Different worlds of the last heaven and knights of the fist.
351. Strange Girlfriend
静かな室内には、温術器が風を送る控えめな運転音と、紙上に硬筆を走らせる軽快な音のみが続く。
日に日に寒さを増してきた冬の晩。場所はミディール学院学生棟、ベルグレッテの部屋。その中央で机を囲む三人の女生徒が、教本や書籍と向き合っている真っ最中だった。
今はロイヤルガードとしてリリアーヌ姫についている期間のベルグレッテだが、所用でブリジアの街に赴くことになり、その帰りに学院へ寄ったのだ。せっかくなので課題を受け取り、自室で一泊していく運びとなったのである。
(……よし、と)
そんなこんなでひとまず筆記課題を終わらせた部屋の主ベルグレッテは、両手を上げてぐぐっと身体を伸ばす。節々から、ぱきぱきと心地いい音が聞こえてきた。
見れば対面に座っているその少女も、メガネを外して眉間を揉んでいる。
「レノーレも終わり?」
ベルグレッテが自分の肩を叩きながら尋ねると、物静かな彼女は「ん」と肩までの金髪を揺らした。
そんな二人の間に座るミアの手元からは、未だ硬筆の音がカリカリと聞こえている。いつもなら早々に投げ出して遊び始めてしまうお騒がせ娘だが、珍しく真剣に取り組んでいるようだ。
「ミア、がんばってるわね。分からないところがあれば――、って」
そこで自分の勘違いに気付いた少女騎士は、むむっと眉を吊り上げた。
「こーらっ。真面目にやってると思ったら……なにしてるのよ、もうっ」
ミアが広げた紙に書かれているのは、課題の神詠術《オラクル》理論ではなかった。よく分からない絵の群れが紙上を占拠している。
「みんなの似顔絵を描いてみましたー!」
ふすっ、となぜ得意気な鼻息を漏らしているのか理解に苦しむところだ。
「みましたー、じゃないでしょ。まったくもうっ」
結局はいつも通りだった。
ちなみに、そうして勉強時間と引き換えに生み出された彼女の力作についてだが――
(似顔絵……、似顔絵……?)
雑な線、歪な造形、はみ出した塗り具合……。その完成度については推して知るべし、である。率直に言って、どれも同じ顔だ。髪型などに差異がないでもないが、それを元に人物を判別することは困難を極めるだろう。よく見ると、それぞれ絵の脇に文字も添えられている。
「……どらどら」
メガネをかけ直したレノーレが、何やら批評家みたいに紙面を覗き込んでいく。たくさん並ぶ顔、その中のひとつをしばし見つめ、ポツリと呟いた。
「……これはベル?」
「あったりー! へへへ、やっぱり分かっちゃう?」
「……それはまあ……」
メガネのフレームを押し上げつつ珍しく困惑気味のレノーレだが、それもやむなし。
おそらく誰が見ても分からないであろう似顔絵の横に、「さいいろけんび(間違い)のさいきょう美人ロイヤルガード」「おしたいしておりももうす! (?)」と書かれている……。
「……それで……こっちはクレア」
「うんうん! もしかして絵の才能あるのかな、あたし~」
その隣、目を吊り上げた今にも噛みついてきそうな顔に、「男ぎらい」「ほんとはやさしい」と添えられていた。
となると、
「えっと、これは……リューゴよね?」
「おー! さっすがベルちゃん!」
もちろん、絵で判別した訳ではない。「とっても強くて力もち」「ちょーぜつさい強の勇者さま」と書かれている文面から推測したにすぎない。
「……これは私?」
次いでレノーレが指差したその絵には、これまでにない特徴がひとつ。大きなメガネをかけているのだ。「しずかな美人さん」「こころのとも!」と添えられた一文からしても間違いないだろう。
「だいせいかーい! えっへへへ。さっすが心の友だよ、分かっちゃうんだね!」
「……静かな美人さん、って書かれてたから。……これがなければ分からなかった」
「ウワー! せめて心の友で分かって! って自分で美人って認めるなよう!」
何というか、レノーレの感性は独特だ。この真顔からいきなり珍妙な発言が飛び出したりするから侮れない。
