Different worlds of the last heaven and knights of the fist.
357. Weird Subordination
三人は揃って近くにあった噴水広場へ移動していた。横並びでベンチに腰掛ける。
「すまなかったな……兵士の少年よ」
一息ついたレオが、素直に流護へ頭を垂れてきた。こめかみには濡れた織物を宛がっている。格闘技の試合なら観客総立ち不可避の見事なKO劇だったので仕方がない。
「まあ……いや、なんつーか。勘違いは誰にでもあるんで……」
そんな流護の苦笑に対し、レオが首を横へ振る。
「いや、こっちの早合点だった。以前、兵士を自称する男がカエデに手を出そうとしたことがあったんでな……いててて」
「大丈夫すか。いやしっかし、さっきの飛び膝蹴りは見事だったっすね……」
明らかにこなれていた。流護が思わず呟きながらカエデを横目で窺うと、彼女は少し恥ずかしそうに身じろぎする。
「いえ、はしたないところをお見せしました……」
一方、その一撃でノックアウトされていたレオが自慢げに胸を反らす。
「はっは。俺たちは子供の頃からああやってじゃれ合ってたからな。カエデは護身のために執事から体術を習ってるんだが、これがいよいよ堂に入ってきた。並の男なぞ、もはやガイシュウイッショクよ。あいたたたた」
「ああ、うん……」
つまりレオは並の男なのか。
「わ、私のことはもうよろしいではありませんか」
遮るように言った彼女は、視線の先を流護へと転じる。
「申し訳ありません。ええと……まだ、お名前を伺っておりませんでしたね」
「あ、俺はリューゴ・アリウミっていいます」
「! そのお名前は……、もしかしてこの夏、遊撃兵に就任されたという……?」
「あ! はい、そうっす」
俺って結構有名になりつつあるのか。まいったなデヘヘ。とばかりに心中でにやける流護だったが、
「ぬ? 遊撃兵っていうのは何だ?」
一方のレオは子供みたいな眼差しでそう問いかけてきた。
「レオ様……」
「じょ、冗談だ。そんな気の毒な存在を見るかのような目を向けるな。やめろ。やめてよ。知ってる知ってる。あの、あれだよ。ゆう……げき、ヘーイ! ってやつだろ」
「どんなやつですか。重ね重ね申し訳ありません、アリウミ遊撃兵殿。物を知らぬ主で、お恥ずかしい限りです」
「ぬえぇい、お前は俺の母親かというんだ。とにかく、リューゴはよく分からんがすごい奴ってことだろ。なにせ俺の拳をああも軽々と躱したのは、他に……兵士のガデッドと、ウチの執事のハーヴァシンダルと……あと八百屋の親父のゴデアットと他数人ぐらいなものだ」
かなり躱されていた。
「おっとそうだ、リューゴって呼んでいいか? いいよな。俺のことはレオと呼んでくれ。本名はやたらと長ったらしいからな」
「はあ……」
「レオ様、ぐいぐいと前のめりすぎです。アリウミ遊撃兵殿がお困りですよ」
熱く猪突猛進気味なレオ、冷静沈着なカエデ。何とも不思議な主従だった。
「そうだ、リューゴ。まだ重要な疑問が解決しとらんぞ。お前、何でカエデに名前を訊いてたんだ。やっぱりカエデが美しいからか。まあそうだろう。その穢れなき立ち姿は芍薬《ピオニー》に例えられるほどだからな。例えたのは俺だが。気持ちは分かるが、こいつは俺の」
「レオ様、お黙りください」
「な、ちょっ、冷たくないかカエデよ? ま、まさかカエデ! リューゴに惚れてしまったのか! ぞっこんなのか!?」
「さて、どうでしょうか」
「そんなまさか! 何てこった! もういい! この世界は終わりだ、一緒に死のう!」
「お断りします」
「えーと、カエデさんに名前訊いた理由説明していいすか?」
自らの故郷、『ニホン』のこと。
もちろん包み隠さず全て話す訳にもいかないので、そこはレインディールで公にしている情報と同じ内容を説明していく。
「……とまあ、そんな事情で。日本人はかなり珍しいんで、カエデさんを見てびっくりしたっていうか」
「成程な。リューゴもカエデも、黒い髪に黒い瞳……。一見した限りでは東方の者と見紛うが……どちらか片方ならばともかく、髪も目も両方黒いというのは他に見かけたことがないな。……よくよく見んと分からん程度だが」
