朝の五時。ハリー・ベンジャミンの引退ライブ当日。
ハリーが尊幻市を根城にしてからというもの、一度としてライブは行われていない。レコーディングや撮影等で尊幻市の外に出る事はあったが、全て秘密裏に行われたし、刺客に狙われないように、素早く移動を済ませていた。そのタイミングを狙って刺客が送られた事もあったが、全て逃げきるか返り討ちにしたからこそ、ハリーは今も生存している。
しかし人が沢山集まって、目立つ場所に立つライブなど、的になるような愚行だ。
そんなハリーが、引退ライプを開くとあって、世界中から大勢のファンが、この無法都市へと殺到している。余計に暗殺者が忍びやすい状況である。
ハリーはホログラフィー・ディスプレイを大きく広げ、とある町を映し出していた。
『懐かしいねー。でも建物ちょっと変わってるー』
ケイシーが画面の中の町を見て、表情を輝かせる。かつて自分が住んでいたゴミ収集場の近くにあった町である。
二十年以上前から、町そのものをギャングに支配させている。重税を化し、町の住人達は奴隷のように扱われる状態だ。
特にかつて自分を虐げていた者達は拘束し、延々と虐げ続けている。
自分をいじめていた悪童達とその家族には、身の毛もよだつ拷問を加え続けていた。ロジャーを殺した者達も、拷問の末に突き止めた。町を出ていった者もいたが、足跡を調べあげて全て拉致して町に連れ戻し、拘束監禁した。
人さらい連中も、元締めのマフィアまで調べて、構成員全員拘束監禁し、毎日拷問し続けている。何人かは衰弱して死んでしまったが。
ケイシーを殺した地主の息子とその家族に至っては、最も苛烈な拷問を与えた結果、発狂してしまった。
難民に親切にしてくれた者とその家族だけは解放した。それらをハリーはちゃんと覚えていた。
ディスプレイを消し、窓のカーテンを開き、外を見る。
「今日、俺の人生がやっと終わる――か。まだ実感わかねーや」
城の一番高い部屋から、朝日に包まれる尊幻市を見渡して、全裸のハリーは目を細めながら呟く。
『ハリー、死ぬの今からやめてもいいと思うよ。ハリーが生きていてほしいって思う人の方が、多いと思うよ』
ケイシーが声をかけてくる。
「ケイシー、お前も少し大人になったか?」
四十年以上前から全く変わらぬ姿で目の前に現れるケイシーを見て、ハリーは微笑む。
『大人? 成長したってこと? んーとね……どう伝えたらいいかわからないけど、きっと成長してるよ。だって、ハリーのことずっと見てきたから、そこでいろいろ考えられるようになって、成長してるはずよ』
「そんな気はした。あるいは……」
自分の妄想の産物だからこそ、自分の心に合わせてケイシーも歪んでいるのかもしれないと、ハリーは考える。
ノックの音がする。
「V5です」
「入れ」
入室したV5はいつもの仮面を外し、マントも取っていた。ハリーと同年代の、頬がこけて目の下に大きなクマのある、冴えない初老の白人男性の姿がある。
「全ての準備が整いました。で……最後くらいはこうして素顔で接したいと思いまして……」
はにかみ、頭をかくV5。
「いいサプライズだよ、ヴィンセント」
ハリーが嬉しそうに微笑み、彼の本名を呼ぶ。
「二十年以上もお前の素顔を見なかったから、やたら老けこんじまって見えるぜ」
「出会った頃は三十代でしたしね」
「お互い歳取ったもんだ。お前には最後まで面倒かけちまったな」
「いえ……貴方との出会いで、私は息を吹き返し、潤いのある人生を送ることが出来ました」
「遠く長い旅をしてきたように思えるよ。そしてお前は……別に常に一緒にいたわけじゃあないが、それでも俺はお前の事を、共に旅してきた仲間だと勝手に思ってるよ」
「勿体無いお言葉……」
照れくさそうに告げたハリーの言葉に、V5は目頭が熱くなり、必死に涙を堪えなくてはならなくなった。
