僕たちの姿を確認すると、国軍の隊長は驚いた表情の後に恵みの雨を味わった農民のような顔になった。

「おお、勇者様! 来てくださいましたか! あなたがいてくれれば百人力──いや千人力ですな!!」

「世辞は結構です。それよりも僕たちは先ほどたどり着いたばかりです。とりあえずここまで来ましたが、状況の説明をお願いします」

隊長は部隊の指揮があるからと、説明を引き継いでくれたのは副隊長だった。

彼の話によれば、厄獣は数こそ多いがその強さはさほど危険視するほどでは無い。国軍や王都に残っていた傭兵たちだけでも対処可能であり、戦線の維持に関しては問題無いという。

やはり、ネックなのが厄獣の多さだ。ある程度は数を減らすことができても、いつの間にか増えている。それが単なる気のせいで無いと副長自身も実感しているらしい。

「ただ、一部の兵士から厄獣の群れの奥に光る魔法陣を見たという報告が何件か上がっております」

その話を聞いたマユリがハッとなる。

「もしかして、大規模な召喚の魔法陣?」

「こちらの見立ても同じです。おそらくはそこから無尽蔵に厄獣が呼び寄せられているのでしょう」

険しい顔になる副長に対して、シオンが疑問を口にする。

「聞いた感じですと、この厄獣騒ぎはその魔法陣が原因でしょう。今すぐにでも破壊すればいいじゃ無いですか」

「おっしゃる通りです。ただ、魔法陣を破壊しようにもその辺りが一番厄獣が密集している地帯です」

「そりゃぁこの大量の厄獣が現れる場所だからな、当然といえば当然だな」 

ガーベルトが言うと、副隊長が頷いた。

「現在は厄獣の層を突破するための部隊を編成している最中です。一部には実力のある傭兵を組み込む予定です」

「集団戦ならともかく、一点突破ってなると傭兵の方が適任だろうしな」

「ええ。それで勇者様。できることならばあなたがたにも突入部隊に参加していただきたい」

話の流れからその要請がくるとは思っていた。魔法陣の周囲だけに限らず、厄獣はこの場に溢れかえっている。となると、突破部隊の規模は最小限に行うはず。少数先鋭となると、僕らのような個としての実力がある程度備わっている人員が適任だろう。

『どうなさいますか、マスター』

そんなの決まってるさ。

「分かりました。僕らも突入部隊に加わります」

「ありがとうございます。勇者様が加わってくださるなら、より確実に作戦を遂行できます」

「では私は部隊編成の準備がありますので」と副長が一旦離れる。彼は王国の兵士に向けて指示を出し始めた。

「僕たちは部隊の準備が整うまで、付近の厄獣を減らしましょう」

仲間に対して指示を出す、頷きが返ってきた。

まだ戦いは続くだろうし、ある程度は温存して──と考えたところで、戦場の中に見知った顔を見つけた。

「ミカゲさん!」

「──勇者殿?」  

銀狐の剣士が手近な厄獣を次々と切り捨てながら、こちらに向かってきている。何度見ても綺麗な剣捌きで、彼女の美貌と相まって惚れ惚れとしてしまいそうだ。

『マスター?』

っと、いかんいかん。今は戦いの真っ只中。妙なことを考えている場合では無い。それにミカゲさんには大切な人がいるのだ。邪な感情を抱いていい相手では無い。

──その『大切な人』の姿を思い浮かべて胸の奥がざわめいたが、僕はすぐに頭を振って打ち消した。

「先日ぶりですね、勇者殿」

「もしかしてあなたも突入部隊に?」

「ええ。私としても、この面倒な事態が早急に終息するなら願ったり適ったりですから」

彼女の背後にも何人かの傭兵が付いてきている。おそらく彼らも突入部隊に参加する予定なのだろう。

見知った顔があるというだけで、少しだけ安心する。それが背中を預けるに足る実力者というのならば尚更だ。

ミカゲさんがこの場にいるというのなら、彼女の『大切な人』もこの場にいるはず。少なくとも、僕の知る『彼』ならばミカゲさんを一人で戦場に送り込むようなことはしないはず。

