Tanaka family, reincarnated.

First social and temple development

パシャ

エマに向かって赤い液体がかけられる。

「あら、ご免なさい」

言葉とは裏腹に全くもって悪びれず、一人の令嬢がエマの前に立っている。フランチェスカ・デラクール侯爵令嬢である。

その後ろにややふっくらした、マチルダ・フィルチ伯爵令嬢と背の高い痩せ気味のヘイリー・マラマッド伯爵令嬢がニヤニヤしながら様子を窺っている。

悪役令嬢と取り巻き……ふっと頭に単語が浮かんだ。

本日は、学園入学前に開かれる王家が主宰するパーティーである。

入学を控えたスチュワート三兄弟も招待され、初めての社交の場でゲオルグとウィリアムにエスコートされながらエマは馬車を降りた。

白地のエマシルクのドレス全体に特別製の紫の糸で細かい刺繍が飾られ、頭に薄いベールを被り、顔の傷跡を隠している。

王都のドレスの流行りは年々露出が高いものになっていたが、エマのドレスは極めて露出が少ない。残念ながら胸の成長の方は順調に遅れていて、全体的にほっそりとしているのは相変わらずで出せる所が無い。

ゲオルグとウィリアムもエマと同じ模様の紫の刺繍が飾られたシャツに黒の礼服姿、ゲオルグはこの一年で大分身長が伸び、礼服姿も様になっている。ウィリアムも安定の美少年だ。

会場となる広間に入るとゲオルグは飲み物を探しに、ウィリアムは既知の隣接する領の友人を見つけ挨拶に向かう。

一瞬エマが一人になり、ぽけっと立っていた時を狙ったかのように赤ワインがエマのドレスに浴びせられた。

初めてのパーティーでドレスにワインがかかる。

前の世界で何度か読んだことがある展開だと気が付いたエマは、笑いを噛み殺す。目の前の令嬢を見ると勝ち誇ったような表情で空のワイングラスを持っている。

まだ始まっていないとはいえ、パーティーの会場内で起きたハプニングに周囲も驚いているかと思いきや、諦めたような、うんざりしたような顔がちらほら見える。招待客は学園の学生に限られており、注意してくれるような大人もいるにはいるが、全員が見てない振りをしている。

もしかしたら、毎年の行事なのかもしれない。

その証拠、と言わんばかりに給仕をしている何人かが冷静かつ素早く近づき、エマにドレスを拭くように布を差し出す。

「ありがとうございます」

給仕に礼を言ってから、エマは汚れてしまった会場のカーペットを先にとんとんと拭き始めた。その様子を見てワインをかけたフランチェスカ侯爵令嬢は口を開く。

「あなた馬鹿なの?」

普通は一番心配すべきはドレスである。王家主宰のパーティーは貴族令嬢にとって晴れ舞台、ドレスがダメになればこのまま引き返すことになる。

冷静だった給仕達も慌ててカーペットを拭くエマを止めようとする。

いつもの泣きながらドレスを拭いて、赤い染みをどうしようもできずに家路につくパターンが早々に崩れていく。

王都周辺の貴族なら誰もが知っている第一王子派の洗礼、全ては王族が来る前に始まり王族が来る前に終わるスピーディーないじめであった。

第一王子派は貴族の中でも格式の高い家が多く、洗礼を受けた令嬢は泣き寝入りするしかない。

毎年、第二王子派の家の令嬢が狙われるために、それぞれの令嬢は泣く泣く欠席するか、集まって決して離れず集団行動で難を逃れていた。

そんな中、ぽけーと一人立っていたエマが狙われるのは必然と言えよう。

王都ではスチュワート一家は第二王子派の筆頭と噂されているが、本人達には自覚はない。

空のグラス片手にフランチェスカ・デラクール侯爵令嬢は未だにカーペットを優しくトントンと赤ワインの染みと戦っているエマに話しかける。

「あなた馬鹿なの?」

今までの令嬢と違う様子に焦れる。まだ時間に余裕はあるが、早く退室してもらいたい。渾身の意地悪な言い方で言っているんだから、泣くなりすればいいのに。

フランチェスカ侯爵令嬢には、エマがベールを被っているために表情は見えない。

「エマさん大丈夫ですか?」

「何かお困りですか?エマさん」

「エマさん可哀想に、怖かったでしょう?」

数人の令息達が間に割って入る。

この一年、定期的にスチュワート家で開かれたお茶会に参加したパレス周辺の貴族の子供達である。エマが顔に傷を負った後は、より儚く危うげに見えるらしく、令息達の庇護欲が刺激され、お茶会無双は意外にも続いている。

そんなフィルターを装着した令息達の目には、エマの笑いを噛み殺している姿が、恐怖で小刻みに震えて見えたり、カーペットを拭くのに屈んだ姿が貧血で、倒れそうになっている姿に見えてしまうのである。

