その調べは同期し。炎神と風神が、喚び声に応える。
『その一撃を以って――討ち滅ぼせ!』
毒々しいまでの青みがかった炎を、長大な風の奔流が運ぶ。荒ぶり渦巻く炎の竜が、エンロカク・スティージェを瞬く間に飲み込んだ。周囲の土くれや枝葉が巻き込まれ、パチパチと音を立てて燃え上がっていく。
フラムギオの死は決して無駄ではない。彼が仕掛けてくれたおかげで、この技を放つための詠唱が完遂できたのだ。
そして、
「いくぞジュリー、もう一丁ッ!」
「分かってるわ、サベル……!」
熟練の二人に、油断はない。
荒れ狂う紫の竜巻、その中で炎上しているであろうエンロカクに向けて、サベルたちはさらに追撃を仕掛けようと身構える。
万全、完璧な戦闘の流れ。彼らに落ち度はなかった。
ただ。
相手が、この上なく常軌を逸した存在だったというだけの話で。
巨躯が、紫の竜巻の中から飛び出した。
「ブハ、ブ、ヴ、フ ハ、ハ ハハハ――――!」
煙を噴き上げながら、火の粉を散らしながら。
エンロカク・スティージェが、未だ猛威を振るう攻撃術の中から強引に飛び出してきた。
「なッ……!?」
「え――」
歴戦のトレジャーハンターたちは、ようやく悟る。
これは闘いではなく。
無慈悲なほどに一方的な、狩りだったのだと。
――やめろ。
そう懇願しようにも、もはや声が絞り出せない。
だめだ。『あれ』は、まともじゃない。言葉で意思疎通が図れる相手じゃない。懇願するような余裕があるのなら――全力で、命を燃やせ。
「……――ッッ!」
血にまみれ、土にまみれ、這いつくばった青年――サベル・アルハーノは、倒れながらも右手に全身全霊の魂心力《プラルナ》を込める。射殺さんばかりに、その敵を睨みつける。
「ぐうっ……!」
術でも何でもない。ただ振り回されただけの蹴り――その一撃で、肋骨を持っていかれてしまった。
「グ、ブ、フ、ハハァ アハハ ハハハ ハハハ ハ ハ」
それはまるで、得体の知れない怪物だった。
隆々と発達した規格外の巨躯。返り血に染まった黒い肌。気が狂《ふ》れているとしか思えない血走った両眼。唐突に現れた、異様な出で立ちの乱入者たる巨人。
今、その怪物の右手にはサベルの相棒が――大切な女性が、ジュリー・ミケウスが捕らわれている。首を掴まれ、高々と吊るし上げられている。彼女のリングはとうに外れ、頼りない紐となって足元に落ちていた。
「ジュ、リー……!」
そもそも、信じられない。
『蒼躍蝶《モルフォ》』の異名を持つ彼女が、あんなに呆気なく捕らえられるなど。
ジュリーは、風に乗ってひらりひらりと敵の手を躱し続ける、華麗な蝶そのものだ。これまで、まともに彼女を捕捉できた相手などいなかった。
だというのに。
この粗野な怪物は――外見からは想像もできない、ありえないような速度と正確さで彼女を捕縛した。
ジュリーが風に舞う蝶ならば。
この巨人はまるで、『風そのもの』。
翅をはためかせる礎となるその存在からは、決して逃れられないとでもいうように。
「……、サベ……ル、逃げ……」
掴んだ蝶の胴体を、じわじわと潰すかのような。
消えていく。彼女の瞳にたゆたう光が、失われていく。
「さ、せ……る……か」
サベルは立ち上がり、右腕に炎を纏わせた。その色は、紫。稀有な色彩を宿すその炎。子供の頃は、これが原因で苛められた。奇異の目で見られ続けた。唯一、ジュリーだけが「綺麗ね」と褒めてくれた。
二人は、各地を転々としてきたトレジャーハンターである。同業者には名前もそこそこ知られていた。共に数え切れないほどの仕事をこなし、幾度もの危機に遭遇してきた。そのたびに機転をきかせ、時には華麗に、時には強引に、しかし確実に潜り抜けてきた。
それが。こんなところで、あっさりと終わってしまうのか。
確かに、規定に守られた闘いではある。しかし参戦するに当たって、油断をしていたつもりなどなかった。そんな堅実さこそが、これまで勝ち抜けてこられた要因でもある。
立ち回りに、およそ落ち度は見当たらなかった。
ただただ圧倒的なまでの、格の違い。
フラムギオの炎も。自分の紫炎も。ジュリーの風も。
通じない。幾度も致命の一撃が直撃したはずなのに、まるで揺らがず平然としている。
本当に人間か、この男。
あってたまるか。こんな、馬鹿な話が。
「さ、せ……る、か……ッ!」
サベルは地を蹴った。吸い込むべき大気をも紫炎の力に変えて、愛する者を掴み上げる巨人へと疾駆する。
