本来ならば交わるべきでなかった道が、奇跡的にもほんの一瞬だけ交錯したにすぎない邂逅。それを分かっていたからこそ、私と彼は互いに証を残した。

彼は私にペンダントを。

私は彼に指輪を。

彼があの日、私に与えてくれたものにつり合うとは到底思っていない。ただ、私が彼に差し出せるものといえば身につけていた指輪しかなかった。

あの人は何も聞いてはこなかった。何も聞かずにいてくれた。その気持ちが嬉しく思い、また悔しくもあった。

私は王家の娘。父より勇者との婚姻を望まれている。そうでなくとも、私に恋愛の自由などあるはずもない。

生まれて初めて胸の裡に沸いたこの暖かな感情を伝えるわけにはいかなかった。

それでも、あの人の中に『私』という存在が残って欲しかった。何とも身勝手な気持ちなのだろうか。

願わくば、彼から貰ったペンダントにも同じような気持ちが宿っていることを。彼にとっても、あの日のことは特別であったと、心の中に残り続けて欲しい。

──彼と別れた後、私は王城に戻った。

案の定、父からはお叱りの言葉を受けた。私が城を抜け出したことは、その直後に父に報じられていたようだ。

とはいえ、叱られた内容は意外なものだった。黙って城を抜け出し多くのものに迷惑をかけたこと。私を探すために少なくない人員を割いたことの二点。私が城を抜け出したことそのものに対しては何ら咎めがなかった。

「王族としては褒められたものではないが、親としては珍しいお前の我儘を嬉しく思う」

父から与えられたのはそんな言葉であった。その意味を私はよく理解できなかった。

その後、私は先延ばしになっていた勇者『レリクス』と顔を合わせることになった。

服装こそどこにでもありふれたような身なりではあったが、その顔たちは非常に端正だ。現に、私のお付きとして堂々していた女中たちが一目見ただけで顔を真っ赤にするほどだ。

ただ、私としてはもう少し野性味(・・・)が入っていた方が好ましい。確かに綺麗な人だとは思うが、女中たちほど魅力は感じられなかった。

だが、将来的には私の夫となる者だ。おそらく勇者当人には知らされていないだろうが、これも世の安泰のため。今後は彼との友好的な関係を構築していかなければならない。

──それから幾ばくかの時が過ぎた。

勇者レリクスの成長は目覚(めざま)しいものであった。

聖剣を手に入れるために赴いた『神殿』で厄獣と戦った時点で、その片鱗はあった。これまでは村の自警団として厄獣と戦ったことがあるとは聞いていた。確かに我流ゆえの荒さは目立っていたし、見慣れぬ厄獣を前に最初は戸惑いもあった。だが、だとしても彼の実力は単なる村人の範疇をとっくに超えていた。

そして、聖剣を得てからの彼はその実力を飛躍的に増していた。剣を振るう度に動きが洗礼されていくかのようだ。

それこそまるで、指南の達人が常に教えているかのようだ。

やがて、城の中で彼とまともに相手ができるのは将軍レベルの実力者でなければ務まらないほどまでになっていた。

最初の頃は補佐役として私も同行していたが、それも必要がなくなった。私の魔法使いとしての実力は国内有数であり、あるいは旅の仲間としても一時は案が出ていた。だが、それもすぐに代わりの者が見つかり候補から外れた。

勇者の活動は城の中だけではなく外部へと移行した。王都の近隣で発生した厄獣暴走(スタンピート)の対処や各地で対応が困難となった厄獣の討伐。勇者としての実力を高めるだけではなくその存在を喧伝するためだ。

勇者レリクスがその実力を高めていくのは喜ぶべきことだ。実際に私もそれは好ましく思っていた。

けれども、私は心の片隅に『虚』を感じていた。

原因など明らかだ。

忘れなければならないと、頭ではわかっている。

夢からは覚めなければならないと、理性が言っている。

やがて自分は勇者と結ばれる定め。だというのに、私の中から『あの人』への熱が消え去らない。見て見ぬ振りをしようとすれば、心に痛みが走る。

その痛みを忘れるために、あの人からもらったペンダントに触れる。それだけでこの胸の痛みが和らいだ。

女中たちには妙な目で見られた。「王族がつけるにはいささか安っぽい」と。失礼な物言いだが、本当のことを言えるはずもなく適当に誤魔化した。

しかし、いつまでもあの人への想いを抱き続けるわけにもいかない。忘れ去ることはできなくとも、心の片隅に追いやるほかなかった。

だから私は自分の気持ちに区切りをつけるため、行動に出た。

この国の古い習慣に『意中の相手に剣を贈る』というものがあった。

『剣』はこの国の象徴的な武器であり、それを贈ることによって『あなたに命を預けます』という意味が含まれている。

悲しいことに、実際に贈った剣で相手に刺されて死んでしまった貴族が何人かおり、それが原因で廃れてしまった風習だ。

本来ならば男性から女性に渡すものではあるが、私はこれを勇者に渡そうと思い立った。

自らの想いに終止符を打つために。

ただの剣ではダメだ。私が贈ったと分かるような証がなければならない。そして私は王族であり、身を証明するような細工を施せるものは数少ない。適当な職人に任せれば、『証の偽造』という罪で処罰されてしまう。

ついでに言えば、誰にも悟られたくなかった。いずれは世間にも明かすつもりではあったが、まだ心の準備ができていなかった。

『証』を作る資格があり、なおかつ秘密裏に仕事を任せられる人間。

思い当たったのは、『聖剣の鞘』を作った鍛冶職人だ。

今でこそ王都の片隅で商店を営んで入るが、元は王族付きの鍛冶師。王族やそれを守る近衛騎士の持つ武器防具の多くは彼が作ったものだ。

勇者レリクスが現在身にまとっている装備に関してはほとんど彼の手で製作された。後進に後を譲り第一線を引いてはいるが、それでも国内でトップクラスの腕前だった。

あの鍛冶師ならば『王族の証』を施す資格を有していた。

問題は、根っからの職人気質である彼は気に入った依頼しか請け負わないことと、依頼をするためには直接顔を合わせる必要があること。

そして私は二度目の脱走を計画したのである。

──これが再び『奇跡』を起こすとは思いもよらずに。