――ベルグレッテと学院長のやり取りから、五分ほど遡る。

(そういや俺、レノーレの部屋どこだか知らねーぞ……!)

全力疾走で学生棟に駆け込んだ流護は、今更ながらそんなことを考えていた。

(三階だとかって聞いた覚えはあるけど……行きゃ分かるか……!)

完全にミアを置いてきぼりにする形となってしまったが、この世界で馬に比すると評判の走力を発揮した遊撃兵の少年は、瞬く間に三階へと駆け上がった。

「!」

そして思惑通り、探し出すまでもなくレノーレの部屋を発見する。

廊下に人だかりができており、一目瞭然だった。遠巻きに離れて囲む生徒たち。

その部屋の前に、白い軽装鎧と灰色のマントを身に纏った五人の男が立っている。

(何だ、あいつら……?)

レインディールの兵でないことは確実だ。

雪を思わせる華美な白鎧。籠手や脛当てに至るまで同色。おそらく防寒目的だろう、その下に厚く着込んでいる衣服は青を基調とした色合いで統一されている。

旅人や冒険者の類ではない。統制や堅苦しさ、高貴さを感じさせるその姿は、

(あれだ。ノルスタシオンの連中みたいな……)

去年の夏、王都でテロを引き起こした異国の軍勢。彼らのような、統率の取れた戦闘集団――何らかの組織を彷彿とさせる。

(ってことはこいつら、どっかの国の騎士か……?)

訝しく思いながら騒ぎの中心へ近づいていったところで、動きがあった。

扉の前に立つ長身の男が、集まった生徒らに紛れていた年配の教師へと声をかける。

「ここで相違ないな?」

「は、はあ」

「ふん……」

気弱そうな男性教師が頷くと、その白装の男はつまらなげにドアノブへと視線を落とす。

見るからに居丈高な青年だった。

歳の頃は二十代中盤ほどか。華奢と表現すべき細身にして、背丈はおそらくダイゴスよりも高い。流護が昨年顔を合わせたブレーティよりはやや低い程度か。黒銀の髪は長くも中分けで整えており、額は丸出し。後ろは背中で束ねられ、竜尾のように腰まで垂れている。顔は、絵に描いたような面長の美形。切れ長の瞳は鋭く、冷たい雰囲気を醸し出していた。

「ねぇ、誰なの? あの人……」

「わかんない……けど、カッコいい人だね……」

野次馬の女子生徒らがそんな風に囁き合うのも、無理はないといえる(流護個人としては舌打ちしたくなるばかりだが)。小学生時代に発案した、イケメンが入ったら爆発する箱へ入れるべき対象に違いない。

そんな美青年が当たり前のように戸を開けようと取っ手を握りしめるが、施錠されていたのだろう。

「……教師よ。合鍵は?」

「あ、下まで取りに行かなければ――」

「ならいい。この戸は……樫製か。十……いや、せいぜい五といったところだな。ゲビっ」

「は、スヴォールン様」

後ろに控えていた四人の白鎧の中から、比較的小柄な男(それでも流護より十センチ以上は高い)が歩み出る。

二十歳ぐらいだろうか。茶色い短髪の、猫背で陰気そうな青年だった。そこまで容姿に恵まれていない訳でもないが、彼自身がスヴォールンと呼んだ美青年と並び立つことで、残念ながらその凡庸さが引き立ってしまっている。

開かずの扉を前に呼ばれたそのゲビという男は、自らの懐へ腕を差し入れた。

ピッキング道具でも取り出すのかと思う流護だったが、

(……んん?)

そこで彼――ゲビが取り出したのは、金。紙幣だった。その額、実に五万エスク。

札を手にした彼は、やはり流護と同じように困惑している男性教師の前へ。

「どうぞ、教師殿。お納めください」

「え、……は?」

まるで事態が飲み込めていない教師の手を取り、半ば無理矢理に紙幣を握らせる。

(何だ……? 何のつもりだ?)

