Tanaka family, reincarnated.

Sneaky cauldron fish.

今、何が起きている?

屋根裏に潜んだ忍者は自分の見ている光景が信じられなかった。

生来、気配を消すことに精進し、修業してきた。

人間の感覚器官では、まず、気配を消した忍者を捉えることはできない。忍者とはそういうものだ。

王国に入国後、一番警備の厳しいだろう王城でさえ、誰も我々には気付かなかった。忍者の仕事は主に諜報活動だが、言葉がわからないこの国ではタスク皇子の護衛が主となっている。慣れない外国で、祖国の様には活動できないが、気配を消し、王国人に見つかることなく何とか皇子の護衛をしてきた。

少し、欲が出たのかもしれない。

皇子を歓迎する晩餐会で、皇国語を理解する少女が現れた。

細く、弱々しい少女は体調を崩し直ぐに退出したが、皇子も我々忍者にとっても彼女の存在は衝撃であった。

我々だけでなく、王国人も驚いていた様子を見るとあの少女は、王国でも知られていなかったのだろう。

翌日、王がその少女の屋敷へ訪問すると聞き、同行することになったとタスク皇子から隙を見て連絡があった。

その屋敷に王国語と皇国語の辞書のようなものがあるかもしれない。もしくはもっと画期的な、言葉を操る魔法を閉じ込めた魔石を持っていることも考えられる。

我々は俄に沸き立った。忍者が王国語を理解すれば本来の仕事である諜報活動が行える。王国には忍者のように気配を消せる人間はいないようだ。

国交を始めるに当たり、かなり優位に立つことが出来るだろう。

その少女の屋敷で、門前で待たされている間に部下一人が王国人に成り代わる。国王が同席している以上、不要な会話はないと踏んで賭けに出る。

喜ばしいことに我々が思っていた以上に王国は安全だったので、皇子の護衛はこの部下一人に任せ、残りの19人で屋敷の探索を行う。

王城に比べ、拍子抜けするくらいの警備体制。

あほみたいに広い屋敷に門番が一人だけ。屋敷の周りはぐるりと高い壁に覆われているが、忍者なら門扉を通らなくても余裕で超えられる。

庭が広すぎるために、屋敷まで辿り着くのに時間はかかったが、庭師の目の前を通過しようとも気配を消していれば気付かれることもない。

易々と屋敷に侵入したところで、辞書や魔石の捜索を始めようとした瞬間……。

音もなく、部下の一人がぶっ飛んだ。

壁に当たるギリギリで何かが部下を掴まえて、静かに床に寝かせる。

部下に意識はなかった。

どうなっている?王国(ここ)で我々を知覚出来るものなどいないはず。

先に進んだ部下が次々に音もなくぶっ飛び床に寝かされていく。

早すぎて、敵が見えない。

残った4人に指示を出し、屋根裏になんとか命からがら避難する。

この間、たった数秒の出来事だった。

皇国でも精(・)鋭(・)の(・)忍(・)者(・)が数秒だ。

『かっ頭(かしら)、一体何が起きたんですか?』

状況が、掴めない部下達がガタガタと震えながら私を見る。

ここまで一方的にやられることなど誰にも経験がない。

何度も死線を潜り抜け、たどり着いた上忍の地位。感情など、遠の昔に失くなったと思っていたのに。誰もが恐怖に戦いていた。

こんな言葉もわからない遠い地で、任務を全うすることなく、呆気なく死を迎えることになると本能が先に理解した。勝手に体が震え、最悪の事態に思考が追い付かない。

せめて、皇子だけでも無事に皇国へお返ししなくては……。

尊い身分にも関わらず、王国へ乗り込んだ皇子の顔を思い出す。

タスク皇子は、皇国の宝。短期間でバリトゥ語を学び、そこから王国語をなんとか理解しつつある唯一のお方。

外国語を学ぶことに慣れていない皇国人はバリトゥ語の時点で大半が挫折するというのに、持って生まれた類い希なる頭脳と努力で皇子はそれを成し遂げたのだ。

食糧難に喘ぐ皇国にとって絶対に失くしてはならないお方なのだ。

ピタッと体の震えが止まる。

部下達も、もう、震えてはいない。

いや、震えることすら出来ないのだ。

知らぬ間に、紫色の糸の様なものが絡み付き、体の自由を奪われていた。

声を上げようにも口も覆われ物音一つたてられない。

気配に敏感な忍者が揃って誰も気付くことが出来ないなどあり得ない。

唯一確保できた視界に、ぬうっと蜘蛛が現れた。

人の頭ほどある巨大な紫色の蜘蛛が。

今、何が起きている?

到底、理解など出来ないのだった。

暫くして、屈強な男共が私と部下4人を、回収しに屋根裏に上がってきた。

あの化け蜘蛛は、人間に使役されているのだろうか?

王国人は、忍者ですら敵わない化物を飼っているのか?

我々は、王城で上手くやっていたと思っていたが泳がされていただけだったのか?我々が気配を消し、潜んでいた直ぐ後ろには、大勢の部下を音もなくぶっ飛ばした見えない化物や気付かれずに拘束する大蜘蛛の化物が、いたのかもしれない。

紫色の糸のせいで抵抗も出来ず、運ばれる間、後悔と不安に押し潰されまいと必死で歯を食い縛ろうとするが、それすらも糸に阻まれる。

歯に仕込んだ毒で自害することすら出来ないのか。

絶望の中で行き着いた部屋の中には、あの晩餐会で皇国語を話した少女が、この事態に似つかわしくない程の無邪気な笑顔で我々を待ち構えていた。

そして、その少女の後ろにはぶっ飛ばされた部下14人が床に転がされているのが目に入る。私の精鋭部隊だった者達だ。

無邪気な笑顔と部下の骸……。

生まれて初めて怒りや悲しみ恐怖といった様々な感情が、全身を駆け巡るのに、声を出すどころかまた、震えることすら出来なかった。