そこで、ベルグレッテの脳裏にふとした疑問がよぎる。
「そういえば……レノーレって、いつからメガネをかけてるんだっけ」
「……五年ぐらい前から……だったと思う。……昔から本を読んだり、書き物をしたりすることも多かったので」
レノーレ・シュネ・グロースヴィッツ。
遠い北国バダルノイス神帝国からやってきた、寡黙で謎多き少女。それが周囲の評だが、実はベルグレッテから見てもそう変わらない。レノーレの過去について、詳しいことは何も知らない。
このグリムクロウズに生きる人々は皆、大なり小なり様々な事情を抱えている。少し壁の外に出れば怨魔や賊といった脅威に遭遇することも珍しくない環境上、辛い過去を背負っている者も多い。かくいうベルグレッテ自身、『黒鬼』によって兄を喪っている。
ゆえに――本人が話さぬ以上、余計な詮索は控える。
そうした主義を貫く者は多く、ベルグレッテ自身もそのうちの一人だった。比較的お喋りなミアも、ことレノーレに対しては同じように接している。
そしてレノーレも、率先して自らを語るような性格ではない。そのため、このようなメガネの話題も多分に今さらなものではあった。
「でも、レノーレはメガネすごく似合ってると思うよ~」
「……静かな美人さんなので」
「まだ言うか貴様ー。やっぱり、外しちゃうとあんまり見えないの?」
「……最初はそこまでじゃなかったけど、少しずつ悪くなってる気がする」
ちなみに衰えた視力が回復術によって戻った、という話は聞いたことがない。あるいは可能なのかもしれないが、少なくとも容易ではないだろう。でなければ、メガネという道具は生み出されていないはずだ。
「……これはエドヴィン」
「あっ、うん。やっぱり分かるよね」
心の友同士の少女二人は、引き続き似顔絵で盛り上がっている。
……ちなみにエドヴィンだというそれは、頭部が爆発した鳥の巣みたいになっており、横には「バカ」と簡潔な一言だけが付されていた。
その他にもダイゴスやリーフィア、マリッセラ、エメリンにステラリオ……たくさんの級友たちの顔(どれも同じに見える)を、レノーレが次々と言い当てていく。……おそらくは、一緒に添えられた短文《ヒント》を頼りにして。
「ふっふふふ。それじゃあ、これが最後の一人だよー。分かる?」
得意気なミアが、隅に描かれたその絵を指し示した。
問われたレノーレも横から眺めていたベルグレッテも、しばし注視して押し黙る。
そこでちょっと不満そうに意見するのは、静かな美人さんだ。
「……文章が書いてないのは卑怯だと思う」
「卑怯!? おかしいよ! ちゃんと絵を見て当ててよー!」
二人のやり取りの通り、その絵にはここまで絶大な頼りとなっていた『ミアからの一言』が記されていない。
顔自体はどれも同じなので、その他の特徴を元に紐解いていくしかないだろう。
(髪が長いわね……私と同じぐらい。となると、女子だと思うけど)
すでに、親しい級友たちは軒並み出尽くしている。他に特徴的な部分といえば、
(ダイゴスみたいに、目が横線で描かれてるのよね。でも、そんな細目の人って他にいないし……。見方によっては、眠ってるようにも――、……眠ってる?)
どうやら気付いたのは全くの同時だったようで、顔を上げたレノーレと目が合った。二人同時に口にする。
ベルグレッテは、
「アヤカ、さん……」
と。そしてレノーレは、
「……『眠り姫』」
と。異なる呼び方で、しかし同じ人物の名称を。
「せいかーい! あたしからの一言がないのは、まだどんな人か分からないからなのでしたー……」
ミアは少し寂しそうに言いつつ、「はやくおきてくれるといいな」と書き添えた。
「…………」
原初の溟渤、その中心部となっていた古城に突如として現れた謎の少女。
その正体は、流護の幼なじみである蓮城彩花。
何が起きても不思議はないと伝わる禁足地での出来事ゆえ、その現象について深く掘り下げる者もいなかったが、流護やロック博士、そしてベルグレッテは知っている。彩花は、『転移』に巻き込まれてしまったのであろうと。
しかし、である。
(……あのとき、なにが……?)