その疑問の答えは、すぐに示された。

爆音、そして振動。

レノーレの私室の戸板へ向けて右手をかざしたスヴォールンが、容赦なく氷の砲弾を撃ち放った。

耳をつんざく破砕音、へし割れて飛ぶ扉の破片、揺れる床。

ガラスの割れる音が連続し、悲鳴を上げた生徒たちがクモの子を散らしたように逃げていく。

破壊の余韻が収まり、静寂が訪れることしばし。

白煙すら立ち込める中、

「……少々やりすぎたか。あと二十ほど追加してやれ」

「は、スヴォールン様」

突然すぎる破壊に腰を抜かしてへたり込んでしまった教師へ、「お納めください」と二十万エスクを取り出して握らせる。

「捜索に掛かるぞ」

スヴォールンの指示を皮切りに、ドアがなくなったばかりか外枠が抉れて洞窟の入り口みたいになったその部分から、五人の白い男たちはレノーレの私室へと踏み入っていく。

脱兎のごとく逃げていった生徒たち。ほうほうの体で這ってこの場を離れようとする男性教員。打って変わって訪れた静寂の中、天井からパラパラと舞い落ちる埃……。

「いやいやいやいや待て待て待て待てって! 何してんだよ!?」

ここでようやく、一人廊下に残されている流護は我に返った。

彼らの後を追って部屋に踏み込めば、先の攻撃術の余波だろう。ドアの延長線上にあった床は削れてめくれ上がり、奥の窓ガラスは見るも無残に粉砕している。もはや廃墟の様相を呈していた。

当然とばかりに土足で入り込んだ男たちは、棚や机の引き出しを漁り、家具を掴み倒し、言葉通りの意味で部屋中を荒らし回っていた。

「あんたら! 何やってんだよおい!」

部屋の入り口で声を張り上げると、彼らはそこで初めて流護の存在に気付いたようだ。五人のうちの一人――これといって目立った特徴のない男が寄ってくる。そして、さも煩わしげに言ってのけた。

「何だ?」

「いや、こっちのセリフだっての。何メチャクチャやってんだよ、あんたら」

「お前には関係ない。去れ!」

流護を突き飛ばそうとした男が、強く腕を押し出す。

しかしそれは、格闘家へ対してあまりに迂闊な行為。

ほとんど反射的。流護は胸元へ伸びてきた男の腕を捕り、固めて捻り上げた。念のため攻撃術などを警戒し、相手の手のひらが自分のほうを向かないように気をつけながら。

「ぐ、があったただだだ!」

詠唱や反撃の余裕はなかったようだ。関節を無理にねじられて膝をついた男の絶叫で、他の四人が物色の手を止めて注目してくる。

ここでようやく、リーダー格と思わしき長身の美青年――件のスヴォールンが流護へと意識を向けた。

大股で歩み寄ってきた彼は、

「……何だお前は?」

解放された手首を押さえてうずくまる仲間と、上背で己より遥か劣る流護を見比べて眉をひそめる。

「だからそりゃこっちのセリフだっての。いきなり押し寄せてきた連中がドアぶっ壊してまで生徒の部屋漁り出したら、誰だって何事かと思うだろ」

呆れ気味に言いつつ、流護は懐から取り出した兵士の証たるバッジを掲げてみせる。

「リューゴ・アリウミ、こう見えてレインディールの兵士……遊撃兵だ。説明してもらうぜ」

隠しもせずチッと舌を打った美青年はしかし、ようやく流護を無視する訳にもいかない相手と認識したらしい。渋々といった口ぶりではあったが、己の素性を明かす。

「私はバダルノイス神帝国が擁す『雪嵐白騎士隊《グラッシェラ・デュエラ》』、長を務めるスヴォールンだ。貴兄が所属しているだろうレインディール王宮の許可は、既に得ている。その上でここへやってきている」

やっぱりか、と流護は内心で納得する。

戻ってこないレノーレ。そんな彼女の部屋へやってきた、見知らぬ武装姿の一団。

となれば、あの少女の故郷からやってきた関係者――バダルノイスの人間であると推察することは容易い。

「で、何でレノーレの部屋を?」

「我が国の事情故、貴兄には関係ない……と言いたいところだが、早々と納得して引き下がって頂きたいのでな。簡潔に説明致すが」

続くスヴォールンの言葉に、流護は耳を疑って立ち尽くすこととなった。

「先日、レノーレ・シュネ・グロースヴィッツは、我が国において法を犯し罪人となった。現在も逃亡中で、その行方は掴めていない。故にこうして奴が在籍していた学舎の部屋を当たり、手掛かりを探しているという訳だ」

言葉が出なかった。

(………………、は?)

