It's all one flower.
0190. The tragic situation in the southern territories
ラクエウス議員を団長とする調査団は、ラキュス湖の東岸沿いに点在する街のひとつひとつに降り立った。
キパリース市とリストヴァー自治区の間には、小さな街が点在する。「市」と呼べる規模の街は、ネモラリス領最南端のゼルノー、マスリーナ、クルブニーカだけだ。
半世紀の内乱では、多くの都市が夥(おびただ)しい死者を出した。
その「死」を糧(かて)に魔物が蔓延(はびこ)り、滅びた都市も少なくない。再興しようにも、魔物を全て排除するのは困難だ。
キパリース市以南は、小さな街でさえ空襲を受けた。
街を魔物から守る防壁を破壊され、ほんの数発の爆弾で壊滅的な被害を受けた所もある。
住人が避難し、ゴーストタウン化した街が幾つもあった。
その周辺の街は、避難民と地元民の軋轢(あつれき)で、物心共に疲弊(ひへい)する。
大都市では、防壁の維持に必要な魔力は不足しがちだが、個々人の持つ【魔除け】と、その人々の暮しの活気が魔物を遠ざける。
忌々しいことにリストヴァー自治区でさえ、その周囲を魔法の壁で囲われる。
小規模な街では、荒野と人の生活圏を隔てる防壁は命綱だ。
死者から回収した【魔道士の涙】で防壁の【結界】【魔除け】などを強化する。
噂では、避難民の老人を殺害して【魔道士の涙】を補充した所があると言う。
調査団には、真偽を確認する時間も権限もない。ラクエウス議員は、そのようなことがあっても、なんら不思議のない空気を感じた。
力ある民でも、他の街を知らなければ、安全な場所へ【跳躍】できない。
空襲の最中(さなか)、西岸の都市から東岸へ【跳躍】で逃(のが)れた者もある。だが、爆撃がほぼ同時刻に行われた為、結局、命を落とした者が多かったとの報告も上がった。
同様に、東岸から西岸への【跳躍】もあったことだろう。
あの日、ネーニア島北部や、ネモラリス島へ避難できた者の把握も、遅々として進まない。
空襲を免(まぬか)れた都市に避難民が集中し、収容しきれなかった人々が巷(ちまた)に溢れる。
避難所外の人々は遠縁や知人を頼り、国内を転々とした。かつてひとつの国だったラクリマリス領へも流出する。
親を失い、近くに居合せた大人の厚意で避難できた子供には、乳幼児も多い。
避難所に身を寄せられた子供は、当局が把握し、優先的に保護を進める。
巷に溢れた避難民の子は、人身売買の商品にされる惧(おそ)れがあるが、対応は後手に回った。
売人が「ウチの子です」と言えば、乳児には否定できない。
売られた子供が、力ある民ならまだマシだ。
それなりの魔力と頭脳があれば、癒し手として大切に育てられるだろう。
【飛翔する梟(フクロウ)】や【青き片翼】などの医術を修めた者は、子孫を残すことを許されない。その為、我が子を呪医にする親は少ないが、魔法文明社会にとって、呪医は必要だからだ。
力なき民の子供が、売られた先でどう扱われるか、知れた物ではない。
既に海外へ売られたとの情報もあるが、戦時下ではどうしても対応が後手に回ってしまう。
……邪悪な魔法使い共が。
ラクエウス議員は、街の代表者や陳情者の話に臍(ほぞ)を噛んだ。
報告書はどんどん厚くなる。
湖で魚を獲れる者が居る街は、食糧問題に限っては幾分かマシだ。それでも充分とは言えない。【漁(すなど)る伽藍鳥(ペリカン)】学派の術者が魔物に襲われる危険性もある。
特に被害が酷い南部の都市は、立入制限区域に指定された。
リストヴァー自治区以外でも、逃げ遅れた被災者の生き残りがまだ居る筈だ。
