贅の限りを尽くした一室だった。

四方の壁際を飾る黒檀の棚。その上に並べられた金の器や杯の数々。天井からは緻密な造形の美しいシャンデリアが吊り下げられ、床には繊毛柔らかな真紅の絨毯が敷き詰められている。

上位貴族でも尻込みするような費用が投じられている私室、その最奥に鎮座する執務机を隔てて、一人と二人が向かい合っていた。

机の奥側、牛革の椅子に沈み込むは、部屋の主であるクィンドール・ジャロスバーチル。表の顔はエッファールク王国を拠点に手広く活動するジェイロム商会の長、そして裏の顔は演出者集団オルケスターの長。

白い肌、七三に分けて整えた金髪。細く吊り上がった三白眼と、のっぺりとした鼻梁。無造作に横線を描く薄い唇。どこか爬虫類を思わせる容貌の男。汚れ一つない純白の礼服が、その痩躯をカッチリと包み込んでいる。

机の手前側、一人は白衣を纏った小さな老人。刻まれた皺の数と深さが相応の年齢を感じさせるが、その瞳はぎらついた異様な活力に溢れている。名を、キンゾル・グランシュア。

そしてもう一人は、そのキンゾルの傍らで彫像のように佇む大男。やけに膨張した筋肉を宿す、太い男だった。緑や灰色のまだら模様が混ぜこぜになった、奇妙な柄の下衣が目を引く。その名を、メルコーシア・アイトマートフといった。

静寂を引き裂くような甲高い声で、キンゾルが語り出す。

「ひっひっ。お忙しいところ、お時間を取らせてすみませんな」

「いえ、お構いなく」

粘ついた熱を帯びたようなキンゾルとは対照的、クィンドールの応対は静かなものだ。人間味や温かみが欠如している、とすら表現できるかもしれない。

しかし両者ともに互いの温度差を気にかけるでもなく、淡々と会話は進行していく。

「して、クィンドール殿。ここしばらく、当方にて独自に調べておったのですがね。やはり、間違いないようですな」

「と、言いますと?」

抑揚のない声でクィンドールが先を促せば、キンゾルは心底楽しげに結論した。

「アルディア、と言いましたかな。あのレインディールの王めは、貴方の領域へ踏み入って来ようとしている」

クィンドールは無言。その沈黙を「続けろ」との意味で解釈したキンゾルは、より熱っぽく舌を回す。

「先秋に行われた、レインディールの大部隊による原初の溟渤への遠征。やはり、調査とは表向きの名目。かの地に何が眠るのか、奴は正しく理解しておったようで。既に、『結晶』を使った封術具の開発に着手しておるようですぞ」

「ふむ。噂には聞いておりましたが」

「ここまで申せば……クィンドール殿なら、お気付きになったのではありませんかな?」

試すような、胸中を覗き込むような怪老の問いに対し、しかし礼服の男は淡々と受け答えた。

「つまり……アルディアがいずれ、私の持つ黒輝水晶《ナイト・モリオン》に目を付けると」

「ひっひっ。ご明察の通り」

「ふむ。してキンゾル殿は、私にどうしろと?」

今度はクィンドールが試すように問う。

白の老人は、事もなげに言い放った。

「レインディールを、潰してしまいましょうぞ」

静寂が舞い降りた。

この場にレインディール兵が居合わせたなら、問答無用で斬りかかっていたことだろう(もっとも、キンゾルは元々レインディールにおいて身柄を狙われる罪人であるが)。

ともあれ、それほどの発言。他国人であっても、冗談や世迷い言では済まされないセリフだった。

「ひっひっ、少しばかり大言壮語が過ぎましたかの。正確には、アルディアを討ってしまおう、ということですな」

訂正するキンゾルだが、さしたる違いなどない。

かの武王によって栄えている、レインディールという国。その核たる王が斃れたなら、国がどうなるかなど論ずるまでもない。

その隣国のレフェは今まさに主不在の状態が続いており、低迷した情勢を見せている。が、『十三武家』や『神域の巫女』の存在によって、どうにか永らえているといえよう。

一方でレインディールは、アルディア一強の国家。かの王が死亡したなら、そこから一息に転がり落ちる脆さを内包しているともいえる。レフェのように、しぶとく食い下がることすらできない可能性もあろう。

