Raydor Holy Sword War Journal
91. Counterfeiting and Decriminalization
「あ、アンジェリカ・イルカス!?」
「どうして彼女が……! 生きていたのか!?」
アンジェリカ・イルカス――イルカス子爵家は帝国に降伏することなく抵抗して、その末に滅ぼされた貴族家である。
イルカス子爵家の人間は一人残らず戦死したと報告を受けており、目の前のアンジェリカはその場にいる者にとって幽霊のようなものである。
「こ、これはこれは、アンジェリカ嬢。まさか生きていたとは……これはめでたい!」
カルシファー伯爵はやや緊張した顔つきでアンジェリカに声をかける。
アンジェリカは息子であるブラッド・カルシファーと婚姻するはずだった相手。つまり、カルシファー伯爵にとっては娘になるはずだった令嬢である。
生きて目の前に現れたアンジェリカに、やや引きつった複雑そうな目を向ける。
「……伯爵様も。随分とお元気そうで」
「っ……!」
ゆらりとアンジェリカが伯爵に向き直り、右目だけでその顔を見やる。
幽鬼のように生気を失った眼差しに、伯爵は責められているような錯覚を受けて背筋を震わせた。
イルカス子爵家が帝国に攻め込まれた際、カルシファー伯爵家に援軍の要請が送られてきていた。
しかし、伯爵は援軍要請を断り、盟友であるはずだった家を見捨てて帝国に寝返っている。
後ろめたさからアンジェリカを直視することができず、伯爵は背中に汗を流した。
「イルカス子爵……お父君のことは本当に残念だった! 彼は本当に実直で、真面目な人間だった。それがこのようなことになってしまって……助けられなくて申し訳ない!」
「…………」
アンジェリカは無言のまま、伯爵の謝罪に応えない。
黙りこくっている令嬢に、パーティー会場にいる他の来客からもざわつきの声が上がった。
気まずい空気が会場を凍らせる中、アンジェリカの肩を叩いてブラッドが前に進み出てきた。
「父上、今日はこの場を借りて大事な発表があります。本日、私とアンジェリカは結婚をして夫婦になりたいと思います!」
「なっ……!?」
息子の口から放たれる突然の爆弾発言。伯爵は目を見開いて、あんぐりと口を開けた。
「ま、待て待て待て! 何を突然……!」
たしかにアンジェリカはブラッドの婚約者だった。
帝国との戦争が起こらなければ、二人は結ばれて夫婦になっていたことだろう。
しかし、それとこれとは問題が違う。戦争が起こる以前とは事情が違うのだ。
(何を考えている、ブラッド! まさか状況がわかっていないのか!?)
伯爵は奥歯を噛みしめて、血走った眼で息子を睨みつける。
イルカス子爵家は帝国に最後まで抵抗した家。そして、カルシファー伯爵家は帝国に寝返った家なのだ。
もしも無事にレイドール軍を撃退した後、アンジェリカを匿ったことが帝国に露見したら、印象を悪くしてしまうかもしれない。
百歩譲って屋敷に置いておくだけならば捕虜として捕らえていたと釈明できるが、ブラッドと婚姻させてしまえばそんな言い訳も通らなくなってしまう。
「ま、まあ待て。ブラッドよ。アンジェリカ嬢が無事だったのは嬉しいことだが、今は……」
「無事だった……? 伯爵様の目には私が無事なように見えるのですか?」
一足一眼となっているアンジェリカがポツリとつぶやく。
背筋に氷を投げ込まれるような言葉に、伯爵はビクリと肩を震わせる。
「グッ……い、いや。それは言葉の綾で……」
「いいえ、構いませんとも。父と母。兄と弟。命すら助からなかった者達と比べれば、たかが目玉の一つに脚の一本など些細なケガでしょう」
「い、いや……そういうつもりで言ったのでは……」
「いい加減にしてください! イルカス子爵令嬢!」
失言に声を震わせている伯爵をかばうように、キルギス男爵がアンジェリカの前に進み出てきた。
「今はレイドール・ザインを打ち破るための戦勝会の最中なのだぞ! 恨み言が言いたいのであれば後で聞いてやる! 場をわきまえよ!」
キルギス男爵は家格でいうとイルカス子爵よりも下にあたるため、たとえその娘が相手であっても声高に非難できるような立場ではない。