「私は大丈夫ですよ?」

エマが心配して集まってきた令息達を宥める。出発前に耳にタコができるほど母親に問題を起こすなと言われていたのにパーティーが始まってすらないのにこの事態である。

「なっ何か、勘違いをなさっているのではなくて?私はうっかり、彼女のドレスに赤ワインを溢してしまっただけですわ!きちんと謝りましたし!」

急に湧いて来た加勢に、フランチェスカは慌てて言い訳を始める。今までは加勢に来た者などいなかったのに…。ただドレスに赤ワインを溢して謝った、それだけの話なのだ。

パレス周辺の令息たちは、王都から離れて暮らしていて、第一王子派の洗礼など誰も知らなかった。そのため、他の招待客とは違うのだ。

彼らにとってエマは大人しい、引っ込み思案な少女で、隙あらば自分が守ってあげたいと常に様子を窺っていたので躊躇いなどない。

しかし、フランチェスカの言葉を聞いた令息達は息を飲む。つつーっと冷や汗が流れるものまでいる。

「な、なんなのよ?」

令息達の様子にフランチェスカは不安になる。

「……エマさんのドレスに赤ワイン?」

「すっスチュワート家のドレスに?」

「べっ弁償いくらかかるんだ?」

「エマシルクなら……え?金貨100枚でも足り……ないよな?」

令息達がエマを心配する顔から、フランチェスカを憐れむ顔に変わっている。

エマシルク……と聞いてフランチェスカの顔も青ざめている。スチュワート家の領地パレスで作られる最高級の絹の存在を思い出してしまった。

「わっ私は謝りましたわっ!」

冷や汗がフランチェスカにも流れる。金貨100枚なんて払える額ではない。

「どうかしましたか?」

遅れて会場に着いたヨシュアが、エマと騒ぎに気づいて近づいて来た。

つい最近、大金と引き換えに男爵位を手に入れたそうで、学園も一緒に通うことになった。一年でぐんと背が高くなり、ひょろひょろだった体もこっそり鍛えた甲斐あってバランス良く筋肉が付いている。

ゲオルグとウィリアムも目を離した隙に何があったのかと急いで来る。

「よ、ヨシュア!良いところに!今日のエマさんのドレス金貨何枚だ!?」

令息が怖いもの知りたさでヨシュアに訊ねる。

エマの手にある赤い染みの付いた布とフランチェスカと令息達の顔を見回し、王国中に情報網を張り巡らせているヨシュアは何が起こったのかを把握した。

「姉様あれほど問題起こすなって言われてたのに……」

ウィリアムがエマのドレスをハンカチで拭きながらため息をつく。

「ウィリアム様、エマさまは巻き込まれただけですよ。むしろエマさまから目を離したお二人が悪いのです!」

ヨシュアの甘やかしは留まることを知らない。

「そ、そろそろ失礼するわ」

広間にも招待客が集まり続けている。

これ以上目立つのは得策ではない……とフランチェスカは逃げの一手に出ようとしたところで、ざわぁと広間中の招待客が一斉に声を上げた。何事かと視線を追うと第二王子エドワードが現れていた。

王族は招待客が揃ってから入場の予定だが、第二王子だけが例年よりも早く広間に入って来た。臣下の礼をしようと頭を下げる貴族を手で制止してぐるっと周囲を見渡し、エマ達の一団を見つけ、真っ直ぐ歩いてくる。王子の歩みを妨げないようにさぁっと招待客が移動し、道ができる。

フランチェスカは逃げることも出来ず、臣下の礼をしようと頭を下げ、これから起こるであろう断罪に唇を噛む。

王子がこちらにやって来るのを確認すると、フランチェスカに習いスチュワート三兄弟とヨシュア、パレスの令息達も頭を下げる。

「フランチェスカ・デラクール嬢。毎年、貴方が立場の弱い令嬢に嫌がらせをしていると噂を聞いたが?これは、どういった騒ぎだ?」

第二王子の冷たい声がフランチェスカに問う。

美しい黒髪に冷たい表情の王子はこの一年、エマにふさわしい男に成るために努力を重ねてきた。人と真摯に向き合い、真面目に公務をこなし、自己鍛練を怠らない姿に王も一目置くようになっている。

第一王子派の洗礼の話は、偶然にも、第二王子であるエドワードの耳に届いていた。王位を欲しいと思ったこともないのに、勝手に派閥争いが繰り広げられ、うんざりしていた。洗礼が毎年行われると聞いて、今回王子自ら足を運んだのだ。

「な、何のことか私には覚えがございません」

状況を見れば、明らかなのに言い逃れしようとする態度に嫌悪感を覚える。

フランチェスカの隣で大人しく頭を下げている令嬢の足元にはワインの染みが出来ていた。パーティーに参加できなくなるのは可哀想で声をかける。

「代わりのドレスを用意させるから着替えるといい」

ふいっと顔を上げた令嬢は薄いベールを被っているために表情は判らないが、ワインをかけられたドレスは見事な刺繍がほどこされておりショックも大きいだろう。

「いえ、大丈夫ですよ殿下。このドレスは防水加工してありますから」

聞き覚えのある声にエドワードの心臓が跳ねる。

この一年間ずっと会いたいと焦がれていた女の子の声だ。

「エマか?」

すっと膝を突き令嬢の顔を覗き込む。

エマはベールの左側をぺろんとめくり、にっこり答える。

「お久しぶりです、殿下」

緑色の瞳がエドワードを映す。

冷たかった王子の表情が緩み、エマにつられるようににっこり笑う。

「ああ、久しぶりだな……エマ」