レノーレが罪人になった? それで逃走中……? いや待て何かの間違いだろ、と流護が口を開こうとするより早く、

「そんな! なにかの間違いだよ!」

背後から、少女の悲痛な叫びが届いた。

振り返れば――少し前までドアがあったはずの場所に立ち尽くす、ミアの姿。全力で駆けていった流護に遅れ、ようやくここへたどり着いたのだろう。肩で息を切らし、今にも泣きそうに顔を歪めながら。

今一度、件の少女と親友であるミアは言い募る。

「レノーレが罪人だなんて! そんなの嘘だよ!」

「――『何かの間違い』? 『嘘』?」

冷気を声に加工したら、こう仕上がるのではないか。

そんな、寒々とした響き。

間近で聞こえたゾッとするような声に目を向けると、スヴォールンが石膏像じみた無表情でミアを見つめていた。

「――小娘。異国人故の間違いと、一度は見逃してやる。が、臥して詫びろ。今、この場でだ。頭を地に着け、『私が間違っていました』と言え。さすれば赦してやる」

命令という表現すら生温い、絶対的な威圧による強制。スヴォールンの眼光には、並の者ならばへたり込んでしまいそうなほどの迫力があった。

しかし。

「ふ……ふざけないでよ! 間違ってるのはそっちだよ! レノーレの部屋、そんなにめちゃくちゃにして、ひどいことして! そっちこそ、今すぐ出ていってよ!」

ミアという少女は、どこまでも気丈で純粋で、そしてまっすぐだった。

その言葉を受けたスヴォールンは、何かを諦めたように首を横へ振る。

「……愚者は、己の立場というものを弁えることができない。舞い降りた機を掴むことができない。故に愚者だ。尽々、そう思わされる……」

はあ、と深い息ひとつ。

「品格も教養も備えぬ平民の小娘……五、といったところか。ゲビっ」

「は、スヴォールン様」

部屋の奥で畏まる青年へ、振り返りもせず無感情な指示を飛ばす。

「後で適当に支払っておけ」

「は」

そこからは一瞬だった。

虚空より突如現れた氷槍を掴み取ったスヴォールンが、大股の一歩を力強く踏み込む。その細い容姿からは想像できない、しなる大弓のごとき身のこなし。

突き出される右腕。唸り飛ぶ神速の一突き。

その先端が、一直線の白い残像を描く。

流護の脇を素通りし、さらにその後ろへ。

――即ち、ミアへと向かって。

少女に向かって迸った剛槍は刹那、その着弾地点を大きく逸らされる。

割って入ったのは、真横からの衝撃。

ぶれた氷の槍は、勢い余って部屋の横壁に突き刺さった。

槍が無視しようとした存在。ミアとスヴォールンの間にいた男――有海流護の裏拳に、打ち払われたことによって。

「ミア、ちょっと下がってな」

少年は自分が盾となるよう背後へ庇いながら、優しくいつも通りの声をかける。

「わっ、え? あ、あれ? リューゴ、くん?」

一方のミアは、何が起きたか分からないとばかりに目を白黒させている。彼女は気がついていなかった。たった今、自分の喉元へ凶刃が迫っていたことに。

そんな、刹那の領域で交わされた攻防劇。

「とにかく部屋から出ててくれ、ミア。危ないからさ」

「う、うんっ……」

それでも――対峙する両者の空気や、自分の間近で壁に突き刺さっている氷槍から、雰囲気を感じ取ったのだろう。

流護に促されるまま、小さな少女は廊下へと後ずさっていく。

「……何のつもりだ、レインディール兵」

スヴォールンの意識は、眼前の流護へと移っていた。変わらず、氷のような佇まいのまま。

「その言葉はそのまま返すぜ」

一方の流護も、返答は静か。

「言った筈だ。私はレインディール王宮の許可を得てここへやってきていると。貴兄はその私に対して邪魔立てをするつもりか?」

「学院の生徒を殺していい……なんてブッ飛んだ許可も貰ってきたのか?」

「………………そんなものは論ずるにも値せぬ些末事だ。任務の途上で障害となる異物は排する。補填が必要ならば支払う。それだけの話」

少しばかりの間の後、さも当然とばかり白鎧の美青年はそう言い放った。

「……そっか。あんたさー、何かと値段つけて金で解決すんのが好きみてーだけど」