なのに──。

「ユキナはどうしたんですか? 近くにはいないようですけど」

別の場所で戦っているのだろうか。そんな僕の予想に反し、ミカゲさんは一旦間を置いてから口を開いた。

「ユキナ様はこちらにはいらっしゃいません。王都の中にいらっしゃいます」

「────なんだって?」

先ほど打ち消したはずの胸の奥のざわめきが、再びうずくのを感じた。

「そもそも、ユキナ様はまだ四級。私のような二級とは違い、組合からの参加要請は来ませんし、あの方がこの戦いに参加する義理もありません」

「で、でもミカゲさんがこうして戦っているのに、ユキナはただ安全な場所で待ってるなんて……」

見損なったぞユキナ。君は、常識に欠けるところはあっても正義感を持ち合わせている男だと。だからこそ僕は彼のことを『友人』と思っていたのに。

『所詮はその程度の男だったということです。そもそも、あのような輩がマスターの友人であることすら間違いなのですから』

普段なら訂正するだろうレイヴァの言葉が、今の僕にはすんなりと受け入れられそうだ。それほどまでに、ユキナに対する失望感が大きかった。

「勇者殿、何か勘違いをされていませんか?」

「え?」と我に帰ると、ミカゲさんは冷めたような表情を浮かべていた。

「ユキナ様が王都の中に残られたのは、臆病風に吹かれたからではありません。あの方自身が、その必要があると判断したからです」

「必要って……どういう意味ですか」

「それは私にも分かりません。ただ、あの方がそう判断したのなら、私は従うまでです」

盲目的とさえ思えるその信頼に、なぜか僕は小さく憤りを感じた。

どうしてユキナをそこまで強く信じることができるのだろうか。

だからだろうか、らしくないと自分でも思える言葉が口から漏れる。

「……もし万が一に、本当に何かがあったらミカゲさんと一緒にいた方が──」

僕がそこまで言うと、ミカゲさんは首を横に振った。

「その万が一が『無かった時』のことを考えて、ユキナ様は王都に残られたのでしょう」

「無かった時?」

「ユキナ様は自分の行動が徒労に終わる可能性も視野に──いえ、むしろその方がいいと思っている節もあります。あの方はそういう人です。ですから、私をこちらに向かわせたのです。私という『戦力』を無駄足に付き合わせないために」

いよいよ僕はわけが分からなくなってきた。

ミカゲさんの言っていることの意味は理解ができる。ユキナが万が一に備えて王都の残っているというのもわかる。

だけど、ミカゲさんの言葉が正しければユキナはその万が一が来なければいいと考えている。

それはつまり、本当に何もなければユキナの行いは全て無駄になってしまう。誰からも評価されることもなく、逆に後ろ指を指される結果になる。

どうして彼は、その選択をすることができるのだろうか。

思わず、僕は己の裡に沸いた疑問をミカゲさんに問いかけようとした。答えが返ってくるかはわからず、それでも聞かずにはいられなかった。

けど、その機会が訪れることは無かった。

唐突に、ミカゲさんが何かに気がついたかのように目を見開く。頭部から伸びる銀狐の耳がピクピクと動くと、彼女はある方向へと顔を向ける。

そちらは王都のある方向だ。

遠目には分かりづらいが、何やら狼煙のようなものが光の玉が昇っているように見えた。

「どうやら、万に一つが的中してしまったようですね」

張り詰めた雰囲気をまとったミカゲさんは、一歩を踏み出す。光が立ち上がった王都に向けて。

「私はこれより至急、王都に戻ります。王国軍の隊長には、私が突入部隊に参加できない旨をお伝えください」

「そんな……あなたが抜けたら」

「私程度の穴でしたら、勇者殿がいてくだされば簡単に埋まるでしょう。それに、私よりも実力のある一級傭兵がいるのですからお釣りがきます」

ミカゲさんに話を振られたガーベルトは険しい顔つきになっていた。

「銀閃の分かってんのか? 今ここで戦線を離脱したら、傭兵の規則違反になるぞ」

ガーベルトの言う通りだ。ミカゲさんは傭兵組合からの要請でこの場にいる。この戦場で戦う義務を負っているのだ。それを反故したとなると彼女には傭兵としての処分が下されることになる。

「ついでに言えば、勇者が戦ってるところを逃げたって風評まで付いてくる。それでも行くのか?」

「でしたら、私はこう言いましょう」

──それがなんだというのですか?

さも当然とばかりに返されたセリフに、ガーベルトも他の仲間も目を丸くする。

「元々、傭兵になったのは路銀を稼ぐためと腕を磨くため。未練は多少なりともありますが、しがみ付くほどのものではありません。降格だろうが除名だろうが好きにすればいい」

「では、私はこれで」と、彼女は僕たちから顔を背けた。もうこちらには興味はないと言わんばかりに。

「…………ああでも、降格になれば気兼ねなくあの人と一緒に仕事ができますか。不謹慎かもしれませんがそれはそれで悪くないかもしれませんね」

最後にそんなつぶやきを残して、彼女は一目散に王都へと駆け出した。足取りには全く迷いなかった。

「レリクス様、どうなさいますか」

呆然とミカゲさんの後ろ姿を見送っていた僕は、マユリに声をかけられてハッとなる。気がつけばすでにミカゲさんの姿は厄獣や人の影に埋もれて見えなくなっていた。

「……僕らは予定通り突入部隊に参加しよう。ミカゲさんのことも隊長さんに伝えないといけないからね」

「分かりました」

マユリはミカゲさんが走っていった方向を不満げな視線で一瞥してから頷いた。 

行ってしまったものは仕方がない。僕は僕で、求められている仕事をキッチリこなさなければならない。

勇者としての責務を全うするのが僕の役割なのだ。

──王城に厄獣が出現したという報告を受けたのは、それからしばらく後のことだった。