「仮面つけてもいいぜ」
「お言葉に甘えて……」
V5の様子を見たハリーが微笑みながら促すと、V5はそそくさと仮面を被った。
***
朝早くから始末屋達六名が集まって、本日のライブの打ち合わせを行っていた。
プルトニウム・ダンディーの四人とアドニスとカバディマンは、最も重要な舞台周辺の警護につく予定である。
「狙撃されたらどうするつもりなんだ? しかも町の中を移動とか、防ぎようがない」
アドニスが心なしか投げやりに言った。ライブ会場の狙撃を防ぐのも大変だが、町を移動するなど正気の沙汰では無いと、アドニスは思っていた。
「それなら俺の黒手で自動的に防げるよ。だからハリーさんへの狙撃は俺が対処する」
克彦が申し出る。
「ああ……そうだったな」
アドニスは以前、克彦と交戦しているので、黒手の能力は知っている。
「しかし克彦が雇われていなかったら、どうするつもりだったんだ?」
アドニスがさらに疑問を抱く。
「どうも俺の能力のことまで聞きつけて依頼してきたみたい。どこでバレたんだか……」
「なるほど」
克彦の話を聞いて、アドニスは納得した。
「問題は俺が亜空間トンネルの中にいる状態からの黒手操作は、俺が外にいる時と比べて性能が落ちてしまうから、俺自身がどこまで舞台に近づけるかなんだよな」
克彦としては、ハリーになるべく接近した状態が望ましい。
「おっと、そんなの簡単な話ですよっ。スタッフの振りをして堂々とステージの上にいればいいんです」
「あ、そうか……」
プリンを食べている怜奈に言われ、頭をかく克彦。
「というか、何で今プリン食べてるの?」
「朝食ですけど?」
克彦の問いに、事も無げに答える怜奈。克彦はそれ以上追及するのはやめた。
「目の毒だな」
怜奈の食うプリンを見て、アドニスが顔をしかめる。
「えっ!? 私!?」
「違う。お前等の食っているものだ」
顔を赤らめて驚愕の叫びをあげる怜奈に、アドニスが言った。
「こう見えて、俺は甘いものに目が無いんだ。しかし知り合いの殺し屋が糖尿病になってな……。そいつもかなりの甘党だった。それを見て俺もヤバそうな気がして、甘いものを控えることにした」
「なるほど。じゃああっち向いててくださいっ」
アドニスの話を聞き、怜奈が言う。
「いや、もう一度見たしな。それに週にスィーツを解禁する日をちゃんと決めてある。それを楽しみにしている」
「死亡フラグかな?」
おかしそうに微笑む来夢。
「スィーツくらいで死亡フラグになるなら、俺は何度死んでるかわからん」
来夢の台詞が何故かツボに入り、アドニスは笑みをこぼす。
「克彦が要となる主天使か。克彦がハリーを護り、俺達は克彦を守る意識で臨むのがいいか?」
と、エンジェルが、アドニスと来夢を交互に見て確認する。プルトニウム・ダンディーのボスは来夢であるが、この六人の始末屋チームのリーダー格はアドニスという認識が、皆の間で自然と出来上がっていた。
「それは意識半分くらいに留めておけ。必ずしもその形にするという具合に固執しなくていい。例えば克彦だけでは手が回らない状況に入ったら、誰かがカバーに入る必要がある。状況に応じてフレキシブルに対応しろ」
「それくらいできる。始末屋としての経験値は、俺はエンジェルにも怜奈にもアドニスのおじさんにも劣るけど、臨機応変くらいはできる」
来夢はアドニスの指示が、自分を信用していないのではないかのように聞こえ、少しムキになって主張する。
「それならいいがな。アドリブが利かせられず、決められた事しかできない奴の方が、世の中には多いんだ。だから釘は刺す」
「それはわかる。でもそんな風に見られたくない。それに、それができない人間だったら、釘を刺しても無意味」
「お前の方が俺より考えた方がシビアかもな」
ごもっともな意見を述べる来夢を見て、アドニスが言った。