平坦に頷いた流護は、思い出したみたいに自らの上衣の内ポケットをゴソゴソと探る。

「確かー、こないだ食堂のお釣りで……、あったあった」

すぐに目的のものを見つけ、スヴォールンの眼前へと摘み出してみせた。それは、一枚の小さな硬貨。その額、百エスク。子供の小遣い程度のそれを、

「ほら、やるぞ。受け取ってくれや」

「……何のつもりだ?」

全く意図が掴めない。そんな風情で眉をひそめるスヴォールンへ。流護は、聞き間違いようもなく言い放った。

「お前の値段だよ」

端正なスヴォールンの顔が、般若のごとき面相へと変貌を遂げた。後ろへ下がったミアが、ひっと息をのむほどの。

額に青筋を浮かせ、目を血走らせ、壁に刺さったままの氷槍を握り締める。

しかし流護はそれよりも速かった。平静を装っていた少年のその裏側では、怒りという名のマグマが爆ぜていた。

「ヂャッ!」

コインを握り込み、一呼吸の間もなく繰り出された流護の右オーバーハンドフックを、

「グッ――!」

白い騎士は咄嗟に掲げた左の小手で受け止める。しかし威力を殺しきれず、身体ごと押し込まれる形で数歩後退した。

(野郎、反応速ぇな)

問答無用、仕留めるつもりの一撃だった。防いだ技量は元より、装備している純白の小手も間違いなく一級品だ。

よろけながらも持ち直したスヴォールンが、ゆらりと幽鬼のように面を上げる。

「……何、の…………つもりだ、貴様アアアァァ――ッ!」

その細身、その美貌から絞り出したとは思えない、野太い怒号。

しかし。有海流護は、そんなものにわずかほども臆さない。

「お前こそ……誰の前で誰に手ぇ出したか分かってんのか? あ?」

上着のボタンを外し、脱ぎ捨てて。

一方、異国の白い騎士は目を血走らせ、信じられないものを見る眼差しでまくし立てる。

「貴様……自分の立場が分かっているのか? たかが一兵卒如きが、この私に何をしたか分かっているのか? 貴様の軽率な行動が、国の立場に悪影響を与えるとは考えんのか?」

「ベラベラうるせー野郎だな」

ゴキゴキと拳を鳴らした少年は、どこまでも居丈高な相手へ向かって堂々と宣告する。

「いいから来いよ、このクソボゲ……!」

スヴォールンが般若なら、流護は羅刹だった。

怒を隠しもしない表情で、両腕を掲げ構え立つ。

「……呆れて物も言えん。貴様に払う対価はない。無価値だ、雑兵。ここで朽ち果てろ」

一方の白い騎士も、無手のまま低く身構えた。壁に刺さっていた氷槍が消失し、彼の手へと再顕現する。

「お、奇遇だな。俺も今、てめぇへの評価が変わったとこだ。やっぱゼロ円だ。百エスクすらもったいねーわ、お前みてーなカマノッポ野郎にはよ」

笑いながら拳を振り、次の瞬間に備える。

怒りに駆られるまま挑発を飛ばす流護だが、油断はない。

このスヴォールンという男――性根はどうあれ、間違いなく手練だ。

「リューゴっ!」

一触即発の渦中。背後から飛んできたのは、ベルグレッテの鋭い声だった。騒ぎを聞きつけて飛んできたのだろう。

「べ、ベルちゃん! ど、どうしよう」

「ミア、これはどういう状況なのっ」

後ろのやり取りを聞きつつも眼前のスヴォールンから目を離さない流護だが、当の相手の視線はやってきたベルグレッテに向けられたようだ。

「フン、話の通じそうな相手が来――」

「スヴォールン様ッ」

下方から伸び上がる、半円の軌跡。同時に響く、ゲビの悲鳴じみた一声。

飛び込みつつ放った流護の右上段廻し蹴りが、咄嗟にのけ反ったスヴォールンの鼻先をかすめていった。

「こ……の、孺子《じゅし》めが……ッ!」

「樹脂? つかアホか」

左足で一歩前へ。

「最中にヨソ見してんじゃねーよ、ボケ」

不意打ち気味の蹴りで長躯を折ったスヴォールン、その顔面へ向かって、右ストレートを打ち放つ――

「!?」

瞬間、流護の全身を不可解な圧迫感が包み込んだ。

それは例えるなら、いきなり水中に放り込まれたような。あるいは、空気が実体を持ってピタリ張りついてきたような。

(な、んだ……!? 身体が、重っ……)