レオも今更ながら、流護とカエデの顔をまじまじと見比べる。現代日本の少年としてはそう言うレオのほうこそ珍しい。あまりに鮮やかな青い髪と瞳だ。
「そのような事情がおありだったのですね」
当のカエデはといえば、流護の話を聞かされてなおどこか他人事のような、淡々とした反応を見せていた。
「私は……赤子の頃、レオ様のお屋敷の近くに捨てられていたのだそうです」
歩道の片隅、放置されたカゴの中で泣いている幼い彼女を発見したのは、レオの屋敷に勤める執事の男性だった。
カゴには、『Kaede』との文字が刻まれたアクセサリ風の認識票《ドッグタグ》が括りつけられていたという。他に、身元へ繋がりそうなものは何も入っていなかったそうだ。
「その文字をそのまま、私に授けていただいたそうなのですが……この言葉が名前を意味するものだったのかどうかは、怪しいところかもしれませんね」
やや自嘲気味な彼女の微笑みに対し、
「いや、そこは大丈夫だと思いますよ。日本だと結構、女の人につけられる名前なんで」
その国からやってきた少年は、自信をもって答えていた。もちろん本当は彼女の名前ではない可能性もあるかもしれないが、カゴにその言葉が添えられていた以上、少なくとも無関係な単語ではないはずだ。
「そう、ですか」
出会ってからこれまで、レオに飛び膝蹴りをかました瞬間すらほぼ無表情だったカエデも、少しだけ嬉しそうに頷く。
「物心ついた頃にはレオ様のお屋敷で暮らしているのが当たり前だったので、今さら両親に会ってみたいという気持ちはないのですが……。ただ、私はこの『カエデ』という言葉の響きが好きなので、この名を残してくれたことには感謝したいと思っています」
誓うように彼女が胸へ手を当てて言う傍ら、
「ひっぐ、うお、おげえぇ……、ぐすっ」
なぜか主《レオ》は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「ちょ、何」
「ひっく、いい話じゃないかよぉ……よかったなぁ、カエデ……ちくしょう、ぐすっ」
(どこに泣く要素があったんだ……)
困惑しつつ、流護はふと思ったことをメイドさんに尋ねてみる。
「そうだカエデさん、その……神詠術《オラクル》とか、全然使えなかったりしませんか?」
ほぼ無表情で一貫していた彼女の顔に、明らかな狼狽の気配が浮かんだ。
「いえ、そんな……ことは」
この世界では、強弱の差こそあれ神詠術《オラクル》が使えて当たり前。レインディール人に対してならば、問答無用で斬りかかられてもおかしくないほどの無礼な問い。
しかし先ほどレオが、「カエデは護身のため執事から体術を習っている」と言っていた。少なくとも彼女は、攻撃術と呼べるほどの術は扱えない。そして日本人であるのなら、具体的にどうなのかは言わずもがな。
レオも成り行きを見守るかのようにピクリと反応する。どばどばと涙を流しながら。
「大丈夫、日本人は『ほぼ全く』術が使えないんすよ。大きな声じゃ言えないけど……俺なんか、もうからっきしですから。ほんともう、何も出せないっす」
「そう、なのですか」
そこで、ハンカチで鼻をかんだ涙声のレオが会話に参加してきた。
「……成程な。確かにリューゴの言う通りだよ。けどレインディールじゃ、術を使えないってのは卑下の対象にしかならんからな。だからカエデの無術を悟られんで済むよう、家から出すことはあんまりない。外出時は目立たないよう、地味な格好をさせてる。その結果、窮屈な思いをさせちまってることも分かってるつもりではあるが……」
「いいえ、レオ様。私は現在の暮らしに、ただの一つとして不満など感じてはおりません」
「そう、か。それはよかった。ならあの家で、いつまでも俺と一緒に暮らそう」
「あえて不満を述べさせていただくなら、お屋敷のご子息がやたらと私に迫ってくることでしょうか」
「何だよ、つれないな。同じ家で一緒に育って、お互い十七年だぞ。そろそろ心と股を開いてくれても罰は当たらないんじゃないか」
「最低です」
いつもこんな風にじゃれ合っているのだろう。何だかんだ仲睦まじいやり取りを横目にしながら、流護は考察する。
(とにかく、カエデさんは日本人でまず間違いない……)
