──彼はもっと賢い人間だと思っていた。

突然現れた槍使いは巨大犬頭人(コボルトキング)に果敢に立ち向かった。

彼の動きはお粗末にも腕達者とは呼べないもの。だが、それでも明らかに格上だと分かっているコボルトキングを相手に一歩も引くこと無く、槍を振るっていた。

アレが本当に腰抜けと呼ばれていた男の姿なのか。

私は何か、勘違いをしていたのだろうか。

疑問を抱いたのも束の間、私は己の周囲に目を向けた。コボルトキングの狙いは槍使いに向いていたが、他の犬頭人(コボルト)が動けない私に対して徐々に距離を狭めてきていた。

必死になってその場から離れようとするも、足はまだ動かない。

どうにかカタナを構えて迎え撃とうとするが、この場から動けない身でどれだけ保つか……。

そして──犬頭人(コボルト)達が飛びかかってくる寸前に──とうとう私の目の前に槍使いが躍り出た。

「去(い)ねやぁぁ!」

槍の一閃によって、近付いてきていた犬頭人(コボルト)が纏めて薙ぎ払われた。

「無事か銀閃!」 

「あ、あなたは──」

こちらの無事を確認してくる槍使いに、私は咄嗟に言葉が出なかった。疑問と、焦りと、他の何かしらの感情が入り交じって上手く口が動かない。

彼はその後も私に迫り来る犬頭人(コボルト)たちを撃退していく。今の自分がどうしようもないほど足手まといなのだと心底思い知らされる。

そんな中、犬頭人(コボルト)に気を取られている隙を突かれ、コボルトキングの爪が彼を襲った。

奇しくも彼は私のすぐ側まで弾き飛ばされる。

私は言葉を失った。

彼の左腕はコボルトキングにズタズタに切り裂かれ、見るも無惨な状態になっていた。下手をすれば回復魔法を使ってさえ後遺症が残りそうな重症だ。

弾き飛ばされた拍子に槍もどこかへ行ってしまったが、例え槍が手元にあったとしてもこの腕ではまともに扱えない。

先ほどの私と大差ない、誰がどう見ても絶望的な状況。

だというのに……彼は立ち上がろうとしていた。

己の怪我は認識しているはず。槍が手元に無いのも承知しているはず。

「何を……」

自然と声が出た。

この時になって、彼は私が側に居ることに気が付いたようだ。こちらをちらりと見てから、すぐさまコボルトキングを見据える。

コボルトキングの爪には槍使いの血と肉がこびり付いている。それを見てさえ、彼は気勢を高めているかのようだ。

「何をしに来たの……あなたは」

「見てわからねぇのかよ。助けに来たんだよ」

私の問いに、彼は間髪入れずに答えた。一切の迷いを含ませず、躊躇も無い答えだった。

無事な右手を支えにして立ち上がった彼に、私は言葉を投げかける。やはり、彼は諦める素振りを見せなかった。

「あなたは本来もっと考えが回る人間だと思ってました。なのにどうして……あんなことを言った私を──」

槍使いが私を助ける道理は無い。

義理なんて一つも見当たらないはず。

出会ったときから辛辣な言葉を浴びせ、最後にあったときでさえ罵倒じみた台詞を吐いた私を、彼はどうして助けようとしているのか。

小賢しくも賢い彼なら、私を見捨てて逃げ出すという選択肢もあったはず。それを選ばず、無謀にも私を助けに来たその訳を、私はどうしても知りたかった。

「そんなの……決まってんだろ」

「え?」と疑問を漏らす前に、彼は叫んでいた。

「助けたいと思ったから助ける! 女が危ない目に遭ってたら問答無用で助ける! だから俺はここに居るんだ! 俺がそうするって決めたんだ!」

「なっ……そんな理由で」

「うるせぇ! 怪我人は黙って助けられてろ!」

絶句した。

彼が私に叩き付けてきたのは、道理も義理もかなぐり捨てたまさに暴論。

なのに、心が揺さぶられた。 

そして──。

「さぁ我が主(マスター)よ、呼ぶが良い! 汝の武器である俺の名を!!」

どこからか声が轟く。それに伴い、彼の左腕から『黒い光(・・・)』が溢れ出した。

コボルトキングは目前。私たちを蹂躙せんと腕を振り上げる。

それでも彼は恐怖も躊躇も無く。

唱えた(・・・)。

「こい、グラァァァァァァァムッッッ!!!!」

次の瞬間、コボルトキングの巨体が後方へと弾き飛ばされたのだ。

コボルトキングの巨体は私たち人間の質量を遙かに超えている。単純な力勝負では相手にならないだろう。

いつの間にか、彼の左腕は先ほどの怪我が嘘だったかのように完治しており、手の中には漆黒と朱の混じった美しい槍が握られていた。