「ご無事ですか、スヴォールン様ッ」

その言葉とともに、こちらへ向かって手のひらをかざしているのはゲビと呼ばれる青年。それで、流護はおおよそを察した。

「おいこら根暗野郎、てめえの仕業か? 今すぐ解けや、泣かすぞこの――」

「ケエエェアアァッッ!」

言い終わらぬうちに割り込んできたのは、怪鳥じみた異常な叫び。

「げっ」

持ち前の美貌を見る影もなく怒に染めたスヴォールンが、まるで遠投のように大きく槍を振りかぶっていた。

(っ、身体、が……!)

急にズシリと重くなった手足。常であれば優にカウンターの餌食とできるほどの大振りを見せているが、今この状態では間に合わない。そう判断し、どうにか捌こうと身構えて――

「――――愚者を粉砕せよ。『ブリオネク』」

先の絶叫とはまるで対極、低いスヴォールンの言霊。

応えたかのように、氷槍がボッと白靄を発する。まるでブーストを吹かした機構さながら。

その挙動から容易に推測できる。

長躯をバネのようにしならせ繰り出される、力滾る突きの一撃。

「――――」

この技は、まずい。

瞬間的に本能が警告する。

受けは悪手か。とはいえ、この異様な身体の重さでは避けることも――

流護の背筋に冷たいものが去来すると同時、その一撃は放たれるより早く高々と跳ね上げられていた。

つい先ほど、流護がミアを救ったのと同じように。今度は、下から上へと。

ガギンと高らかな残響を震わせて、氷槍の切っ先は天井へと突き刺さる。

息つく間もなく飛び込んできたベルグレッテが、水の長剣と黒の実剣の二刀流によって凶撃を打ち払っていた。

「どなたかは存じませぬが、刃をお収めください。学舎内での暴力行為はご遠慮願います」

「チッ、小娘が……!」

発動前に全力でかち上げられ、衝撃に痺れたのだろう。スヴォールンは右手を押さえながら、もはや隠しもしない怨嗟の響きで吐き捨てる。

「リューゴ、大丈夫……!?」

「おうっ、さっすがベル子先生、頼りになるぜ……!」

どう対応するか、にわかに惑った刹那の間。鋭く割って入るは、まさに電光石火がごとし。亡き兄の長剣を受け継いで以降の少女騎士は、掛け値なしに背中を預けられる存在となりつつあった。

すぐ隣に頼もしさを感じつつ、流護は苦い顔で敵対者を睨む。

「とりあえずまあ、無事は無事なんだけどさ……。あそこにいるクッソ暗そうな奴が俺に何かしてんだよ。身体が重くってしょうがねぇ……呪いか? どこの都道府県にも一人はいそうなツラしやがって」

「身体が重く……? きっと補助系統の術ね」

並び立って相手を見据える少年少女に対し、

「ゲビよ……確かに、仕掛けておるのだな?」

「は、スヴォールン様。しかしあの小僧、平然と……」

「お前でも押さえ切れんのか。面妖な」

白の騎士二人も、警戒を深めた様子で囁き合う。そこに先ほど流護が手首を捻り上げた男や他の兵も加わり、二対五で睨み合う構図となった。

「私は本学院の生徒にして見習い騎士を務めさせていただく、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します。失礼ながら、どちらさまでしょうか」

この状況でなお、ベルグレッテは丁寧な物腰を崩さない。一方で、

「隣の愚物に訊け。何度も答える気にならん。まして、生徒にも見習いにも用なぞない」

問われたスヴォールンはもはや、敬意の欠片も見せようとはしなかった。

これ幸いとばかり、流護は即座に言ってのける。

「な? 見ての通りだよ。いきなりレノーレの部屋荒らすわ、襲い掛かってくるわ、極めつけにこの態度だぞ。正当な理由があったにしてもフツーにアウトだろ。排除されても文句なんか言えねって、ボコしてから聞こうぜ。尋問になるけどな」

割れた窓から冷たい風が容赦なく吹き込んでくるレノーレの部屋。

向かい合う両陣、じりじりと高まっていく緊張感。

今まさに始まる――と思われたその瞬間、

『わっっ!』

凄まじい大音声だった。

耳がキンと鳴り、驚きのあまり全身が浮き上がってしまうほどの。

(ッ、なっ、な、なん……!?)

