最初はどう説明しようかと戸惑った流護だったが、いざ口を開いてみれば次から次へと話したいことが溢れ出していた。

学院や王都のこと。これまでに出会った人たち。気弱で心優しいリーフィアのこと。物静かで不思議なレノーレのこと。

「でさ、このダイゴスってのが、でっかくて無口なんだけど、根は優しくて。んで意外と天然なとこもあって、前なんか俺が作った縄跳びを武器と勘違いしてさー」

間を置かず、逸るように語り続ける。

「エドヴィンってのがさ、まあ典型的なヤンキーなんだ。見た目は昭和のツッパリ、って感じで。卒業したら『族』に行くとか言いそうな。勉強もできないとことか、俺と被るんだよな……。親近感がわく、っつーのかな」

その気になれば、いくらでも話し続けられそうで。

「クレアリアってのがいるんだけど、ベル子……ベルグレッテの妹なんだ。髪下ろすと意外と似てんだけど、中身はまるで正反対っつーか……」

説明下手な自分をもどかしく感じながら。

「で、ミアだよ。なんつーかもうハムスター。まじハムスター。ちっちゃくてチョロチョロして、見てる方が疲れるぐれー元気で。んでも本当は、誰よりも寂しがり屋で……。本当の家族とは離れ離れになっちまったから、何とかしてやらなきゃ、って思って」

流護がひとしきり喋り立てると、静かな間が生まれる。

「……ふっ」

いつしか缶ビールを片手に聞いていた源壱が、思わずといった風に口元を綻ばせた。

「……な、なんだよ、親父……」

「いや。ガキん頃から……いや、今もガキだが……お前は友達が少なかったからな。そうやって自慢できる仲間ができたんだな、って思ってよ」

「は、はあ? う、うるせーよ……」

そうして少年は、なおも語り続けた。

押し寄せてきた危険な野生動物の群れから、学院を守ったこと。王都を駆け回り、暗殺者たちと対峙したこと。マフィアと正面衝突し、ミアを助け出したこと。一国の王から要請を受けて、テロリストたちに立ち向かったこと。三万もの観衆が集うイベントに出場し、見事優勝を飾ったこと……。

(…………、ははっ)

ふと、先日のベルグレッテの言葉を思い出す。

『正直、その……リューゴより屈強な戦士なんて、いないんじゃないかと思うぐらい』

全くもって、その通りだ。こうして客観的に見たなら、できすぎた話だと鼻で笑いたくなる。まるで英雄譚か何かだ。度重なる幸運や周りの仲間たちの助力があったからこそ、成し遂げられた数々の功績。グリムクロウズの人々ですら絵空事に感じる逸話の数々を、果たして現代日本人はどのように受け止めるのだろう。

肝心要の神詠術《オラクル》やら怨魔やらをぼかしたところで、やはり『おかしな話』になってしまう。

「ふん……バトルロイヤルで優勝、か。随分と面白そうなことをやる国だな。にしても春の大会は県内止まりだったのに、やるじゃねぇか。お前……空手より、何でもアリの方が向いてんじゃねぇか? はっはっは!」

楽しげに顔を綻ばせる父親に対し、流護は。

「……、で」

「あん?」

「なんでだよ、親父」

絞り出した少年の声は、抑えようもなく震えていた。

「なんで……突っ込まねぇんだよ。何言ってんだ、って。頭でもおかしくなったのか、って。嘘ついてんじゃねえ、って。こんな……ありえねぇ話ばっかしてんのに、なんで何も言わねえんだよ……」

「何だよ。作り話なのか?」

「マジ話だよ! 全部、本当にあったことだよ……!」

「なら、問題ねえだろ。胸を張れや」

空になったアルミ缶をコンとテーブルへ置き、源壱はふんぞり返って笑う。

「そりゃ変わった話には違いねえが、お前は確かに経験してきたんだろ。証拠になりそうなモンも片隅《そこ》に転がってるし、ベルグレッテちゃんなんつう証人もいるし……何より、可愛い一人息子の話だ。頭ごなしに否定なんて、しやしねぇよ」

「……は、はあ? 何だよそれ……いつからそんな、物分かりよくなったんだよ」

「あぁ? 俺ほど理解のある親なんて、そうはいねえぞ?」

「……、はは。自分で言うかよ。酔いが回ってんじゃねーの?」

「かもなぁ」

けれど確かに、こんな人物だ。父親というよりは、同じ悪ガキの兄貴分みたいで。二人揃って、彩花に怒られるような馬鹿をやることもしょっちゅうで。

「つか、何で帰ってきたんだよ? カレンダーだと、四日に戻ってくる予定だったんじゃねーのか」

「相田《あいだ》のヤツから、『有海、帰ってきてんなら週末飲みに行こうぜ』なんてメールが来てな。何のこっちゃと思って詳しく訊いてみりゃ、何日か前の夜、車でウチの裏を通り掛かった時に、明かりが漏れてたっつーんでな」