この一カ月の間にどれ程の命が失われたのか。
魔物や自然の寒さだけでなく、飢え、病(やまい)、傷、【魔道士の涙】目当ての殺害、軍が魔法で起こした嵐など、人の命が失われる理由は幾らでもある。
南下するに従い、調査団の表情が沈んでゆく。
どこも罹災者(りさいしゃ)で溢れ、キパリース市以南で孤立した住民を他へ移送することさえままならない。
「せめて、この子だけでも……!」
懇願されても、調査以外の権限を与えられなかった彼らには、必要な物資の聞き取り程度しかできないことが歯痒かった。
「役立たずッ! 税金泥棒ッ!」
「火事場の物見遊山(ものみゆさん)かよッ! 人でなしッ!」
「食いモン、何かもってんだろ? なぁッ?」
どんなに詰め寄られても、待って欲しいと宥(なだ)める他なく、調査団員の精神的な疲労は募(つの)る一方だ。
更に悪いことに、南へ行くに従って魔物が実体化した「魔獣」の数が増えた。日中でも活動し得る肉体を備えた確固たる存在だ。
魔物や魔獣に蹂躙(じゅうりん)され、生存者の居ない集落が幾つもあった。
小型の魔獣は、同行する力なき民の兵が銃で処理できたが、大型の魔獣からは逃げるだけで精一杯だ。弾薬にも限りがある。
武器を持たぬ国民がどれ程、魔獣の餌食になったか把握すらできない。
魔物や魔獣の対策をしなければならないが、軍は戦争に手を取られる。
ラクエウス議員は軍用機が離陸すると、部隊の再編が可能か、護衛の隊長に質問した。
隊長は、眼下で蠢(うごめ)く化け物どもから目を離さず、歯切れの悪い答えを寄越した。
「上に報告は致しますが、我々は末端ですので……」
「うむ。では、個人的な予測だけでも聞かせてもらえんだろうか」
隊長は、隣でシャッターを切る民間人のカメラマンをチラリと見て、ラクエウス団長に顔を向けた。
「個人的には、生存者がいる所に防衛線を引き、あれを街に入れないことが、現状では最善かと存じます」
「何故だね?」
「魔物対策に割(さ)ける兵員が少ないので。そんな小規模な討伐隊を場当たり的に投入しても、損害が拡大するだけです」
「……ふむ」
ラクエウス議員は、その言葉で現状に思いを巡らせた。
孤立した住民を移送し、受け容れられる余力のある都市は、国内にはない。
ネモラリス島のギアツィント港には避難民が殺到し、そこからネモラリス島内各地に移送したのだ。
ネモラリス中央政府は早い段階で、ネーニア島とネモラリス島間の航行を制限した。魔法使いでも、知らない場所へは術で移動できない。ネーニア島北部は、避難の船を待つ国民で溢れた。
ラクリマリス王国による湖上封鎖で、食糧の輸入もままならない。
東のアミトスチグマへの航路が命綱だが、大陸の王国は遠かった。
アミトスチグマをはじめ、ラキュス湖東地方の国々は静観を決め込み、何事もなかったかのように貿易だけは続ける。
外交官は未だ召還されないが、ラクリマリス王国のような救援物資の供出や、避難民の受け容れの申し出もなかった。
湖南地方の争いに首を突っ込みたくない、と言う気持ちはわかる。
湖東地方の国々からは、この戦争がほぼ内輪揉めに見えるだろう。
それでも、ラクエウス議員は、人道的支援を一切申し出ないのは、如何(いかが)なものかと思った。
「……住民が取り残された街に守備隊を送るしかないのか」
「現状維持くらいしか……」
「何だありゃッ?」
突然、カメラマンが声を上げた。日之本帝国製の最新式カメラに持ち替え、大砲のようなレンズを限界まで寄せる。
「何が見えた?」
「わかりません」
隊長の問いに短く答え、シャッターを切る。
デジタル一眼レフのプレビュー画面を覗いた顔が、見る見る青褪めた。
「おいッ、どうしたッ?」
隊長が声を荒げた。