外見はともかく、神詠術《オラクル》を扱えないというその特徴が雄弁に物語っている。
赤子の頃からこの世界で育ち、地球や日本の存在すら知らなかったとしても、その出自は疑うべくもないはずだ。
(カゴに入ったままの赤ん坊のカエデさんが一人でトリップしたのか、親と一緒にトリップした後、事情があって離れ離れになったのかは分からんけど……)
ここで確実かつ重要なのは――転移している日本人が他にもいた、ということ。
それも今しがたの二人の会話からすれば、カエデの実年齢は十七歳以上。『グリムクロウズ歴』でいえば、ロック博士の十四年をも上回ることになる。これまでの日本人の誰よりも長く、この異世界で暮らしているのだ。
(こんな身近にいたんだな、他の日本人が……。しかも、何気に一番の古株だ)
身近、とはいっても、このジャックロートは桜枝里のいる隣国レフェより距離的には遠かったりするのだが。
ともあれこうなると、
(博士の説に当てはまらないんじゃないか、これ……)
即ち――流護・ロック博士・桜枝里の三人は、『彼』によって意図的にこのグリムクロウズへ連れてこられたのでは、という説である。何か意図や背負わせたい役目というものがあり、三人をこの異世界へ導いた。そんな話だった。
しかし、当時赤子だったカエデに対してそのような狙いがあったとは考えにくい。十七年経って少女となった今も、この街の屋敷で働く女中として静かに暮らしている。流護たちのように、世の中に影響を与える功績を残したりはしていないはずだ。
流護としては以前から薄々と感じていたことが、いよいよ現実味を帯びてくる。
(俺と博士、桜枝里に彩花、カエデさん……だけのはずが、ない)
このグリムクロウズには、少なくない規模の同郷の人間が迷い込んでいるのではないか、と。
そして遊撃兵として各地を転々とするようになって、実感したことがある。
広大なレインディール王国といえど、その大部分は猛獣や怨魔、無法者が跋扈する危険な野の地域。人が寄り添って暮らす街や集落といった『安全地帯』の割合は、そういった場所と比較して微々たるものだ。
そんな中で――流護は、ブリジアの街近郊のサンドリア平原に。ロック博士は、王都南方に位置するという小さな街に。桜枝里は、レフェの首都ビャクラクに。カエデは、レオの屋敷の近くに。そして彩花は、兵士たちが集っていた原初の溟渤最深部に。皆それぞれ、『安全な場所』に転移しているのだ。
これが例えば、人里から遠く離れた荒野や、怨魔の跋扈する森林などに飛ばされてしまっていたならばどうか。
実際にそうした危険地帯に降り立ってしまい、人知れず消えていった地球人も多数存在するのではないだろうか。
流護にしても、あそこでミネットと出会っていなかったなら、道に迷って野垂れ死んでいた可能性も――
(いや、待てよ……。俺の場合、どうなんだ……?)
例の人物。現代日本でメールを送ってきた謎のメッセンジャー、ロック博士が定義したところの『彼』。その存在が喉に刺さった骨のように引っ掛かる。
今から一ヶ月前。二度目の転移では、原初の溟渤で活動する兵団キャンプの近くへと飛ばされた。これは無論、『彼』が意図的にそうしたのだろう。そしておそらく、近くにいた彩花が巻き込まれてしまった。
(じゃあ……、最初の転移は?)
それは初めて至る、思いがけない疑問だった。
『彼』は何らかの意図があって、流護をこの世界へと招いた。一ヶ月前、廃城の大穴から流護が現代日本へ渡ってしまったことは『彼』にとっても想定外で、自らの存在をちらつかせてまで連れ戻した。
それはいい。流護も予想し、理解している。
ならば。
場所。
そもそも最初の転移で『サンドリア平原へ飛ばされたこと』に、意味はあるのか?
(あの『場所』に飛ばされたのも……意図的なものだったとしたら……?)
あの後のことは忘れもしない。ミネットと出会い、彼女にベルグレッテを紹介され、ミディール学院にたどり着いて。皆と出会い、学生棟で暮らし始めて。そして紆余曲折を経て、レインディール王国が擁する遊撃兵となった。
(いや、意図的な訳ねーか。特別変なイベントみたいのは起きてな…………、……いや、待てよ)
「ッ……」
瞬間、ゾッとした。
果たして『それら』は、偶然だったのか?