「あ……」

細かく気を遣ったつもりではいた。しかしそれでも、完璧とはいかなかったのだろう。何事もなく数日を過ごすうち、油断が生まれていた部分もあったのかもしれない。

もしかすれば他にも同様に気付いていた人はたくさんいて、たまたま接触してこなかっただけなのかもしれない。

結局のところ、密かに隠れて暮らすことすら満足にできていなかったということだ。

そんなことすら難しい、現代日本というこの世界。

「いざコソ泥か!? と思って戻ってきてみりゃ、あんな絶世の美人さんが家にいたってワケだ。まっ、そんなんなら大歓迎よ俺は」

「いや待て。息子は?」

「おっと、忘れてたぜ。はははは!」

「はっ。ほんっと、変わらねー……、は、ははは」

流護は今更になって、心の底から実感した。

戻ってきた、と。

誰もいない、建物だけの自宅にではない。家族が住む――自分の生まれ育った場所に、『家』に、『帰ってきた』のだと。

「……、」

そしてまたも、蝕むような迷いを自覚する。居心地のいい、この家を捨てて。生まれ育った故郷を離れて、またあの過酷な異世界へ渡るのかと。本当に、それでいいのかと。

やっぱり、ここに残りたい。

そんな思いが、鎌首をもたげてくる。

「…………、」

「どうした、流護。黙りこくって」

『終わり』で、いいのではないか。

あんなできすぎた活躍劇なんて、そう続くものではない。グリムクロウズに舞い戻った直後、これまでの奇跡の代償を払うかのように、呆気なく命を落とすかもしれない。

「……親父。俺、さ……」

『拳撃《ラッケルス》』の遊撃兵の物語は、ここで終わり。

「俺……」

これからは。ただの高校生・有海流護として、この現代日本で何事もなく平和に暮らしていく。もう、それでいいのではないか。

「俺…………、ここにいて、いいんかな……?」

絞り出した声は、どうしようもなく……みっともないほどに震えていて。

「……何言ってんだ。当たり前だろ。お前の家だぞ、ここは」

この父にしては珍しい、包み込むような優しい声。

それだけで、涙が溢れそうになった。

源壱としては、息子を安心させるつもりだったのだろう。しかしその労うような言葉が、固まったはずの決意を揺さぶった。

「……そう、だよな」

たかだか半年の遅れ。死に物狂いで頑張れば、何とかなる。人生を悲観するにはまだ早すぎる。

当たり前だ。ここに留まって、何が悪いんだ。

ここは、俺が生まれ育った世界なんだから。

俺なんかがいなくたって、あの異世界は……レインディールは、きっと何とでもなる。

俺が生きていくべきなのは、この地球。この日本。

「そうだよな……。……いいに、決まってるよな……」

だから。

息を吸って、言う。

「でも俺……、行かなきゃ」

もう終わりでいい。ここからは、ただの日本の学生に戻る。

そんな選択肢を切り捨てて、有海流護は自らが決めた道を貫き通す。

本来生きていくべきこの世界を捨てて、あの異世界へ行く。

「親父。俺……また、グリムクロウズに……レインディールに行こうと思ってるんだ」

「……流護……? お前……」

今までの突飛な『経験談』すら笑って聞いていた父の顔に、困惑の気配が浮かぶ。

「さっき話したダイゴスがさ、俺らの前から消えようとしたことがあって。でも俺はそれが嫌で、強引に引き止めてさ」

あの巨漢との距離は、最初の頃からは考えられないほどに縮まった。

「エドヴィンはなんか昔のツッパリみたいだけど、意外と根性はあるんだ。俺の影響でトレーニング始めたとかで、ずっと続けてて……。目標にされるのって、やっぱ嬉しいもんで」

顔を合わせるたびに、いつか一発叩き込んでやると言われている。屈託のない笑顔で。このまま勝ち逃げなどすれば、あの炎の男はそれこそ烈火のごとく怒るだろう。

「クレアには最初、すっげぇ嫌われててさ。そんでも色々あって、今はいい同僚になって」

今回の任務についても、何の心配もいらないだろうと送り出してくれた。男嫌いの妹さんから、ようやく得られるようになった信頼。とても裏切ることはできない。

「レノーレとも約束したんだよ。そいつ、今はちょっと学院から離れて実家に帰っちまってんだけど、何かあったら助けてやるから、って」

あの物静かなメガネ少女は一端故郷に戻るとのことだったが、今頃どうしているだろう。まさか自分も実家帰りすることになるなんて夢にも思わなかったな、と苦笑する。

「そんで……ミアとも、約束したんだ。何があろうと……どこへ行こうと、俺は絶対に戻る、って」

いつしか彼女は、自分にとって平和の象徴となっていた。生きて帰るための場所、かけがえのない存在となっていた。

「ベル子……ベルグレッテとも、約束したんだ。一緒に肩を並べて、頑張っていこうって」

いつも一緒だった、ついには共に現代日本へやってくることになった少女騎士との、約束。ついに通じ合った、想い。

「あっちで……やりたいこと……やらなきゃいけないことが、まだまだあるんだ」

アルディア王が抱いた夢。幾多の犠牲を乗り越えた果てついに見つかった、結晶化した魂心力《プラルナ》。この発見によって、かの異世界はどのような変革を遂げていくのか。

一方で、『融合』と呼ばれる能力によって暗躍していた、キンゾル・グランシュアという老人がいる。人の命を虫けら同然に扱い、レインディールにおいて賞金首となったこの危険人物も、未だ野放しのままだ。かつてのミアのように、身近な誰かがこの男の毒牙にかからないとも限らない。

