Tanaka family, reincarnated.
Slam Street value.
スラム街が欲しい。
エマが国王にねだったのは、王都の闇ともいえる地域だった。
クーデターによるインフラ整備が進む中、働き口が増えたことでスラムから抜け出し、全うな暮らしを手に入れた者が多くいる中で働くには幼い年齢の子供達が取り残されていた。
小さな子供達は、週に一度の高位貴族が持ち回りで行う炊き出しによって何とか命を繋いでいる。
「すっスラム街!!!?何を言っているの?」
「陛下、私、数週間前にスラムの子供達とお友達になりましたの。皆とてもお腹を空かせていて……お友達が困っているのなら力になりたいのです」
エマが何故、みんな驚くのですか?と不思議そうに国王に答える。
今はハロルドがロートシルト商会から貰う給料とスチュワート家が子供達に簡単な仕事を回すので、お腹を空かせて泣く子供はいなくなっている。
でも、ほら、数週間前の話だから私嘘は言ってないわとエマは、心の中で言い訳する。
「お腹空かせてって!しかし、スラム街には週に一度貴族が炊き出しを行っているだろう?」
多忙な政務と警備の不安から王が自らスラム街へ足を運んだことはなかった。
毎月提出される炊き出しの報告書に目を通すだけで、現状の把握とは程遠い情報しか持っていない。
国王の言葉に、エマがため息をつく。
国王に向かって、ため息なんて不敬極まりないのだが夜会の広間にピシリと緊張が走る。
ただ一人、広間の端に置かれた豪奢なソファーに腰を掛けたヒルダ・サリヴァン公爵がふっと満足そうに笑う。
エマのため息はマナーの鬼と呼ばれたヒルダ、日頃から躾の厳しいメルサのため息とそっくりだったのだ。
貴族どころか、国王ですら凍りつくあのため息と。
「陛下。人は毎日ご飯を食べるものです。何故スラムの人間は一週間に一度だけの炊き出しで大丈夫だと思われるのですか?みんな、私達となんら変わりないのですよ?私達はご飯を1日何食食べているとお思いですか?」
飢えた経験のない者、飢える心配のない者の想像力の欠如にエマは憤慨する。空腹は何よりも辛いのだ。
この会場にも豪華な料理が並べられている。さして空腹でもない貴族達が当たり前のようにそれを口に運ぶことができるように。
「いや、炊き出しは一週間生きていける充分な食料を提供していると報告書には…………」
「炊き出しは、行う貴族によっては、たった一杯のスープすら全員に行き渡らない量しか提供されないこともあるそうです。」
「え?」
「それが、一週間分…………?」
「そ、そんな報告は……受けて……な……」
「もちろん、しっかりと一週間食べられる様に配慮された炊き出しをする貴族も中にはいると聞いております。しかし、私が初めてスラムへ訪れた日は、炊き出し直後にも関わらず子供達はみんなお腹を空かせていました」
持ち回りの貴族によって全くご飯の量が違うんだと言うヒューの言葉を思い出す。
温かい炊き出しと残りの一週間の食料を1日分ずつ袋に分けて子供でも理解出来るように説明しながら与えてくれる貴族もいる。
しかし、夏場はどうしても腐らせてしまったり、冬でも大人に奪われたりと結果的に満足に食べられる日は少ないのだそうだ。
「えええ?ちょっと待って!!エマちゃん、スラム街に行ったの!?危ないでしょう?」
国王も、周りの貴族達もエマの言葉に驚く。
伯爵令嬢がスラム街に行くなんて聞いたことがない。
つい先ほどスラムの子供と友達になったと言ったのは、飢えた可哀想な子供を貴族街に連れてこさせたのではなく、エマ自身が危険なスラム街へ訪れたということだったのか。
エマと国王の会話に息をのんでいた会場が、堪えきれないとざわめき立つ。
あんなに病弱で、おとなしい令嬢が炊き出しをする貴族ですら護衛なしでは踏み入れないスラム街へ行ったなどありえなかった。
ただ、ただ、危険過ぎる。
「危ない?みんなとても優しい子達でしたよ?」
きょとんとエマが答える。何も恐ろしいことなど無かったと。
普通に貴族だなんて思われない残念な格好で行っただけなのだけど、国王も貴族もそんな事は思い付かない。
「そ、そんなの、え?ちゃんと護衛はつけたんでしょ?襲われてなんてないよね?」
国王が目の前に元気なエマがいるのにも関わらずレオナルドに確認する。
ローズもエドワード王子も心配そうな顔をしている。
「……いえ、護衛はつけておりません。何せ兄弟三人だけで行っていた様でして……」
「「「「は?」」」」
護衛どころか、子供達三人だけでスラム街へ?レオナルドの言葉に会場がどよめく。
優雅に座っていたヒルダさえも立ち上がっていた。
エマを預かった経緯について詳しくは聞かなかったが、まさかそんな事をしでかしていたなんて思いもよらなかった。