完全に機を外された。

びくんとしてしまった流護はもちろん、スヴォールンは不快げに顔を歪め、他の白騎士たちなどは身構えたまま慌てて四方を見回している。ベルグレッテも、何事かと目を白黒させていた。

(……! 軽くなった……)

同時、流護は身体の重みが消えていることに気付く。驚いたゲビが集中を欠き、術の制御に失敗したのだろう。おそらくは他の連中も、詠唱や保持していた術を中断させられたに違いない。

一体何なのかと首を巡らせるより先に、

「あいたたたー、これは失敬」

白々しさを含んだ、軽快な女性の声が割って入る。

振り返れば、部屋の入り口にナスタディオ学院長が佇んでいた。ミアを小脇に抱える形で、自らの豊満な胸に押しつけながら。ぎゅっと捕縛された元気娘は目いっぱいじたばたしているが、学院長はまるで意に介していない。

「驚かせてごめんなさーい。部屋の入り口がボロボロになってて、蹴っ躓いちゃったわー」

わざとらしく微笑む彼女の姿を目の当たりにして、流護は全てを察する。

(はは、この人……)

一触即発となった流護たちを、怯ませて止めるための小芝居。

そもそも今の一声、メガホンで拡張されたようなエコーを伴っていた。通信術を増幅させたものだろうが、狙ってやった以外にありえない。何しろミアを抱き寄せ、しっかりとその耳を塞いでやっているのだから。そのミアはじたばたしているが。

「っと失礼、よろしいでしょうか」

けろりと言ってのける学院長に対し、やはりスヴォールンは不快げな顔を隠しもしない。

「次から次へと……。しかし、あのような大声……大人の女性が発するにしては、少々はしたないのではないか」

「これは失敬。まさか、部屋がこのようなことになっているとは思いませんでしたので」

ニコリと微笑みつつ、学院長は優雅に一礼する。もがくミアを抱いたまま、器用に。

「私はこの学院を預からせていただく、ナスタディオと申します」

「……フン、責任者か」

憑き物が落ちたように、スヴォールンの表情が冷静さを取り戻す。

「まだお若いようだ。飼い犬の躾がなっておらんな」

が、口のほうは相変わらずか。そう言い捨てて、チラリと一瞥を投げてくる。わざとらしく犬の物真似でもしてやろうか、と流護が思った矢先、

「あらあら、若いだなんてお上手ですこと。けれど、そこはお互い様ですわね」

「何?」

「恐れながら浅学の身ゆえ、何処《いずこ》の騎士様かは存じませぬが……ご用件がおありでしたら、まずは責任者のところへお越しいただけると。互いに事情を把握した状態であれば、このように建物を損壊させることもなく、それによって彼らが駆けつけてくることもなく。結果として貴方がたも、時間を無為にせず済んだことでございましょう」

「フン……」

「ここは学び舎。寛大なご理解をいただけると、私どもとしても助かります」

「……一理あるか。我々としても急《せ》いており、強引な部分があったことは否定できぬ」

「では、お手数ですがまず学院長室へお越しを。お話をお伺いしたうえで必要なものなどございませば、ご協力いたしましょう」

スヴォールンを始めとする白の騎士団は、まるで別人のように従う姿勢を見せていた。

(こいつら……国でも相当な力を持つ連中なんだろうな。ワガママが通って当たり前、他人が下手に出てきて当たり前っつー感じで)

