「それで……誰がサベルとエドヴィンくんをこんな目に遭わせたのか、だけど……」

いつもの様子に戻りながらもキリリと瞳を鋭くしたジュリーが、その名を口にする。

「オルケスター、よね?」

その呼称を耳にしたベルグレッテが、何か思案するように目を細めた。

「やっぱ、そうなるんすかね……」

少し時間が経ったことで、流護の心にも考える余裕が生まれてきている。

エドヴィンとサベルの二人が、それぞれ時を同じくして別の場所で無関係なトラブルに巻き込まれた。そんな偶然よりは、一人でいるところを個別に狙われた、と仮定したほうがしっくりくることは確かだ。

そして今現在このバダルノイスにおいて、そんな真似をしてくる可能性がある相手となれば、あの組織以外に心当たりはない。

「実際、ほぼ同時刻にリューゴくんもメルティナの奇襲を受けた。幸いにも撥ねのけることができたから、その程度で済んだだけで」

そう告げるジュリーがピッと指差すのは、綿紗《ガーゼ》に覆われた流護の鼻先。メルティナの一撃で傷を負ったその部分だ。

「それであたしに関しても、きっと同じよね。おそらくサベルを襲った奴は、上手く事が運んだら次にあたしを狙うつもりだったんじゃないかしら」

「でも、サベルと闘ってたら美術館が火事になって、兵士もいっぱい来ちまったから逃げた……って訳か」

「サベルのことだから……敵を逃がさないために、刺し違えるつもりで火を放ったんだと思う。不本意だったはずよ。彼ったら美術品の類が大好きだし、普通なら無関係な人のいる建物に飛び火させたりしないわ」

「それほど……なりふり構ってられないほど相手がやばかった、ってことすかね」

流護にメルティナが宛てがわれたことを思えば、サベルの下に強力な刺客が送られていても不思議はないだろう。さらにエドヴィンに対しても同じような力量の相手が現れていたとしたら、彼のあの手ひどいケガにも納得がいく。むしろ命を拾ったのは奇跡に等しい。

「つか、サベルとジュリーさんってずっと一緒にいたんじゃ?」

「……途中で少しはぐれちゃったのよ。まさか、そこをこんな風に突かれるなんてね……」

さすがに営業中の美術館内で堂々襲撃、は百戦錬磨の二人でも予想していなかったのだろう。

「それで……ベルグレッテちゃんが襲われなかったのは、兵舎にいたから……じゃないかしら」

「そう、なるんすかね……」

いかにオルケスターが強大な闇組織でも、公僕の施設内にいる人間を狙うのは難しいはず。

ベルグレッテの話では、兵舎の聞き込みを終えた頃に美術館火災の一報が入り、兵士らとともに駆けつけることになったという。

「ただ、誰かしらの刺客がずっと隙を窺っていたんじゃないかしら?」

ジュリーの推測を聞いた流護は、背筋が凍る思いだった。

(ベル子はたまたま兵舎にいたから……兵士たちといっしょだったから、襲われずに済んだだけ……)

だとすれば、そんなのは全くの偶然にすぎない。何かひとつ事態が違っていれば、今頃は――

「……?」

その当事者たるベルグレッテに目を向けた流護は、頭に疑問符を浮かべた。

少女騎士はといえば、自分が運よく襲撃されずに済んだことを知って神妙な様子――などということはなく、顎先に指を添えてジッと床を見つめている。

もはや短くない付き合いだ。流護も知っている。これは、彼女が何事か考え込んでいるときの仕草。思えばベルグレッテはこの話題になって以降、黙したまま一言も発していない。

「ベル子先生、何か気になることでもあったか?」

「あ、うん……」

話しかけられてようやく顔を上向けた少女騎士が、さも不思議げに言う。

「どうしてオルケスターは、私たちを襲ってきたのかしら……?」

流護とジュリーは思わず顔を見合わせて、またすぐにベルグレッテへと視線を戻した。

「いや、え? どうして、って……そりゃ、敵同士な訳だし……」

今さら感満載というか、流護にしてみれば、1+1が2になる理由を問われたような心境だった。

オルケスターはキンゾルも所属する闇組織で、今はこのバダルノイスにて暗躍している。残念ながらレノーレ、そしてメルティナも構成員と化している。

当初は実在も不確かな印象だったが、ラルッツとガドガドによってもその存在は証言された。

そんな連中がついに仕掛けてきた、という単純な話のはずだ。

ベルグレッテの疑問に対し、ジュリーが口を開く。

「それは、バダルノイスに協力してるあたしたちが目障りだったからでしょ? 昨日だって、あのレノーレちゃんが『帰れ』って警告してたじゃない。それを拒否したあたしたちを、力づくで排除にかかった……それだけの話じゃないの?」