「な、な、な、なんて事だ!!レオナルド伯爵、大事(おおごと)ではないかそれは!!スラムの治安が悪いことは、わかっているだろう?何かあってからでは遅いではないか!」
スチュワート伯爵家……一体どんな教育をしているんだと会場に非難めいた雰囲気が漂う。
「ご心配なく!しっかりと叱りましたよ。直ぐに私自ら迎えに行きましたし。でも、まあ、所詮、危険と言えども相手は人間です。魔物でなければゲオルグ一人でも妹と弟くらい守れますからね」
レオナルドと言えどこの空気の中、実はスラムで一泊しました!なんて言ってはいけないことは理解できていた。
実際は、ゲオルグが魔物かるたをスラれたのがきっかけだったりするので、父の言葉にゲオルグは複雑な表情をしている。
エマ姉様…………やっぱり、事態を悪化させる天才ですねとウィリアムは、ズキズキと痛むこめかみを押さえている。
「陛下、スラムの治安が悪いとご存知ならば何故、何もなさらないのです?お腹を空かせた子供達は、その危険な場所で生きているのですよ?」
危ない所に行くなと国王は言うが、危ない場所を放置していたのはこの国ではないか。
褒賞の話から何故か怒られモードへと発展してしまったことに納得いかずエマが怒る。
痛いところを突いていることはわかっている。
なんで、この仕事終わってないの?
OL時代に上司からよく叱られた記憶が甦る。
人も、時間もなく、ヘロヘロになるまで働いても、褒められることは少ない。バタバタと働く合間に後回しになる業務だって出てくる。
大抵は、ちょっと面倒だったり、どこから手をつければ良いのかわからないものだったりするのだが。
国王の忙しさを、たかだか会社員と比べるのもアレなのだが、大変なのも理解しているけれど、何で私が責められなくてはいけないの?と言う理不尽に逆切れしたエマの言葉は、グサリと国王の胸に刺さった。
「…………そうだよね。私が……悪い。スラム街なんてこの国にあってはいけないんだ。報告書の紙の上の文字で満足してはダメだったんだ」
「陛下。陛下が国民のために日々私なんかでは想像出来ないほどに努力して下さっている事、判っております。私は、ただお友達を助けたいだけなのです。私の小さな世界のちっぽけな自己満足にご協力して下さいませんか?」
俯く国王に、エマが再度スラム街が欲しいと願う。
国ですら手をつけることを躊躇うスラム街を、少女が助けたいと……。
「おっお言葉ではございますが陛下!!一伯爵に、スラム街とはいえ王都内に領地を与えるなど、前代未聞でございます!しかも、我々高位貴族の善意の炊き出しをその様な言われ方をしては、我慢なりません!」
スチュワート家がスラム街へ支援の手を入れるのを快く思わない貴族もいた。
この数週間、ハロルドや子供達にヨシュアの店の前に絵を描いてもらったり、ドレスを作る手伝いをしてもらったりする様子に気付いた貴族からチクりと嫌みを言われることもあったのだ。
自分達の仕事に、ケチをつけられたと感じた貴族は小さな嫌がらせをしてくることもあり、エマがスラム街を欲しいとねだったのは、そういうものの煩わしさから解放されたいと言う思いも少なからずあった。
「貴公の言いたいことも分かる。しかし、エマちゃんが嘘を言っているとは思えん。炊き出しについては王家で責任を持って調べることにする」
「え?いえ?そんな…………調べるなんて……そこまでしなくても……」
モゴモゴと口をつぐむ男の勢いが弱くなる。
一方、いきなり強い調子で敵意を向けられたエマは、ビクっと肩を震わせ癒しを求めてローズの爆乳をガン見して平静を保とうと試みる。
初めて会ったときのおっぱい剥き出しの様なオフショルドレスもまた作ろう。私の癒しのために……と堅く心に誓う。
「エマちゃん。本当に褒賞は、スラム街で良いのかい?はっきり言って彼らを救うなんて大変だよ?お金もかかるだろうし、感謝なんてされないかもしれない。変な逆恨みを買って危険な目に会うかもしれない。それでもいいの?」
さっきのような言葉を向けられただけで震えている少女に重すぎる荷を背負わせるのは、国王としてしのびない。
飢えた小さな子供を友達と呼び、助けたいと願う綺麗な心が傷つかないか、汚れてはしまわないか、自分よりも困っている人を優先するようなエマに危うさの様なものを感じる。
「陛下。私はスラム街が欲しいのです。人は誰しも健康で文化的な最低限度のご飯とおやつを食べる権利があると私は思っています。我がスチュワート家には、充分それを与える力があるのです。力があるのに使わないという選択は私にもスチュワート家にもありません」
健康で、
文化的な、
最低限度の、
ご飯と、
おやつ。
…………?おやつ?