血走り、黄ばんだ白目に浮かんだ瞳がギョロリとサベルを捉えた。空いている左手のひらをかざし、黒々と渦巻く豪風を撃ち放つ。
大地を割って迫る衝撃波を横っ飛びで躱し、
「舐めんじゃ……ッ、ねえぇ――――ッ!」
横合いから、炎の右拳を唸らせた。Bクラスに属する怨魔、強靭と名高いルガルやドラウトローをも消し炭と化す全霊の一撃。焦熱の紫が、巨人の脇腹を射抜――、かなかった。
右手はジュリーを吊るし上げており、左手の一撃は不発に終わっている。巨人に、抗う術はないはずだった。
だが。
膝。視認できない速度で突き上げられた膝が、サベルの一撃を右腕ごと粉砕していた。肉がバシャリと裂け、骨が無残に飛び出す。
「ぐっ……、ぅ、あ! が、は、ああがあぁ……!」
砕かんばかりに歯を噛み締め。
「ッッ、想定内、だよ……! クソデカ野郎ッ……!」
紫炎の青年は嗤う。今度こそ、何もなかった。サベルの攻撃術と、目標の間を阻むものは。
左。巨人の脇腹に握りしめた左拳を叩き込み、
「歯ァッ、食いしばれエエェ――――ッ!」
爆発させた。青白い火の粉が舞い落ちる。
「ぶ、フ」
人のものとは思えぬ巨躯が、しかし確実に傾ぐ。手応えあり。
確かに効いた。確かに届いた。
(好機……! ここで押し切るのが……ッ! 男ってモンだろうがよオオオォォッ!)
左拳に、全身全霊の力を込める。
過去、幾度もの危機を乗り越えてきた歴戦の冒険家は、今この瞬間もその隙を逃すことはなかった。
「ウウオォォ――ォラアアァッ!」
密着状態からの爆拳連打。まるで岩盤の採掘作業さながら、巨人の腹部が紫の破裂に見舞われる。吹き荒れる藍色の靄の中、
「ゴ、ボッ……」
黒い巨人の肉体がのけ反り、
「喰らいッ……やがれえええぇッ!」
その側頭部へ、全力の紫拳を叩き込んだ。巨躯が、確かに大きく傾ぐ。藍色の爆炎が舞い――、ジュリーの身体が解放されて落下した。
「ジュリー!」
抱きとめた。愛しい女性を、確かにその手で受け止めて。無残に圧壊した右手では触れられないから、左手で彼女の温もりを確かめて。
「ジュリー、良かっ……」
「サベ、ル」
彼女の無事を、確かめて。
そうして二人まとめて、巨人の蹴りで薙ぎ飛ばされた。
「……、――――」
視界が回転した。
(ち……く、しょう……)
自らの腕が、肋骨が粉砕する音を聞きながら――自らの首から外れて舞っていくリングを眺めながら、サベルは終わりを自覚する。
――ああ。流浪者の最期なんて、きっとこんなものだ。分かっていた。ある日、前触れもなく……信じられないほど呆気なく訪れる。物語の主人公のように、全て上手くいく訳なんてなくて。読み手の感動を誘うような、劇的な死を迎えられる訳でもなくて。何の前触れもなく、こんな化物と遭遇して。誰に知られることもなく、寂しく無残に死んでいく。
それでも、大事な人だけは――……
球のように地を転がりながらも、サベルはジュリーを抱きしめる腕だけは解かなかった。
情けなく這いつくばったまま、最愛の人を強く抱いたまま、サベルは顔を上げる。せめて、精神《こころ》だけは最期まで屈さない。自らを殺す死神を睨みつけて、堕ちてや――
「……!?」
たった一発の蹴りで、どれだけの距離を飛ばされたのか。十マイレ近く離れた位置で佇む風の巨人。狂気に染まったその両眼は、這いつくばったサベルたちを見下ろしている。それはいい。
いつ、現れたのだろう。
その黒き巨人のすぐ後ろに、一人の青年が立っていた。
まるで、炎。
自ら炎熱を操るサベルですら、ただ漠然とそう思った。その青年は何もせずただ立っているだけだというのに、そう思えた。己よりいくらか若い、燃えるような赤髪の男に対して。
そんな彼は、
「あー? 何だァ? 首輪してねェじゃねェかよ、コイツ」
眼前の巨人を仰ぎながら眉をひそめ、呑気にそんな言葉を漏らしたのだ。
――馬鹿な。何してんだ。せっかく背後を取ってたのに――
圧倒的な力を誇る怪物に対し、千載一遇といってもいい好機だったはずだ。
気付いた巨人が、青年のほうを振り向く。振り向きざま、当たり前のように風に包まれた豪腕を唸らせた。それは何者に対しても平等な死を告げる――慈悲なき鉄槌。
その、はずだった。
迫る風の裏拳。かち上げるは炎纏う拳。激突する、右拳と右拳。
刹那、勝ち名乗りのように猛々しく舞い上がる――紅蓮の火の粉。
ディノ・ゲイルローエンの一撃が、エンロカク・スティージェの拳を灰燼へと帰していた。