「キンゾル殿。貴方、」

ここで初めて、クィンドールの鉄仮面じみた顔に笑みが張りついた。

「『ここ』は、確かですかな」

そう言って、オルケスターの長は自らのこめかみを指先でトントンとつついてみせる。

「ひっひっ……く、ぶふ、かぁは、が、ぐがははははは……!」

品性の欠片もないしわがれた哄笑が、格調高い一室に響き渡った。

「ぐ、くく、ひひ……ふー……いやいや、まさか。確かなはず、ありますまい」

侮辱でしかないはずのその発言を、キンゾルは実に快く受け入れた。

そうなのだ。国を潰そうなどと軽々しく放言する人間が、まともなはずはない。そしてキンゾル自身、それを正しく自覚している。

「目敏いアルディアは、いずれ気付きますぞ。貴方が持つ黒輝水晶《ナイト・モリオン》の存在に。はてさて、あの『暴王』はどういった手段に訴え出るでしょうな。懐柔か、強奪か。見過ごす、という選択はありえんでしょう。そして、奴の抱く理念……小を殺し、大を生かすというそれに則るならば――」

「小である我々は……どちらにせよ、見殺しにされる、と」

笑い疲れたか、キンゾルは声を発さずゆっくりと頷いた。

「それにです。今後アルディアが成そうとしておることは、全てがオルケスターの不利益に繋がります」

レインディールの北。北の地平線(ノース・グランダリア)の東側を迂回して、馬車で北上すること一週間ほど。人口七万名に満たない、エッファールク王国という名の小国がある。この屋敷が建っている場所は、その最南端――ファイン・ザクスと呼ばれる街。ここから最寄りの都市は自国の街ではなく、レインディールのリケ・エブルとなる。

そんな小国の端に居を構えるクィンドールのジェイロム商会は、多種多様な封術具を開発・販売し、大陸各地で高い市場占有率を獲得している。

しかし実のところ、民間に出回っている商品は、その性能をあえて各段に落としてあった。

これは、国家に目をつけられることを避けるためである。優れ『すぎた』道具を作れば、お上がその技術に着目する。そうなれば国という存在は、商会を取り込み、その技術を我が物にしようと目論む。人的資源に乏しく武力も弱いエッファールクならば尚更だ。騎士団で副団長を務めていたクィンドールだからこそ、その性質は熟知している。

ひいてはオルケスターが有するセプティウスなどの兵装も、その製法が露見することになり得る(素材などの関係で、実際に造れるかどうかはまた別の話となるが)。

また、同時にクィンドールが秘匿する黒輝水晶《ナイト・モリオン》の存在も明るみに出ることとなる。

さらには、団が秘めているとある人物……その扱う神詠術《オラクル》すらも広く認知されることになってしまう。

これらを防ぐため、クィンドールの商会はあえて凡庸を装っている、とさえいえた。

商会は――オルケスターは現時点で、あらゆる国家の遥か先を独走している状態なのだ。

しかし、今回。

レインディールにて独自の商品開発が進めば、現在クィンドールの商会が占有している市場を奪われる懸念が生じてくる。

むしろ、奪われるだろう。

レインディールは、自らの技術を秘匿したい商会と違い、意図的に性能を抑えた製品造りをする必要などないのだから。

このまま平凡を装っていれば、レインディールという国に競り負ける。かといって存分に技術を尽くして張り合おうものなら、自分たちの存在が明るみに出る。ひいては、オルケスターの消滅に繋がる。

何より――

「貴方の真の目的は未だお聞かせ願えておりませんが……これだけは言える。必ず、阻まれましょう。奴の邪魔立てにより、貴方の覇道は途切れることになりましょうぞ」

老人は、まるで未来を見てきたように淡々と語った。

「ですので」

やや前のめりになりながら。怪異じみた老夫は、なお嗤う。

「少々出過ぎたアルディアという杭は、ここで叩く。奴には、冥府の底まで引っ込んでもらう。これが最良かと」

「……フ、クク。大陸屈指の大国の主を、しかもあの武王を消し去るが最良とは。難儀な話ですな」

国家間の戦争ですらない。

オルケスター対レインディールを演じろ、とキンゾルは提案している。

「じゃが、決して不可能ではないはず。既に、あの西の小国程度ならばどうにでもできる手筈が揃っておる訳ですから。全ての準備が整ったなら、レインディールであろうとも……。そうでしょう、クィンドール殿」

「準備、ね」

一句切りついたように、静寂の帳が下りる。

ここまでの間、キンゾルの傍らに控えるメルコーシアは、会話に口を挟まぬどころか微動だにすらしていなかった。華美な部屋の内装と相俟って、飾られた像とでも見紛ってしまいそうな不動ぶりといえよう。