漆黒と朱の槍を振るう彼の背中に魅入られる。気が付けば、私は目の前の光景に心を奪われていた。

──私は〝この瞬間〟に立ち会えた幸運を神に感謝した。

彼は『勇者』では無い。

あんな自分勝手で無謀で不遜な男が、勇者であるはずが無い。

だが、彼がコボルトキングの心臓を貫いた時、私は確信した。

──『英雄』の誕生を。

魂の奥底から心が震えた。

紛れもない歓喜(・・)が全身を駆け巡る。 

私は勇者の仲間となるために故郷を飛びだした。

己の武を轟かせ、名誉を得るために。

勘違い(・・・)をしていた。

私がこれまで武芸を磨いてきたのは名誉を得るためではない。

全ては目の前に誕生した『英雄』の為だったのだ。

と、周囲が俄に騒がしくなってきた。

目を向ければ、私たちを包囲していた犬頭人(コボルト)たちの一角から人間の声と厄獣(モンスター)の悲鳴が木霊してきた。

やがて囲いを突破して姿を現したのは、あの『勇者』だった。

──不思議なものだ。

数分前の私であれば、彼の姿を目にすれば心を躍らせていただろう。だというのに、今の私は驚きこそあったがそれ以上の感情を抱かなかった。

この場に現れたのは勇者だけでは無かった。彼の背後からは王国軍の兵士達が続いており、犬頭人(コボルト)たちの掃討を行っていた。おそらく、傭兵組合だけでは無く国もこの森の異変を察知していたのだろう。その調査に勇者を派遣したのだ。

兵士の一人が私に気が付き、こちらに駆け寄ってきた。医療班のようで、私の足に手をかざして回復魔法を施してくれた。

ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間だ。

視界の端で、『彼』の躯が傾(かし)いだのだ。

彼は一瞬だけ私と目が合うと、満足げに小さく口端をつり上げて──力なく地面に倒れた。

少し前に感じた熱(こうふん)が打って変わり、全身から血の気が引いた。

治療してくれた兵士に礼を言うことすらせず、私は一目散に倒れた彼の元へと駆け出した。

倒れた躯を抱き起こそうとするが──。

「下手に動かすな狐(キツネ)ッ娘(こ)ぉ!!」

彼と言葉を交わした、姿の見えない声が私に浴びせられた。「今の相棒は外見からは分からねぇほどの重傷だ! 応急処置する前に運んだら確実に死ぬぞ!!」

『死』という響きに彼に伸びた手が反射的に止まった。

混乱する私に構わず『声』は続けた。

「お前さんの疑問は百も承知だ。だが、今だけは頭空っぽにして言うことを聞いてくれ。その様子だとお前さんは相棒を助けたいんだろう? だったら頼む! 俺も相棒を救いてぇんだ!!」

「──(こくり)」

「よぉし、感謝するぜ」

頷いた私に、声は少しだけ落ち着いて、だが早口に言った。

「相棒の躯は見た目よりも遙かにボロボロだ。だからまず最初に回復魔法で応急処置だ」

『声』の指示通り、私は足を治療をしてくれた兵士に倒れた彼の応急処置を頼んだ。

兵士は回復魔法を彼に使った途端、目を見開いた。まともな部位を探すのが困難なほどに、彼の躯は重傷だったのだ。『声』の言ったとおり、下手に動かせばその時点で彼は死んでいたと断言した。

背筋に氷が突き込まれるような寒気を覚えながら、私は『声』の先を待った。

「最低限の治療が終わったら、相棒を連れて俺の指示する場所に向かってくれ。そこの兵士の回復魔法も悪くないが、今必要なのは超一流の使い手だ。俺はそいつに心当たりがある」

「それは……誰なの?」

「『キュネイ』って腕利きの町医者だ! あいつなら絶対に相棒を助けてくれる!」

「……分かりました」

「あ! 一つ言い忘れてた! 相棒の側にある黒と朱塗りの超絶に格好いい(・・・・・・・)槍があると思うが、ついでにそいつも運んでくれ! 相棒にとってものすんごく(・・・・・・)大切な物だからよ!!」

もはや一刻の猶予は無い。

私は周囲の兵士に必死になって彼の移送を頼み込んだ。驚いたのは、私と一緒に勇者までもが彼を運ぶ事を兵士達に頼んだことだ。

勇者の言葉もあり、兵士達は犬頭人(コボルト)の掃討を傍らで彼の移送を迅速に手配してくれた。私だけの言葉であればここまでスムーズに事は進まなかっただろう。

全ての準備が整い次第に、私たちは彼を森から運び出した。

──こんなところで、私の『英雄』を死なせてなるものか。

その一心で『声』の指示に従い、王都へと急ぐのであった。