Tanaka family, reincarnated.

Emma's proposal and contract.

「私が連れてきたんだよ。ゲオルグ」

入り口の方から声がかかる。

「げっ!」

「あっ!」

「お父様!」

コーメイに遅れて、階段からレオナルドが上って来ていた。

わりと怒っている。

「ゲオルグ、ウィリアム!!お前達は連絡もせず、無断外泊なんてして心配するだろう!」

「「すっすみません!」」

ゲオルグとウィリアムがビッと背を伸ばし謝る。

レオナルドは二人に近づき、一発ずつげんこつする。ゴッと鈍い音で相当痛いやつだと解る。

「全く、エマに何かあったらどうするんだ?」

「「すっすみません!」」

「エマもあんまり心配させないておくれな?」

レオナルドは、エマを抱き抱え念を押す。

スチュワート家における兄弟格差は酷い。この甘やかしがエマの非常識に一役買っていると思うものの、父に進言する勇気はない。

「ごめんなさい、お父様。色々あったから」

ぎゅうとエマが父に抱きつく。

「よしよし、危ないことはなかったかい?帰ってこないから心配で眠れなかったよ。朝一でコーメイさんに案内して貰ってここまで来たんだからな」

久しぶりに、エマから抱きついて来たのでレオナルドは嬉しそうにデレている。抱きついたエマはニヤリと、悪い顔で笑っていることに抱きつかれたレオナルドは気付いていない。

「あの……お父様……ですか?」

ハロルドが恐る恐る、レオナルドに話かける。

金髪に、紫色の瞳。体格の良い何とも強そうな風貌の男が三兄弟の親とは思えなかった。ケンカしたとしても、どう転んでも勝てなそうだ。

服装もラフなものではあるが、庶民の手の出ない仕立ての良さが際立っている。

「ああ、うちの子供達が世話になったようで……私は、レオナルド・スチュワートと申します」

レオナルド……スチュワート……。

聞き覚えのある名前にハロルドが飛び上がる。

「すっスチュワートってあの?パレス領のスチュワート伯爵ですか?」

「ん?ああ、そうです。今は子供達を学園に通わせるために一家で王都に住んでいるんですよ」

少し前まで、国中を放浪していたハロルドは、スチュワート伯爵家について色々な噂を聞いていた。

家を継いですぐに、王家の無茶ぶりで魔物の出現する三領を治めることになった。

僅か数年で、絹織物で成功し国内有数の豊かな領を作り上げた。

病的なまでに娘を溺愛し、自領で生産される最高級の絹に娘の名前をつけた。確か、その絹の名前は、エマシルク……。

レオナルドに抱き抱えられている少年、エマは……あの、伯爵溺愛の令嬢……エマ・スチュワート???