この七ヶ月間。様々な出会いや戦い、異世界で過ごしてきた日々。その全てが、『彼』の掌上の出来事だったとしたら。
何もかも、最初から『彼』の思惑通りに動かされていたのだとしたら。
「………………、」
『謎の異世界へ転移、そこで出遭った敵と戦い、出会った仲間たちと過ごす』。
漫画やアニメ、ゲームでありふれていそうな『設定』と『ストーリー』。
特に転移からファーヴナール撃破までの流れなどは、今にして振り返ってみればあまりに典型的だ。現代日本からやってきた年端もいかない少年が、謎の優れた力を発揮してドラゴンを討伐……。
王道と呼ぶのも躊躇われる、中学生の妄想レベルの活躍劇。
――それを、誰かによって意図的に演じさせられていたのだとしたら。
思わず、流護は目だけで周囲を窺う。
活気溢れるジャックロートの街並み。道行く人々。すぐ隣で痴話ゲンカを繰り広げるレオとカエデ。どこにも、不審なところはない。あの件以降『彼』の存在を意識するようにはなったが、それらしき気配は感じたことがない。もちろん、どこからか覗き見られていたとして、漫画に出てくる達人のようにそれに気付くことなどできはしないが……。
(……いや、飛躍し過ぎだ。さすがに考え過ぎだろ。ベル子たちと知り合ったことも仕組まれたもので、これまでの出来事も全部……ってか? なら、この二人とこうして出会ったのも? いやいや、何のためにそんなことすんだよ。つーか、)
よくよく考えたなら、流護だけとは限らない。
岩波輝も、雪崎桜枝里も、そしてカエデも。
偶然飛んだのではなく『彼』が呼んだのだとしたら、その目的は? 他に転移してきた者はいないのか? そもそもこの異世界トリップは『彼』のみが故意に起こしているもので、偶然迷い込んでしまう者というのはいないのか?
『彼』がそれほどまでに全知全能な存在であるなら、彩花を意図せず巻き込んでしまったというのはいささか間抜けに思える。
(……だめだ。分からん。考察するには、やっぱ情報が少なすぎんだよな……)
ここ最近はいつものことだったが、この件についてあれこれ考え始めるとキリがなかった。
はあ、と息を吐き、完全にこんがらがった思考も一緒に放り出す。
「なあ、リューゴはどう思う?」
そこで横から唐突に投げかけられたのは、そんなレオの問いだった。
「ん? え? 何の話すか?」
「チキンフライに搾った檸檬《レモン》を掛けるか否か、だ」
「いや何でそんな話になってんすか」
思わず突っ込んでしまう流護だったが、苦笑しつつも「その時の気分で、コインの裏表で決めます」と答えておく。
「ふむ、成程な。中々に洒落た答えじゃないか。やるな、リューゴ」
ニッと口角を上げたレオは、「それにしても今日はいい天気だな」などと言いつつ、カエデの足元に置かれたカゴからおもむろにリンゴを一つ拾い上げた。
「あ」
「あ」
流護とカエデの声が完全同期する中、
「ん? どうした」
二人が何か言う間もなく、レオは手に取ったリンゴへ颯爽とかじりついた。しゃくしゃくと小気味いい音を立てて咀嚼し、
「うむ、さすがは俺のカエデが見繕ったリンゴよ。歯応えも抜群……じゃないな、なんかもさっとしてる……が、味は甘く……ないな、なんか酸っぱい……?」
「レオ様……。この籠の食料は、全て家畜用のものです……。お忘れになりましたか」
「そのリンゴ……さっき落とした時、ごろんごろん転がってって野良犬がじゃれついてたやつだな……」
カエデと流護に口々に言われ、レオの膨らんだ頬と顎がピタリと止まった。
「み、水……」
彼は口元を押さえて立ち上がり、幽鬼のようにふらふらと水飲み場を目指して歩いていく。
「まったく、レオ様は……行動が軽率にすぎます」
そんな主たる青年の背中を眺め、従者の少女はやれやれと嘆息した。
「はは。なんか、二人って面白い関係すね」
レインディールにおける主従の関係は原則、読んで字のごとし。
裕福な家の召し使いというものは、買い取られた奴隷であることが多い。主には絶対服従、反論や口答えなど許されるはずもない、といった立場の者も少なくないのだ。