「……おお、そうじゃな。丁度いい機会です。ここで――――」

口調からして、それは思いつきだったのだろう。またもキンゾルが、ひび割れた唇を楽しげに開く。

突如としてクィンドールの私室内から響いたのは、盛大な笑い声。廊下で扉の前に立っていた二人の黒服たちは、わずか困惑した。

「…………」

思わず顔を見合わせ、次に自分たちが守る出入り口――高価かつ頑丈な樫のドアへと目を向ける。

つい先ほどキンゾルの耳障りな哄笑が聞こえてきたばかりだが、今度は違う。あまりにも珍しい、自分たちの長の声だった。

鉄仮面とまで称されるクィンドールがこれほど盛大に笑うことなど、今まであっただろうか。黒服たちは、思わず振り返ってまじまじとドアを見つめてしまっていた。

「ふー、キンゾル殿。何と申しますかな……貴方は」

対面に座した相手の名を呼ぶクィンドールの肩は、未だ小刻みに震えていた。目頭すら拭い、ようやくといった体で笑みと共に吐き出す。

「貴方は、この世に居てはいけない人間だ――」

その言を受けて初めて、キンゾルの隣に立つメルコーシアがピクリと眉を動かした。透き通るような群青の瞳が、クィンドールへ無感情な視線を注ぐ。あからさまな怒りはない。しかしそれは『見る』ではなく『照準を合わせる』と表現すべき、静かで危険な眼光だった。

「おっと、そう睨みなさるな護衛人殿。これは賛辞だよ。キンゾル殿、確かに貴方はこの上なくイカレた人間だが……今の私に必要なのは、まさに貴方のような存在だ」

「ひっひっ。それは実に光栄ですな」

「クク、テオドシウスも評していましたよ。好き勝手に言いなさるご老人だと。しかしその浮世離れした発想こそ、我々が見習わなければならぬ部分なのでしょうな」

どっかと牛革に背を預けた団の長。その鉄仮面は崩れ、挑戦的な喜が零れていた。

「ともかく、今は例の『ペンタ』の……あの国の一件を片付けたいですな。遠からず、貴方にも現地に向かって頂きますよ。キンゾル殿」

「心得ておりますとも」

「前哨戦です。ええ、これを制した暁には喧嘩を売ってみるとしましょう。――レインディールにね」

強大な力を持つとはいえ、闇のいち組織でしかないオルケスター。

そんな集団が、一つの大国を標的と定めた瞬間だった。

怪老人とその護衛人が退室し、静寂に包まれた部屋。

前触れなく、いきなり扉が開け放たれる。

入ってきたのは、子供のように小さな人物だった。その風体は、あまりに異様。短く切り揃えられた黒髪は傷みきっており、服もほとんどボロ切れ。

そして、極めて奇妙な特徴が一つ。

顔の上半分――特に両目の部分が、幾重にも巻いた包帯で完全に塞がっている。暗所でなくとも、幽鬼か何かと見紛いそうな外見だった。

クィンドールは、椅子にふん反り返ったままその人物に語りかける。

「アラレア。何度も言うが、部屋に入る時は扉打《ノック》をしろ」

「ご……めん、なさい。……でも、私……全部、『見えてる』、から」

「お前には全部丸見えでも、いきなり入ってこられた方は驚くもんだ。で、何か用――なんて野暮を言うもんでもないな」

アラレアはすでに状況を把握している。こくりとぎこちなく頷く彼女に、長は断じる。

「キンゾルの話に乗るぞ。実際んとこ、アルディアは踏み入って来ちまった。猿山の大将を気取ってればいいものを、俺らと同じ水準に立とうとしてやがる。放ってはおけねぇ」

「……で、も……あの、キン、ゾル……危険……焚き付け、ようと……してる」

「百も承知だ。奴の狙いは『カヒネの力』で違いねぇだろう。どさくさに紛れるつもりだな。ったく、どこから聞きつけたか知らんが、隙は見せねぇ。カヒネには黒服の他に最低一人、殲滅部隊《オスティナト》を付けておく。ミュッティ以外はいんだろ。お前らは余計な心配すんな」

油が切れた機械のようにガクンガクン頷くアラレアを見やりつつ、クィンドールはふと思い出したことを尋ねる。

「おう。ところでナインテイルの奴はどうしてんだ? 随分長らく音沙汰がねぇ、って話だけは聞いてるんだが」

「分か、ら……ない。連、絡も、つか……ない。多分、お気に……入りの、死体を……」

「また『加工』に夢中んなってんのか。人形遊びに精を出すのもいいが、もうちっと扱いやすくなってくれんもんかね、あの嬢ちゃんは」

溜息をつきながらも、クィンドールは素早く思考を切り替える。

「テオはどうしてる」

「……ザッカ、バールに……帰った……」

「ヤツはあれで現役の騎士サマだから、そこはしょうがねーか。ひとまず二強は揃って不在ってことになるな」

「……大、丈夫。殲滅部隊《オスティナト》……が……いるし……いざと、なれば……私が、いる」

「お前が出張るのは極力控えろ。カヒネと一緒で替えがきかねぇんだからな」

胸元のネクタイを締めた団の長が、鋭い声を飛ばす。

「アラレア、とりあえずモノトラとミュッティに連絡を取れ。具体的な指示を出す」