「排除……」

ジュリーが語る中に出てきたその不穏な単語を、ベルグレッテがポツリと呟く。間を置かず、こう続けた。

「美術館に現れた相手がサベルさんを『排除』しようとしていたのは、状況から考えて疑うべくもないと思います。そうすると不可解なのは、エドヴィンの場合です」

「エドヴィンが? どうしたって?」

ベルグレッテが何に引っ掛かりを感じているのかよく分からない流護は、ただおうむ返しに問う。彼女は即座に応じた。

「エドヴィンは一命をとりとめた。もちろん、私たちとっては喜ばしいことに違いないけれど……敵は、どうしてエドヴィンに止めを刺さなかったのかしら。大騒ぎになって撤退せざるを得なかったと考えられるサベルさんの場合と違って、その猶予は充分にあったはず」

「と、トドメって……いやでも、」

ベルグレッテがあまりにさらっと言うので面食らってしまう流護だったが、指摘されてみれば確かに気になった。

エドヴィンは、道で倒れているところを聖礼式《パレッツァ》帰りの通行人に発見された。つまり、敵は『排除』という目的を果たさぬまま立ち去っていたことになる。

「そうね~……。詳しい状況が分からないから、何とも言えないけど……」

ジュリーが指折り、考え得る可能性を挙げていく。

「実のところは、トドメを刺すような時間的余裕がなかった。息の根を止めたつもりになっていた。……っていうのは、詰めの甘い話よね。あとは……、でもまぁ、そんなところじゃないかしら」

「そう……ですね」

頷いたベルグレッテは、床に視線を落として続ける。

「その場にいなかった私たちに、真実を知る術《すべ》はありません。ただ――」

「ただ?」

何の気なしに先を促した流護は、

「エドヴィンが回復すれば、詳しい話を聞けるようになるわ」

「!」

今さらながらにハッとした。

あのケガでは記憶があやふやな部分もあるかもしれないが、少なくとも何が起きたのか、敵がどんな相手だったのかぐらいは聞き出せるはずだ。オルケスターについて分かることがほとんどない今、貴重な情報を得られる可能性がある。

「だとすると……ちょろっとまずくない?」

そこで声を潜めたのはジュリーだった。

「もちろんエドヴィンくんは、相手の顔や特徴を覚えてるはずよね。それなら……」

「!」

その先は流護にも察しがついた。

――口封じ。

エドヴィンを仕留め損なった敵が、今度こそ息の根を止めるべく再び襲撃をかけてくるかもしれない――。

「ま、これはエドヴィンくんに限った話じゃないわよね。サベルだって同じ。あたしたちにとっては喜ばしいことに、二人は生きてる。けど敵にしてみれば、仕留め損なったってこと。ならきっと、近々また仕掛けてくる……」

危難は去っていない。どころか、これを皮切りに拡大する。瀕死のエドヴィンとサベル。偶然にも難を逃れる形となったベルグレッテとジュリー。ひとまずは退けた流護。

五人ともが依然として的にかけられており、どこから飛んでくるとも知れぬ凶撃を警戒し続けなければならない。

(オルケスター……。くそ、やっぱ俺がメルティナを押さえられてりゃ全然違ったよな……)

重くなった空気に呼応するように、少しずつ室内が暗くなり始めた。もうじき夜が訪れる。この異世界であっても、やはり冬場の昼は短い。

議論を始めて二十分ほどが経過しただろうか。

何やら、玄関口のほうがにわかに騒がしくなった。

「あら、他のお客さんかしらね」

ハッとしたようにジュリーが呟く。

そもそもここは待合室、いつ人がやってきてもおかしくない。邪魔にならないよう奥の席に詰めるため、流護たちが立ち上がった直後だった。

「クク、突然に失礼。お邪魔いたしますぞ」

どかどかと入ってきたのは、鎧を纏った五人の男たち。

うち四人は銀色装備の一般兵。そして彼らを率いてきたであろう先頭に立つ一人は、流護たちの知った顔だった。華美な白の鎧と幅広の黒い外套に身を包んだ、長身痩躯の騎士。美男子を絵に描いたような面立ち、それに似合わぬ寝癖めいたボサボサの長髪。

今朝のオームゾルフとの会議に同席していた、『雪嵐白騎士隊《グラッシェラ・デュエラ》』の一人。

「……ミガシンティーアさん、だったかしら」

その姿を目にしたジュリーが、隠しもせず不機嫌そうに眉を歪める。

「クク、これはこれは。覚えていただいていたようで光栄です。フフ、何せ私の名ときたら、やたらと長ったらしいものですから。よく間違われたり、なかなか覚えていただけなかったりするのですよ、クククク」

