Tanaka family, reincarnated.

The shape of a demon.

白いご飯。

醤油or味噌を使った魔物肉料理。

温泉。

「皇国……最高……もう、移住したいかも……」

おにぎり片手にエマは呟く。

「それも良いかもね」

エマの呟きにレオナルドが答えると、家族全員もたしかに……と頷いている。

「エマ様、お茶が入りましたよ」

ヨシュアがそっとエマにお茶を渡す。

王国とは違った緑色のお茶に初めは驚いたものの、エマが美味しそうに飲んでいるのを見たヨシュアは、直ぐに茶葉を買い、淹れ方を覚えた。

「ありがとう、ヨシュア。ヨシュアが淹れてくれたお茶って美味しいのよね! 何か違うのかしら」

右手におにぎり、左手に湯飲みを持ってエマは嬉しそうに笑う。

夢にまで見たお米が皇国に来て食べ放題とまではいかないものの、一日一食は食べられるのだ。

「エマ様、気に入ってもらえて僕も嬉しいです! なんなら毎日だって淹れて差し上げます」

ヨシュアのお茶が美味しいのは、食糧難の皇国で手に入れられる最高級の茶葉を使い、完璧なマニュアルのもとで淹れられ、エマの好みの温度にドンピシャで合わせたタイミングで提供されるからである。

エマの笑顔のためならばお茶を淹れることすら手を抜かない。

その努力を気取らせない。

いつか、ヨシュアなしでは生きては行けないと思われるまで、いや、思われたとしても更にヨシュアの甘やかしは続くのだ。

「ふふふ。ヨシュアったら、面白いこと言うのね」

だが、その端から見ればあからさまな態度やセリフも、悲しいまでにエマには届かない。

前世で命を落とした三十五歳まで結婚もせず逞しく生きてきた田中港ことエマは手強かった。

「エマ様……天使……」

そして、数々のヨシュアの努力はエマが一回笑うだけでお釣りが来るほどの幸せを彼に与えるのであった。

「和むなーーーー!」

外交官として同行していたオリヴァーが叫んだ。

既にオワタを倒して一ヶ月が過ぎていた。

目的を達したのだから、一ヶ月前に王国に帰ることができた筈なのに一家はのんびりと皇国に居座っている。

「………………ああ、オリヴァー。 いたの?」

気付かなかったと言わんばかりにメルサが首を傾げる。

「ずっといただろ!? オワタを倒してどれだけ経ってると思う!? もう、今すぐ王国へ帰ったとしても社交シーズン終わってるぞ!!」

サクッと一家がオワタを倒したものだから諦めていた今年の社交が叶うかもしれないと思っていたオリヴァーは期待が外れ、イライラしていた。

帝国の使者や商人がこぞって王国に来るこの時期は、王国貴族にとって帝国との繋がりを持つ格好の機会であった。

帝国人との交流が巧くいけば、相場より安く綿を手に入れられる可能性がある。

そうやって手に入れた綿は王国が買い取ってくれるのだ。

ちょっとした小遣い稼ぎができ、地方の領主も苦しい財政を補填すべく王都へ集まるので社交シーズンは人がゴミのようだと言いたくなるくらいには人口が増える。

「そんなに言うなら一人で帰っても良かったんだぞ? オリヴァー」

レオナルドがエマの作ったフリーズドライな味噌汁の試食をしながら、オリヴァーに声をかける。

「一人でおめおめと帰れるか!? 私が皇国に馴染めずに耐えきれずに逃げたと思われるだろう!」

「…………辛かったら帰ってもいいのですよ?」

皇国に来てから二ヶ月でげっそりと痩せてしまったオリヴァーの肩にゲオルグがポンと手を置く。

周りは言葉の通じない皇国人。

スチュワート家が話せるなら自分だってできると意気込んでいたオリヴァーに現実は厳しかった。

どれだけ皇国にいて、どれだけ皇国人に囲まれ、どれだけ皇国語が行き交っても理解なんて程遠い。

たった一語ですら、覚えられなかった。

「だから、何故お前達は帰らないのだ!?」

王都が無性に恋しいオリヴァーはホームシックに罹っていた。

「不味くはないが、食べ慣れない食事。建物に入る度に靴を脱ぐ奇妙な習慣。夜な夜なショキショキうるさい何か。王国より国土の狭いせいで魔物が出ないかという不安……とかはないのか!?」