流護の故郷となる世界――地球から、グリムクロウズへと舞い戻ってくる直前のこと。
謎の人物の誘いに乗り、あの公園へ赴いて……。どうにも、そこから先の記憶があやふやなのだ。
流護と因縁のありそうな男が現れ、先に――それから彼が約束通りやってきて、それで――
(……、……やっぱりダメ……思い出せない)
そんな少女騎士の傍ら、二人は『眠り姫』の話を続けている。
「どんな人なんだろー。リューゴくんはいっつも『とんでもないヤツだぞ』なんて言うんだけど、照れてるだけだと思うんだよね~」
「……なるほど。……女の争いが期待されますな」
すいっと向けられてくるレノーレの視線。
「ですなあ、ですなあ。ぐふふふふ」
そしていやらしいミアの含み笑い。
「んー? なにが言いたいのかしら、二人ともー?」
「ぐふふふふ。それを言わせるつもりですか、ベルちゃんや~」
「ふーん」
ベルグレッテは満面の笑みを浮かべながら腕を伸ばして、ミアの小さな耳をぎゅっと掴む。
「いだー! いだだだだ! ごめんよベルちゃん! あだだだだゆるして!」
「……まったくもうっ」
リューゴ・アリウミとアヤカ・レンジョー。何やら『ワケアリ』っぽい年頃の少年少女。学院の皆が邪推するのも無理からぬところか。
しかしベルグレッテは、その少年本人から詳しい話を聞いている。
(リューゴは、その……アヤカさんとは、なんでもないって言ってたし……)
幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしていた、妹のような存在。大切な人には違いないが、そこに男女の感情はない。
その言葉を証明するように、流護とベルグレッテは口づけまで交わしているのだ……。
(だだだ、だからその、リューゴはその、私と……、いえでも私はロイヤルガードだし、そういうことは……)
「でもでも、とにかくアヤカさん起きるといいなー。リューゴくんから『小さいもの好き』とか『おやつをごっそり持っていく真の邪悪』とか色々聞いてるけど、やっぱり実際に本人とお話ししてみないとね!」
そう。流護から、彩花のことについては聞いている。
では、彩花の意見はどうなのだろう。……彼女は、幼なじみの少年をどう思っているのだろうか。必ずしも、流護と同じ考えでいるとは限らないのではないだろうか。
「……けど、彼女が目覚めない原因も分からない。……今は待つしかなさそう」
「そだよねー。……ん? さっきからなに書いてるの? レノーレさんや」
ミアとの会話に応じつつ、静かな美人さんは先ほどから忙しなく手元を動かしている。
「……ほい」
すっと彼女が指先で前に滑らせた紙上。そこに、
「うわあああ……! す、すごい! さすがレノーレ……!」
「……、ほんと……いつ見ても、見事なものね……」
つい、そこまでの思考すら忘れて目を奪われる。
それは似顔絵。きめ細かな筆致による、一目でミアの顔を描いたと分かる『作品』だった。
「……ミアが描いた似顔絵の中に、ミア自身がいなかったから」
レノーレはいつも通りの声と表情で、これほどの絵をしたためたその理由を口にする。
「あ、うん。そういえば、自分のことは忘れてたや」
えへへ、と照れくさそうに微笑むミアの顔は、紙面に現れた少女と瓜二つだ。
それもそのはず、レノーレは故郷で手配書の作成に携わっていたことがあるのだという。絵の上手さは折り紙つきなのだ。
(ほんと、不思議な子よね)
謎多き寡黙な万能少女レノーレだが、学院でともに過ごしていくうち、いくつか分かったことがあった。
ベルグレッテやクレアリア、マリッセラと比較しても実力的に劣らない詠術士《メイジ》。でありながら、意外と基礎的な知識を持っていない。習得している技能に抜けや偏りがある印象。そのため、順位公表などではなかなか十指に届かない。
ちなみに、彼女が得意とするのは――実戦知識。その幅や練度は、まるで熟練の傭兵のよう。
レノーレはその物静かで大人しげな佇まいに反し、机上で神詠術《オラクル》を学んだのではない。実地で磨いたのだ。
そんな傭兵じみた詠術士《メイジ》である彼女だが、普段の所作や立ち振る舞いには気品が感じられる。
シュネという洗礼名《ミドルネーム》を授かっていることもそう。
彼女は、バダルノイスの貴族。
中立地帯ハルシュヴァルトに屋敷を借り、使用人を雇っているという点を考えても間違いない。
そんな彼女が、なぜ交流もほとんどないレインディールの学院へと留学してきたのか。
レノーレ自身は、これらに深く言及しない。ゆえにベルグレッテたちも、追及しない。そういう間柄だった。
「……はっ!? そ、そういえば課題が全然進んでない……!」
今さら何を言っているのか、と言いたくなるミアの呻きと同時、ベルグレッテの近くに通信術の波紋が広がる。
「リーヴァー、こちらベルグレッテです」
『リーヴァー、クレアリアです。課題の進捗はいかがですか』
応答すれば、虚空からは妹の声が聞こえてきた。彼女は彼女で、級友たちとこなさなければならない所用があるとのことで、こちらに来ていなかったのだ。
「ん、とりあえず一段落ついたところよ」
「ひー! 全然進んでないよー!」
『それは何より。では、皆で少し休憩がてらお茶でもいかがですか。こちらも用事が片付きましたので』
「クレアちゃん、聞こえてるのに無視してるでしょ!」
何のかんのと、いつも通りの夜が深まっていくのだった。