ガーティルード家のように、平民を雇い入れたうえで友人のような間柄として付き合っているほうが稀といえる。
しかしこの二人は、それともまた違う。対等どころか、
「なんか、レオさんが完全に尻に敷かれてるっていうか」
「……、とんでもございません。確かに、レオ様と私は赤子の頃より同じ屋根の下で育った間柄ではありますが……。決してそのような、男女の関係ではございません。滅相もございません」
「そうなんすか」
「レオ様は、このジャックロートに古くから栄える商家のご子息。私は、そのお屋敷に拾っていただきお仕えするただの女中。神詠術《オラクル》も扱えず、お気遣いを受ける身……」
続く言葉は、独り言だったのかもしれない。小さく、とても小さく発せられた。
「……私などでは、到底レオ様に釣り合うはずがありませんから」
頭をポリポリと掻いた流護は、ベンチにもたれかかって寒空を仰ぐ。にやつく口元を抑えられない。
「カエデさんは……うん、大和撫子っすね」
「……ヤマト、ナデシコ?」
「日本だと、こう……清楚で、慎ましやか? で、そんな感じの女の人をそう言うんすよ」
「……、アリウミ遊撃兵殿はお上手ですね。私をおだてても、何も出ませんよ」
ついと顔を背けてしまう彼女を見て、妙なモチベーションが湧いた。
同じ黒い髪に黒い瞳、神詠術《オラクル》を扱えない日本人。流護がより大きな功績を上げて活躍することで、少しはカエデの立場が向上したりしないだろうか、と思ったのだ。
そうこうしているうちに、レオが口元を拭いながら戻ってきた。
「ふー……割と何でも食える方だが、流石に半分以上腐ったリンゴは厳しいな。夕刻には腹を下すやもしれん。受け入れねばならんか、その冥府の針山のごとき苦痛を……フフ」
おもむろに懐中時計を確認したカエデが、そんな主に提案する。
「レオ様。そろそろお屋敷に戻りませんと」
「ぬ、もうそんな時間か。そうだな――っと、」
あちこち自らの服のポケットをまさぐったレオが呟く。
「しまったな、まだホーカン爺の干し塩飴を買ってなかった」
「あっ……気が回らず申し訳ございません。では、これから……」
「いや、俺一人でいい。ここからなら屋敷も近いし、カエデは先に戻っててくれ。ハーヴァシンダルには俺は死んだと伝えておいてくれ。貴様のことは忘れんと」
「さようですか……承知しました。では」
頷いた彼女は姿勢よく立ち上がって流護へ向き直り、ペコリと一礼した。
「アリウミ遊撃兵殿、私はこれにて失礼いたします」
「あっ、はい」
「まさか今日、このような形で自分の生まれについて知ることができるとは考えてもおりませんでした。貴方様との出会いに感謝を。貴方様に、創造神のご加護があらんことを」
「あっはい。ご丁寧にどうも……。そっちこそ、お気をつけて」
去っていくメイドさんの後ろ姿を眺めつつ実感する。外見は日本人であっても、その心はレインディール人なのだ。神詠術《オラクル》の扱えない己を恥じ、それでも神への感謝は忘れない。
「リューゴはこれから時間あるのか?」
彼女を見送ったレオが訊いてくる。
「ん、まあ。暇すよ」
「そうか。なら、少し付き合え。この街の隠れ特産品、ホーカン爺の干し塩飴を紹介してやる。食ったことないだろ?」
「そうすね。ほんの昼過ぎにこの街に入ったばっかなんで……」
「それじゃあ決まりだ! あとそんなよそよそしい話し方はなしだ。普通に接してくれ。俺たちは友人だ」
「分かりま……、分かった」
「よし、行くぞ!」
やたら乗り気なレオに連れられ、噴水広場を後にする流護だった。
大通りの外れ。こんなところに店があるのか、と思うような狭い路地。石畳も南部から来た砂埃にまみれ、道の隅には放置されて長そうな錆びた荷車が転がっている。この街の立地上の特徴なのか、そんなところにも砂が堆積していた。