喉の奥で鳴らすような、独特の卑屈な笑い方。朝の会議でもそうだったが、どうにもその貴族然とした端麗な容姿に似合わない。

「それで、あたしたちに何かご用? お医者にかかりに来たようには見えないけど」

「ええ。クク、聞けば、お連れの方……男性二名が重傷を負われたそうで。まあ、命があって何よりといったところですが……そこでオームゾルフ祀神長より、お二人を王宮の治療室にお連れしたい……との話がございましてな。こうして迎えに参じた次第なのですよ、ククク」

「!」

耳が早い、というべきか。サベルとエドヴィンの件は、王宮――オームゾルフもすでに知るところであるらしい。

(まあ美術館が燃えちまったりしてるし、そりゃそうか……)

その提案に対して流護たちが何か言うより早く、騎士一行の後からその人物が部屋に入ってきた。

「ミ、ミガシンティーア様……!」

この診療所の主。サベルとエドヴィンを治療してくれたゴトフリー医師である。

「先ほど申しましたように、患者のお二人はようやく落ち着いたところでございます。しかしこの寒さの中、今すぐ王宮までの搬送となりますと、彼らの容態に悪影響を及ぼす可能性が……」

そうして謹直に意見する医師の前にずいと進み出るのは、いかにも堅物そうな兵士の一人だ。

「貴様。一介の医者風情が、オームゾルフ様の決定に異を唱えるか?」

「い、いえ! そ、そのようなつもりでは……」

両者の間に、ミガシンティーアが腕を割り込ませる。どちらかといえば、兵士を抑える形で。

「フ、クク。やめたまえ。その『一介の医者風情』は、人体の専門家なのだよ。彼がそう言うのだから、そうなのだろう。クク……いやむしろ、私も医師殿と同意見なのだがね」

絶やさぬ笑みを漏らしながら、ミガシンティーアはゴトフリーと流護たちを交互に見やる。

「ただ……オームゾルフ祀神長が患者を王宮に移送したがるのにも、それなりの理由がありましてな、フフ」

「理由、でございますか……?」

重篤患者を今すぐ動かそう、という行為に何の意味があるのか。人体の専門家としては、抱いて当然の疑問だったろう。不安げなゴトフリー医師を横目に、ミガシンティーアは流護たちを流し見る。

「ケガをされたお二人……そして、ここにいるリューゴ殿らお三方。貴方がた五名は、不貞の輩……オルケスター、といったかな? そんな連中に狙われている――と、オームゾルフ祀神長は推察しておられる」

白騎士一行を除く、この場の全員が息をのんだ。

無論、単純に物騒な事態に絶句したであろう医師と、ある程度の議論を重ねた流護たちで、驚きの方向性は異なる。

(オームゾルフ祀神長も……そこまで考えたのか)

彼女もまた、流護たちと同じ結論に行き着いていた。そのうえ、

「……なるほど。それであなたたちは、あたしたちを『保護』するためにやってきてくれた……ということかしら」

「フ、クク。有り体に言うならば、そうなりますな」

ジュリーの言葉に、ミガシンティーアが喉を鳴らしながら首肯した。

「クク、では早速だが準備に取り掛かってもよろしいか?」

現在進行形で、流護たちは狙われている。

街外れにある小さな診療所より、強固な宮殿内のほうが安全であることは言うまでもない。ありがたく厚意にあずかるのが吉――と、誰もが思うだろう。

「申しわけございません、ミガシンティーア殿。誠に勝手ながら、そのご提案……本日のところは、辞退させていただけますでしょうか」

皆が、その声の主に注目した。

兵士たちはもちろん、ミガシンティーアまでもがやや虚を突かれたという顔でキョトンとしている。

「フ、クク。ええと確か、お名前は」

「ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します、ミガシンティーア殿」

兵たちが予想もしないだろう返答を口にした少女騎士は、見本ともいうべき美しい所作で一礼する。

「クク、そうでした。ご丁寧にどうも、ベルグレッテ殿。フフ、私に負けず劣らずの長いお名前ですな。フフフ。して今ほどのお言葉についてですが……ご友人がたを移送する必要はない、と?」

「はい」

即応したベルグレッテは、胸に手を当ててうつむきがちに続ける。

「我らはオームゾルフさまにお招きいただき、此度の事件解決の一助となるべく馳せ参じた身。にもかかわらず、成果らしい成果を挙げることができておりませぬ。レノーレに関する有力な情報も提供できず、昨日《さくじつ》はメルティナ氏とレノーレを取り逃がし、本日は気晴らしにとお勧めいただいた街の観光の果てに、このような始末……。さらに不貞の輩より匿っていただくなど、あまりに申しわけが立たぬというもの……」

確かに考えてみりゃひでーな、と流護は心中で密かに落ち込んだ。

(バダルノイス側から見りゃ、俺ら何の役にも立ってねぇよな……)

しかしオームゾルフとしても呼んでしまった手前、無下に扱えない。一国の主としての体裁というものがある。気を遣わせている。この辺りの事情は、昼食時の話題にも出ていた。

(いや、なんつーかマジ申し訳なくなってきますねこれは……)

レノーレたちは確保できない、自衛のためとはいえ石畳を割ったり美術館を炎上させたり。そんな連中を今度は刺客から守ってくれようというのだから、ただただ低頭するのみである。

だが――

(でもベル子、どういうつもりだ……?)