「も、申し訳ございません!だっ大事なお子様をこんな汚いところで、一泊させてしまい……」

ぞわぁと体に悪寒が走る。

貴族の子供がスラム街で一晩過ごすなんて許されることではない。

「いやいや、子供達も元気そうだし問題ないよ。無事じゃなかったらアレだったけどね」

あははとレオナルドは笑うが、ハロルドの悪寒は酷くなる一方である。

「お父様、ハロルドさんは凄いインクを作っているのよ?私、絹の染色に使ってみたいわ」

レオナルドの冗談に震えるイケオジを愛でながらエマは提案する。

ずっとネックであった染色工程において、このインクは使えるかもしれない。

鮮やかな色が一回で染まり、しかも色落ちしないのだ。

従来の洗っては染め、染めては洗うを繰り返す染色方法に革命が起きる筈だ。

パレスで貴重な水も殆んど使うことなくコストダウンも期待できる。

「エマがやりたいなら直ぐ試してみなさい。えーとハロルドさん?そのすごいインクとやらは買わせて貰えるのだろうか?」

子供のエマの意見を鵜呑みにレオナルドは、ハロルドにインクの購入を申し出る。いくらでも出すので、言い値で買うとまで言い出す始末だ。

娘への溺愛は噂ではなく本物だと確信する。

「おっお待ち下さい!!」

部屋の入り口から、息を切らしたヨシュアが現れた。

階段を駆け上ったレオナルドにおいていかれたらしい。

「ヨシュア?」

ゲオルグとウィリアムがげんこつを貰った頭をさすりながら振り向くと、同じ様に頭をさするヨシュアがいた。

とばっちりで先にヨシュアも怒られていた。

「レオナルド様、事業に関する購入品はロートシルト家を通して頂かないと困ります」

息を整えながらヨシュアが割って入る。

この一家の商売下手は何年も見てきている。放っておけば一瞬で貧乏伯爵に戻ってしまうのは明らかだ。何度注意してもこの伯爵は、言い値で買うとかお金はいらないから持っていきなさいとか言ってしまうのだ。

「突然失礼致します。ヨシュア・ロートシルトと申します。ロートシルト商会、王都支店の店長兼、スチュワート家の事業のアドバイザーでもあります。今後の契約については必ず僕を通す様にお願いします」

どう見てもそばかすが少々目立つただの子供が、折り目正しく自己紹介&商談を持ちかけてくる姿に、またハロルドの悪寒が酷くなる。……今、何て言った?

「ロートシルト……商会?」

王国一の豪商である。

国内外の太いパイプを持ち、扱っていないものなど無いと言われている。

今、目の前にいるのは国一番の金持ち商人と金持ち伯爵なのだった。

「あっ!もしかして、インクぶちまけられたのってお前のところの店?」

状況が掴めないなりにも三兄弟の話を聞いていたヒューが、ヨシュアに尋ねる。

「はい。そうです。うちの店のインクは消すことは可能でしょうか?」

期待を込めた目でヨシュアがハロルドを見るが、答えは変わらない。

「残念ながら……」

そうですか、とヨシュアは肩を落とす。

オープン前の店に真っ赤な血のようなインクなんて風評被害も甚だしい。

床石を削るにしても、剥がすにしても金はかかるだろうし、あの赤いインクをぶちまけられた店として客足にも影響を及ぼすことになる。

「なんか悪いな……」

「いえ、もともと嫌がらせの多い店舗なので覚悟はしていましたから」

気にしないで下さいと力なくヨシュアは笑う。

「ハロルドさん?このインクって重ね塗りできるの?」

いつの間にか、エマがレオナルドから離れハロルドの描いた壁の絵を見ている。鮮やかな色彩の植物の絵だ。

「ん?ああ、一度乾けば絶対に落ちないけど、上から塗る分には色が混ざったりもしないし絵を描くには良いインクだぞ」

さっきから謝りっぱなしのハロルドだが、もともとインクは自分の描く絵のために作ったものだ。壁だろうとどこだろうと、しっかり着色し、落ちない。乾いた上に色を重ねれば混ざらず下の色に負けることもない。

画家にとって夢のようなインクなのだ。

「ヨシュアの店も、ハロルドさんに描いて貰ったら?赤いインクだから……苺とか?インスタ映えするよきっと」

インクが落ちないなら、描けばいいのよとエマが提案する。

壁の絵は、数々の絵画を見てきたヨシュアでも納得するだけのものがあった。あの鮮やかな赤も、エマの言うように苺として描かれれば、おぞましい血の海ではなく、可愛いと認識されるだろう。

何より、エマの提案を採用しないなんて選択肢はヨシュアにはない。

インスタ映えが何かは全く判らないが。

「ハロルドさん、店の前に苺……描いて貰えますか?勿論、お代は出します。評判次第で、季節ごとに定期的に新しく描いてもらうっていうのも良いかもしれません」

「ええ?そら……構わないけど……」

「では、ロートシルト商会の専属画家として、とりあえず一年契約してもらえますか?インクの方とは別件です。インクは、今日のところは必要分だけ購入、その後、試作を何着か作製して製品化になりそうなら、インクも専属契約を結びましょう」