「俺の力を必要としてくれる人が、俺自身が支えたい人がたくさんいる。だから俺は……また、レインディールに行こうと思う」

新しい缶を取った父が、プルタブに指を引っかけたままうつむいた。吐き出すように、告げる。

「……彩花ちゃんはどうするつもりだ、お前」

「…………」

「携帯は今も持ってるのか?」

「……ああ。ちゃんと持ってる。ほとんどずっと、電源切ってるけど。見たよ。皆が送ってくれたメール、全部見た……」

異世界転移などという理不尽極まりない現象。

そんなことが実際に起これば、裏側の世界はこうなってしまうのだと。残された人々はこう思うのだと。

『日本からやってきた勇者様』の英雄憚を追っているだけでは決してスポットライトの当たらない物語が、目を背けていた現実というものが、そこにはあった。

そして流護が行方知れずとなって半年経った現在でも、唯一といっていい送られ続けてくるメール。

「俺、帰ってきてさ……それでメール見て。そこで初めて、気付いた……いや、やっと直視したんだよな。あいつの気持ちと、自分の気持ちを」

今ならば、胸を張って言える。

蓮城彩花は、大切な人だ。

そして、

「自分勝手な言い分だけどさ。あいつには……俺がいなくなったことを、乗り越えてほしい」

勉強もできて、気配りもできて、それでその……きれいで。あいつには絶対、輝かしい未来が待ってる。俺がいなくても、やっていける。

大切な人だからこそ。いつまでも自分の幻影にとらわれず、前に進んでほしい。

それが、有海流護の答え。

「……そうか」

パシュッと小気味いい音を立てて、ビールの缶が開封された。

「お前、彩花ちゃんに連絡は……」

「取ってない」

何度揺らいだか分からない。この通話ボタンを押せば。この返信ボタンを押せば。それだけで、彩花に知らせてやることができる。有海流護は生きていると。すぐそばにいると。その気になれば、走って数分で家に行くことだってできる。

実際に彼女を目にして、どれほど声をかけようと思ったことか。

けれど、それはもう許されない。

この世界から去ると、決断したのだから。

半年が経過し、彩花も内心で流護の無事を諦めかけているはずの時期。ここで連絡を取ってどうするのか。またすぐにいなくなるのだから、より辛い思いをさせてしまうだけだ。

「お前にしちゃ……いい判断だったかもな」

父の疲れたような言葉に、返す言葉はない。

自分の立場に置き換えてみれば分かる。

彩花がいきなり行方不明になった。もう帰ってこないと諦めかけた。そこで実は無事だったと連絡が入る。しかし喜んだのも束の間、彼女は再び旅に出ると言い出すのだ。それも、今度は戻ってこないと。

これで納得する人間がいるなら顔を見てみたいところだ。

だから、これでいい。

蓮城彩花にとっての有海流護は、死んだのだ。

「お前は……それでいいのか」

「ああ。決めたんだ」

もう、揺らがない。

「いつ出る予定なんだ」

「明日の夜」

「こりゃまた急だな。帰る予定は?」

「……、分からない。ずっと……帰ってこれないかもしれない」

濁したのは、罪悪感の表れか。かもしれない、ではない。おそらくもう二度と、帰ることはない。

「学校も辞めるんだな」

「ああ」

「お前の部屋も片付けちまっていいんだな」

「ああ」

「覚悟は……決まってんだな」

「ああ」

「そうか。なら……そんなみっともねぇ顔してんじゃねえよ、ったく」

流護の表情はどうしようもなく歪み、瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。

「…………っ、だって、俺……、俺……ッ!」

「その歳でやりてぇことが見つかったんだろ。大したモンじゃねえか。もっと堂々としろや」

ぐしぐしと涙を拭い、歯を食いしばる。

「ほれ、枝豆チャンでも食って落ち着け」

「……、うん」

久しぶりの親子の歓談が続く。

やがて風呂から上がってきたベルグレッテも交え、にぎやかに。

日付が変わるまで、有海家の居間の明かりが消えることはなかった。

久しぶりの再会。ぶれる感情。明日には訪れる、身を引き裂くような別れの時……。

それらを前にしては無理もないことだったが、流護は最後まで気付かなかった。

いかに豪放、型破りな源壱とはいえ、流護たちの話に『理解を示しすぎた』ことに。彩花や学校など、現代日本について言及した会話の中で――父は最後まで、とある人物の名前を一度も出さなかったということに。