事態は深刻なのだ。

サベルとエドヴィンは瀕死、敵はいつどこから襲ってくるか分からない。

面目を気にしている場合ではない。助け船を出してくれるのなら、乗っておくべきだろうと流護には思える。

そこで口を開いたのは、先ほどゴトフリー医師に対し威圧的だった強面の兵士だ。

「お気になさる必要はありますまい。オームゾルフ祀神長は、そのような些事を責める方ではござらぬ」

ベルグレッテはにっこりと頷いた。

「ええ。きっと、オームゾルフさまならば左様なのでしょう。しかしこれは、我々の思いの問題なのです。少しばかり、頭を冷やすためのお時間をいただけませぬでしょうか……」

「いや……、しかしですな。あなた方は命を狙われ――、!」

強面兵の反論を遮ったのは、彼の眼前に差し出された長い腕。

「フ、クク。良いでしょう、ベルグレッテ殿。承知した。では、我々は引き上げさせていただく」

「ミ、ミガシンティーア殿!?」

兵の抗議めいた声もお構いなし、変わらぬ薄笑みの白騎士があっさり承諾した。

「クク、当人が良いと言うのだ。我々が無理強いすることではあるまいよ」

あっさりと踵を返して歩き出すミガシンティーア。

「お、お待ちを! これはオームゾルフ祀神長の命ですぞ! いかに貴方といえど軽々に……!」

と、強面の兵士が彼の肩を掴んだ瞬間だった。

ぐるん、と凄まじい勢いで振り向いたミガシンティーアが、至近距離で彼を見下ろす。額と額がくっつきそうなほどの距離。白騎士の端正な顔からは、ここまで常に浮かんでいた薄ら笑いが消失していた。

「――貴様。一介の兵士風情が、このミガシンティーアの決定に異を唱えるか?」

場が静まり返る。

空気が凍った、と表現すべきほどに。

「い、え……自分は、その……」

強面兵がよろめきながら表情と声を引きつらせた直後、

「フ、クク。……とまあ、このように凄まれては、誰しも良い気はしないものだろう? 先ほどの医師殿も、今のお主と同じ心持ちであったろうなあ~。フ、フフ、フフフフフフフフフフフフ……! 驚いたか? ん? 驚いたのか? い~い顔をしていたぞ? くふ……ボフッ! ブフッ! フヒヒヒウフフフフカカカカカカ……!」

たった今の鬼気迫る剣幕は、夢か幻か。

肩を揺らしたミガシンティーアは、さも楽しげに喉の奥で含み笑った。悪戯を成功させた子供のように。

そのやり取りを目撃した流護は、つい乾いた笑いを漏らしそうになる。

(……、この人……ただのイロモノじゃねぇな……)

あの一瞬の殺気。思わず咄嗟に身構えかけた。ベルグレッテやジュリーも同じだったようで、場にやや緊迫した余韻が漂う。

「クク、オームゾルフ祀神長には私自ら報告しておく。お前たちの落ち度にはならんさ、フフ」

もはや意見する者もない。兵士たちは、一言たりとも無駄口を叩くまいといった面持ちで押し黙っていた。

「クク、それではお客人がた。しばらく氷輝宮殿《パレーシェルオン》には戻らぬつもりかな?」

兵士らの緊張などどこ吹く風とばかり、にこやかに話を振ってきた白騎士に、少女騎士が応じる。

「……はい、ひとまず今夜のところは。近日中には、本日の非礼のお詫びも兼ねてご挨拶に伺います」

「左様か。クク、まあ気になさることはあるまいよ。客室もお貸ししていたであろうし、好きに出入りなさると良い。オームゾルフ祀神長も外出されることは稀な身ゆえ、いつでもお会いできましょうぞ」

「はい、お気遣い感謝いたします」

「クククク、では失礼する」

そう言い残したミガシンティーアを先頭に、兵士一行はゾロゾロと待合室を出ていく。彼らを見送るためだろう、ゴトフリー医師が慌ててその後についていった。

そうして、部屋に残るのは先ほどまでと同じく流護、ベルグレッテ、ジュリーの三人だけとなった。