「ええ?そら……構わないけど……」

目まぐるしく、ヨシュアが契約を進めて行く。

いつも持っている契約書に、必要な文章を素早く書き込んでサインする。

「この内容で良ければ、ハロルドさん、サインを頂けますか?こっちが専属画家の契約書、こっちは、インクの製品化が決まるまで、他の誰にも売らないと言う誓約書です」

「ええ?……そら……構わないけど……」

「あっ兄貴!さっきから同じことしか言ってないぞ?大丈夫か?」

ヒューが心配そうにハロルドの服の裾を引っ張る。

「あ、ああ。俺からすれば願ってもない話だし……内容に不備はない」

ただ、夢みたいな話だとハロルドが契約書に書かれた金額を見て震えている。

「こちらとしても、床石を削ったり剥がしたりするよりは大分安くなりますし、客層は学園の女の子をメインターゲットにしているので、店が可愛く目立つなら願ってもないことですから」

ヨシュアも満足そうにハロルドの名前の書かれた契約書と誓約書を受けとる。お互いに納得のWin-Win商談がさくっと決まる。

「あ、兄貴、どうなったんだ?」

ことの成り行きを理解できない子供達がハロルドに詰め寄る。

ヨシュアが入ってきてから10分とたたずに状況が一変した。

「あー俺に仕事が見つかったって事だ。お前ら全員少なくとも一年は毎日飯が食えるぞ」

きょとんと子供達が顔を見合せる。

毎日?ごはん?そんな夢みたいな話あるのか?

「兄貴、それ騙されてないか?」

良い話には裏がある。スラムの子供達が一斉にハロルドを心配し始めた。

「失礼な!ロートシルト商会は、騙しなんてしませんよ?そのための契約書です」

ヨシュアが憤慨する。うちの福利厚生は手厚いですよと更にハロルドに提案する。

「ここは店から少し遠いので、スラムでなくて臣民街の方に引っ越ししますか?うちの商会で幾つか建物も持っているので……」

「いや、引っ越しは出来ない」

ハロルドが直ぐに断る。

「広い建物を用意しますよ?子供達が全員住めるくらいの」

更にヨシュアが破格の提案をするが、ハロルドは首を縦にふらなかった。

「この、スラム街の地下にインクの原料があるんだ。ここを離れると違う奴が住み着いた場合、インクが作れなくなるかもしれない」

どうしても必要な原料なのでここからは動けない。

この崩れそうな建物の地下に群生しているキノコは放浪した中でもここにしか生えてない貴重なものらしい。

「それは、インクの作り方が公になると乱獲のおそれもあるね」

しばらくは、スラムで暮らすことにして、キノコについても極秘で調べることになった。

ハロルドはそのまま、ヨシュアの店に絵を描きに向かい、三兄弟もレオナルドに屋敷に帰る様にと言われる。

「メルサも心配してるからね。早く皆で帰って安心させてあげないと」

メルサの名前を聞いた瞬間にエマがビクッと震える。

「お母様……怒ってました?」

エマを怒るのは、スチュワート家ではメルサだけなのだ。

男のゲオルグとウィリアムの無断外泊よりも女の子のエマの方が怒られるのも想像できる。こればっかりは、甘々の父も、コーメイさんも助けてくれない。

親に怒って貰えるなんて贅沢なんだぞ!とヒューに言われたが馬車に乗り込む足取りは重たい。

最後に、コーメイさんがぬるっと馬車に入ってぎゅうぎゅう詰めで帰る。

「これ……コーメイさん体どうなってんの?」

馬車の中の隙間という隙間がコーメイさんで埋まっていた。

絶対全員乗って帰られないだろうと思ったのに、難なく猫が収まっているのが信じられない。

「……ほら、猫って液体だから……」

「にゃーん♪」

モフモフのコーメイさんでいっぱいの馬車は、メルサに怒られるまでの束の間の癒しを提供してくれるのだった。