ひっそりとした道沿いを行くと、見過ごしてしまいそうなほど小さな商店がそこにあった。採算度外視、老後の趣味でやっているのだろう。髪もひげも真っ白な老夫が、来客に顔を綻ばせた。
「おう、レオ坊ちゃん。五年ぶりぐらいか。カエデちゃんはどうした」
「残念、二週間ぶりだ。買い出しに出たんだが、ここに寄るのを忘れててな。カエデは先に帰した」
「そうじゃったか。ところで、ウチの婆さんの姿が見えんのじゃが知らんか」
「三年前に亡くなったろう」
「そうじゃったか。夕飯までには戻ってくるかの。おっと、そっちの子はお友達かい?」
「親友のリューゴだ」
「なんと、お前さんにはカエデちゃんがおるのに……なんと破廉恥な」
会話のドッジボールを眺めながら、もう親友なのか……と思いつつ、レオお勧めの干し塩飴を受け取る。見た目はごく普通の白っぽい飴玉だった。早速口に放り込むと、
「な、なんだこれ。甘いような酸っぱいようなしょっぱいような……、でも病み付きになりそうな謎な感じが」
異世界ならではのものだろうか。少なくとも日本の菓子などでは味わったことのない、不思議な風味が口の中に広がった。
「ふははは、そうだろう。俺は子供の頃から、これがお気に入りでな」
レオは大量に買い込み、服のポケットへ次々と詰め込んでいた。
店を後にした二人は、狭い路地を歩きながら他愛のない雑談に興じる。
道中、レオはやたらと流護のことについてあれこれ尋ねてきた。神詠術《オラクル》を使えなくて不便ではないか。差別はないのか。どのようにして強くなったのか。
流護もそれぞれ答えていく。それら質問の意図は明白だ。
(カエデさんのため、なんだろうな)
流護の在り方が何かの参考になれば、ということなのだろう。
「そうか、リューゴは十六なのか。その歳で兵としてしっかり勤めてるとは……凄いな」
そして言葉の端々に感じられる――憧憬。
「本当に、大したもんだ……」
流護のほうから「そういうレオは?」と問い返すことはしなかった。彼の口ぶりから、あまり自分のことを語りたくなさそうな雰囲気が感じられたからだ。
先ほどの噴水広場での、主従のやり取りを思い出す。
『ぬ? 遊撃兵っていうのは何だ?』
『重ね重ね申し訳ありません、アリウミ遊撃兵殿。物を知らぬ主で、お恥ずかしい限りです』
レオはおそらく、学び舎に通う身ではない。それは、平常日の昼間にこうして出歩いていることからも予想がつく。そのうえで『物を知らぬ』ということは、あまり外の情報に触れる機会がないのかもしれない。
カエデを屋敷から出すことは少ないと言っていた彼自身、商家の息子という立場もあって、外出が稀なのではなかろうか。先の商店の主との会話では、二週間ぶりと言っていた。
とすればきっと、こんな風に誰かと街を歩くことも……。
「リューゴは普段、王都で兵士やってるのか」
「まあ、そんな感じかな」
基本的にはミディール学院に滞在している流護だが、一応の担当は王都となる。要請に応じて、今回のように遠方へ出向く機会も増えた。臨機応変に、まさに遊撃の役割を担う。もっとも、そんな細かい部分までレオに説明しても仕方がない。
「レオは王都に行ったこととかは?」
「ああ。ほんの二、三回程度だがな。馬鹿でかいし美しく素晴らしい街ではあったが、どこを探しても干し塩飴は見当たらなかった。そこだけが残念だ」
「ははは」
「まあ、俺のことはいいじゃないか。もっとお前の話を聞かせてくれ」
色々と話すうちに路地を抜け、大通りへ出た。
「さて、と。それじゃあそろそろ、屋敷に戻る――」
やや名残惜しそうにレオが言い終わるより早く。
パン、と乾いた音がどこからか鳴り渡った。
直後、大勢の人々のどよめき。
そして、
「誰か! 誰か助けて!」
絹を裂くような、甲高い女性の悲鳴。
二人揃って音や声の聞こえてきた方角に目をやると、通りの先に人ごみができつつあるのが見えた。
「何の騒ぎだ……? 行ってみるか、リューゴ」
「ああ、見てみたほうがよさそうだな……!」
頷き合い、二人は騒ぎの起きている中心地へ向かってみることにした。