にっ日本国憲法ーーーー!!!っと心の中で叫ぶウィリアムとゲオルグの微妙な表情とは裏腹に、少女の口から出た慈悲の言葉は、夜会会場の貴族の心に強い衝撃を与えた。
領主であっても飢える領民がいることは、ある程度は仕方がないと諦めの様な気持ちがあった。
領民全てを救うなんて無理だと。
なのに、ステージの上の儚げな少女は国王の前で肩を震わせながらも[誰しも]といい放った。
その後に続く、12歳とは思えない聡い言葉。
その視線には、強い意思が感じられた。
日々、人のために努力を怠らない姿が垣間見えるようだった。
純白のドレスを身に纏い、清らかな心で王を諌める姿……。
「聖女だ……」
会場の至る所から、ぽつりと誰彼ともなく呟かれる。
この世界において聖女は、神のような存在。
教会の許可なく、名乗ることは許されない。
しかし、あの少女が聖女でないなら、一体誰が聖女だと言うのか……。
「そうだ!聖女だ!」
「エマ・スチュワート伯爵令嬢は聖女だ!」
小さな呟きは確信の言葉となって広がってゆく。
聖女に倣い、自領の領民が飢えることなく健康で文化的な最低限度のご飯とおやつが食べられる様に努力しなくては!
一部に反感を抱く貴族もいるが、エマの言葉は多くの貴族に影響を与え、飢える者のいない国へとまさに今、ここから始まって行くのだと会場は興奮に包まれてゆく。
「聖女エマ・スチュワート。王国から、王都のスラム街を褒賞として与えよう」
会場のざわめきは国王の耳にも入り、エマへと褒賞の言葉が告げられる。
「っっっせっ性女!!!?そんなっ(ちょっとローズ様の爆乳見ただけじゃない!?)ちっ違います!性女なんて!!やっ止めてください!」
いたいけな少女に向かってなんてことを言うんだこの国王は!!
エマが全身全霊を込めて否定する。
こんな、貴族だらけの場所で人を変態扱いなんて酷すぎる。
「いや、エマちゃんは王国の聖女だよ。君みたいな(優しくて、清らかな)子はいないよ」
聖女なんて……と謙虚に否定する少女に国王が言葉を重ねる。
王国の性女って!!私みたいにローズ様のおっぱいガン見する子はいないって!?
いやいや、見ちゃうって爆乳は!?
…………そういうことじゃ無くて陛下!ちょっと文句言ったからってそこまで言いますか?
ブンブンと首を振るエマの姿は、会場中の貴族にも謙虚で目立つことを良しとしない、まさに正真正銘の聖女に見えるのだった。
「陛下、こんなに注目されてはエマちゃんが可哀想です。褒賞は、エマちゃんの希望通りにお与えすると言うことで良いですね」
ローズがだらだらと冷や汗を流し始めたエマを心配し、国王や貴族達の視線から守る様に進み出て、エマをぎゅうと抱き締める。
「そうだね。ごめんねエマちゃん。褒賞式はこれで終了にしよう。音楽をかけて、みんな今日は、大いに楽しんでくれ」
はからずもローズのおっぱいを堪能することになったエマは、ぎゅうぎゅうと押し寄せる素敵な弾力に、もう……性女でいいや……と自ら豊満な弾力に身を任せた。
「…………姉様……。異世界転生で聖女って……どんだけヤバめのフラグ立てちゃってんですか……」
「エマ……あいつ本当にわざとじゃないよな?」
ズキズキと更に痛みだすこめかみに顔をしかめウィリアムが嘆く。
元は自分のうっかりから始まった褒賞の話を無視してゲオルグが妹のトラブルメーカーっぷりに脱帽する。
「あーエマは、天使だけど聖女でもあるね」
ウンウンとレオナルドが満足そうに頷く。
やっとステージから解放されたエマがゲオルグに恨みがましい表情で怒る。
「ゲオルグお兄様、今度からしっかりホウ、レン、ソウして下さいね」
「……悪かったよ」
「……でも、まあ、上手くスラム街手に入れられたから……良かったわ」
あのスラム街の地下には、ハロルドのインクの原料となる珍しいキノコが群生している。
自領にしてしまえば原料もインクが作れるハロルドもスチュワート家のものになる。
これからあのインクの権利はスチュワート家だけが手に入れることができるのだ。
この国には、独占禁止法なんてないのだから。
聖女…………とは程遠い悪い笑顔でエマが笑うのを見たのは、兄と弟の二人だけだった。