我慢に我慢を重ねてきたオリヴァーの不満が爆発した。

しかし、オリヴァーは皇国に来てから特に何もしてはいない。

「皇国のご飯……最高に美味しいですよ?」

ウィリアムがおにぎりの具の梅干しに口をすぼめながらオリヴァーに答える。

「え? 靴脱ぐ方が衛生的だと思いますけど……」

メルサも二つ目のおにぎりに手をつけながら答える。

「「魔物が身近にいるのは普通だろ?」」

レオナルドとゲオルグが3つ目のおにぎりに手をつけながら答える。

「なんなんだこの無神経な家族は!? おい! 商人!? お前だって早く帰りたいだろう!? 社交シーズンによく王都を出られたな!? こんな皇国で油売っている場合か?」

王都よりのびのびと暮らすスチュワート家では話が通らないとオリヴァーがヨシュアを見る。

「……え? まあ、今年の帝国の綿は品質最悪で、しかも価格が高騰していると事前に情報を掴んでましたから……。物々交換で絹を渡せなんて帝国の言われるがままにしていたら大損していたでしょうし……。その様子ではオリヴァー様は王都に居なくて正解だったと思いますけど……まあ、僕はエマ様が側にいるならどこだろうと幸せです」

キリっとエマの隣に陣取っているヨシュアが答える。

王子というライバルがいない今こそ出し抜くチャンスなのである。

「オリヴァーおじ様……そのショキショキっていうのくわしく教えていただけますか?」

ヨシュアの口説き文句を完全スルーしたエマがオリヴァーの文句に興味を持っている。

オワタを倒してからも、いまだに皇国の民はエドに留まっていた。

家屋の大半はオワタの種のせいで倒壊していたし、炊き出し等の食料を準備するのにも民が集まっていた方がスムーズに供給できたのだ。

さすがに天皇と将軍の反応を見てからは、皇国民にウデムシと猫達の姿は披露できなかった。

一家はオワタで作った休憩所に寝泊まりし、魔物を狩ったり、缶切りを作ったり、のんびり夏休みを楽しんでいた。

皇国民からも結界からも少しでも離れたいとオリヴァーだけはオワタを初めて見た時に泊まった屋敷に滞在している。

あの、小豆あらいの出る屋敷だ。

「ショキショキって前言ってた小豆あらいでしょう? あれは無害な妖怪だと言ったではないですか」

メルサが呆れた声を出す。

オワタも怖い、言葉が通じない皇国民も怖いからと自らあの屋敷を選んでおきながら小豆あらいも怖いと言うのだから困ったものである。

「毎晩、毎晩。ショキショキショキショキ…………なのに、どれだけ探しても何もいないのだ! 無害と言われても信じられるか!」

オリヴァーが何度訴えても気にするなと言われるだけで誰も親身になって助けてくれようともしなかった。

「……小豆あらいって妖怪ですよね? 俺の妖怪知識なんてゲゲゲのやつくらいだけど……」

多分、そんなヤバいやつじゃなかった気がするとゲオルグも母メルサの言葉に頷いている。

「妖怪の正体なんて基本、自然現象か狐か狸かいたちか……。勘違いか思い込みですよね? ほらカマイタチとかも自然現象でしょ?」

ウィリアムもげっそりしたオリヴァーを心配しつつも、妖怪なんて空想ですよと笑う。

この世界で出るとするなら魔物だろうし、魔物が結界内にいて人間に被害がないのはあまり考えられない。

「狐も狸もいたちもいない! 庭も屋敷の周りもくまなく探したのだぞ」

毎夜眠れないオリヴァーは必死に食い下がる。

一家がオワタを倒したり、缶切り制作に没頭する間、ずっとオリヴァーは小豆あらいを探していたのだから…………暇か。

「…………ん?……小豆あらいの正体見たり……」

エマがポツリと呟く。

前世でそんな文章を読んだ記憶があったのだ。

なんだっただろうか……。

オリヴァーのことはどうでもよかったが、中途半端に思い出せないのも気持ち悪い。

「エマ様? どうしました?」

急に考え事を始めたエマの顔をヨシュアが覗き込む。

「あ!」

エマはヨシュアの顔を両手でガシッと掴んだ。

「え? エマ様? え? え? ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

いきなり顔を掴まれたヨシュアが戸惑っていると、そのままどんどんエマの顔がヨシュアの顔に寄ってくる。

「あ、あの、エマ様……あの……っつ……はっふうぅぅぅぅ」

顔と顔が超至近距離まで近付いて、鼻先と鼻先が触れ合うか触れ合わないかのすれすれでピタリと止まる…………もう、これは……きっと……でも、ああっ……。

ヨシュアは早鐘のように鳴る心臓に手を当て、自分からこのままエマの唇を奪いたいという欲望を必死で、なんとか必死で抑える…………。

いつだってエマへの恋心も下心も体中から溢れに溢れて飽和状態なのに、それでもヨシュアは必死で、今までしていた努力がちっぽけに思えるほどの物凄い精神力を使って必死に抑える。