流護は冷めた目で彼らを見やりながら、そのように分析する。自分やベルグレッテのことなど、下っ端や見習いの子供と見なし、まともに相手にする気がない。

学院を預かる人間が出てきたこと、その当人が腰の低い対応をしてきたことで、『譲歩』する気になったのだろう。

「では、こちらへどうぞ」

そんな学院長の言と同時、彼女の腕から解放されたミアが泣きそうな顔で駆け寄ってくる。さっと流護の後ろへ隠れ、ぐすぐすと鼻を鳴らしていた。

ここで白の騎士団と流護たち、それぞれの視線が交錯する。

スヴォールンは極めて冷ややかな目で一瞥するのみ。他の者たちも、一瞬だけ睨みをきかせて通り過ぎていく――が、その一人だけが違っていた。

怒を隠しもしない、血走った瞳。その視線によって射殺さんとばかり、殺意の篭もった眼光。

地味な印象の、ゲビと呼ばれていた青年だった。

「あ? 続けるか?」

あえて挑発的に振る舞う流護に対し、

「…………覚えたぞ」

「は? 何? はっきり喋れ」

「お前の顔、覚えたぞ。雑穀の粒め」

「あっそ。何なら、拳の味も覚えてくか?」

少年はこれ見よがしに拳をゴキリと鳴らす。

「こーらリューゴくーん、邪魔しなーい」

「ゲビ、止せ。時間が惜しい」

流護をナスタディオ学院長が、ゲビをスヴォールンが制する。

そうして白鎧の乱入者らは学院の責任者についていく形で、レノーレの部屋を出ていった。

「……なにさ、学院長ったら。あんなやつらにヘコヘコしちゃってさ。得意の幻覚でも見せてやればいいのにっ」

涙目になっているミアの頭を、流護はぽんぽんと撫でてやる。

「大人の対応、ってヤツなんだろな。俺個人としては、賊として排除しちまっても問題ねーと思うけど」

どんな理由があろうと、流護の中ではミアに刃を向けた時点で万死に値する。

しがらみや面倒な事情がなければ、今すぐにでも再起不能にしてやりたい心境であることは違いない。

「けど……そうなったらなったで、面倒なことになるでしょうしね……」

珍しくうんざりしたような溜息をつくのはベルグレッテだ。

心の広い彼女であっても、連中の態度は腹に据えかねるものがあったようだ。黒剣を腰の鞘へ収めながら、複雑そうな眼差しで荒らされた室内を見渡す。

削れた床板、割れた窓。裏側を見せて横たわる棚、足元に散乱した本や筆記道具。住人の少女と同じように大人しく控えめに整えられていただろう部屋の面影は、もはや欠片ほどもなくなってしまっている。

「でも……あんまりだよ。レノーレの部屋、こんなにめちゃくちゃにして……。レノーレが罪人だなんて、ひどいこと言って」

「……え?」

ぽつりと零されたミアの言葉に、ベルグレッテが呆然となった。

「レノーレが……罪人?」

「そっか、あのロンゲ野郎が寝言垂れてる時はベル子いなかったもんな。いや、それがさ――」

あのスヴォールンが語った内容をそのまま反復する。ミアはそれすら聞きたくないのか、嫌そうな顔でうつむいていた。

「……。これ、見てもらっていい?」

流護の話を聞き終えたベルグレッテが、思案するような面持ちで一枚の封書を取り出す。受け取って広げてみれば、

「……えーと、こりゃ……退学届け?」

「……え……? ど、どうして!? おかしいよ、レノーレが……こんな、どうなってるの!? こんな……こんなの、っ」

横から覗き込んでいたミアは、いよいよ大粒の涙を零して泣き出してしまった。そんな彼女を優しく抱き寄せてやりながら、ベルグレッテは冷静さを失わずに問うてくる。

「どう考える? リューゴ」

「んー……まずこの退学届け、代筆なのな。ウェフォッシュってのは……」

「レノーレが住む屋敷の使用人だと聞いてるわ」

「うーん。まずレノーレがバダルノイスで犯罪者として認定されて、その後に学院《こっち》から『レノーレが戻って来ないんだけど』って連絡受けて……。それを放置してツッコまれるのも避けたかったから、辞める方向でこのウェフォッシュって人に代筆させたってとこか? レノーレ本人は、この退学届けにはかかわってねえ気がする」

スヴォールンらと手紙の到着がほぼ同時であるあたり、この二つの行動にまつわる指示を下したのはそれぞれ別の人物なのか。

「やっぱり……そう考えるわよね」

「そもそもレノーレが指名手配になったっつーけどさ。何をしたんだって話だよ」

「レノーレは……悪いごどなんで、じないよ……」

ずびずびと鼻をすするミアの頭を、ベルグレッテが包み込むように撫でてやる。

そうだな、と同意してやりたい流護だったが、実際に言葉としては出なかった。

(そりゃ、あのカマノッポがあんな寝言垂れた時は驚いたけど……。でも、よく考えたら俺は……)

レノーレという少女のことを、ほとんど何も知らない。

「まあ……とりあえずあれだ。学院長とあの連中の話が終わるのを待ってみようぜ」

今は、それぐらいしか言えそうになかった。