しかし、すでにイルカス子爵家は滅んでいる。既に存在しない家など恐れることはない。
キルギスは自分よりも上位の貴族を公然と批判できることに歪んだ悦びの表情を浮かべ、アンジェリカに指を突きつけて声高に当たり散らす。
「ほう? 国王陛下の命によって派遣されたレイドール殿下を打ち破る……これは異なことをおっしゃる」
そんなキルギスに対して、アンジェリカは冷然とした眼差しで見返した。
「我らはザイン王家により家と領地を与えられた臣下。それがどうして、王族に矛を向けることにつながるのでしょうか?」
「馬鹿な、このご時世に何を時代錯誤なことを言っている!」
キルギスは嘲弄に鼻を鳴らす。
彼らが王家から領地をもらったのは百年以上も前のことである。
どうしてそんな遥か昔の恩義のために、命を賭けて帝国と戦わなければいけないというのだろうか。
「そんな古臭いことを言っているからイルカスは滅ぼされたのだ! カビの生えた忠義を後生大事に抱えたまま滅んだ無能貴族が、我らに偉そうに説教をするなど笑止!」
「…………」
「なっ……!」
キルギスが放った言葉の刃。それに反応したのはアンジェリカではなく、横で様子を見守っていたカルシファー伯爵であった。
伯爵はなぜか顔を蒼褪めさせてキルギスへと詰め寄った。
「口が過ぎるぞ、キルギス! 言葉を改めよ!」
「は、伯爵様?」
「今すぐアンジェリカ嬢に謝罪をせよ! さもなくば……!」
予想外の方向から入った詰問にキルギスは目を丸くさせる。
キルギスはむしろ主家であるカルシファー伯爵をかばうつもりで間に入って、アンジェリカを糾弾したつもりだった。それなのに、どうして自分が責められているのだろうか。
そんな疑問を顔に浮かべるキルギスであったが、すぐにその理由を悟ることになる。
自分が決して近づいてはいけない地雷を踏み抜いてしまったことを。
「カビの生えた忠義……? それはイルカス家に言ったのか?」
先ほどまでまるで生気のなかったアンジェリカの単眼に妖しい光が宿る。
「ま、待て! アンジェリカ嬢……」
伯爵が慌てて仲裁の言葉を吐こうとする。
しかし、それよりも速くアンジェリカが動いた。
「フッ……!」
真っ白なドレスの裾がふわりと翻る。
大きくはためいたドレスの下から現れたのは白い脚と金属製の義足。そして、足に結びつけられた細い短剣であった。
アンジェリカが目にも止まらぬ速さで太腿に付けられた短剣を引き抜き、アイスピックのように細い先端をキルギスの腹部へと突き刺した。
「がっ……!」
「裏切り者の逆賊めが……滅びよ!」
「っ……!?」
アンジェリカが手にした短剣に魔力を込める。
瞬間、断末魔の悲鳴すら上げることも許されずキルギスの身体が破裂した。
まるで身体の内部に爆弾でも入れられたかのように、キルギスの血が、肉が、骨が、体内のあらゆる臓器と体液が瞬きほどの間に周囲にぶちまけられた。
「うわああああああああああっ!?」
「ひいいいいいいいいいいいっ!?」
「な、なんだっ!? 何が起こったんだ!?」
先ほどまで談笑していたはずの男が一瞬で消し飛んでしまった。その事実に、パーティー会場のあちこちから悲鳴が上がる。
間近でキルギスの肉片を浴びてしまったカルシファー伯爵など、恐怖と驚愕からその場に尻もちをついてしまった。
「あーあ、僕の婚約者を怒らせるから」
悲鳴と怒号が飛び交うパーティー会場を見て、ブラッドが他人事のように軽い口調でつぶやいた。
そんな婚約者を横目で一瞥して、アンジェリカが短剣を持っていない側の手で顔を覆う。
「ああ……やっぱりこいつらはクズだ。こんな奴らが貴族を名乗っているから、私の家族が帝国に殺されてしまったんだ」
アンジェリカはウェディングドレスのような白い衣装を真っ赤に染めて、カツンと義足で床を叩いて音を鳴らした。
「裏切り者は殺す。王国に仇なす者は殺す。それが国境守護を担うイルカス家の仕事であり、存在意義(レゾンデートル)である」
断罪の言葉を吐き捨てて、アンジェリカは血の付いた指先でそっと唇をなぞる。
まるで口紅を引くように血で化粧を彩って、イルカスの『虐殺姫』と呼ばれる令嬢は、処刑の始まりを宣言したのであった。