こっこんなの生殺しだ。

でも、我慢だヨシュア。精神統一しろヨシュア。負けるなヨシュア……。

「チャタテムシね」

ヨシュアの葛藤に全く気付かずにエマは彼のそばかすを見ていた。

初めて会った時に、そばかすがチャタテムシに見えて素敵だなと思ったエマの記憶と、江戸時代の妖怪研究者が小豆あらいの正体がチャタテムシだと記した話を見た港の記憶がリンクしたのだ。

「チャタテムシ?」

オリヴァーがなんだそれはと顔をしかめる。

「っ姉様! そろそろ離してあげて下さい。ヨシュアが……」

多分、息をしていません。とウィリアムが叫ぶ。

「え? あっごめんなさい! ヨシュア……大丈夫?」

エマはウィリアムの声でやっとヨシュアの顔が真っ赤になっていることに気づいた。

無理やり顔を掴んだので、痛かったかもしれないと謝りながら手を離した。

「ふうぅぅぅぅ……。大……丈夫です。大丈夫……」

ぐらぐらと崩壊しかけた理性をかき集め、ヨシュアは深呼吸する。

「エマ様。以前にも言いましたが、こういったことは殿下や学園の友人には絶対にしてはいけませんよ? 不敬罪で大変なことになりますから。……こういうのは僕にだけにして下さいね。僕にだけですよ?」

「あっえっと、ごめんね? ヨシュア」

「不敬罪は怖いですからね? ……一説ではヒルダ様のお説教の十倍の恐怖だとか……」

「ひっっ! ヨシュア、私……気を付けるわね?」

「はい。僕以外の男には触れない方が賢明かと……」

「そこまで……貴族の世界って本当に厳しいのね」

「僕にだけは好きなだけ触ってもいいですからね? 僕にだけは」

理性の崩壊寸前までいったとは思えない程の見事な切り返しであった。

「あいつはもう……駄目だ」

「兄様……まだヨシュアが助かると希望を持っていたのですか?」

ゲオルグとウィリアムが物悲しい気持ちで二人を見ていると、急に暗くなった。

「ん? あれ?」

「げっ!」

兄弟が変だなと振り向いたら、後ろに鬼の形相のレオナルドがいた。

「ヨシュア君? ちょっとツラ貸してくれるかな……?」

血管ビキビキに浮かせて、口の端を無理やり上げて笑っている。

「と、父様! 落ち着いて!」

「ヨシュア! 早く謝れよ! また投げられるぞ!」

あわててゲオルグとウィリアムがヨシュアに叫ぶ。

「いえ、この際ハッキリしておきましょう。僕はエマさっ…………」

「あ゛ぁぁん? 聞こえねぇなぁぁぁあ?」

レオナルドのガラがめちゃくちゃ悪くなっていた。

「うわぁぁぁぁー! ちょっと姉様も止めて……て、え!?」

ヨシュアが大変だとウィリアムが元凶のエマに手伝えと視線をやれば、エマは嬉しそうにオリヴァーにチャタテムシについて語っていた。

「……なので、チャタテムシが障子にとまってショキショキと……」

「は? 虫? そんなものいなかったぞ?」

「チャタテムシはすごく小さい虫ですので……あ、今から見に行っても……」

「ちょっ姉様ーーー!」

この状況でよくも虫の話なんか……とウィリアムが嘆くがこれがエマの通常運転だった。

『おや、なにやら……お取り込み中ですかな?』

ヨシュアがレオナルドに首根っこを掴まれたタイミングで、フクシマが現れた。フクシマはエド城で会議があるからと一旦エドへと戻っていて、帰って来たところだった。

『ああ、フクシマ様。お早いお帰りで……。もう少しエドでゆっくりしてくると思ってましたが会議で何かありましたか?』

レオナルドがフクシマに気付き、鬼の形相のまま、笑う。

『顔、こわっ!! い、いや。その会議でスチュワート家に何か褒賞をという話になりまして……天皇も将軍もそれは是非ともと仰いましたので、皆様にエドまでご足労いただきたく…………え?』

鬼の形相だったレオナルドの顔がフクシマの言葉を聞いて青ざめていた。

オリヴァーにチャタテムシについて語りまくっていたエマも、レオナルドからヨシュアを助けようとしていたゲオルグとウィリアムもやれやれと静観していたメルサまでもが一斉にフクシマに叫んだ。

『『『『『褒賞はいりません!』』』』』